第二十話 御前試合・鉄砲編
清洲城の大広間。
刀の御前試合が終わり、安堵の空気が漂いかけたその時、信長は鋭い声を放った。
「――次は鉄砲だ」
大広間のざわめきが一瞬で凍り付く。
武将たちの視線が壇上に注がれ、職人たちが緊張で喉を鳴らした。
南蛮から伝来して十数年。未だ珍奇の域を出ぬ鉄砲を、この尾張の場で比べるというのだ。
信長の先見と執念があってこそ実現する御前試合であった。
⸻
最初に進み出たのは熱田鍛冶衆の棟梁だった。
背筋を伸ばし、堂々と布を払う。
「殿。われら熱田はこの一年余り、殿の御命により南蛮銃を写し続けてまいりました。ご覧くだされ」
布の下から現れたのは、南蛮銃をほぼそのまま写し取った一挺。
黒漆の銃床に、真新しい金具。螺子の切り込み、火蓋の仕掛けまで、見事に再現されている。
「銃身の精緻な削り、火蓋の細工……装飾こそ省きましたが、細部に至るまで写しております」
その声に、大広間の武将たちがどよめいた。
「おお……!」「これは見事な……!」
信長は無言で頷き、短く告げる。
「試射せよ」
藁束の標的が二十並ぶ。
火縄が近づき、火花が散った――轟音。
弾丸は見事に標的を貫いた。
会場から喝采が上がる。
「さすが熱田!」
「南蛮に劣らぬ!」
棟梁は胸を張る。だがその時。
「……二発目も撃て」
信長の冷ややかな声が響いた。
棟梁の顔が一瞬で固まる。
だが命とあれば従うしかない。再び装填。火縄を近づける。
――轟音。
標的に弾丸は届いた。だが同時に「ぴきり」と乾いた音が響き、銃身の表面に亀裂が走った。
「なっ……!」
「銃身が……!」
会場がざわつく。棟梁は慌てて銃を下ろしたが、顔は蒼白に染まっていた。信長は一見、南蛮銃の複製に成功したと思われた熱田の火縄銃の欠点を見抜いていた。
「……精緻なれど、脆弱か」
誰かが呟いた。
信長は眉一つ動かさず、次を促す。
⸻
続いて進み出たのは、美濃鍛冶衆の代表。
その手にある銃は熱田のものよりも粗野で、重々しい。
「殿。我ら美濃鍛冶は、銃身の量産に道を拓きました。この品と同じものを、銃筒なら月に三十。組み上げた一挺としては十まで揃えることが可能にございます」
その言葉に、大広間は再びざわめいた。
「量産に目処が……!」「それは軍勢を変える数……!」
美濃の代表は鼻で笑い、銃を構える。
「御覧あれ」
火縄が近づき、轟音。
勢いよく弾丸は放たれた。が、標的の左側を通過して、的を外した。
どよめきが広がる。
信長は冷静に一言。
「的の中央を狙え」
代表は平静を装い、すぐに二発目を装填する。
轟音――。
しかし、二発目の弾丸は標的の右に大きく外れる。
信長はさらに一言。
「もう一度」
代表は焦りを見せた表情で、三発目を装填する。
弾丸は放たれたが、今度は標的の左に大きく外れ、銃の細部からばちばちと火花が散った。
火蓋が外れ、金具が弾け飛ぶ。
「おおっ!」
「危ないぞ!」
撃った兵が尻もちをつき、会場に緊張が走る。
代表は歯を食いしばりながらも、声を張り上げた。
「……だが、量は揃えられる。戦は数こそ命!」
だが武将たちの表情には、不安が色濃く残っていた。
⸻
大広間は重苦しい空気に包まれた。
熱田の銃身は二発目で亀裂を走らせ、美濃は三発放っても的を射ることができずに火蓋が壊れた。
そして最後に名を呼ばれたのは――鉄之助。
庄三郎と与一を伴い、彼は布に包んだ「見本となる外国の南蛮産の火縄銃そのもの」を抱えて進み出た。
ざわ……と武将たちがどよめく。
「……まさか、そのままか」
「形すら真似できなかったか」
「笑止千万」
熱田と美濃の棟梁が、口元に勝ち誇った笑みを浮かべた。
鉄之助は膝をつき、深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。……我らではこちらの南蛮銃そのものを写すことは到底できませんでした。この短期間では部品一つも満足いくものは製造できておりません」
会場に嘲りの声が広がる。
「やはりか」「所詮は小僧よ」
だが鉄之助は続けた。
「……ただ、一つだけ気づいたことがございます」
信長の鋭い眼が細められた。
「申せ」
鉄之助は南蛮銃を掲げ、声を振り絞った。
「この鉄砲は、日の本の戦場では扱いにくいのです。日の本は南蛮に比べて、雨も湿気も多い。泥もある。火蓋は濡れれば火が消え、火薬は湿れば暴発する。先日の戦場で父の死を経て、ここにいる誰よりもその欠点を痛感しました。だから――」
布を解いた銃には、細やかな工夫が施されていた。
火蓋には革の小さな覆い。銃身は鉄帯で巻かれ、火薬入れの口には刻み目の目盛り。
「――このまま南蛮銃を調達し続けても、戦場で使えるかどうかは別です。これらの改良を施し、日の本の気候に合うように変えなければ、大事な兵も銃も守れません」
広間がざわついた。
「湿気……!」「確かに……雨では役に立たぬ」
「暴発で兵や銃を失うのはまずい……」
信長は無言のまま顎に手を当てる。
「試せ」
短い一言に、鉄之助は深く頭を下げた。
⸻
与一が銃を構えた。
「よっしゃ、任せとけ!」
一発目――轟音。
弾丸は標的を穿ち、銃身は揺れたが割れない。
「当たったぞ!」
観客のざわめきが広間を走る。
与一は装填の合間に濡れ布で銃身を拭い、火蓋の革覆いを親指で押さえ直す。
「よし、まだいける……!」
二発目――再び轟音。
狙いは揺るがず、的を正面から撃ち抜いた。
「外れぬ……!」「二発続けてだと……!」
驚愕と期待の声が重なる。
三発目。
「……まだまだいける!」
火蓋の革が湿気を遮り、炎は消えない。
四発目。
鉄帯が銃身の膨れを抑え、亀裂も走らなかった。
五発目。轟音とともに弾丸は標的を貫き、濛々と煙が立ち込める。
「おおおおおっ……!」
「五発……連続でだと!?」
武将も家臣も立ち上がらんばかりの驚愕に包まれた。
与一は銃を下ろし、汗を拭いながら胸を張った。
「どうだ! 壊れもしねぇし、ちょっとの雨なら撃てる!」
熱田と美濃の職人たちが顔を引きつらせる。
⸻
信長は立ち上がり、三者を見渡した。
「……熱田。精緻な部品を再現した。その技は確かである」
「……美濃。銃筒の量産に目処をつけた。その力もまた大きい」
「……鉄之助。南蛮銃を写す力はなかった。だが“南蛮銃を安定的な兵器として扱えるために体現した工夫”は、戦を支える」
信長は一拍置き、声を張った。
「――これでよい。余が欲するは、一人の勝者ではない。
精緻を担う者、数を揃える者、そして戦場に合う工夫を施す者。
三つを合わせてこそ、日の本の鉄砲は完成する」
その言葉に広間は静まり返り、やがて重々しい頷きが連なった。
⸻
鉄之助をはじめ、熱田、美濃、そこに集う鍛冶衆は一斉に膝をつき、深々と頭を垂れた。
誰の顔にも敗北の影はなく、それぞれの瞳には新たな覚悟が宿っていた。
背後で、蔵六の怨霊がふっと笑い、胸を叩くようにして消えていった。
(父さん……俺、少しは人の命をつなぐ手助けができるかもしれない……)
その瞬間、壇を降りかけていた信長が足を止め、振り返った。
「――蔵六の子、鉄之助」
呼ばれた名に、鉄之助の体がびくりと震える。
「よくぞ父の死を越え、わずかな時でここまでの工夫を示した。
その眼と手を、これからも余は頼りにするぞ」
「!!!……っ、はい……!」
鉄之助の目に涙が浮かび、声が震えた。
こうして鉄砲の御前試合もまた、勝敗なき「引き分け」として幕を閉じた。
だがその場にいた誰もが悟っていた。
――尾張の鉄砲は、この日を境に新たな段階へと踏み出したのだと。




