黒いオーラを放つ障壁
「この障壁は……」
ラシリネは王立騎士団とともにアデラプス王国へ到着し、領土を覆うように張り巡らされた防御壁を目にして絶句した。
ダリウスが遅れを取った魔物が纏っていた黒いオーラと同じ、嫌な気配で覆われているせいだ。
(異常性は、明らかだわ。なぜ、誰にも指摘を受けずにこの障壁が張り巡らされ続けているの……!? )
エヴァイシュ帝国で誉れ高き聖女になったからこそ、余計に驚きを隠せない。
(この黒いオーラは、魔獣を凶暴化させていた……。内側にいる国民達にも、悪影響を及ぼすんじゃ……?)
ラシリネはある仮説を立て、無理を言って王立騎士団を半分だけ連れてきたことを後悔した。
(陛下の言う通り、全勢力を持って対応に当たらないと王城へ辿り着けないかもしれないわ……!)
焦燥感ばかりが募り、金色の瞳を忙しなくさまよわせる。
そんなこちらの様子を目にした彼が、不安そうに自分の名を呼んだ。
「ラシリネ?」
「この防御壁に纏わりつく黒いオーラは、生き物を凶暴化させます。このまま中に入ったら、暴徒と化した民が襲いかかってくる可能性が高いです」
「困ったな……」
それを防ぐためには、この中途半端に張り巡らされた障壁を破壊するか、己の力で上書きしなければならなかった。
(聖女が守護できる地は、1つだけ。2重契約は認められていない。陛下がこの国を治めるまで、障壁は展開できないわ……)
この国で暮らす民は、自分が幸せな生活を享受している間にもたくさん苦しみ、怯え、苦しんでいる。
(彼らは私をハズレ聖女と呼び、罵詈雑言を浴びせたかもしれない。でも……。あの時守れなかった命を、今度こそ自らの手で救えるのなら……!)
ラシリネは今度こそ、彼らを自らの手で救うために立ち向かう。
「ひとまず、民に悪影響しか及ぼさぬこの障壁は破壊します」
「できるのか?」
「黒いオーラを浄化するのは、聖女見習い時代に一度やっているので……。きっと、大丈夫です。ただ……」
エヴァイシュ帝国を守護する聖女として、こんなことで根を上げてなどいられなかった。
浄化はかなり疲弊するだろうが、どうにかやり遂げられる自身はある。
しかし――隣接する迷いの森から防御壁が解除されたアデラプス王国へ魔獣が攻め入り、国民達がパニックに陥って敵味方ともに大混乱へ陥るほうが問題だった。
「魔獣か……」
「この国へ再び障壁を張り巡らせるためには、国王が全面降伏を宣言し、この地をエヴァイシュ帝国の領土として神が認めたあと、アオリの解任式を終わらせる必要があります」
「君の妹が偽物なのは、神も知っているはずだ。そもそも、正式な就任式すら執り行えていたかすらもおかしい」
「確かに……。ですが、一度は神もお認めになったはずです。そうでなければ、障壁を国中に張り巡らせるなんてできないので……」
「面倒だな……」
彼はさっさと己の剣を振るい、圧倒的な武力で黙らせたかったのだろう。
うんざりとした様子で今後の流れを確認しながら、後方部隊へ指示を出す。
「これより、部隊を3班に分ける。一班は魔獣討伐、2班はこちらに歯向かう民の制圧、3班は俺と来い」
「はい!」
彼らは一糸乱れぬ敬礼を披露したあと、綺麗に3つの隊列を作る。
(よく統制の取れた騎士団だわ……)
ラシリネはその様子を物珍しそうに確認したあと、妹の張り巡らせた禍々しい結界へと両手を伸ばした。
「こちらはいつでもいい。君のタイミングで、始めてくれ」
「参ります……!」
アデラプス王国の防壁は、陛下に襲いかかってきた魔獣とは比べ物にならないほどに広範囲だ。
それらに染みついた黒いオーラを引っ剥がすのは並大抵のことではない。
(お願い……! 民を苦しませる黒いオーラを、すべて退けて……!)
金色の瞳を閉じ、聖女は必死に祈りを捧げる。
パリ、パリ、と何かが剥がれるような音とともに黒色のオーラが虚空に消える度、その様子を見ていた王立騎士達から歓声が上がった。
「凄いぞ! さすがは聖女様だ!」
「我々は今、歴史的瞬間に立ち会っている……!」
「頑張れ!」
「もう少しだ!」
帝国民の応援は、聖なる力を増幅させる。
(これで、終わりよ……!)
ラシリネは大きく瞳を見開くと、すべてのオーラを退けた。
「ラシリネ!」
ダリウスが己の名を切羽詰まった様子で呼んだ直後、ガラスが割れるような音とともに妹の生み出した防壁が破壊される。
それらは闇のオーラを纏っていたおかげで、どうにか原型を留めているだけだったのだろう。
聖なる力の代わりとなる代替を失えば、あっさりと崩れるのは当然だった。
(よかった……)
聖女はホッと胸を撫で下ろし、その場に倒れ込む。
しかし、純白のドレスを纏った身体が土に塗れることはなかった。
――ダリウスが、恋人を抱き留めたおかげだ。
「よし! 突入せよ!」
「うぉおおお!」
ラシリネを気遣うよりも先に1班と2班に別れた騎士団員達へ指示を出した皇帝は、彼らを見送ってから己を抱き上げた。
どうやら、このまま妹や国王の待ち受ける王城へ向かうらしい。
「足手まといになってしまい、申し訳ございません……」
「いや、いい。俺は、浄化に関してはからきしだからな。これくらいは、させてくれ」
「ですが……」
「今はまだ序の口。本番は、このあとだ。今のうちに、英気を養っておけ」
「陛下のお心遣いに、感謝いたします……」
彼の腕に抱かれたまま、ラシリネは薄目でアデラプス王国の状況を確認する。
そこはまさしく、戦場だった。
至るところで子どもが泣き叫び、我を忘れた人々が「自分はなぜこんなところにいるのか」と不思議そうにし、騎士団は魔の森から押し寄せてきた獣から己の身を守ろうとするので手一杯。
(エヴァイシュ帝国の王立騎士団がいなければ、もっと酷い惨劇が起きていたでしょうね……)
ラシリネは早く彼らの手により、本来の平和を取り戻せますようにと願うしかなかった。




