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第四十二話 風の医者、尾張を診る

 無血の勝利から、三日後。


 清洲の城下に、異様な空気が流れていた。


 槍を構えた兵が並び、鉄砲を持った与一が右往左往。

 鍛冶衆の鉄之助と庄三郎は、なぜか筆と板を持って走っている。

 藤吉郎は商人を引き連れて帳簿を積み上げ、

 丹羽長秀は報告書を抱えながら、もはや目が死んでいた。


 その中心に――明智光秀が立っていた。


「では、本日より“尾張の診察”を始めます」


 声は穏やかだったが、内容は穏やかではない。


「はぁ!? 診察て、戦の診察ですか!?」

 藤吉郎が叫ぶ。


「戦の……病を診るのです」

 光秀が涼しい顔で答えた。


「戦が病気になるんかい!!」

「なります」

「なるんかい!!」


 藤吉郎のツッコミが空を切る。



「まず、患者その一――“兵”。」


 光秀は筆を手に取り、槍兵の列に近づいた。

 前田利家と柴田勝家が胸を張る。


「尾張の兵は、すでに精鋭ぞ!」


「ええ。ですが、少し“熱”が高い」


「熱?」


「勝ちたがりすぎです。

 戦とは熱ではなく、呼吸です。

 息を合わせることこそが勝ち筋です」


「呼吸ぅ……?」

 利家が首を傾げる。


 光秀はゆっくりと彼の槍を取り、穂先を太陽にかざした。


「見なさい。槍が呼吸していない」


「槍が息すんのか!?」与一が叫んだ。


「すべての武具は、打たれた意志を宿します。

 息を合わせねば、心が乱れる」


「心ぉぉ!?」


 藤吉郎が思わず手を挙げた。

「先生ぇ! その理屈、町人にも効きますかぁ!」


「もちろんです。商も戦も呼吸です」


「ほな、わしの財布も呼吸してるんか!」


「はい。中身が減るたびに悲鳴を上げている」


「やめてぇぇ!!」


 兵士たちの笑い声が広がる。

 利家が苦笑いしながら槍を構え直した。


「呼吸か……。なるほど、突くより合わせる、か」


「その通りです」光秀が頷く。

「次は“火”の診察を」



 鍛冶場。


 鉄之助と庄三郎、与一が並ぶ。

 光秀は炉の前に立ち、目を細めた。


「ふむ……ここは良い熱を持っていますね」


 庄三郎が胸を張る。

「光秀殿、我らは火を絶やさぬ鍛冶衆です!」


「火を絶やさぬのは良い。ですが、火を休ませていますか?」


「え?」


「火も人も、燃え続ければ酸欠になります。

 息を入れる時間を与えなければ、鉄は死にます」


 鉄之助が驚いたように炉を見た。

「……確かに。父もそう言ってた。

 “火の間に風を入れろ”って」


「それです」光秀が笑う。

「尾張全体も同じ。燃えすぎています」


「どういう意味です?」庄三郎が問う。


「国が早く走りすぎると、民が息切れする。

 だから、風で熱を冷ますのです。

 風――つまり、理解、学問、話し合い。

 火の国に、風を通しましょう」


 椿が鈴を鳴らした。

「それが……信勝様の“理”を継ぐ道、ですね」


「ええ。あの方の理を、私は風で運びます」


 光忠が鞘の奥でかすかに鳴った。

 まるで、“よく言った”と頷くように。



 昼。

 清洲の大通り。


 光秀は商人と農夫を集めていた。


「次の患者、“民”です」


「おれら病気ですか!?」

「いやです! 金とられるの!?」


「安心してください。今回は無料です」


「そっちの心配ちゃうわ!!」


 藤吉郎が間に割り込む。

「先生ぇ! 民に診察なんて、どないすんねん!」


「聞くだけです」


「聞くだけ……?」


「はい。国の病は、声を聞かずに生まれます。

 戦は、声の風を断つところから始まる」


 藤吉郎が少し黙り、

「……ほんまに、あんた戦の医者やな」と呟いた。



 夕方。


 清洲の廊下を、丹羽長秀が書物の山を抱えて走っていた。

 背後から光秀の声が飛ぶ。


「丹羽殿! その書、読み終えましたか!」


「まだ半分だ! 増やすな!」


「では、もう三巻追加で」


「おぉぉぉい!! こっちは寝てないんだぞ!!」


 丹羽が悲鳴を上げる。

 机の上は報告書で埋まり、そこに光秀がまた筆を置く。


「この国の病理、だいぶ見えてきました」


「どんな病だ」丹羽が息を切らしながら問う。


「“速熱”。進みすぎて、冷ます暇がない。

 治療には、緩やかな理と、柔らかな風が要ります」


「お前、それを殿に言えるか?」


「もちろん」


「……絶対、怒るぞ」



 夜。

 信長の政務室。


 光秀と丹羽が膝をつく。

 机の上には、今日一日で書かれた報告書の束。


「十兵衛」

 信長の声が低く響く。


「はい」


「国の病は、見えたか」


「はい。尾張は熱を持ちすぎております。

 兵は強く、民は働き、鍛冶は燃え、商は動く。

 だが、息を入れる“間”がありません」


「間、か」


「はい。間を置けば、理が生まれます。

 理があれば、戦は癒えます。

 国も、人も、呼吸が要るのです」


 信長は腕を組んで黙った。

 やがて小さく笑う。


「……面白い」


 丹羽が思わず突っ込む。

「殿、そればっかり言ってますよ!!」


「面白いものは面白い。

 理を説く者は多いが、治すと言ったのはお前が初めてだ」


「治すのは私ではなく、風です。

 私はただ、その流れを読むだけ」


「ならば――次も読め。

 尾張最後の病、“統一”を診ろ」


 光秀が静かに頷いた。

「承知しました。診療報酬は、見事な戦果で」


 信長の口元がわずかに動いた。

「高い医者だ」


「安い薬は効きませんので」


 藤吉郎が物陰でぼそっと呟いた。

「……この医者、やっぱりすっげぇわ」


 与一が頷いた。

「でも、やっぱりちょっとムカつく!!」



 その夜。


 椿が天守の上で鈴を鳴らした。

「火は燃え、風は巡り、理は根付く……。

 信勝様、尾張は、動き始めていますよ」


 月光が清洲を照らし、

 遠く、鏡板に映った太陽の名残が、まだ微かに光っていた。

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【次回更新】明日17時予定!

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