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第二十一話 余韻の中の火種

 御前試合が終わった清洲城は、なお余韻に包まれていた。

 大広間を後にした鉄之助は、まだ自分の足で立っているのが不思議なくらいだった。胃に穴が十や二十では済まぬほど緊張し、最後には気力だけで立っていたのだから。


「……なあ庄三郎兄上。俺、夢でも見てんのかな?」

 城の回廊を歩きながら、鉄之助は青ざめた顔で呟いた。


「夢なら、とっくに目が覚めているだろう」

 庄三郎は相変わらず涼しい顔で、背筋を伸ばして歩いている。


 与一は大きく伸びをして、けらけら笑った。

「いやあ、俺はもう最高の気分だぜ。あの連発五発、武将どもの顔、見ただろ? ぽかーんとしてやんの!」


「お前なあ……。こっちは生きた心地がしなかったんだぞ」

 鉄之助は呻き声を洩らした。


 その時、背後から「おい」と低い声が響いた。三人が振り返ると、そこには丹羽長秀がいた。無骨な鎧直垂の姿で、表情はいつものように硬い。だが、その眼には淡い光が宿っていた。


「……お前たち。少し話がある」


 庄三郎が眉を動かし、鉄之助は思わず背筋を伸ばした。与一だけはまだ余裕の笑みを浮かべていたが、すぐに真顔になる。


 丹羽は三人を人気のない庭先に導き、焚き火の残り香が漂う空間で立ち止まった。


「御前試合の意味を、そなたらはどこまで理解している」


 静かな問いかけ。だがその声には、鋭い刃が隠れていた。


 鉄之助は視線を泳がせる。

「え、えっと……その……刀も鉄砲も、引き分けで……みんな必要ってこと……?」


「表向きは、そうだ」

 丹羽は短く頷いた。


「だが、殿の狙いはもっと深い」



 彼は炎の残り香に目を細め、ゆるりと語り始めた。


「熱田の鉄砲は精緻を誇る。だが、脆い。

 美濃の鉄砲は量を揃えられる。だが、一挺の精度は甘い。


 どちらも長所と短所を抱えている。だがその欠点を本人たちはなかなか認めようとせん。……ましてや、この尾張で“自分こそ至高”と競り合ってきた二大鍛冶衆だ。殿がいくら口で申しても、素直に耳を傾けはせぬ」


 庄三郎が低く息を吐いた。

「……だからこその御前試合、ということか」


「そうだ」丹羽は頷く。


「衆目の前で欠点を曝け出さねばならなかった。華やかさだけでは折れる。量だけでは当たらぬ。……皆が見守る場でこそ、それを明らかにすることができる」


 鉄之助ははっと目を見開いた。

「じゃあ、最初から……勝ち負けなんて、決まってなかった……?」


「その通り」

 丹羽は首を振った。


「殿は“引き分け”に導くつもりだったのだ。精緻を担う熱田、数を揃える美濃、そして戦場仕様を考えるお前たち。それぞれが欠けては、日の本の鉄砲は完成せぬ。……そのことを、衆目の前で知らしめるための舞台だった」



 与一が頭を掻きながら口を挟んだ。

「けどよ、俺らは最初から鉄砲の模造なんかできなかったんだぜ? お偉いさんに恥かかせるための見世物にしか思えなかった」


「それも殿の計算だ」

 丹羽の声は低く響いた。


「もしお前たちが何も気づかなければ、試合の一週間前に殿自ら“湿気と暴発”の弱点を示し、改良の道を指し示すつもりでおられた」


 鉄之助は息を呑んだ。

「ひ、一週間前に……!? じゃあ俺ら、完全に手のひらの上で……」


「だが」丹羽は鋭く指を向ける。


「お前たちは自ら気づいた。しかも一つではなく、幾つもだ。火蓋の覆い、銃身の補強、火薬の量の調整。……これは殿にとっても予想外であった。だからこそ、あの場で“よくやった”と声をかけられたのだ」


 鉄之助の胸がじんわりと熱くなる。蔵六の姿が脳裏を過ぎり、無意識に拳を握り締めた。



 丹羽はさらに続けた。

「御前試合の狙いはもう一つある。……家臣たちに示すためだ」


「家臣?」

 庄三郎が問い返す。


「うむ。殿はこの先、鉄砲に金を惜しみなく注ぎ込まれる。鉄も火薬も、莫大な銭が要る。だが、これまで刀で事足りてきたと考える家臣たちを納得させるには、目の前で欠点と可能性を示すしかなかったのだ」


「なるほど……」庄三郎が深く頷く。


 丹羽の目がさらに鋭さを増した。

「……それに、御家の若君方も含め、家中には“殿の目”を測ろうとする者が少なくない。

今日の御前は、刀と鉄砲だけでなく――人を見る“秤”でもあった。」


 その言葉に、鉄之助と与一は息を呑む。

「じゃあ……俺たちは、殿の……駒みたいな……?」


 丹羽は首を横に振った。


「駒ではない。お前たちは“殿の未来を映す鏡”だ。殿は庄三郎よりもさらに若造の鉄之助を抜擢した。身分でも年齢でもなく、ただ実力で選ぶと示すためにな。……それは、殿が天下を望むにあたり、避けては通れぬ姿を映しているのだ」



 三人は言葉を失った。

 火床の残り香の中で、丹羽の声だけが重く響いていた。


 やがて庄三郎が低く呟いた。

「……信長公は、俺たち以上に先を見ているということか」


「当然だ」丹羽は淡く笑んだ。


「だが、殿は人を見抜く目を決して間違えぬ。お前たちが答えを出したのは、その証だ」


 その時、遠くから城門を閉じる太鼓が響いた。

 丹羽は腰を正し、短く告げる。


「この話はここまでだ。……忘れるな。お前たちは殿の刃であり、また火縄でもある」


 そう言い残すと、丹羽は闇に紛れるように去っていった。



 残された三兄弟はしばらく黙り込んでいた。

 やがて与一が気まずそうに笑う。

「なあ……俺たち、めちゃくちゃ大事なこと背負わされてね?」


 鉄之助は両肩を掴んでがくがく震わせた。

「だよな!? 俺、ただの凡作卒業鍛冶だよ!? なんでこんな国の未来背負ってんの!?」


「……だが、やるしかあるまい」

 庄三郎の静かな声に、二人は顔を見合わせた。


 その瞬間、清洲の冷たい夜風が吹き抜け、三兄弟の煤けた顔を撫でていった。


 清洲城の石段を降りると、夜気の中に吐く息が白く広がった。

 広間で張りつめていた緊張がようやく抜け、鉄之助は思わずその場にへたり込みそうになる。


「……もう無理。ほんとに限界」

「立て。まだ見ている者がいる」

 庄三郎に咎められ、鉄之助は慌てて背筋を伸ばした。


 その時、後ろから足音が近づいた。

 熱田の棟梁と、美濃の代表である。二人の顔には、先ほどまでの敵意とは違う、複雑な色が浮かんでいた。


「……小僧」

 熱田の棟梁が低い声で呼んだ。


 鉄之助はびくりと肩を震わせる。だが、代わりに庄三郎が一歩前に出た。

「殿の御前での刃比べ、ならびに鉄砲試し。お互い、学ぶところが多かったかと」


 美濃の職人は鼻を鳴らした。

「ふん、あの場で恥をさらしたのは悔しい。だが……確かに、あの工夫は目を見張った」


 熱田の棟梁も腕を組み、うなずいた。

「銃身の補強、火蓋の覆い……我らも気づけなんだ。だが、あれがなければ兵は守れぬ。……殿が三者を並べ立てられたのも、道理だろう」


 その声音には、わずかに柔らかさが混じっていた。


 庄三郎は深々と頭を下げた。

「至らぬ点も多い我らですが、これより先は力を合わせ、殿の御為に尽くしましょう」


 短い沈黙のあと、美濃の職人が口の端をつり上げる。

「ならば――こちらも負けてはおれぬ。火薬や鉄の供給で先を取るのは、美濃の役目だ」


「……装飾と細工は熱田の得意よ」

 熱田の棟梁も応じた。


 それはまだ完全な和解ではなかった。だが、少なくとも互いを敵と呼ぶ空気ではなくなっていた。

 三者三様、ようやく一つの道を歩み出す気配がそこにあった。



 やがて、鍛冶衆が散り散りになった後。

 三兄弟だけが石垣の影に腰を下ろした。


「……兄上、俺、本当に生きてるんだな?」

 鉄之助が呟くと、与一が背中をばんばん叩く。

「生きてるどころか、これから大忙しだぜ。殿の言葉聞いただろ? “完成する”ってよ。つまり俺たちに仕事が山ほど来るってことだ!」


「うえぇぇぇ……!」鉄之助は頭を抱える。

「胃の穴が……三つどころか七つ八つ……」


「弱音を吐くな」庄三郎の声は厳しかったが、その口調の奥にどこか誇らしげな響きがあった。



 そんな兄弟のやり取りを、少し離れた灯籠の影から眺めていた者がいた。

 椿――渡り巫女の少女である。

 月明かりを背に、ひっそりと佇んでいたが、すぐに気づいた与一が大声を上げた。


「おう、椿! 見てたか!? 俺の名射、五発連続!」


 椿はくすりと笑う。

「ええ、ちゃんと見ていました。……でも、あなたより銃の方が冷静だった気がしますけど」


「なっ……!」与一は耳まで赤くする。

「お、俺だって冷静だった! ちょっと楽しくなっちまっただけだ!」


「ふふ、そういうところですよ」


 鉄之助はそのやり取りに苦笑しながらも、心の底では不思議な安堵を覚えていた。

 椿の柔らかな声は、張り詰めていた心を解きほぐすようだった。



 石段の下で、ふと足音が止まった。

 月明かりに照らされた影が、しばし四人を見つめる。

 言葉はなくとも、その眼差しにはどこか懐かしい温かさが宿っていた。


 風が通り抜ける。

 誰も気づかぬまま、その影は静かに闇へと溶けていった。

 ただ――その場に残った微かな気配だけが、後日、思いがけぬ客を迎える前触れのように感じられた。

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