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君は世界のすべて

 妹と手を組んだのは、失敗だった。


 そう後悔する羽目になったのは、ラシリネが涙ぐみながら口にしたある言葉のせいだった。


「陛下がアオリと想いを通じ合わせていたとしても、私は何かを言える立場ではありません……」


 アデラプス王国を守護するべき聖女が領土の外に出たかと思えば、敵対する帝国の皇帝と親しそうに2人きりで話をしている。

 そんな状況は、誰がどう見ても親密な関係だと勘違いされてもおかしくはない状況だった。


(魔具のやり取りを誰かに見られるのを恐れるあまり、従者をつけずにあの女と面と向かって交渉をするべきではなかったか……)


 ダリウスは適当にはぐらかして彼女と距離を置かなかったのを後悔しながら、最愛の聖女と距離を縮めるべく行動に移す。


(どうにか誤解を解き、恋仲になれたからいいものの……)


 この状況は、想定外もいいところだ。


(俺はいつだって、想定通りに物事を進められずに生きている……)


 このままではいけない。

 それは重々理解している。

 だからこそ、ラシリネを追放した国王とあらぬ誤解を生むきっかけとなったアオリに報復する機会を、虎視眈々と狙っていた。


「ダリウス。お前の耳にだけ、入れておきたい話がある」

「なんだ」


 父親に呼び止められたのは、そんな時だった。

 彼は本当に誰にも聞かれたくないようで、声を顰めて静かに耳元で囁く。


「黒いオーラを纏った魔獣の件だが。あれと同じものが、アデラプス王国の障壁に混ざっているようだ」

「あれが一体なんなのか、わかったのか?」

「禁呪を使った代償だと言う話が、一番有力ではある」


 彼の話を聞いたダリウスは、顔色を変えず無表情を貫くのに必死だった。

 思い当たる節があるからだ。


(ラシリネが我が帝国の聖女になると決意したのは、俺のせい……。それは勘違いなどではなく、事実だったと言うことか……)


 ラシリネをアデラプス王国から救い出すためには、彼の国を守護する聖女が必要だ。

 しかし、聖なる力を持つ未婚の女性になど、宛がない。

 ダリウスは誰かを偽聖女に仕立て上げるしかなく、王家の宝物庫に先祖代々伝わる魔具を無断で持ち出し、アオリに手渡した。


(確かに、黒いオーラを纏う魔獣はあの女が聖女になってから現れるようになった……。アデラプス王国の障壁にも滲み出ているのであれば、間違いないだろう)


 機会を窺い、最善のタイミングで叩く暇などない。

 さっさと蹴りをつけなければ、事態はもっと深刻化していくだろう。


「騎士達の噂話を魔に受けるのなら、人的被害も出ているらしい」

「魔獣に襲われでもしたか」

「それもあるが……。黒いオーラを纏った人間が、見境なく他者へ危害を加えているとの話だ」


 父親の報告を受けたダリウスは、紫色の瞳を不快そうに細めて独りごちる。


(これを知ったら、ラシリネは危険を顧みずに彼の地を救おうとするだろう……)


 彼女を生涯大切に腕へ抱き、守り続けたいダリウスにとって、この状況は最悪の一言に尽きる。


(俺の尻拭いを、彼女にさせるわけにはいかない……)


 皇帝は紫色の瞳に確かな決意を宿し、情報提供をしてくれた父親に別れを告げた。


 *


 スノーエルの身体に取り憑いた神は、「彼女を危険な目に遭わせたくない」と言うこちらの意見を無視して、ラシリネに命じた。


「アオリの件は、お任せください! 私が、必ずや彼女を正気に戻してみせます!」


 聖女が神のありがたい言葉を断れるはずもなく、少女は2つ返事で了承してしまった。

 こうなった以上、いつまでも慌てふためいている余裕はないだろう。

 ダリウスは全力で彼女をサポートすると誓い、ラシリネとともにアデラプス王国へ足を踏み入れた。


「裏切ったのね……!」


 赤紫色の瞳に、憎悪が滲む。

 彼女はこちらが「偽聖女になってほしい」と持ちかけた10年前のあの日からずっと、こうなることを恐れていた。


『身の安全を保証して』


 アオリが偽聖女を名乗らなければ、ラシリネを腕にいだく権利すらも得られない。

 だからダリウスは、彼女を守った。


 しかし――。

 姉がエヴァイシュ帝国にやってきたあとが、問題だった。


 2人の共犯関係は、こちらがラシリネを手に入れるまでの間だけ。

 つまり、期間限定だ。

 最愛の聖女を手に入れた以上、ダリウスはアデラプス王国になど用はなかった。


 ――だが、アオリは違う。


 彼女は自国の聖女として、今まで通り嘘をつき続けなければならない。

 自らが偽物だとバレた瞬間、その身に待ち受けるのは破滅だけ。


『魔具を頂戴!』


 その身を守るため、「これが最後だから」とでも言わんばかりにダリウスへ魔具を強請ったのは、彼女の意思だ。


(俺が彼女を裏切ったのではない。あの女が、自ら破滅の道を選び取った……)


 ラシリネのいる前で、「こんな提案を持ちかけてきたダリウスが悪い」と責任転嫁をされるなど冗談ではなかった。


(口を滑らせなければいいが……)


 ダリウスは姉妹の話し合いが終わるまで、アオリを「余計なことを言うな」と睨みつけ続ける。

 その甲斐あって、どうにかラシリネに2人の関係が露呈せずに済んだ。


(終わったか……)


 聖女が己の力を頼ることなく、自らの手で妹に渡した魔具を破壊し、問題を解決したのは寂しくもある。

 しかし、これはダリウスにとっても理想とも言える状況だった。


(ラシリネは長い間この国で心ない中傷に晒されてきたせいか、どうにも周りに遠慮しがちだった……)


 もしも母国から追放を宣言されなければ、ラシリネはこんなふうに妹や国王へ立ち向かえなかっただろう。


(成長したな……)


 最愛の聖女が立派に聖なる力を振るう度に、紫色の瞳の瞳が切なげに和らぐ。


(聖なる力を自由に操れる聖女は、そう多くない。彼女はなぜ、母国でハズレ聖女と呼ばれていたんだ……?)


 ダリウスは、アデラプス王国の国王に対する憎悪を募らせる。


(今すぐには、無理でも……。あの男だけは、俺がこの手で……)


 しかし――ラシリネの発言を聞いたダリウスは、そんな邪な思いをいだいていた己を恥じた。

 彼女は「これ以上、あの男に罰を与える必要はない」と言ったのだ。


(それがラシリネの願いであれば、叶えてやるべきだ)


 聖女を悲しませようものなら、神の天罰が下る。

 そんなことを恐れていては帝国を統べる皇帝でなどいられないと思っていたが、今回ばかりは彼女の意思を尊重したいと思った。

 なぜならば――。


(真実を知れば、彼女は俺を嫌いになってしまうだろう……)


 そんな嫌な予感で、頭がいっぱいになったからだ。


(この秘密は生涯、一生墓まで持っていく……)


 ラシリネに魔具を手渡し、断られた。

 10年前のあの日から、ダリウスの決意は変わらない。


(彼女は俺にとって、世界のすべてだ……)


 何よりも大切で、守りたくて、悲しんでいるよりも笑っているところがみたい。

 たとえ世界中の人々に嫌われたとしても、ラシリネさえ己を愛してくれさえすれば、ダリウスはそれで充分だった。


 だからこそ――。

 皇帝は彼女と強引に繋いだ指先を絡め合い、離れないように強く握りしめる。

 その後、倒れ伏す忌々しい存在達に背を向け、自国へ戻った。

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