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陛下の好きな人

 エヴァイシュ帝国の聖女になると一方的に宣言してから、陛下は毎日のように紫色の瞳を釣り上げて不満を露わにしている。


 こんな状態では執務室で並んで座り続けられるはずもなく、ラシリネは休憩室に籠もったり、スノーエルと一緒に走り込んだりして極力彼と一緒にいる状況を減らす。

 そうして、就任式の準備ができるまで静かに待ち続けていた。


 時間が解決してくれることを、祈りながら……。


「ラシリネちゃん!」


 いつの間にか日課と化しているランニングを終えたラシリネは、皇太后から呼び止められた。

 彼女が小走りで駆けてこようとしたため、慌てて静止する。


「奥様! そんなに急がなくても、私は逃げません!」

「あら、そう? 今、ダリウスとすごく険悪な雰囲気なのでしょう? わたくしとの会話も気まずすぎて、話をしたくないと言われるとばかり……?」

「そ、そんなこと! お会いできて、光栄です!」


 皇太后は、息子よりも自分を大切にしてくれている節がある。

 当初から「女子会がしたい」と懇願されていたこともあり、彼との関係を悩む自分にとってはぴったりの相談相手だ。

 満面の笑みを浮かべてこうして会えたことを喜べば、彼女も嬉しそうにこちらの手を取った。


「ええ。わたくしもよ。もしよろしければ、お茶でもどうかしら?」

「ぜひ!」

「わふ!」


 こうして2人と1匹は談話室へ移動し、対面の席に腰を下ろした。


(こうして椅子に座っているだけでも絵になるなんて……。羨ましいわ……)


 ラシリネはこの世のものとは思えぬ彼女の儚げな容姿に見惚れ、うっとりと金色の瞳を潤ませる。


(私も、彼女のようになれたらよかったのに……)


 自分には聖なる力を持って生まれたことくらいしか、取り柄がない。

 皇太后のように目麗しい姿をしていれば、もっと自信を持って彼の隣に並び立てていたのだろうか?


(ないものねだりは、よくないわね……)


 こんなふうに己の力不足を憂いているから、ダリウスに嫌われてしまったのだ。

 彼と今まで通りの関係に戻りたいと願うのであれば、試行錯誤を繰り返し、ひたすら努力を重ねるしかない。


「息子とは問題が起きた日から、ずっと腹を割って話せていないの?」

「一緒の空間にいることすら、できなくて……。私の力不足です。申し訳ございません」

「そう。思っていた以上に、関係は悪化しているようね……」


 彼女は悲しそうに目を伏せると、小さく頭を下げた。


(どうして奥様が、私に謝罪をするの?)


 ラシリネは慌てて、声を荒らげた。


「いえ! 頭を上げてください! 謝罪をしていただくようなことは、何も……!」

「あの子には、困ったものね。ラシリネちゃんにかっこいいところだけを見せるために、わざと本音を内に秘めている……。それでは伝わらないと、夫が必死に説得を試みているのだけれど……。なかなか口を割ってくれないみたい……」


 この状況がよくないと言うのは、ご両親にも漏れ伝わっていたのだろう。

 ただでさえ体調が思わしくない皇太后に心労をかけさせるなど、聖女失格だ。

 ラシリネは己を恥じつつ、ある疑問を投げかける。


「陛下が私をどう思っているか、お2人には打ち明けていらっしゃるのですか?」

「わたくしに話したら、ラシリネちゃんに筒抜けになると警戒しているのでしょう。旦那には、よく相談しているみたい」

「そうですか……」


 ラシリネは自分で質問したはずなのに、なんとも言えない神妙な表情で項垂れるしかなかった。

 肩を並べて、困ったことがあればなんでも相談し合う父子の姿を思い浮かべて、また羨ましくなったせいだ。


「少し、羨ましいです。ご家族の、仲がよくて……」

「ラシリネちゃんは、親元で過ごした時間のほうが短いくらいだもの。無理もないわ……」


 皇太后にも、公爵家の関係性があまりよくない話は漏れ聞こえているのだろう。

 どこか困ったように赤紫色の瞳を細めたのが、印象的だった。


「あのまま公爵家で過ごしていたとしても、皆さんのような関係にはなれなかったと思います」

「そうなの?」

「はい。両親は妹が生まれてから、あの子ばかりをかわいがっていたので……」


 老婆のような白髪。

 夜空に煌々と光り輝く月のような瞳を持つ自分は、この世のものとは思えぬ不気味さを両親へ抱かせてしまったのかもしれない。


 対する妹は、母親そっくりの赤紫色の目と、父親の赤毛を引き継いだ桃色。


 女性らしい容姿はようやく彼らに真人間を出産できたと安堵させるのに充分すぎるほどの効力を発揮し、いつしか両親は姉を疎むようになっていた。


(彼らと顔を合わせる機会など、もう二度とないですもの……。つらい過去なんて思い浮かべたって無駄でしかないわ……)


 ラシリネは脳裏に過ぎった嫌な思い出をかき消すと、苦笑いを浮かべて相談の続きを始めた。


「話が逸れてしまいましたね。私は、陛下とこのまま一生ギクシャクし続けるのは、よくないと思っています。どうにか、元の関係に戻りたいのですが……」

「ダリウスもきっと、同じ気持ちよ。だけど……。誤解を正さないことには、どうにもならないと思うのよね……」


 彼女がどこか困ったように、ため息を吐き出す。

 その姿を目にしたラシリネは、どこか言いづらそうに暗い顔で声を発した。


「私も、ずっと気になっていました。陛下とお話をしている時、噛み合っていないような気がして……」


 本当は、よくわかっていた。

 こんなふうに遠回しの事情聴取を周りにするのではなく、本人に直接当たって砕けるべきだと。

 しかし、ラシリネにはどうしてもその勇気が出なかった。

 彼のそばにいられなくなるのが、嫌だったからだ。


「ラシリネちゃんは、息子に好きな人がいると知っているのよね?」

「はい。もしかして、いらっしゃらないのですか?」

「それは、間違いないのだけれど……。その相手を、誰だと思っているか聞いてもいいかしら?」


 たとえ嫌われても、己の内に秘めたる想いが届かないとしても構わなかった。

 彼を遠巻きに見つめる権利だけは、絶対に奪われたくない――。


 そんな思いをいだいていると、歯切れの悪い言葉とともに疑問が投げかけられる。

 ラシリネはどう答えるのが正解なのかわからぬまま、言い淀んだ。


「さぁ……。はっきりとしたことは、何も。ただ、これだけはわかります。私よりも可憐で素晴らしく、とても素敵な淑女なのだと……」


 頭の中で妹によく似た可憐な女性の姿を思い浮かべる。

 隣に並び立つ姿を何度夢想しても、「お似合い」としか言いようがなかった。


 しかし、皇太后はこちらの返答が納得できないらしい。

 難しい顔で、再び疑問を投げかけた。


「どうして、そう思ったの?」

「私が皆さんと再会した時、奥様は仰っていましたよね。陛下には、想い人がいると。あれは、ダリウス様を好きになってはいけないと言う警告なのだと解釈いたしました」

「ま、まさか……。このすれ違いの原因は、わたくしだったの……?」


 彼に想い人がいると考えた理由を正直に打ち明けたところ、彼女の表情が青ざめた。

 明らかにこれは、由々しき事態だ。


(私のせいで、奥様の体調を崩してしまったわ……!)


 ラシリネがおろおろと狼狽えながら前皇帝を呼ぼうか迷っていると、皇太后の口から申し訳なさそうに言葉が紡がれた。


「あなた達のためを思って告げた言葉が、かえって混乱させる事態を招いてしまったみたい」

「それは、一体……」

「わたくしから説明して、あなたがどこまで納得して受け入れてくれるかはわからないけれど……」


 彼女は息子とよく似た赤紫色の瞳に確かな決意を宿すと、はっきりとした口調でラシリネに告げた。


「ラシリネちゃんが思い浮かべたダリウスの好きな人は、実在しないわ」

「この世にいない方を、陛下は愛しているのですか……?」

「そうではなくて……。もう、はっきり言ったほうがいいかしら?」


 このまま遠回しに伝えたところで、埒が明かないと考えたのだろう。

 彼女はビシッと右手の人差し指だけを立てた状態で勢いよく腕を前に出すと、はっきりとした口調で宣言した。


「息子が長年想いを寄せている相手は、あなたよ!」

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