表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/49

第三話 渡り巫女・椿

 ある日の午後。

 鉄之助は兄の与一と城下へ向かっていた。父に命じられ、納品の刀を届けにいく途中だ。


 背中に背負った風呂敷を、鉄之助はやたらと気にしている。落とすまいと何度も手で触り直す。


「おい鉄坊、顔がこわばってんぞ。まるで打ち首にでもなるみたいだ」

「な、ならないよ! ただ落としたら大変だから……」

「へへっ、父さんの刃だしな。だがよ、お前が背負ってるとどうも似合わねえんだ」

「う、うるさい!」


 兄弟のやり取りに周囲の商人や町娘がくすりと笑う。

 そんな喧騒を抜けた時、人だかりが目に入った。



 輪の中央には、艶やかな衣をまとった美女が立っていた。

 腰まで流れる黒髪を揺らし、手にした鈴をちりん、と鳴らす。

 だがその表情は清楚というより、どこか挑発的で、唇には艶めいた笑み。


「おお……渡り巫女だな」

 与一が低くつぶやく。


 鉄之助は目を丸くした。

 椿と呼ばれるその女は、祝詞を唱えながらも人々をあしらうように笑い、子供の頭を撫でては「銭を忘れてないかい?」と茶目っ気たっぷりに囁く。

 老爺には「腰は大丈夫かい、あたしが撫でれば十年若返るよ」と冗談めかし、娘たちには「綺麗になりたいなら願いを鈴に込めな」とウインクする。


 場の空気は、神聖さよりも妖艶さに満ちていた。


(なんだこれ……俺が知ってる巫女って感じじゃない……けど、不思議に目が離せない)


 鉄之助が呆けていると、椿の視線がぴたりと重なった。

 次の瞬間、艶めかしい笑みとともに小さく舌を出す。

 鉄之助は飛び上がるように目をそらし、耳まで真っ赤になった。



 人垣が散った後、椿はふらりと鉄之助たちに歩み寄ってきた。

 腰をひねりながら、まるで狩りをする猫のような足取り。


「へえ、坊や。背中の包み……刃物の匂いがするねえ」


「えっ……あ、あの……刀です!」

 慌てる鉄之助を覗き込むように、椿はわざとらしく身を屈め、吐息を近づける。


「ふふん、いい匂い。火と鉄、それに若い汗……あんたが打ったんじゃないの?」

「ち、違います! 父が……俺は手伝っただけで!」


 与一が面白そうに口を挟む。

「こいつ、この前もこっそり槌を振ってんだぜ。ガタガタだけどな!」

「与兄!」


 椿はぱっと顔を輝かせ、楽しそうに笑った。

「いいじゃないか! 刃を打つのは命を吹き込むこと。――あんた、女を抱いたことはまだないだろ?」


「な、ななななに言ってんだよ!?」

 鉄之助の顔が真っ赤になる。

 椿はからかうように唇を尖らせ、わざと鈴を胸元で鳴らした。


「刀は祈りによって人の願いを宿し強くなる、願いを宿すときのそれはね、そういう熱さに似てるのさ。誰かを守りたい、欲しい、幸せにしたい……そういう想いが刃を強くするんだよ」


 その言葉は茶化しているようで、どこか本質を突いていた。

 鉄之助は風呂敷を抱え直し、胸の鼓動を抑えられない。


 椿が鉄之助に顔を寄せてからかっていたその時。

 酔っ払いの男がふらふらと近づいてきた。


「チッ、なんだよ渡り巫女か……どうせ銭をせびるだけだろうが!」


 乱暴に手を伸ばし、椿の袖を掴もうとする。


 鉄之助は思わず叫んだ。

「やめろよ!」


 声は震えていたが、体は勝手に前に出ていた。

 男の影にすっぽり隠れるような小さな体で、それでも必死に椿の前に立ちはだかる。


「なんだこのチビ! どけ!」


 振り上げられた手。

 次の瞬間、ひゅん、と風を切る音が響いた。


 与一の木刀が男の手を叩き落としたのだ。


「兄ちゃん!」

「うちの鉄坊に手を出すと、ただじゃ済まねえぞ」


 与一の鋭い声に、男は舌打ちしてよろよろと退散していった。



 椿はその場でぱちぱちと手を叩いた。

「おーおー、頼もしいねえ! 小僧は顔真っ赤だし、お兄ちゃんは太刀筋なかなか。いい兄弟じゃないか!」


「お、俺は別に……!」

 鉄之助は耳まで真っ赤にして俯いた。

 与一は得意げに木刀を肩に担ぐ。


「こいつは臆病だけどな、いざって時は案外やるんだぜ」

「与兄、余計なこと言うなよ!」


 椿はくすりと笑い、鉄之助の顎を指でちょんと持ち上げた。

「へぇ、臆病なほうがいい刃を打つかもしれないよ。臆病ってのは、命を大事にしてる証だからね」


「……っ!」

 鉄之助は言葉が出なかった。

 けれど胸の奥で何かがじんと熱を帯びる。



 やがて椿は、ひらりと袖を翻して人混みの中へ消えようとした。

 その背に、鉄之助は思わず声をかける。


「あ、あの!」


 振り返った椿の瞳は、昼間の炎みたいに強く、夜の水面みたいに艶やかだった。


「……刀って、本当に祈りが宿るの?」


 椿はにやりと笑みを浮かべる。

「さぁね。信じるやつが込めた時だけ……本当に宿るのかもしれないよ」


 それだけを言い残し、椿は人の波に溶けていった。



 帰り道。

 与一はにやにやしっぱなしだった。


「おい鉄坊、お前……あの巫女に惚れたんじゃねえのか?」

「ば、ばかっ! 違うって!」

「顔が真っ赤だぞ」

「う、うるさい!」


 鉄之助は否定したけれど、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。


 椿の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ