魔獣討伐
ラシリネは解任式の準備が終わるまで、執務室の隣に設置された仮眠室で過ごすことになった。
壁の中央に開けられた小さなのぞき穴から、いつでも互いの姿を見られるようになっている。
(陛下からは、自由に動き回っていいとは言われているけれど……)
ラシリネは聖女として自国で暮らすようになってから、長い間飲まず食わずで祈りを捧げる生活が当たり前になっていた。
だからこそ、じっとしているのは苦ではない。
彼の目の届かない場所を歩き回り、トラブルを起こすのは避けたかった。
(陛下の麗しきお姿を、じっと部屋に籠もって観察しているのが一番ね……)
こうしてラシリネは、のぞき穴から静かに書類仕事に追われる皇帝の姿を観察している。
(最愛の殿方を好きなだけ、遠くから眺めていられるなんて夢のようだわ……)
誰にも邪魔をされることなくダリウスの一投足を見続けても文句の1つも言われずに黙認されるなど、夢のようだ。
ラシリネはうっとりと金色の瞳を和らげ、思う存分堪能する。
(鼻息が荒くならないように、気をつけないと……)
気配を消すのは、得意だ。
最愛の人を遠くから見るだけなら誰にも迷惑をかけないと開き直って息を殺し、彼を観察し続けてどれほどの時間が経過しただろう。
「はぁ……」
陛下は執務室の椅子に座ったまま深い溜息を零すと、手にしていた書類から顔を上げる。
その後、こちらに向かって手を何度もひらひらと動かした。
(いい加減にしろ。こっちにおいで……。どっちかしら……?)
ラシリネは何度も揺れる彼の指先に注目する。
前者ならば、内側から外側へ手を払うだろう。
真逆のジェスチャーを見る限り、後者の意図が込められていると考えるべきだ。
(迷惑に思われているのだとしたら、謝罪をしないと……!)
ラシリネは慌ててのぞき窓から顔を離すと、トタトタと小走りで隣の部屋に繋がる扉を開け放った。
「陛下。お仕事中、申し訳ございません」
「君と俺の仲だろう。堅苦しい挨拶は不要だ。楽にしてくれ」
「しかし……」
「心を許していなければ、執務室に繋がる仮眠室で暮らすようになど、命じるはずがないだろう?」
「そ、それもそうですね!」
陛下から尤もらしい説明を受け、ようやく納得する。
口元を綻ばせて頷いたあと扉を閉め、ダリウスのそばへ寄った。
「お呼びでしょうか……?」
「隣の部屋から隠れてこそこそと監視するくらいなら、ここにいればいい」
「で、ですが! 私はこの帝国の出身者ではないですし……! 部外者ですから。忠臣に、何を言われるか……」
「俺が認めたんだ。文句は言わせんよ」
彼は優しく紫色の瞳を和らげると、執務机の隣に置かれた丸椅子を指差し、こちらに促した。
「ここに座るといい」
「陛下の想い人が、このお部屋に姿を見せたら……。勘違いをされてしまいますよ?」
「構わん」
彼は左右に首を振って、静かに声を発した。
ダリウスが好きな女性は、隣に聖女がいるだけで憤慨するほど嫉妬深い人物ではないと確信を持っているようだ。
そんな発言を受け、ますます彼の寵愛を受ける女性がどんな人物なのか気になって仕方がなかった。
(私とは比べ物にならないほどに美しく、聡明で、素敵な方なのでしょうね……)
ラシリネは遠い目をしながらまだ見ぬ女性の姿を朧気に空想し終えたあと、開いている丸椅子に浅く腰かけた。
「もっと、深々と腰を下ろせばいいだろう」
「いえ……! 陛下の想い人がいらっしゃったらすぐ立てるよう、準備をするべきですので!」
「まだ、そんなことを言っているのか……」
ダリウスは納得がいかない様子で難色を示しているが、こちらだって一歩も引くつもりはなかった。
(私は陛下とまだ見ぬ女性の仲を、応援すると決めたんだもの。邪魔にならないように、立場は弁えなければ……!)
ラシリネが膝上に置いた指先をぐっと握りしめて人知れず決意すると、彼は再び書類仕事に集中し始めた。
(ああ……。近くに寄ると、一段と美しさが際立って見えるわ……!)
喜びを声に出し、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
表情に出さぬよう気をつけながら、ラシリネは思う存分彼の仕草を至近距離で堪能した。
「ラシリネ」
「はい!」
「俺がいいと言うまで、席を立つ必要はない」
「わかりました……?」
ダリウスから意味不明な命令を受け、不思議に思いながらも頷いた直後、事件は起きる。
ドタバタと廊下から慌ただしい足音がこちらに近づいてきたあと、ドアを蹴破るような勢いで完全武装をした王立騎士団の団体が姿を見せたのだ。
(いけない。陛下の命令を、守らなければ……)
ラシリネは条件反射的に椅子から立ち上がりたい気持ちをぐっと堪え、男性陣のやり取りを見守った。
「陛下!」
「どこだ」
「南の森から、魔獣の群れが押し寄せてきました!」
「すぐに向かう」
ダリウスは手早くマントを手繰り寄せ、脇に避けていた剣を帯同する。
あっという間に身支度を整えた彼は、こちらに向かって話しかけてきた。
「ラシリネ。君には、2つの選択肢がある。父上達と一緒に、城へ残るか。俺とともに、来るか……」
陛下がすべてを言い終わる前に、答えは出ていた。
(このまま一緒に着いて行ったって、足手まといになるだけだとよくわかっている。それでも……。力になれることが、あるかもしれないから!)
ラシリネは勢いよく椅子から立ち上がり、差し出された手を自らの意思で掴んだ。
「私も、ご一緒させてください!」
「わかった」
こうして2人は、王立騎士団達とともに魔獣が闊歩する南の森へ向かった。
*
2つの生き物が共存するこの世界では、争いが絶えない。
魔獣も人間も、己の身を守るために異なる種族へ牙を向けるのだ。
ある時から人間達は、神の愛し子たる聖なる力を持って生まれた聖女に自国を守護するように命じた。
その作戦は大成功。
優秀な聖女の祈りによって、人々の平穏は保たれた。
しかし――。
たった1人の女性を犠牲にして数多の生きとし生けるものを守るやり方に、異論を唱える者がいる。
それが、ダリウスのような考えを持った人々だ。
『我々は、聖女になど頼らない』
神の力を借りずに国を守ると決めた皇帝は、血の滲むような努力を重ね、剣の腕に自信のある王立騎士団を設立した。
彼は自ら指揮を執り、魔物達を討伐する。
(凄いわ……)
ラシリネはその光景を目にして、唖然とした。
自国では魔物が出現した直後、王立騎士団に所属する男性達であったとしても、取り乱した人々が「死にたくない」と叫び、地獄絵図と化していたからだ。
『早く、結界を張れ!』
『聖女は一体、何をやっているんだ!』
『これだから、ハズレ聖女は……!』
聖女が障壁をしっかりと張り巡らせさえすれば、自分達はこんな思いをしなくて済んだ。
そんなふうに怒声を浴びせられたって、自分が中途半端な結界しか張れぬ事実は変わらない。
他人をコントロールするよりも、己を変えるほうが労力は少なくて済むはずだ。
なのに――。
自国の人々は努力を怠り、ラシリネのせいだと責任転嫁ばかりしてきた。
(私が聖女ではなくなった影響も、大きいのでしょうけれど……)
帝国の王立騎士団達は、皇帝の隣に隣国の元聖女がいることなど一切気にも止めずに剣を振るい続けている。
魔物が市街地まで入り込めば、たくさんの人々が傷つき、命を落とす。
責任は重大だ。
とてもじゃないが、年場のいかない少女が背負えるようなものではなかった。
(私も自らを鍛え、障壁を張り巡らせられない分だけ剣を手にするべきだったのかもしれないわ……)
ラシリネは己の選択を恥じながら、想い人が剣を振るう凛々しき姿をぼんやりと眺めていた。
「ラシリネ」
迫りくる魔獣を粗方処理し終えた皇帝は、涼しい顔で剣を鞘に収めるとこちらへ戻ってきた。
彼はどこか、心配そうに自分を見つめている。
(どうしたのかしら……?)
ラシリネの疑問は、すぐにダリウスによって解消された。
「面白いものでは、ないだろう。襲いかかる魔獣を退ける姿など……」
「いえ。自国ではほとんど見られなかったので、とても新鮮です」
「そう、か」
「はい。私も、国王に頼んで剣術を習うべきでした。そうすれば、国民達を危険にさらさずに済んだかもしれないのに……」
「そんなこと、しなくていい!」
皇帝は切羽詰まった様子でそう叫ぶと、ラシリネの身体を勢いよく抱きしめた。
強い力で腕にいだかれるなど思わず、目を白黒させるしかない。
「陛下……?」
「君はもう、自らを犠牲にして、民に尽くす必要などないんだ……!」
彼は明らかに、様子がおかしい。
今にも泣き出してしまいそうなほどに声を震わせて耳元で囁く陛下の姿を前にして、胸がツキンと痛む。
(本当は大丈夫ですよと優しい言葉をかけて、抱きしめ返して差し上げたい……)
しかし、ダリウスには自分以外の想い人がいる。
いくら誰も見ていないとしても、軽率な行動は慎むべきだろう。
「そのお気持ちだけで、充分ですよ」
ラシリネは彼の胸元を優しく押し返すと、あえて自らの意思で後方に下がる。
こうして、距離を取った。
「ラシリネ……」
自分は今、宙ぶらりんの状態だ。
解任式を終えるまでは、神から自国の聖女として認識されている可能性が高い。
(儀式を終えたら、私は本当の意味で自由になれる……)
聖なる力を再びその身に宿して帝国を守るか、自国を追放された哀れな元聖女と蔑まれて余生を過ごすか。
おそらく、己が歩むべき道は2つに1つだ。
「これからのことは、今すぐに答えを出すつもりはありません。ゆっくりと、考えてみたいと思っています」
ラシリネは、紫色の瞳を切なげに潤ませる彼を安心させるように、満面の笑みを浮かべて告げた。
「それまで、私の成長を見守ってくださいませんか?」
この提案は、どうやら彼にとって思いがけないものであったらしい。
陛下は目を大きく見開いたあと、呆然と同意を示す。
「あ、あ……」
「よかった!」
たとえどれほど困惑していようとも、言質を取ればこちらのものだ。
ラシリネはこれ幸いとばかりに、己の考えを口にした。
「私は守られているだけではなく、強くなりたいんです! 陛下。お時間があったら、剣術を教えてくださいね!」
彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、難色を示している。
(こんな姿すらもかっこいいなんて、反則だわ……!)
ラシリネはドキドキと心臓をときめかせながら、危なげなくすべての魔物を退けた王立騎士団とともに王城へ戻った。




