第三話 渡り巫女・椿
ある日の午後。
鉄之助は兄の与一と城下へ向かっていた。父に命じられ、納品の刀を届けにいく途中だ。
背中に背負った風呂敷を、鉄之助はやたらと気にしている。落とすまいと何度も手で触り直す。
「おい鉄坊、顔がこわばってんぞ。まるで打ち首にでもなるみたいだ」
「な、ならないよ! ただ落としたら大変だから……」
「へへっ、父さんの刃だしな。だがよ、お前が背負ってるとどうも似合わねえんだ」
「う、うるさい!」
兄弟のやり取りに周囲の商人や町娘がくすりと笑う。
そんな喧騒を抜けた時、人だかりが目に入った。
⸻
輪の中央には、艶やかな衣をまとった美女が立っていた。
腰まで流れる黒髪を揺らし、手にした鈴をちりん、と鳴らす。
だがその表情は清楚というより、どこか挑発的で、唇には艶めいた笑み。
「おお……渡り巫女だな」
与一が低くつぶやく。
鉄之助は目を丸くした。
椿と呼ばれるその女は、祝詞を唱えながらも人々をあしらうように笑い、子供の頭を撫でては「銭を忘れてないかい?」と茶目っ気たっぷりに囁く。
老爺には「腰は大丈夫かい、あたしが撫でれば十年若返るよ」と冗談めかし、娘たちには「綺麗になりたいなら願いを鈴に込めな」とウインクする。
場の空気は、神聖さよりも妖艶さに満ちていた。
(なんだこれ……俺が知ってる巫女って感じじゃない……けど、不思議に目が離せない)
鉄之助が呆けていると、椿の視線がぴたりと重なった。
次の瞬間、艶めかしい笑みとともに小さく舌を出す。
鉄之助は飛び上がるように目をそらし、耳まで真っ赤になった。
⸻
人垣が散った後、椿はふらりと鉄之助たちに歩み寄ってきた。
腰をひねりながら、まるで狩りをする猫のような足取り。
「へえ、坊や。背中の包み……刃物の匂いがするねえ」
「えっ……あ、あの……刀です!」
慌てる鉄之助を覗き込むように、椿はわざとらしく身を屈め、吐息を近づける。
「ふふん、いい匂い。火と鉄、それに若い汗……あんたが打ったんじゃないの?」
「ち、違います! 父が……俺は手伝っただけで!」
与一が面白そうに口を挟む。
「こいつ、この前もこっそり槌を振ってんだぜ。ガタガタだけどな!」
「与兄!」
椿はぱっと顔を輝かせ、楽しそうに笑った。
「いいじゃないか! 刃を打つのは命を吹き込むこと。――あんた、女を抱いたことはまだないだろ?」
「な、ななななに言ってんだよ!?」
鉄之助の顔が真っ赤になる。
椿はからかうように唇を尖らせ、わざと鈴を胸元で鳴らした。
「刀は祈りによって人の願いを宿し強くなる、願いを宿すときのそれはね、そういう熱さに似てるのさ。誰かを守りたい、欲しい、幸せにしたい……そういう想いが刃を強くするんだよ」
その言葉は茶化しているようで、どこか本質を突いていた。
鉄之助は風呂敷を抱え直し、胸の鼓動を抑えられない。
椿が鉄之助に顔を寄せてからかっていたその時。
酔っ払いの男がふらふらと近づいてきた。
「チッ、なんだよ渡り巫女か……どうせ銭をせびるだけだろうが!」
乱暴に手を伸ばし、椿の袖を掴もうとする。
鉄之助は思わず叫んだ。
「やめろよ!」
声は震えていたが、体は勝手に前に出ていた。
男の影にすっぽり隠れるような小さな体で、それでも必死に椿の前に立ちはだかる。
「なんだこのチビ! どけ!」
振り上げられた手。
次の瞬間、ひゅん、と風を切る音が響いた。
与一の木刀が男の手を叩き落としたのだ。
「兄ちゃん!」
「うちの鉄坊に手を出すと、ただじゃ済まねえぞ」
与一の鋭い声に、男は舌打ちしてよろよろと退散していった。
⸻
椿はその場でぱちぱちと手を叩いた。
「おーおー、頼もしいねえ! 小僧は顔真っ赤だし、お兄ちゃんは太刀筋なかなか。いい兄弟じゃないか!」
「お、俺は別に……!」
鉄之助は耳まで真っ赤にして俯いた。
与一は得意げに木刀を肩に担ぐ。
「こいつは臆病だけどな、いざって時は案外やるんだぜ」
「与兄、余計なこと言うなよ!」
椿はくすりと笑い、鉄之助の顎を指でちょんと持ち上げた。
「へぇ、臆病なほうがいい刃を打つかもしれないよ。臆病ってのは、命を大事にしてる証だからね」
「……っ!」
鉄之助は言葉が出なかった。
けれど胸の奥で何かがじんと熱を帯びる。
⸻
やがて椿は、ひらりと袖を翻して人混みの中へ消えようとした。
その背に、鉄之助は思わず声をかける。
「あ、あの!」
振り返った椿の瞳は、昼間の炎みたいに強く、夜の水面みたいに艶やかだった。
「……刀って、本当に祈りが宿るの?」
椿はにやりと笑みを浮かべる。
「さぁね。信じるやつが込めた時だけ……本当に宿るのかもしれないよ」
それだけを言い残し、椿は人の波に溶けていった。
⸻
帰り道。
与一はにやにやしっぱなしだった。
「おい鉄坊、お前……あの巫女に惚れたんじゃねえのか?」
「ば、ばかっ! 違うって!」
「顔が真っ赤だぞ」
「う、うるさい!」
鉄之助は否定したけれど、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
椿の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。




