間話:光忠と蔵六 ― 炉の底のぼやき ―
夜更けの清洲。
工房の炉はとっくに火を落とし、灰の中でわずかに赤が残るだけ。
鍛冶場の隅、二振りの刀が並んで寝かされていた。
一振りは古備前光忠。
もう一振りは若き蔵六。
どちらも無言だが、そこには人の気配より濃い「息づかい」があった。
鉄とは、火が消えた夜にこそ語る。
――いや、正確には、光忠が一方的に喋り倒す時間だった。
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『……おい、蔵六。』
光忠の声は、炉の灰より低い。
『わしら、もう十話ぐらい、まともに喋っとらんぞ。』
蔵六の刃が、かすかに「チリン」と鳴った。
“そうですね”と言いたげに、微かに反射した。
『しかも最近じゃ、鉄之助の坊主も、わしに触れもしねぇ。
あの“兄上”だの“理”だのって話ばっかりで、
火床の横でわしがピカッと光っても、誰も気づかん!』
光忠は鞘の中でギリギリと鳴った。
炉の残り火がびくっと揺れる。
『なぁ、聞いたか蔵六。あの椿の娘だ。
半年間、毎日鍛冶場を通っても、
“強い気配”の一言もねぇ。
昔はあんなに鈴を鳴らして通ってたくせによ!』
蔵六の刃先が、炉の明かりを受けて小さく震えた。
“……それはちょっと可哀想ですね”とでも言いたげに。
『だろう!? わしは長船光忠だぞ!?
天下の備前鍛冶の名を継ぐこの身が、
いまや背景の置物みたいな扱いだ!
このところ「刃鳴りの演出」しかしてねぇ!!』
カン、と蔵六が共鳴した。
“確かに、ここ数話、ちょこっと鳴っただけでしたね”という音。
『ほら、そこだ! その“チリン”とか“カン”とかの擬音で済まされとるんじゃ!
物語ってのは、もっと刀が主役であって然るべきじゃろうが!』
炉の灰が舞い、煤がひとつ宙に浮いた。
まるで光忠の怒りの温度に押されるように。
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光忠はぼやきながらも、ふと、炉の奥を見た。
そこには、いくつもの夜の記憶が重なっていた。
――信勝が最後にこの刃を撫でた夜。
――信長が弟の遺した「兄弟記」を胸に抱いた朝。
――鉄之助が無言で蔵六を磨きながら、「兄弟のようだ」と呟いた夕暮れ。
どれも、火と涙の光だった。
そのすべてを、光忠と蔵六は、黙って見ていた。
語られはしなかったが、
あの物語の中で、確かに二振りは生きていた。
『……ま、黙ってたのはわしらの勝手か。』
光忠がぽつりと漏らす。
『坊主が信勝を見送ったとき、わし、ちゃんと刃を鳴らしたんだ。
気づかれちゃいなかったけどな。
“よくやった”って、あの時言いたかった。』
蔵六の刃が、かすかに光を返した。
赤でも青でもない、混ざり合うような色。
『お前も見てただろ。椿の鈴が鳴るたびに、お前は灯りを揺らしてた。
火を見て泣いてる鉄之助の背中、あの娘が気づかぬように光を逸らしてやったじゃねぇか。』
蔵六は、炉の底に沈んだ炭を映すように、静かに沈黙した。
答えの代わりに、炉の底で“パチリ”と音がした。
『……ふん。わしばっかりが拗ねてると思ったが、お前もちゃんと見てるじゃねぇか。』
光忠は苦笑するように刃を微かに傾けた。
『ま、無口なとこは信勝坊に似てるか。』
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外では、夜風が通り抜け、工房の軒の鈴が小さく鳴った。
蔵六がわずかに共鳴して“チリ”と応え、光忠も鳴き返す。
まるで、彼らなりの会話のようだった。
『……ま、いいさ。』
光忠がぼそりと呟く。
『どうせ人間どもはすぐまた戦を始める。
そのときゃまた出番が来るさ。
そのとき、お前もちゃんと“鳴け”よ。』
蔵六が微かに光る。
“はい”と答えるように。
『ああ、それと――』
光忠がいたずらっぽく声を潜める。
『次に坊主が鍛つとき、わしの地鉄をちょっと混ぜとけ。
ちょびっとでいい。
あいつの刃の中に、兄弟の火を残してやりてぇんだ。』
蔵六の刃がそっと光忠に向かって傾いた。
その角度は、まるで深く頭を下げるように見えた。
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やがて夜が更ける。
炉の赤が完全に消えるころ、鉄之助がふらりと戻ってきた。
「……あれ? まだ少し火の匂いが残ってる。」
彼が火箸を入れると、炭の奥で“チリン”と澄んだ音がした。
鉄之助は不思議そうに首を傾げる。
「……光忠、蔵六。今日もよく光ってるな。」
その声に、二振りは小さく鳴いた。
まるで“ちゃんと聞いてたぞ”とでも言うように。
鉄之助は微笑み、炉の蓋を静かに閉めた。
月の光が二振りの刃を照らし、
夜の工房は、再び静寂を取り戻す。
⸻
『……なぁ、蔵六。』
『…………(チリン)』
『わしら、いじけててもいいな。
人が進むたび、わしらの音が鳴るなら。
それで、充分だ。』
蔵六が最後に一度だけ高く鳴いた。
炉の底の灰が光を返す。
それはまるで、兄弟のように寄り添う二つの灯りだった。
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【次回更新】明日17時予定!




