10年前の失敗
――話は、10年前に遡る。
ラオイドル公爵家の次女アオリにとって、姉のラシリネは邪魔で仕方がなかった。
(あの女さえいなければ、あたしが聖女になれるのに……!)
一緒にいることすらも憎たらしくて、大嫌いで、すべてを奪ってやりたい相手。
それが、アオリにとってのラシリネという存在だった。
だから――。
「貴様が姉の代わりに、聖女となれ」
聖なる力をその身に宿す魔具をダリウスから差し出された時、嬉しくて仕方がなかった。
(これさえあれば、あたしは聖なる力を生まれ持った聖女になれる……!)
しかし、それも一瞬だけだ。
少年の手からそれを受け取ろうと腕を伸ばし、指先が触れる直前でピタリと静止する。
他者を欺く禁呪を見せびらかしてきた男が、姉に想いを寄せる人間だと思い出したからだ。
(ちょっと待って。こんなにうまい話、あるはずがないわ!)
アオリは気が強そうに見える赤紫色の瞳を不快そうに歪め、胸元で両腕を組みながら吐き捨てた。
「一体、なんのつもり? あんたは、姉様が好きなんでしょ? 敵に塩を送るとか、あり得なさ過ぎなんですけど!」
少年は感心した様子で、ポツリと呟く。
「素直に受け取るほど、考えなしではなかったか……」
「馬鹿にしないでくれる!? あたしにだって、ちゃんと考えられる頭はあるんだから!」
どうやら自分は、随分と甘く見られていたらしい。
(これから手を組もうとする少女に、こんな態度を向けるなんて! あり得ないんですけど!)
アオリはますます憤慨した。
だが、相変わらずダリウスは顔色を変える様子もなく、ただそこに佇んでいる。
(不気味な男ね……)
このままでは、埒が明かない。
少女は渋々、いつまで経っても続きの言葉を紡ぐ様子のない男へ声をかけた。
「で? どう言うつもり? きちんと説明してくれなきゃ、従うつもりはないわよ!」
するとダリウスは、アオリに大嫌いな姉をどれほど愛しているかを滾々と語った。
(うわ。愛が重すぎて、気持ち悪……っ)
角砂糖を大量に摂取したあとのような表情をして喉を抑えて咳き込むほどに、彼の唇から紡がれる告白は強烈だ。
「俺は必ず、ラシリネを妻として娶る。彼女がこの国を治める聖女になっては、困るんだ」
「だから、魔具を使って陛下だけではなく神すらも欺き、偽りの聖女を祭り上げるって? あんた、気でも触れてんじゃないの?」
アオリは冗談めかして告げたが、彼はそう言われるのは折り込み済みだと言わんばかりに肯定する。
「そうかもしれんな」
その反応速度にますます気味の悪さをいだき、苦虫を噛み潰したような表情をする羽目になった。
「当然、あたしが偽物だってバレたあとのアフターケアは、してもらえるんでしょうね!」
「もちろんだ。全力でサポートする」
彼は当然のように2つ返事で頷いたが、どうも胡散臭い。
(こいつは姉様さえ手に入れば、周りがどうなろうが知ったこっちゃないタイプでしょう? いくら聖女になりたいからって、手を組むのは悪魔と契約を交わすようなもの。リスクが高すぎるわ)
ダリウスと手を取り合うのはいい。
問題は、そのあとだ。
己が偽聖女だとバレた場合にすべての責任を押しつけられては堪らない。
(姉様なら、絶対的な信頼を置くんでしょうけど……)
最悪の場合は「用済みだ」と梯子を外され、後ろから刺されるのではないかと警戒していた。
(とてもじゃないけど、信頼しようなんて思えない……!)
まるで目の前に高級な餌をぶら下げられているのに、それが毒入りなのではと警戒し、待ての姿勢を続けるしかない犬のようだ。
(なんであたしがこんな奴に、話の主導権を握られなきゃいけないわけ……!?)
この状況はプライドの高い自分にとって、屈辱でしかない。
(魔具さえ手に入れれば、あたしは聖女になれる。偽物だとバレる前に、本物と見紛うくらいの輝きを放てばいいだけじゃない! 一体何を恐れる必要があるの?)
老婆のような白髪と、意思の弱そうに見える月明かりのような金目。
姉の外見は神秘的と周りに評されることも多いが、妹の自分だって負けてはいない。
可憐な小花のように女性らしい桃色の長い髪、勝ち気な赤紫色の瞳。
まだ幼い少女が芽吹くのはまだまだ先かもしれないが、必ず社交界を騒がせる麗しき淑女に成長するだろう。
「嘘をついたら、不幸のどん底まで引きずり降ろしてやるんだからね!」
「いいだろう。契約、成立だ」
こうして2人は、人知れず盟約を結んだ――はずだった。
「聖女候補はラオイドル公爵の長女ラシリネ、次女アオリの2名となる。どちらが聖女か、白黒はっきりつけようではないか!」
しかし――。
姉の身勝手な行動により、この計画は頓挫してしまう。
「聖女は、このあたし!」
「いいえ。ラシリネ・ラオイドルです」
こちらが名乗りを上げた直後、聖なる力を発動させてしまったのだ。
(あの馬鹿……っ!)
ラシリネに想定外の行動をされて困惑している状態では、咄嗟に反論する暇もない。
(こうならないように、あらかじめ姉様の聖なる力を魔具で秘匿するんじゃなかったの!?)
アオリは言い出しっぺのダリウスを無言で睨みつけたが、あちらは姉のことで頭がいっぱいだ。
どうでもいい存在を気にする余裕すらもなく、紫色の瞳に怯えの色を孕ませ、みっともなくラシリネに縋った。
「行くな……!」
ここで自分が名乗りをあげたところで、時間稼ぎにしかならない。
本物はたった1人だけなのだから。
(しっかりしなさいよ! こんな珍しい魔具を隠し持ってるくらいだもの! 姉様をどこかへ連れ去る魔法とか、いろいろ生み出せる道具、あるんじゃないの!?)
今すぐにダリウスを怒鳴りつけて姉を国王から引き剥がしたい。
だが……。
ラシリネが聖女になると強い意思を固め、絶望に打ちひしがれる男が頼りにならぬ状況である以上、どうしようもない。
「ダリウス様。今まで私に優しく接してくださり、ありがとうございました」
「駄目だ……っ! 行かないでくれ!」
「どうか、お元気で」
姉は口元だけを綻ばせると、馬車に乗り込む。
そうして、自らの意思で王城に向かってしまった。
「うわぁああああ!」
ただ手を拱いて見ていることしかできなかった少年の雄叫びが、耳障りで仕方がない。
(なんでもっとちゃんと、姉様と緻密な作戦を練っておかなかったわけ!?)
せっかく聖女になれるチャンスだったのに、これでは何もかもが台無しだ。
(こいつに先導させたのが、失敗だったわ……)
隣国の皇太子で、自分よりも6つも年上の男。
そんな理由だけで共犯関係になろうとしたのが、間違いだったのだ。
いつものように「あたしに従いなさい」と命じれば、うまくいったかもしれない。
(悔しいけど、あたしが聖女になるって話はナシね。諦めましょう)
アオリはみっともなく泣き喚く少年に背を向け、歩き出す。
もう二度と、顔を合わせる機会はないだろうと考えながら――。




