第二十九話 稲生へ続く道
コミカルぼちぼち、シリアス戻り始めますm(_ _)m
春の風が、清洲の堀を渡っていた。
水面には鉄と油の匂いが漂い、城下は再びざわつき始めていた。
御前試合から一年。
鍛冶衆は鉄砲の手入れに追われ、兵は鎧の紐を締め直し、商人は米と塩を運ぶ。
すべてが、何かを待つように動いていた。
その中心で、丹羽長秀は書状の山に埋もれていた。
「“すぐ出陣せよ”……いや、“まだ待て”……どっちなんだ、殿!」
机には信長と信勝、両方の印が押された命令書。
どちらに従っても怒られる未来しか見えない。
「戦より胃が先に敗ける……」
頭を抱える丹羽の横から、藤吉郎が顔を出す。
「旦那、胃薬よりこっちどうです? “信長印の護符飴”!」
「誰が買うか! というか勝手に殿の印使うな!」
「安心してください、“似てるだけ”です!」
書状の山が崩れ、丹羽の悲鳴が清洲に響いた。
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一方その頃、城下の路地では与一と前田犬千代が木箱を運んでいた。
「おい与一! この中、鉄砲か!?」
「火薬だ! 揺らすな!」
「うおお! 爆発するのか!?」
「する! だからやめろ!!」
小さな火花が散り、二人の頭が同時にすすけた。
「お前なぁ……!」
「はっはっは! 男は火と友にならねばな!」
その声に、周囲の町人たちが苦笑した。
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昼下がり。工房の炉前で、鉄之助と庄三郎が並んでいた。
「兄上、稲生ってどんな所です?」
「湿気が多い土地だ。鉄がすぐ鈍る」
「……戦、起きますかね」
「誰も言わねぇが、火薬の匂いがする」
椿が背後から現れ、二人の肩に手を置く。
「匂うのは戦だけじゃないわ。迷いの匂いも混ざってる」
「迷い?」
「兄弟が同じ空を見てるのに、違う夢を見てるの」
その時、炉の奥で火が弾けた。
蔵六の霊が肩を竦め、光忠が鼻で笑う。
『火が泣いとるわい。気ぃ張りすぎだ』
鉄之助はその声が聞こえたように手を止めた。
胸の奥で、何かがざわつく。火が呼吸している気がした。
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夕刻。
柴田勝家が清洲の廊下を歩いていた。
重い足音に混じって、鈴のような声が響く。
「かついえ様!」
振り向くと、小袖姿のお市が立っていた。
まだ九つばかり。真っすぐな瞳で見上げてくる。
「兄上たちが喧嘩してるの。止めて」
「な……っ!?」勝家は固まった。
敵の将より、この言葉の方が重い。
「で、ですが……」
「かついえ様は怖い顔してるでしょ。きっと止まると思うの」
「わ、私は顔だけ怖い! 心は優しいのだ!」
「知ってる。火みたいに見えるけど、火って温かいもん」
お市は袖から小さな花を取り出し、差し出した。
「これあげる。兄上たちが仲直りするまで持っててね」
勝家は震える手で花を受け取った。
「……姫様、もし殿が怒っても、わしは止めます」
「うん。ありがとう、かついえ様」
通りかかった藤吉郎と与一が物陰で囁く。
「おい、今の顔、完全にデレてる」
「うわ、恋に落ちた……!」
「聞こえておるぞ!!」
勝家の怒号が響き、燕が飛び立った。
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夜。
再び工房に火が灯る。
鉄之助は槌を振るい、庄三郎は火を見張る。
与一は火薬を調え、椿は祈りの唄を口ずさんだ。
火花が舞い、鉄の音が夜を刻む。
「兄弟が争っても、折れない刃を打ちたい」
鉄之助の呟きに、椿が微笑む。
「火はね、怖がる人の手でこそ、優しくなるのよ」
言葉は途切れ、火の呼吸だけが残った。
炉の奥で、蔵六の影が揺れる。
『信じろ。火は、お前を導く』
鉄之助は拳を握り、火床を見つめた。
炎の奥で、光忠がぼそりと呟く。
『坊主、火が呼んでおる。誰かが迷う夜じゃな』
鉄之助は息を整えた。
炎がわずかに脈打つ。
その時、外の風が吹き込む。
炎がゆらりと揺れ、工房が淡く明るくなった。
背後から声がした。
「夜分すまない。御前試合で名を聞いた、鉄之助くんだね?
工房を少し見せてもらえないか」
鉄之助は振り返った。
月明かりの下、柔らかな笑みを浮かべる男が立っていた。
――信長の弟であり、家中の人物 織田信勝。
その瞳が、火床の炎を静かに照らしていた。
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【次回更新】明日12時予定!




