第九話 初陣の最期
シリアスなシーンがありますので、苦手な方は飛ばして下さい
戦場はもはや勝ち戦の色に包まれていた。
その陣の中で、父・蔵六は一瞬だけ天を仰いだ。
低く垂れ込めた雲から、湿り気を帯びた風が吹き込んでいた。
「……雨が来る。湿気で火薬が暴れるぞ」
小姓たちが一瞬、動きを止めた。
蔵六は目を細め、銃を構える小姓の手元を射抜くように見た。
火皿に盛られた火薬の粒。湿り気を帯び、わずかに固まっている。
銃身の側面――鉄の地肌に走る、髪の毛ほどの亀裂。
その細い線を、蔵六は見逃さなかった。
「やめろ……連射を止めろ」
蔵六の声は鋭く響いたが、小姓はそれに気づかない。蔵六は咄嗟に動き出す。
蔵六の動きをみて、
信長も馬上から鋭く声を張り上げた。
「その方の鉄砲を止めよ! 次は撃たせるな、危うい!」
だが――届くよりも早く。
銃が震えた。
火花。
閃光。
轟音。
熱。
衝撃。
空気を切り裂く破片。
そして――赤い血
視界に散ったそれは、父・蔵六のものだった。
銃を逸らされ、手を離した小姓は呆然と立ち尽くすしかなかった。
鉄之助は火鉢を抱えたまま、足を前に出した。
一歩。二歩。三歩。
胸が潰れるように痛い。足は重い。
それでもようやく――父のそばに。
目の前には、肩から胸にかけて深々と裂かれた父・蔵六が横たわっていた。
声は出なかった。
ただ、震える手で――血に濡れた父の手を握った。
ごつごつとした掌に、まだ確かな温もりが残っていた。
その瞬間、蔵六がかすかに目を開き、息を振り絞る。
「……鉄之助……無事か……」
鉄之助は涙をこらえきれず、首を必死に縦に振った。
その時。
「坊や、その手を離すんじゃないよ!」
兵を押しのけ、椿が駆け込んできた。
裂けた傷口を布で押さえ、血を止めようとする。
「坊や、父親の手をしっかり握ってな!
あんたの掌から伝わる温もりが、今は一番の薬になるんだから!」
鉄之助は震える指先で、父の掌を強く握りしめた。
いつも槌を振るっていた、大きな手。
涙が頬を伝い落ちた。
ぽつり――。
見上げれば、鉛色の雲から雨が舞い降りている。
戦場を覆う歓声が、次第に雨音にかき消されていった。
「……父さん……」
鉄之助の口から、声ともつかない吐息が漏れた。
⸻
「父上ぇぇ!!」
与一の叫びが、砦の中に響いた。
血まみれの鉄之助と蔵六の姿を見た瞬間、彼の顔が歪む。
槍を放り投げ、泥を跳ね上げながら駆け寄ってきた。
鉄之助は父の手を握ったまま、ただ首を振ることしかできない。
声が出ない。涙ばかりがあふれて、喉が塞がっていた。
与一は兄らしい強さを振り絞り、弟の頭に手を置く。
「……大丈夫だ、鉄坊。俺がいる」
その声は震えていた。
⸻
蔵六の唇がわずかに動いた。
「……与一……無事か……」
「俺は平気だ、父上! 喋らなくていい! しっかりしてくれ!」
雨に打たれながら、蔵六は薄く笑った。
「……そうか……二人ともよかった……」
そして、鉄之助の手を強く握る。
「鉄之助……火を絶やすな……皆の命が……」
鉄之助は涙で顔を歪め、必死に頷いた。
「……うん……絶やさない……絶やさないから……!」
⸻
その時、背後で再び信長の声が響いた。
「勝ち鬨を上げよ! 村木は我らのものだ!」
鬨の声が雨の中に響き渡る。
戦は終わったのだ。
けれど、鉄之助の胸の中には勝利の実感など一片もなかった。
⸻
蔵六の体温が、薄れていく。
冷たい雨にさらされながら、その冷たさが一層早く広がっていくように感じられた。
「……父さん……」
嗚咽まじりの声で名を呼ぶ。
だが返事はない。
「父ぉぉさぁぁんっっっ!!」
鉄之助の叫びは、雨に溶けて戦場に消えていった。
⸻
小さな火鉢に移した火縄が、しとしとと雨に打たれ、じわじわと消えていった。
まるで父の命と歩調を合わせるように。
戦は終わった。そして、大好きだった父はこの世を去った。
読んでくださりありがとうございます!面白いと思ったら★評価&ブクマして頂けると励みになります!




