第六話 鉄之助いざ初陣(1554年・村木砦)2
夕刻。陣中にざわめきが走る。
「巫女を呼べ!」
人垣をかき分け、鮮やかな衣をまとった女が現れる。
渡り巫女――椿だった。
鈴を手に、戦場の空気をまるで別物にしてしまうほどの存在感。
「……あっ」
思わず声が出る鉄之助。
与一も目を丸くした。
「鉄坊、あの時の女じゃねえか!」
「うん……椿って言ってた」
椿はすぐ鉄之助を見つけ、にやっと笑う。
「やだ、坊や、ほんとに縁があるわね。面白いとこにいるじゃない」
――近い、近い!
鉄之助は顔を真っ赤にして固まった。
父・蔵六は腕を組み、冷静に言う。
「渡り巫女……戦場で呼ばれるとは、妙なものだ」
椿は軽く笑って流し、今度は信長の前へと進む。
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馬上から信長が声を張る。
「舞を見せよ! 兵ども、鬱屈を晴らせ!」
兵士たちはどよめいた。
「戦の前に舞だと?」「やっぱりうつけだ!」
だが椿が鈴を鳴らし、一歩踏み出した瞬間――空気が変わった。
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澄んだ鈴の音とともに、椿の舞が始まる。
裾が風を切り、袖が大きく翻る。
その姿は――さっきまで「坊や」と茶化していた女と同じはずなのに、全く別人のようだった。
「な、なんだこれ……神様でも降りてきたのか?」
鉄之助はぽかんと口を開ける。
父・蔵六は目を細め、厳かに言った。
「舞は祈りだ。災厄を祓い、人を……」
「父さん! ちょっと待って! 今それどころじゃない! あの椿さん、さっきまで『坊や』とか言ってたのに! キャラ変わりすぎだろ!」
与一は肩を揺らして笑った。
「鉄坊、舞に呑まれてんなぁ」
「いや兄上、これ俺だけじゃないって! 兵士全員ぽかーんだぞ!?」
実際、陣中のざわめきは消え、兵たちの目は一様に舞う椿へと釘付けになっていた。
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舞はますます熱を帯びる。
鈴の音が澄みわたり、袖のひるがえりは夜気を切り裂く。
兵の荒んだ心を鎮め、同時に奮い立たせる――まさに神事。
――舞が終わった。
鈴の音が静まり返った瞬間、陣中は水を打ったように沈黙した。
そして次の刹那、地を揺るがすような歓声。
「おおおっ!」
「すげぇ……」
「これで勝てるぞ!」
兵たちは鬨の声を上げ、空気が一気に熱を帯びる。
「……これが舞……」
鉄之助は胸を押さえる。
「すげぇ、腹の奥が熱い……! いや、ドキドキしてんのは多分別の理由だけど!」
父が低く言った。
「舞は心を束ねる……刀もまた同じ……」
「父さん! だから今それどころじゃないって! 俺の理性が束ねられてるんですけど!?」
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鉄之助はうわ言のように呟いた。
「……心臓がまだバクバクしてる……」
与一がにやつく。
「お前、舞を見てたんじゃなくて、あの女を見てただけだろ」
「ち、違う! ……いや、ちょっとはそうかもしれないけど!」
「認めたぁぁぁ!」
父・蔵六は呆れ半分にため息をついた。
「お前は鍛冶よりも、まず己の心を鍛えよ」
「父さん! 俺の心臓もう鍛えすぎて破裂寸前です!」
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舞を終えた椿は、すでにいつもの破天荒な笑みを取り戻し、鉄之助の前にぬっと現れた。
「どうだった? あたしの舞。坊や、腰抜かすかと思ったでしょ?」
「こ、腰は抜かしてません! でも心は抜けそうでしたぁぁ!」
兵たちが笑いに包まれる中、鉄之助はひたすら顔を真っ赤にして縮こまった。
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その時だった。
――鋭い視線。
鉄之助は背筋を凍らせた。
(ひぃぃっ! 信長様が俺のこと見てる! 絶対「役立たず」って思われたぁぁぁ!)
だが違った。
信長の瞳は鉄之助本人ではなく――腰に差した小刀を射抜いていた。鉄之助が初めて打ち、父が丹精込めて仕上げた小刀は、舞の最中、わずかに震え、刃の奥から得体の知れない気配を放っていた。信長はその微かな気配を感じ取ったのかもしれない。
信長は唇の端にかすかな笑みを浮かべ、低く呟いた。
「……ただの鉄屑か、大業物になるか。さて、どちらだ」
鉄之助はがたがた震えながら心の中で叫んだ。
(えっ!? 俺のこと!? 俺のことですか信長様!? やだぁぁぁ! 俺まだただの荷物係なんですけどぉぉ!)




