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第三十話 信勝との夜

昨日の夜、遡って12話の後に【間話】 信長と備前長船の刃 を新規投稿しました!こちらも見てもらえると嬉しいです!

 火床の明かりが、夜更けの工房を照らしていた。

 ふたりの影が並ぶ。ひとりは鉄之助、もうひとりは――織田信勝。


 炉の赤が、言葉よりも先に温もりを運んでいた。


「ここの音は落ち着くな」

 信勝がぽつりと呟いた。

 その声は、夜気より静かに響く。


「夜の火床は、鉄がよく応えてくれます」

「なるほど。……人の声が少ない分、鉄の声が聞こえるのか」

 信勝は頷き、炉の明かりを掌で受けた。


「君のような職人は、理ではなく“感”で動くのだな」

「ええ、考えるより先に手が覚えてくれます」


「羨ましい。私は、どうしても考えてしまう質でね」

 信勝は微笑んだ。

「子供の頃から、火よりも紙と墨の匂いの方が好きだった」


「紙と墨、ですか」


「九つの頃だ。城にあった書庫の鍵を勝手に開けて、異国の書を読みあさった。

 唐、南蛮、日の本の古書。言葉の形が違うほどに、世界が広がっていく気がした」


「神童と呼ばれておられたと聞きました」


「大げさだよ。……けれど、その頃に出会った言葉がある。

 “学は火のごとし。絶やせば闇、燃やせば道”――父上の口癖でもあった」


 信勝は炉の光を見つめた。

「私は、ずっとその言葉の意味を探している。燃やすだけでは道は照らせない。

 火をどう使うかが、人を分けるのだろう」


 鉄之助は思わず息を呑んだ。

 信勝の声は穏やかだが、ひとつひとつの言葉が深く沈む。



 障子が静かに開く音がした。

 香の匂いとともに、渡り巫女・椿が現れた。


「こんな夜に男二人でなにを話しているのかしら」


 信勝が振り返り、目を細める。

「椿。久しいな。……八年ぶりか」


「うん。まだ“信勝どの”って呼ばれてた頃ね」


「そんな頃もあったな」

 信勝は柔らかく笑った。

「あのとき君は、文字も満足に書けなかった」


「そう。巫女見習いのわたしに、はじめて筆の持ち方を教えたの、あんただよ」


 椿の瞳に、あの日の記憶が宿る。

「覚えてる? 清洲の庭でさ、風が強くて紙がぜんぶ飛んで――」


「拾い集めたら、君が泣きながら“風は意地悪だ”と言った」

 信勝の笑みが、どこか少年の面影を残していた。

「だから私は言った。“風にも節がある。聴いてみなさい”と」


「うん。あのときの笛の音、まだ覚えてる。

 “怖い音にも節がある”――あれ、あんたの言葉だった」


 椿は目を伏せ、少し照れくさそうに笑った。

「それからだよ。信勝、あんたの言葉をちゃんと心に留めるようになったのは」


「それは困ったな。私は気まぐれで話すから、拾う方が苦労する」


 信勝の冗談に、椿がふっと微笑む。

 工房の空気が、少しだけ明るくなった。


 炉の音が柔らかく響く。

 かつて少年と少女だった二人の間に、変わらない“呼吸”だけが流れていた。



 そこへ庄三郎が現れ、火箸を手に頭を下げた。

「信勝様。お久しゅうございます」


「庄三郎か。君が新しい火縄銃の型を考案したと聞いた」

「はい。まだ試作ですが、構造を簡略化すれば装填の手が減らせます」


「面白い。火を扱うというのは、人の“恐れ”を扱うことでもある。

 恐れを制する技を作る――それは立派な仕事だ」


 庄三郎は感激したように頭を垂れた。

「ありがとうございます。……近ごろ、鉄砲鍛冶が増えすぎております。

 いつか自分がまとめ役となり、道を誤らせぬようにと」


「そうなりなさい」

 信勝の声音が少し低くなる。

「技は人を救うためにある。奪うためだけに使えば、必ず自分に返る」


「肝に銘じます」


 鉄之助が兄を見つめた。

 庄三郎の瞳に、初めて見る芯の強さが宿っていた。



 そのとき、ばたばたと足音が響いた。

「兄上! 火薬が――っ、あっ!? 信勝様!? す、すみませんっ!」


 与一が転げ込むように頭を下げ、庄三郎が慌てて支える。

「こら与一! 信勝様の御前だ!」

「ひゃっ、申し訳ありませんっ!」


 信勝はふっと笑みをこぼした。

「与一、顔を上げなさい。御前試合での鉄砲、見事だったよ」


「えっ!? 見られてたんですか!」

「狙いは正確だった。少し震えていたけどね」

「うっ、ばれてる……!」


 信勝が軽く首を傾げる。

「ただ――あのとき的の後ろで、馬が一頭暴れただろう?」


「えっ……あれ、前田が“与一が的の裏の馬に当てた”って笑ってましたけど……まさか」

「そう、あれは私の馬だ」


「ぶ、ぶふっ!? まさかの殿下の馬ぁぁ!?」

「ふふ、大事には至らなかった。あの子は丈夫でね。

 ただ、翌日ずっと私を睨んでいたよ」


 与一が顔面蒼白になり、庄三郎が慌てて口を押さえる。

「お、恐れ多くも、まさか馬まで……」


「安心しなさい。命中の腕は確かだったということだ」

 信勝は目を細め、少し悪戯っぽく笑った。

「――次は、的だけを狙えば完璧だ」


 その優しい言葉に、与一の顔が一瞬で真っ赤に染まる。

「ひぃぃ……次からは百歩離れて撃ちます!」


「いや、近すぎても困る」

 信勝の一言に、場がどっと笑いに包まれた。


 椿が口元を押さえて笑い、庄三郎は肩を揺らした。

 鉄之助も笑いながら、ふと感じた。

 ――この人の笑い方は、兄・信長とはまるで違う。

 剣のように鋭いのではなく、春の風のように柔らかい。


 その後、鉄之助が刀を差し出した。

「信勝様。よければ、今夜の仕上がりをご覧ください」


 信勝は静かに受け取り、刀を抜いた。

 刃が灯を返し、銀のように光る。


「……見事だ」

 信勝が低く呟く。

「この反り、この地鉄――まるで父上の光忠を見ているようだ」


「光忠……?」


「父上から形見として頂いた刀だ。

 子のうちで私が一番早く、あの刀を手にした。兄上より先にね」


 信勝は遠くを見るような目をした。

「少年の頃、父上が光忠を前にこう言われた。

 “刃は人を試す鏡。曇らせれば己の顔も見えぬ”――あの言葉が今も離れない」


「父上の形見を、まだお持ちなのですか」


「もちろんだ。……錆び一つ許さず、大切にしている。

 あの刀を磨くときだけは、不思議と心が澄む。

 ――君の刀にも、それと同じものを感じた」


 鉄之助は言葉を失った。

 信勝の視線は、まるで刃の奥に生き物を見るように真剣だった。


「刀に“信”がある。己を信じ、仲間を信じ、未来を信じる心だ。

 それを忘れぬ限り、この刃は折れない」


「信……」

 鉄之助はその言葉を胸に刻んだ。



 短い沈黙ののち、信勝が微笑む。

「兄上にも、もう少しその“信”があれば良いのだが」


 椿がふと呟いた。

「信じすぎる人は、裏切られた時に深く傷つくものです」


「そうかもしれないな」

 信勝は小さくうなずいた。

「それでも、信じることをやめたら、人は前に進めない。

 兄上はその痛みごと進もうとしている」


 工房の空気が静かに揺れた。

 誰も言葉を挟まなかった。



 帰り際、椿が振り向いた。

「信勝、今夜は眠れそう?」


「うん。いい夢を見られそうだ。……少し先の夢をね」


「先の?」


「この国の形が変わっていく夢さ。兄上が違う空を見上げる姿を」


 椿は小さく頷いた。

「その時は、この工房の連中が要るよ。

 あんたの夢も、ここに残る」


「ありがとう。――その言葉、覚えておく」


 信勝は穏やかな笑みを残して、夜の廊下へと消えていった。


 その背を見送りながら、鉄之助の胸に熱が灯る。

 光忠という名と、「信」という言葉が、静かに溶け合っていた。



 炉の奥で、火が小さく瞬いた。

 まるで、誰かが見守っているように。


 夜風が通り、椿の鈴が微かに鳴る。

 信勝の残した温かさが、工房の空気にやさしく残っていた。

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【次回更新】明日17時予定!

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