シラネアオイの毒
「わふーん!」
スノーエルは狭い室内から広々とした野外へ移動し、自由に走り回れるのが嬉しくて仕方ないようだ。
なんの変哲もない大地を駆けているだけなのに、とても楽しそうに見える。
そんな神獣の姿を陛下と一緒に離れたところで観察していれば、反対方向から見覚えのある男女が姿を見せた。
「ラシリネちゃん……?」
「母上」
「ちょうど、顔を見に行こうと思っていたの!」
それは、前皇帝夫妻だった。
元皇后が日傘の下で明るい声を響かせた直後、ラシリネは不安に襲われる。
(こんなに天気のいい日に外へ出て、大丈夫なのかしら……?)
彼女は床に臥せっている日が多いと聞く。
だからこそ、余計に心配だ。
しかし、こちらから無邪気に言葉を発し、気分を害されては堪らない。
(ここは当たり障りなく、微笑んでいるのが正解よね……)
いつものように言いたい言葉をぐっと飲み込み、唇を噛み締めた時だった。
ダリウスが自分の伝えたいことを、代弁してくれたのは。
「大丈夫なのか……?」
「ラシリネちゃんと再会してから、とっても体調がいいの。こうやって外を歩き回れるなんて、夢のようだわ!」
彼女は満面の笑みを浮かべると、こちらに向かって謝辞を述べた。
「ありがとう。あなたが会いに来てくれたおかげよ」
「こ、こちらこそ……! 解任式を執り行う際に、たくさんご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした……!」
「気にするな。私は、当然のことをしたまでだ」
「立ち話は、身体に障る。移動しよう」
陛下の提案を受け、4人はガゼボへ移動した。
そこは日傘を刺さずとも日差しを避けられるように丸いドーム状の屋根で覆われており、テーブルを囲むように4脚の椅子が用意されている。
時計回りの順番で前皇帝夫妻、ラシリネ、ダリウスの順番に腰を下ろせば、タイミングよく使用人達がなんの指示も出さずともテーブルの上にお茶菓子を並べ始めた。
(よく訓練された、侍女達ね……)
聖女は感心した様子で、彼らの仕事っぷりに目を奪われる。
そんな姿を見ていた皇太后が、こちらに向かって何気なく疑問を口にした。
「アデラプス王国では、侍女の姿はなかったの?」
「は、はい……。不躾な視線を向けてしまい、申し訳ございません……!」
「いいのよ。気にしないで。観察していれば、すぐにわかるもの。ラシリネちゃんが、何を考えているか。ねぇ?」
「ああ」
「そ、そんなにわかりやすいですか……!?」
「とっても、かわいらしいわ」
彼女はごきげんな様子で笑みを浮かべたあと、喉を潤すために紅茶を手に取った。
(さすがは、皇太后様……。仕草も完璧で、とても優雅だわ……)
それに比べ、自分と来たら。
誰がどう見ても、ただの村娘としか思えない。
(貴族の作法を、もっとよく教わっておくべきだったのかもしれない……)
まさか大人になって、こんなところで敗北感を味わうなど思いもしなかった。
ラシリネは悔しさを滲ませつつも、羨ましそうな視線を彼女に向け続けた。
「毛嫌いされるよりは、ずっとよいぞ。なぁ?」
「そうね。ラシリネちゃんがとってもいい子で、本当によかったわ! わたくしの娘になる日が、待ち遠しいわぁ」
「母上……」
「ダリウスったら。まだ、想いを伝えていないの? 早く言わなきゃ、手遅れになってしまうわよ?」
くすくすと笑い声を上げて、息子を茶化す彼女の話はさっぱり理解できなかった。
だが、皇太后が楽しそうにしているだけで、ラシリネは充分だった。
心が暖かな気持ちに包まれていくのを感じ、自然と口元が綻んだ。
「そうだわ! せっかくだから、あそこを見せてあげたらどうかしら?」
「今日は、止めておけ。はしゃぎすぎると、明日に響くぞ」
「大丈夫よ! ここからすぐだもの!」
「お前の自己判断は、当てにならん」
「同感だ。あの花なら、ここからでもよく見えるだろう」
夫と息子に諭された皇太后は、しょんぼりと悲しそうに眉を伏せる。
そんな彼女の姿を「大丈夫かしら」と気にしていれば、陛下から肩を叩かれてある場所を指し示された。
「まぁ……」
そこには、白、薄紫と赤紫、ショッキングピンクのように見える四枚の花弁と金色に輝く無数の雄しべが印象的な花が、所狭しと植えられ、美しく芽吹いていた。
ラシリネは感嘆の声を上げ、キラキラと瞳を輝かせる。
「とっても素敵でしょう?」
「はい……!」
「ダリウスが、いつでもあなたを感じられるように種類を増やしたのよ!」
「陛下が……?」
「母上」
皇帝はもしかすると、ラシリネに知られたくなかったのかもしれない。
皇太后に向かって苦言を呈するように嫌そうな顔をしたが、彼女は微笑みを深めるだけだ。
「あら、いいじゃない。ラシリネちゃんの名前は、この花から連想されて名づけられたのだから」
「私と、似ているのですか……?」
「ええ。この花の名は、シラネアオイ。文字を入れ替えると、ラシリネちゃんと似た名前になるの!」
金色の瞳と白髪を目にした両親は、ここに植えられた花を真っ先に連想して娘に名づけたそうだ。
(私の名前に、そんな意図が込められていたなんて……)
皇太后に教わるまで、まったく知らなかった。
ラシリネはなんとも言えない気持ちでいっぱいになりながら、家族の後ろ姿を思い浮かべる。
(両親と不仲なのも、考えものね……)
真っ先に思い出されるのは、両親と手を繋ぐ妹の姿だ。
自分はなぜか、いつだってその輪の中には入れなかった。
(女性らしい桃色の髪を持つ妹のほうが、可憐ですもの……。彼らに愛されるのは、当然だわ……)
ラシリネは、己の白髪が好きだ。
幼い頃にダリウスが褒めてくれたから。
周りからどれほど忌み嫌われようとも、生まれ持った容姿を嫌悪するつもりはなかった。
(私の母は、殿下の側使えだったのよね……)
自分を冷遇してくる両親の馴れ初めなど聞く気にもなれずにいたが、彼女が思い出話に花を咲かせたいと願うのならば、興味のある振りをするのが正解だ。
「懐かしいわ……」
ラシリネが心ここにあらずな様子で、昔を懐かしむ皇太后の話に耳を傾けた直後、視界の端である異変が起こる。
神獣がシラネアオイの匂いを嗅ぎ、安全を確認してからパクンと口にしたのだ。
(食べても、大丈夫なのかしら……?)
――ラシリネの不安は、思ったよりも早くに的中した。
「きゃう!?」
獣は悲鳴を上げた直後、こてんと美しく咲き誇る花弁を下敷きにして倒れ伏し、喉元を抑えて苦しみ出したのだ。
「スノーエル!?」
ラシリネは慌てて椅子から立ち上がり、神獣の元へ駆け出した。
(この子は、神聖なる器ですもの……! 何かあれば、きっと神様はお怒りになるわ……!)
しかし、か弱き自分が苦痛に喘ぐ動物にできることなどほとんどない。
誤って摂取した花弁を吐き出すように促すべく、背中を叩くか――祈ることくらいだろうか。
(神様……! どうか、スノーエルをお助けください……!)
聖女がすぐさま両胸の前で両手を組み、心の底から神獣を助けたいと強く願う。
すると、眩い光がスノーエルを包み込む。
「こ、これは……!」
「聖なる力だ……!」
聖女見習いに格下げとなっても、聖なる力を使役する力は衰えるどころか強まっているようだ。
奇跡を目の当たりにした人々による歓喜の声を受けたあと、あれほど苦痛に表情を歪ませていた獣がスクリと立ち上がる。
スノーエルは不思議そうに四肢を動かし、先程までの光景が嘘のように元気な鳴き声を響かせた。
「わふん!」
「スノーエル……!」
ラシリネは喜びのあまり、自ら勢いよく美しき純白の毛並みを腕にいだく。
「死んでしまったら、どうしようかと思ったじゃない……!」
「わふ……?」
敬語を口にする余裕もなく、砕けた口調で話す己の姿は人が変わったように見えるのだろう。
「これに懲りたら、もう二度と拾い食いなんてしては駄目よ!」
「わふーん!」
成り行きを見守っていた3人が、なんとも言えない表情で固まっているのが印象的だった。
「ラシリネちゃんはもう、聖女ではなくなったのよね……? どうして、聖なる力で神獣を癒せたの……?」
「神は彼女に、この帝国を守護させたいようだ」
「今さら、聖女などいらんだろう」
「ああ。俺もそう思う。だが、神の考えは異なるようだ。今、ラシリネは聖女見習いという扱いになっているらしい」
ラシリネが神獣と抱き合って無事を喜んでいる間に、皇帝が両親へ己の置かれている事情を簡単に説明してくれた。
彼らの表情が曇ったのは、己が聖女でなくなることを心から望んでくれていたからなのだろう。
(王家のみなさんは、本当に優しい方たちばかりね……)
少女は大型犬と無事を分かち合いながら、彼らの話し合う姿へ静かに耳を傾けていた。
「自らを守護し、他者の傷を癒やす……。ハズレ聖女などと汚名を着せられていたのが嘘のような大活躍ぶりではないか?」
「そうよねぇ。この話がアデラプス王国に出回れば、面倒なことになりそうだわ……」
「箝口令を敷く」
陛下の静かな決定に同意をした夫妻の顔色が、一気に険しいものへと変化した。
ラシリネはそこでようやく彼らのただならぬ雰囲気を悟り、スノーエルを抱きしめる力を強めた。
「みなさん……?」
「心配いらないわ。ラシリネちゃんは、ダリウスがきちんと守るから」
「任せてくれ」
彼女に諭された彼は、自信満々に頷いた。
(陛下の想い人に、申し訳ないわ……)
ラシリネはまだ見ぬダリウスの想い人の姿を想像しながら、悲しそうに目を伏せる。
「わふ……」
そんな自分の姿を見たスノーエルは、「私がいるぞ」と慰めるように胸元へ身を寄せてくれた。
(暖かいわね……)
もふもふとした毛並みを抱きしめていると、心地いい気持ちでいっぱいになる。
(このまま座り込んでいたら、眠ってしまいそうだわ……)
ラシリネが眠気覚ましも兼ねて勢いよく立ち上がると、元皇帝から声をかけられた。
「剣術を習いたいと、息子に直談判したようだな」
「はい!」
「ダリウスが手一杯ならば、私が面倒を見よう。いつでも頼りなさい」
「ありがとう、ございます……!」
陛下だけではなく、彼の両親までに優しい言葉をかけてもらえるなど夢のようだ。
「ラシリネ。戻ろうか」
ラシリネは感極まった様子で瞳に涙を潤ませて頷くと、彼らと別れてその場をあとにしたのだった。




