就任式
「アデラプス王国の聖女様が、我が帝国の聖女になるらしい」
「白雪のような白髪と闇夜を照らす月明かりのような瞳は、まさしく聖女と呼ぶに相応しい方だ!」
皇帝の庇護を受けているのが大きいのだろう。
アデラプス王国で「ハズレ聖女」と呼ばれているのが嘘のように、彼女は帝国民達から「素晴らしい聖女」だと噂されていた。
「得体のしれぬ闇のオーラを纏う魔獣を、任命式を執り行う前に退けたのだろう?」
「正式な聖女となられれば、強固なる結界を生み出すはず!」
「我々も、もうこの身を鍛える必要はなくなるかもしれないな」
「ははは!」
たとえ好意的なものであろうとも、家族以外の人間から彼女の話題が出てくるのに腹が立った。
(聞こえてしまった以上、無視をするわけにはいかない……)
ラシリネは紫色の瞳の奥に憎悪を滲ませると、噂話に花を咲かせる騎士団員の元へ向かった。
「何を、甘えたことを言っている」
「へ、陛下!?」
「彼女はまだ、正式な聖女ではない。勝手に期待し、ラシリネの姿を思い浮かべるな」
「も、申し訳ございません……!」
彼らはまさか、皇帝が近くを通りかかるなど思いもしなかったのだろう。
青白い顔で、勢いよく頭を下げた。
(ラシリネの件でなければ、これから気をつければいいと微笑む余裕もあったが……)
彼女のことになると、駄目だ。
冷静さが失われ、すぐに苛立ってしまう。
(ラシリネから好意をいだいてもらえないのも、当然だな……)
ダリウスは誰も自分の姿を見ていないのをいいことに目を伏せると、彼らと別れて歩き出す。
(民達は、ラシリネが聖女になると疑っていない。この状態で俺が儀式を中止させれば、支持率が下がる。帝国内の雰囲気が悪くなり、魔につけ入る隙を与えかねん……)
魔獣は人間の負の感情を餌にしている。
絶望をすればするほど、彼らは強くなるのだ。
(闇のオーラを纏った獣……。あれが誰の絶望に誘われてやってきたのかは不明だが……)
皇帝に失望した民の心が1つになれば、なんの力を持たぬ人間達は抗いきれずに命を落とすだろう。
(魔を浄化できるのは、聖女しかいない。ならば……)
抗う方法は、1つだけ。
己の身に魔を纏わせ、同じ場所まで落ちるしかない。
――ラシリネを聖女にしたくなかったダリウスは、人並み以上の知識がある。
彼女のために利用制限のかかった禁呪を秘めた魔具を山のように保管しており、その気になればいくらでも連発できた。
しかし――。
(ラシリネには、神がついている。どうにかしてあの男を彼女から引き離すべきだが、時間が足りない……)
神を穢すのは、簡単なことではない。
最低でも、準備に3年は必要だ。
(こうなることを見越して、事前に己の身に魔を馴染ませて置くべきだったか……)
ダリウスは悔しそうに唇を噛み締め、拳を強く握りしめた。
ラシリネに好かれたい。
嫌われたくない。
いつだって大輪の花を咲かせるシラネアオイのように、満面の笑みを自分に向けてほしい――。
その願いを成就させるためには、己の身を魔で満たすわけにはいかなかったのだ。
聖なる力と相反する関係である闇の力でいっぱいになれば、どれだけ隠そうとしたところで無意味でしかない。
必ず己の身体から彼女を恐怖のどん底へ陥れるほどのオーラが滲み出て、「どうしてこんなことになったのか」と問いかけられるはずだ。
(君のためにこの身を魔に落としたなんて説明したら、心優しきラシリネには泣かれてしまうだろうな……)
もしも自分の身体が魔に支配されていると知れば、彼女は聖女として浄化を試みるだろう。
――それでは、意味がないのだ。
(皮肉なものだな……)
ラシリネを聖女にしたくはないが、それを止めるためには魔をこの身に宿す必要がある。
今日の任命式は中止にできるかもしれないが、その事実が露呈すれば彼女は再び固く決心するだろう。
『陛下は私の、恩人ですもの!』
金色の瞳を輝かせ、使命感に燃える想い人の姿は容易に想像できた。
(やはり、駄目か……)
せめて、彼女の決意が揺らいでいれば、つけ入る隙はあったのだが……。
ラシリネは「この帝国を守るために聖女になる」と躍起になっており、神もその意思を尊重している。
この状態では、こちらがあの子の意思を無視して足掻いたところで無駄骨になるどころか、もっと最悪な状態を生み出しかねなかった。
(大好きな彼女を、幸せにしたい……)
その願いのおかげでどうにか理性を繋ぎ止めているが、それは些細なきっかけによってぷっつりと途切れてしまいそうなほどに危ういバランスで保たれている。
(わかっている。冷静さを失えば、得られるはずのものも手放す羽目になると……)
だからこそダリウスは、たとえどれほど彼女の聖女就任に異論があろうが、神の言葉を信じられなかろうが、黙って静かに任命式が終わるのを見守るしかないのだ。
(花言葉は確か、優美だったか……)
白と紫のシラネアオイで作られた花冠をつけた少女は、まるでこの世のものとは思えないほどに神々しく、美しかった。
(ここにいる誰もが虜になるほど、完全完璧な美しさを兼ね備えた聖女……)
たとえどれほどダリウスが「彼女は俺のものだ。誰も見るな」と命じたところで止められないほどに、ラシリネは光り輝いていた。
(これほど麗しく可憐な花を咲かせるラシリネをハズレと称し、劣等感をいだかせただけではなく、彼女の心を奪った……。あの男だけは、絶対に許さない……!)
エヴァイシュ帝国の聖女となった彼女が、己の治める領土全体に強固な障壁を張り巡らせる。
それはアデラプス王国で展開された穴だらけで不完全なものとは異なり、防護力の高いものだった。
「聖女様!」
誰もが彼女の就任を祝い、浮き足たち、賞賛の声を上げた。
――紫色の瞳にここにはいない男へ憎悪を滲ませる、たった1人を除いては。
「陛下?」
いつまで経っても、ダリウスが祝福の言葉を述べに来ないからだろう。
式典を終えた彼女が、不思議そうにこちらを見つめた。
(この身の内側で暴れ回る醜き感情を少しでも表に出せば、彼女に嫌われてしまう……)
ラシリネからすぐさま視線を反らし、己に何度も言い聞かせることで感情を押し殺す。
そうしてゆっくりと彼女のほうを見つめ、至近距離で目を合わせた。
「もう、陛下が自ら剣を振るう必要はありません! これからは私が、この帝国をお守りします!」
ラシリネは無事に障壁を張り巡らせ終えたからか、上機嫌のようだ。
自信満々に快活な笑顔を見せる姿は、とても愛らしい。
(ああ……。その笑顔が誰にも見られないように、今すぐ腕にいだいて閉じ込めてしまいたい……)
心の中で、言いようのない独占欲が暴れ回る。
声を発したら「誰にも笑いかけるな」と命じてしまう気がして、ダリウスは固く口を閉ざすしかない。
「やはり、陛下は……。私が聖女になったことを、喜んでくださらないのですね……」
「違う!」
彼女は「この状況を納得できないから無視をしている」と判断したらしい。
悲しそうに目を伏せたため、大声で否定をしてしまう。
(彼女が聖女になってしまったのがつらいと、女々しく落ち込んでいる場合ではない……)
彼女は解任式を行わない限り、これから生涯聖女で居続けるのだ。
「普通の女の子でいてほしかった」と言う願いが叶わないのであれば、
この想いは心に秘めたまま、影から彼女を支えるべきだ。
(もう二度と、ラシリネが悲しまないように……)
その気になれば、いつだって触れ合える距離にいる。
ダリウスはそれだけで、満足するべきなのだ。
(自分だけのものにしたいなど、望んだのが間違いだった……)
諦めにも似た感情を受け入れ、人知れず決心する。
(やはりこの想いは打ち明けぬまま、捨て去るべきだ)
これからは彼女のことを昔馴染みの恋愛対象ではなく、聖女として見ると――。
「その身を我が帝国に捧げる決意をしてくれた件に関しては、心より感謝する」
「はい」
「生涯、最善を尽くせ」
「承知いたしました。すべては陛下の、御心のままに……」
彼女は胸元で両手を組むと、優しく口元を綻ばせた。
まるで慈愛に満ち溢れた聖母のような微笑みに、ここにいる誰もがラシリネの姿に見惚れる。
(この場で跪き、手の甲に口づけでも送ってくれたなら、彼女から俺に好意を向けられていると判断できたのだが……)
やはり自分はラシリネにとって、自ら触れる価値のない人間なのだろう。
「命の恩人に恩返しがしたい」と言う一心でこの帝国を守護する聖女には立候補したが、心のどこかではまだアデラプス王国の国王を想い続けている可能性が高い。
(ここで無理やりにでも愛を囁き、手籠めにするほどの度胸が俺にもあれば……)
神の言葉を信じていないダリウスにとって、あの男の思い通りに事を運ぶのは腸が煮えくり返るほどに我慢ならないことだった。
だからこそ、無言で立ち去る。
(たった一言でいい。君はなんて美しいのだと口にできれば、彼女は喜んでくれただろうか……)
あり得たかもしれない未来を、脳裏に思い描きながら……。




