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誤解を解いて(1)

 ラシリネは陛下と和解を済ませて幸せいっぱいなままスノーエルとすっかり日課となったランニングに向かい、すぐさまそれを後悔した。


「ハズレ聖女と呼ばれていた女らしく、届かぬ想いをいだき続け、不幸になればいいのよ!」


 アデラプス王国の聖女となったはずの妹が、姿を見せたのだ。

 彼女はダリウスに好意を寄せているかのような発言をしたあと、捨て台詞を残して去って行った。


(何が起きたの……?)


 久方ぶりに顔を合わせたアオリとの再会を喜ぶ暇もない。

 金色の瞳を白黒させながら、事態を把握するまでには長い時間を有した。


「わふ?」


 スノーエルに「どうしたの?」と顔を覗き込まれて、ようやく状況が飲み込めてくる。


(陛下は想い人などいないと、はっきり宣言してくださったけれど……)


 あれはきっと、これ以上ラシリネを傷つけないための配慮だったのだろう。


(私が知らないだけで、これまで何度も逢瀬を重ねていたんだわ……)


 ――幸せに満ち足りていた聖女は最愛の男性にいい人がいると知り、天国から地獄へと突き落とされた。


(一瞬でも、この想いを捨て去る必要はないと喜んだのが、馬鹿みたい……)


 やはり自分達は、仲違いをし続けているほうがよかったのかも知れない。


「わふーん?」


 神獣は先程までとは打って変わって浮かない顔をし始めた主を心配し、「元気を出して」と言わんばかりに身を寄せた。


「スノーエル……」


 ラシリネはこの場で今すぐに泣き出したい気持ちをどうにか堪え、獣とともにトボトボと足取り重く執務室に繋がる仮眠室を目指す。


(陛下と顔を合わせるのは、気まずいわ……)


 ――しかし、その途中で彼の姿を思い浮かべて立ち止まる。

 このまま部屋に戻って皇帝と顔を合わせたら涙を流してしまいそうなほど、精神的に不安定な自覚があったからだ。


(どうすれば、いいのかしら……)


 本音は、今すぐ逃げ出したい。

 誰にも知られぬ場所へ向かい、消えてなくなりたいくらいだ。

 だが、エヴァイシュ帝国の聖女になると決めた時点でそれは叶わなくなってしまった。


(私はいつだって、間違ってばかりね……)


 どれほど失敗を繰り返したら、立派な大人になれるのだろう。

 ラシリネはグスグスと鼻を啜りながら、再び前に向かって歩みを進め始める。


 ――ここで踵を返して逃げ出さない時点で、かなり成長した。


 だが、そう思うのは自分に甘いからだ。

 周りからしてみれば当然のことで悩み、判断を間違え、自ら誤った方向へ走り出している。


「変わりたい、ね……」

「わふ!」


 クヨクヨしたって事態が好転するわけではないとわかっているのだから、楽しい未来のことを考えるべきだ。


(先程のことは、忘れよう……)


 ラシリネはこちらの呟きに同意を示したスノーエルに笑いかけると、気持ちを切り替えて休憩室の扉前に立つ。


「わふーん?」

「駄目よ。今日は、こっち」

「わふ?」


 神獣が執務室のドアを開けようとするので、慌てて止めた。

 獣は「なんでそっちに行くんだよ」と納得のいかない様子で、不思議そうに問いかけてきた。

 しかし、スノーエル言う通りにするわけにはいかなかった。


(何事もなかったかのように陛下と面と向かって話ができるのは、もう少し先になりそうですもの……)


 心の傷が、完全には癒えていなかったからだ。


「わふん!」

「おいで。スノーエル……」


 しかし、神獣はどうしても皇帝がいる執務室に顔を出したいらしい。

 無理やり扉を開けようとしたので、触り心地のいい毛並みへ強引に触れ、己の元へ引き寄せた直後――内側から、ドアが開いた。


「もう俺とのわだかまりは、解消されたのではないのか?」


 大好きなのに、一番会いたくなかった人と顔を合わせてしまい、どんな反応をすればいいのかわからなくなる。


(ここで露骨に無視をすれば、また陛下とギクシャクしてしまうわ……)


 せっかく和解したのに、それでは意味はなくなってしまう。


(普通を装うのが、一番よね……)


 ラシリネは悩んだ末、取り繕った笑みを浮かべてこの場を乗り切る道を選んだ。


「ランニング終わりなものですから。身を清めてから、陛下のおそばにいようかと……」

「必要ない。おいで」


 彼は何度かこちらに向かって手招きをすると、執務室の中へ戻って行った。


(陛下の隣でパンツスーツ姿のままというのは、どうなのかしら……?)


 自分でも貴族としてあるまじき姿をしているとよく理解していたこともあり、陛下を待たせてでも予定通り着替えるべきなのではと躊躇する。


 しかし――。


 2人の仲を応援しているスノーエルが気を利かせて元気よく彼の背中を追いかけてしまった手前、自分だけが休憩室に引っ込むわけにはいかなくなってしまった。


「待って! スノーエル!」

「わふん!」


 ラシリネは渋々神獣の元へ向かい、定位置に腰を下ろした。


(なんだか、落ち着かないわ……)


 いつもと違う姿で陛下の隣に座っているからか。

 それとも、妹と顔を合わせて心を乱されたせいか――。

 ラシリネは落ち着きのない様子で、そわそわと金色の瞳を揺らす。


「わふん!」


 そんなこちらの姿を見て、「このままはよくないだろ」と気を利かせてくれたのかもしれない。

 珍しく仕事中の陛下にちょっかいをかけに行ったスノーエルは、何度もクイクイと彼の裾を己のほうへと引っ張った。


「邪魔をしては、駄目でしょう? 陛下は、お仕事中なのよ」

「わふ?」


 神獣は「仕事よりもラシリネと話すほうが大事じゃねぇの?」とでも言わんばかりに不思議そうな表情を浮かべる。


(まったく、この子は……)


 スノーエルは神の化身だ。

 あの方の意思に忠実で、いつだってすれ違う自分達の仲を取り持つべく忙しなく走り回っている。


(それがありがたいと同時に、つらいのよね……)


 だが、自分はまだ彼と向き合う準備ができていなかった。

 このまま陛下と言葉を交わせば、気づかぬうちにダリウスを傷つけてしまう。

 それを恐れた結果、「妹に会った」と打ち明けられずにいた。


「気を使うな。これらはすべて、急ぎの用事ではない。いつだって、君と話すのが最優先だ」


 だからこそ、皇帝の言葉はありがたかった。


(紫色の瞳が、優しく細められているわ……)


 数日前までこちらを不機嫌そうに睨みつけていたのが嘘のように、彼の表情は穏やかだ。


(伝えても、いいのかしら……)


 ラシリネは何度も思案を繰り返し、膝の上に乗せた手のひらをぎゅっと握りしめる。


(このまま黙っていても、陛下を困らせてしまうだけだわ……)


 自分のせいで、彼に余計な心労をかけさせるわけにはいかない。

 ラシリネがようやく覚悟を決めて声を発しようとしたところ、小さな指先を大きな手が包み込む。


 ――紫色の瞳は、心配そうに揺れていた。


「思い悩んでいることがあるなら、打ち明けてくれないか」

「陛下……?」

「1人よりも2人のほうが、きっと早く解決するはずだ」

「そう、ですね……」


 今の自分がいだくモヤモヤとした思いは、彼に相談したところで解決できるような話ではない。

 陛下の機嫌を損ねる危険性もあり、慎重に取り扱うべき議題だった。


(でも……。陛下の好意を、無碍にするわけにはいかないわ……)


 ラシリネはか細い声で、語り出す。

 ずっと心の奥底に秘めていた、彼の許可がなければ言い表しづらい気持ちを……。

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