愛の力(2)
「はい。なんなりと、お申しつけください」
「うむ。大した話ではないのだが……。先程、アデラプス王国への進軍が決定した」
「……アオリを聖女の座から引きずり下ろす際の護衛も兼ねて、王立騎士団を動かすのですか?」
「それもある。だが、息子の狙いは……」
「あなた」
彼が言い淀んだ直後、不安そうに義母が夫を呼ぶ。
その声を聞いてはっと言葉を止めたあたり、ラシリネが聞くべき内容ではないのは明らかだ。
(きっと陛下は私に、清廉潔白な姿だけを見せたいんだわ……)
彼女が口を挟んできたのも、ダリウスの意思を尊重したいという気持ちがあるからだ。
(障壁がなくなれば、隣国にとっては領地を拡大するチャンスですもの……)
これまでエヴァイシュ帝国がアデラプス王国よりも強大な武力を持っているにもかかわらず彼の国へ進軍しなかったのは、自分が聖女として国を守っていたからだ。
(陛下はきっと、私が傷つくかもしれないと恐れて、手を出さないでいてくれたんだわ……)
ラシリネのあとに聖女となった妹が偽物だと発覚した以上、手加減をする理由がない。
ダリウスはこの絶好の機会を逃さず仕留めるつもりなのだろう。
(抜かりないわね……)
さすがは己の愛した皇帝だ。
そう褒め称えたい気持ちはあるが、彼に祝われる気がないのだからどうしようもない。
(私が彼の作戦が素晴らしいと思っていることは、黙っておきましょう……)
ラシリネは心の中だけに留めると決め、夫妻との会話に集中した。
「実は、だな。王立騎士団の間で、揉めておるのだ。就任式を終えた聖女が自国を離れるなど、前例がないからな。全軍で彼の国へ向かったあと、障壁が消失すれば、尋常ではない被害が起きかねん」
彼らの疑問は、もっともだった。
領地拡大はエヴァイシュ帝国の悲願ではあるが、すでに手にした土地を維持できなければ意味がない。
(私は神様に、お墨つきを頂いているけれど……。その通りにならなければ、被害を被るのはこの地で暮らす民ですもの……)
彼らが不安に思うのは、無理もなかった。
今の自分ができるのは、もっと詳しく事情を聞き、代替案を出すくらいだろうか。
「私が見ている限りではありますが、アデラプス王国は我が帝国に比べ、武力が劣っているように見受けられました。半分に分けても、問題ないのでは……?」
「万全を期すのであれば、息子は全軍を動かすべきだと言っている。どうか、ダリウスを説得してもらえないだろうか」
「わ、私がですか……?」
「わふん!」
ラシリネはまさかの展開に戸惑いを露わにするが、そのやり取りを聞いていた神獣が「任せろ!」と言わんばかりに元気よく鳴いた。
(いつもだったら、私には無理ですと真っ先に断りを入れていたけれど……)
いつまで経っても、殿下に対して怯えているわけにはいかない。
だって2人は、いずれ対等に言い合える夫婦になるのだから――。
「わかりました。やってみます!」
こうしてラシリネは2人と別れて執務室へ戻ると、恋人に戦いを挑んだ。
「戻ったか」
「わふ!」
「陛下! アデラプス王国への進軍は、お義父様の言うように半分だけで充分だと思います!」
「な……」
彼は己と顔を合わせた瞬間、嬉しそうに唇を綻ばせる。
しかし、それは一瞬だけだ。
すぐに絶句した表情を浮かべると、「構って」と言わんばかりに飛びつくスノーエルをしっかりと抱きかかえて固まった。
「ダリウス様? どうか、なさったのですか?」
「父上の呼び方を、変えたのか……」
「お義母様が、どうしてもと仰るので! どうせなら、お2人とも一緒がいいと思ったのです。駄目でした……?」
「いや。それは構わないのだが……」
「わふん?」
獣は「一体何が問題なんだよ」と言わんばかりに不思議そうな顔をする。
陛下はどこか困ったように瞳を細めると、スノーエルを地面に離してからどこか悔しそうに告げた。
「いくら相手が恋愛対象外であろうとも、自分の知らないところで仲を深められると、なんとも言えない気持ちになってだな……」
彼は「こんなことを言わなければならんこちらの身にもなってくれ」と言わんばかりに、視線を逸らす。
ラシリネはしばらく陛下が口にした言葉の意図を考え、すぐに合点がいく。
「嫉妬、してくださるのですか……?」
「当然だ」
ラシリネはダリウスから肯定を引き出し、思わず彼に飛びついた。
喜びを、全身で言い表すためだ。
皇帝がしっかりとこちらを抱き留める姿を確認し、少女は耳元で囁く。
「嬉しいです。私を、大切に思ってくださる証拠ですね!」
「まったく、君は……」
己が満面の笑みを浮かべて微笑む姿を目にしたからだろう。
陛下は呆れたようにポツリと呟いたあと、「仕方ないな」と言わんばかりに優しくラシリネを抱きしめてくれた。
2人は恋人同士の甘い空気を醸し出しながら、つかの間の休息を堪能する。
「君にとって、神の言葉は絶対だ。本来であれば、逆らうばどあり得ない」
「疑っているのですか?」
「君が我が帝国の外へ出るのは問題ないとは断言したが、この帝国が危機的状況に陥ることはないとは言われていなかったからな」
「そうですか……」
ダリウスは疑り深い性格だ。
絶対に安全だとわかるまでは、民を従えて大きな行動をしたくないのだろう。
(お義父様が私に説得を頼むのは、無理もないわね……)
彼は1度決めたら、周りの意見を聞かずに意固地になるタイプだ。
最悪の場合は、心を通じ合わせる前のように険悪な雰囲気にもなりかねない。
それでもラシリネは、諦めるわけにはいかなかった。
「神様にとって、ここは私の守護する帝国です。妹を退けている間に危機が訪れたら、陛下は怒り狂いますよね?」
「当然だ」
「これは陛下の性格を知っていれば容易に想像がつく話です。指摘せずにいるなんて、ありえません。きっと、大丈夫ですよ。神様が信仰心の深い聖女を裏切るなんて、聞いたことがありませんし……」
「わふん!」
大人しく床に伏せていたスノーエルが、「心配いらねぇよ」と元気な鳴き声を上げる。
神を下ろす器が元気満々に言うのであれば、信頼度は高いだろう。
「もしも不足の事態が起きた時、責任を取るのは神ではない。この俺だ」
「そう、ですよね……」
皇帝であるダリウスの決定には、つねに責任が伴う。
神を崇拝する聖女が「絶対に大丈夫だ」と断言したのを真に受けて何かが起きれば、民に言い訳など通用しないのだ。
(民から信頼を寄せられる陛下が私の言葉を真に受けたせいで、自国でハズレ聖女と呼ばれた時のように彼が悪く言われるのは、耐えられないわ……!)
ラシリネはこのまま「神の言葉を信じるべき」だと強く言うのもどうなのかと迷い、金色の瞳を不安そうに揺らがせた。
しかし――。
ダリウスも、こちらを悲しませるつもりはなかったのだろう。
反省した様子で己を抱きしめる力を強め、静かに重い口を開く。
「最愛の女性に、懇願されたんだ。その望みを受け入れずに拒むなど、男ではない」
「陛下……。よろしいのですか……?」
「ああ。俺達が不在の間、この帝国は父上に任せる。あの人も、それを望んでいるようだからな」
「はい!」
ラシリネは己の願いが受け入れられたのが、嬉しくて仕方がない。
満面の笑みを浮かべて頷いたあと、彼の胸元に頬を寄せた。
「アデラプス王国での戦いは、君にとってはつらいものになるだろう」
「覚悟の上です」
神によって妹が聖女を騙っていると知らされてから、ラシリネは後悔していた。
(ハズレ聖女と呼ばれた姉の代わりに、あの国を守護してほしいなんて、言わなければよかった。そうすれば、あの子だって、真実を打ち明けられたかもしれないのに……)
すべてはダリウスの恋心を捨てきれず、自国で聖女としての役割を全うできなかった自分のせいだ。
「妹の不始末は、私がきっちりとケリをつけます!」
「無理だけは、するなよ」
「もちろんです!」
ラシリネは力強くこちらを思い遣る恋人の言葉に頷くと、彼とともにアデラプス王国へ向かった。




