第五話 鉄之助いざ初陣(1554年・村木砦)
季節は冬。吐く息が白い朝、村はざわざわと落ち着かない空気に包まれていた。
「今川が三河の鴨原を落としたぞ!」
「尾張の境に村木砦を築いたんだと!」
そんな噂が風よりも早く駆け巡り、村人たちは浮き足立つ。
鍛冶屋の軒先では刃の修理に人だかりができ、農民まで鍬を持って「俺も戦に行く」と息巻いていた。
鉄坊の家も例外ではなかった。
⸻
工房。
火床の熱気に包まれ、父・蔵六は刀ではなく――鉄砲を分解していた。
「ここは煤が溜まる。油を差す時は少し熱を残せ」
「は、はい……」
鉄坊は汗だくでうなずきつつ、心の中で絶叫していた。
(なんでだよ!? 俺、刀の家の子だよな!? なんで今、父さんの手元には鉄砲があるんだよぉぉ!)
与一は横で木槌を手にしてにやにや。
「鉄坊、戦じゃ俺は槍持って突っ込むから、お前はこの鉄砲の横で“火縄持ち”だな」
「えぇぇ!? 俺の未来、火種しかないの!?」
庄三郎は真面目に火薬袋を数えながら言う。
「気を抜くなよ鉄坊。火薬を落とせば村ごと吹っ飛ぶぞ」
「そんな命がけの荷物係イヤァァァ!!」
工房は修羅場のような熱気だった。
刃を確かめる音、槍の柄を締め直す音、そして鉄砲の分解音。
鉄坊は冷や汗で背中をぐっしょり濡らしながら、小刀を磨くふりをして現実逃避していた。
⸻
その晩の食卓は、普段よりも妙に静かだった。
母は鍋を何度もかき回し、庄三郎は無言で飯をかき込み、与一は「俺は鉄砲より槍の方が性に合う!」と威勢を張って、母ににらまれて即撃沈。
鉄坊は意を決して口を開いた。
「父さん……俺も、戦に行くの?」
蔵六は渋く頷いた。
「行く。鍛冶は戦場に欠かせん。折れた刃も砕けた鉄砲も、直せる者がいなければ兵は死ぬ。火縄を替える手が一つでも多ければ、それで助かる命がある」
「……」
鉄坊は固まった。
(う、うわぁ……俺、明日から“鉄砲サポーター”なんだ……! 火縄と小刀持って、うろちょろする未来が見えるぅぅぅ!)
父はさらに低い声で続けた。
「怖さを知っているなら、それでよい。怖さを知らぬ者が一番危うい」
鉄坊はこくりとうなずいた。
(うん……怖すぎてもう寝れないよ父さん!)
⸻
そして出立の日。
夜明け前の城下は地獄のようにごった返していた。
槍が林のように立ち、馬が嘶き、旗がばたばたとはためき、太鼓がドンドンドン!
鉄坊はその混沌の中で荷物に押しつぶされ、必死に父と兄与一を追う。ちなみに長兄はお留守番。
「鉄坊、こけるなよ!」
「笑い事じゃないってばぁぁ!」
「大丈夫だ、危ない時は俺がお前を守る!」
与一が豪快に笑うが、鉄坊は心臓がドキドキしすぎて耳がキーンとなっていた。
父・蔵六が振り返り、低く言う。
「戦場では、鉄も人も折れる。だが……心まで折れてはならん」
鉄坊は半泣きで叫んだ。
「はい……! でも父さん、俺は荷物のほうが先に折れそうですぅぅぅ!」
⸻
行軍が始まると、鉄之助は口をあんぐり開けっぱなしだった。
長蛇の列を成す兵、鎧のきしむ音、馬のいななき。怒鳴り声と笑い声がごちゃ混ぜで、村を出て街道に入ると、農民たちが手を合わせて見送ってくる。
「……やけに重い……」
背の荷にふらふらして、何度も転びそうになる。
そのたびに与一が支えてくれた。
「どうだ鉄坊、初めての行軍は?」
「……足が痛い」
「ははっ、それが戦だ。俺も最初は吐きそうになった」
「……いや、それ笑えないんだけど!」
⸻
昼時、兵たちが休む陣中で、鉄之助は耳をそばだてた。
「総大将は織田信長様だとよ」
「二十そこそこの若造だろ? うつけって噂じゃねえか」
「だが稲生でも戦ったらしいし、場数は踏んでる」
「道三様が婿にするくらいだ、只者じゃねえよ」
別の兵が口を挟む。
「仏前で線香を鼻に突っ込んだとか、寺で踊ったとか、奇行も絶えんらしいぜ」
「うつけか、天才か……。どっちに転ぶか分からねえ御仁ってことか」
鉄之助は驚いて父を見上げる。
「父さん、信長様って……本当にそんな人なの?」
蔵六は眉をひそめて答えた。
「噂は所詮噂だ。だが、あの御仁には何かがある。わしも一度、この目で確かめてみたいと思っていた」
(うつけ? 天才? いやいやどっちだよ! 気になって寝られなくなるじゃん!)
数日の行軍を経て、織田軍は村木砦の近くに陣を張った。
目の前には敵・今川勢の砦。木で組まれた塀と櫓がそびえ、兵たちの気配はびっしり。
息をのむ鉄之助の耳に、ざわめきが走った。
「信長様のおなりだ!」
⸻
若武者が馬にまたがり進んでくる。
二十一歳の若き当主。黄金の糸で縫われた陣羽織が朝日を弾き、背の赤旗は烈火のように翻る。
兵たちは小声でささやいた。
「やっぱりうつけだ」「派手すぎる」
だが鉄之助の目には、全然違って見えた。
笑みを浮かべていながらも、その瞳はぎらりと光り、まっすぐ前を射抜いている。
「……あれが、信長様……!」
父・蔵六も低くつぶやいた。
「ただの噂ではない……あの御仁、火を背負っておる」
(いやいや父さん、また火とか言う! でも確かにオーラがすごい……!)




