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第十六話 尾張の火種

 織田信長の佩刀として鉄之助の一振りが選ばれた――その報せは、瞬く間に尾張中へ広がった。

 戦国の世において、大名の腰に佩かれる刀ほど鍛冶にとっての誉れはない。だがそれは同時に、嫉妬と敵意を呼び起こす火種でもあった。


 尾張には、古くから 熱田鍛冶衆 が根を張っていた。熱田神宮の神領に仕え、代々奉納の刀を打ち続けてきた誇り高き一派だ。御神刀から戦場で使う実戦刀まで幅広く手掛け、尾張国内では「鍛冶といえば熱田」とまで言われるほどの権威を持っている。

 そして隣国・美濃には、戦国の需要に応じて名を上げてきた 美濃鍛冶衆 がいた。量産を可能にする合理的な技法と、堅牢な地鉄を特徴とし、「数を揃えるなら美濃、名刀を求めるなら備前」と並び称されたほどだ。


 その双方にとって、尾張の片隅の無名鍛冶の三男坊が、たった一振りで信長に食い込んだという噂は、決して看過できるものではなかった。


「聞いたか、無名の小僧が殿の佩刀に選ばれたと」

「熱田衆を差し置いて? 笑わせる」

「しかもあの鍛冶は三男坊だと。名を継ぐ家督でもなく、ただ炉端に座っていた小僧だと」


 城下の路地裏から鍛冶場の奥まで、あちこちでそんな声がささやかれた。

 尾張鍛冶衆の誇りは揺さぶられ、美濃鍛冶衆の職人たちも「備前崩れが出しゃばった」と鼻で笑う。

 噂は次第に熱を帯び、尾張一国に火の粉のように広がっていった。



 そのざわめきは、当然ながら鉄之助の耳にも届いた。

 工房の火床に向かいながら、彼は胃のあたりをさすり、呻き声を漏らしていた。


「うぅぅ……聞きたくもないのに噂ばっかり耳に入ってくる……。俺まだ“凡作鍛冶卒業したてホヤホヤ”なんだぞ!? 胃に穴が二つ目、いや三つ目まで開く未来しか見えねぇ……!」


 ふいごを押す手もどこか弱々しい。

 隣で火箸を操る庄三郎は眉ひとつ動かさず、炎をじっと見つめていた。次男の与一は、槌を肩に担ぎながらにやりと笑う。


「庄三郎兄上は平然としてるのに……お前、珍しく顔色わりぃな。火の粉じゃなくて噂で焦げてんじゃねぇの?」


「焦げてるどころか、黒コゲ寸前だよぉ!!」

 鉄之助は頭を抱えて大げさに転げ回る。


 庄三郎は溜息をひとつ洩らし、静かに言った。

「……それだけ信長公に認められたということだ。誉れでもあるが、同時に試されている。無名の一振りがどこまで通用するか――世は必ず比べる」


「試されるって!? まだ試験終わったばっかだよ!? 俺、再試験も補習も大嫌いなんだけど!」


 その時だった。

 耳の奥に、冷ややかな声が突き刺さる。


「――坊主」


「ひぃぃっ!? また出た! 朝昼晩関係なしなの!?」

 鉄之助はがばっと立ち上がり、兄弟を見回す。だが二人には何も聞こえていない。

 光忠の声は、鉄之助にしか届いていなかった。


「凡作を抜けた者は、必ず比べられる。世に名が立つとは、そういうことだ。避けようと思って避けられるものではない」


「う……」

 鉄之助は唇を噛む。


「尾張の熱田、美濃の鍛冶衆。どちらも腕は立つ。お前の刀は必ず比べられるだろう。……だが恐れるな。比べられてなお残るものこそ“業物”よ」


 冷たい声は、工房の熱気より鋭く、胸の奥に突き刺さった。

 鉄之助は拳を握り、火床に向かって小さく吐き出す。


「……比べられて、残る……。俺に、できるのか……?」


 光忠の影がふっと揺れた。

「坊主。凡作鍛冶の道で終わるか、それとも新たな一歩を踏み出すか……選ぶのはお前だ」


 鉄之助の額を汗が伝う。

(……怖い。けど、逃げたら絶対に後悔する……!)


 その時、工房の戸口から咳払いが聞こえた。

 浅黒い肌にきびきびとした眼差しを持つ若武者――丹羽長秀だった。



「突然の訪問、無礼を承知で参った」


 丹羽は真っ直ぐに工房へ入ると、懐から布包みを取り出し、炉の前に置いた。中から現れたのは上質な玉鋼の山と、銭袋だった。


 鉄之助は目を丸くした。

「えっ……これ……?」


「信長様より預かったものだ。佩刀に選ばれた褒美――そして次を試すための種でもある」


 庄三郎と与一が息を呑む。

 だが丹羽の視線は、初めから鉄之助ひとりに注がれていた。


「……試す?」


「うむ。半年後、御前にて尾張と美濃の鍛冶衆を集め、刀の優劣を比べる御前試合が開かれる。信長様は、お前にもその場で刃を出すよう命じられた。これは殿直々の御意だ。逃げることは許されぬ」


「半年後……御前試合……!?」


 鉄之助は頭を抱えた。

(ちょ、ちょっと待て! 俺、胃に穴空きすぎてもう臓器ごと穴だらけになっちまうんだけど!?)


 光忠の声が背後から冷ややかに響く。

「坊主、これが道を選ぶ刻だ。逃げれば凡作、挑めば業物。腹を決めろ」


鉄之助は顔を上げ、ぐっと玉鋼を握りしめた。

「……やるしかねぇだろ。やってやるよ、半年後……絶対に!」


丹羽は小さく頷き、口元にわずかな笑みを浮かべる。

「それでこそ、蔵六殿の子だ」



こうして鉄之助の前に突きつけられた新たな試練。

尾張と美濃の名だたる鍛冶衆が競い合う御前試合――

その火蓋は、確かに切られた。



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