第十五話 試しの一振り
夜明け前、工房の炉が赤々と燃え盛っていた。
半年分の汗と血と涙――鉄之助のすべてを込めた一振りが、いよいよ形を成す。
「……ふぅ……」
槌を置いた鉄之助は、腕も肩もガクガクと震えていた。
(これで……これでダメなら俺、一生“凡作鍛冶”コースだ……!)
炉の熱気が、張り詰めた空気をさらに煽る。
そこへ、白い衣を纏った椿が静かに現れた。
「坊や」
低く、艶やかな声。
鉄之助が振り返ると、椿はすでに舞の構えをとっていた。
「刀は、打つ者の魂だけでなく……祈りを受け入れて初めて“人を守る刃”になる。だから――」
言葉を切り、椿は舞い始めた。
足取りは水面のように静かで、袖は炎のように揺れる。
炉の赤が反射し、彼女の影は妖艶に伸びていく。
鉄之助は思わず息を呑んだ。
(……前にも見た、この舞……。あの時、小刀も古刀も震えた……。今度は――俺の一振りに、何を宿すんだ……?)
椿の舞が最高潮に達した瞬間、鍛え上げられた刀身がかすかに震えた。
光忠の怨霊が低く唸る。
「……よい。祈りが刃に宿ったぞ」
「ま、マジか……!? 俺の刀、今ゾクッてしたよな!?」
椿は舞を終え、汗ひとつ見せず微笑んだ。
「ふふ……良い音がしたわね」
鉄之助は震える手で刀を握りしめ、深く頭を下げた。
「ありがとう……椿さん」
数日後。
丹羽長秀が再び工房を訪れた。
彼は無言で刀を手に取り、静かに眺める。
刃に炉の炎が映り込み、赤と白の光がゆらめく。
長い沈黙。
鉄之助の鼓動は耳の奥で爆音のように響いていた。
(だ、ダメだったらどうしよう……! 胃に穴あく……! いやもう開いてるかも……!)
光忠の怨霊が冷たく囁いた。
「震えるな坊主。刃はすでにお前の答えを語っておる」
やがて――丹羽の口が、わずかに開いた。
「……おぉぉ……」
その声が工房に響いた瞬間、鉄之助の心臓が跳ねた。
庄三郎も与一も目を丸くし、母・お咲は胸に手を当てた。
丹羽はそれ以上は言わず、刀を懐に収める。
「……信長様に献上する」
ただそれだけを残し、踵を返した。
(えっ!? そ、それ合格ってこと!? でも“合格”って言えよぉぉぉ!! 生殺しすぎるだろ!!)
鉄之助は崩れ落ち、炉の前でへたり込んだ。
清洲城、大広間。
格子窓から差す光は鋭く、戦国の空気をそのまま切り取ったように冷たかった。
鉄之助は畳の上に正座し、両手で包むように刀を差し出していた。
額には薄い汗。鼓動は、耳の奥で太鼓のように鳴っている。
大広間に集う家臣たちは息を潜め、視線を一点に注いでいた。
その中心――織田信長が進み出る。
鷹のごとき鋭い眼差しが、鉄之助を真っ直ぐに射抜いた。
「――蔵六の子よ。まずは礼を言う」
その声は簡潔にして重く、空気を震わせた。
「父は小姓を守り、討たれた。……あれは見事な忠義だった。忘れることはない」
「そしてお前もまた、その傍らで火床を守り、父に寄り添っていたと聞く」
鉄之助の胸が詰まり、言葉が出ない。
視界が滲み、涙がこぼれそうになる。
(……父さん……ちゃんと……信長様に、見てもらえてたんだ……!)
背後で、ひよっこ怨霊となった蔵六がふわりと揺れ、ただ静かに頷いている。
その顔は誇らしげで、涙など一滴もない。
(……当然のことだ。小姓を守るのは武士として、当たり前のことだ……)
鉄之助は震える声で答えた。
「……は、はい……ありがたき幸せ……!」
信長は頷き、鉄之助の差し出す刀に手を伸ばす。
細く鋭い眼が、刃を覗き込んだ瞬間――周囲の空気が一変した。
「……ふむ」
刀を抜き、光を受けさせる。
白刃に走る刃文が、きらりと揺らめいた。
「手の内はまだ若い。だが――この冴え、この芯の強さは……」
言葉は淡々としているが、瞳にはわずかな熱が宿っている。
鉄之助は息を詰めた。
背後で光忠が、刀の影から声を響かせる。
(……よい眼だ……我が主信長よ。)
「……古備前長船に近いな」
鉄之助は慌てて目をそらす。
(や、やべぇっ……信長様が光忠に気付いたら……死ぬ! ここでバレたら俺、ヤバい!!)
心臓が跳ね、冷や汗が背を伝う。
だが信長はあくまで刀だけを見つめ続けた。
「……うむ。良い。これを我が佩刀のひとつとしよう」
静かに告げられた一言に、広間の空気が揺れた。
鉄之助の肩から力が抜け、安堵の息が漏れる。
(……助かった……)
その時――背後のひよっこ怨霊・蔵六の影がふるふると震え、やがてぽろりと涙を流した。
誇らしく、嬉しく、耐えきれぬように。
(……我が子の打った刀が、殿に認められた……! これ以上の喜びがあるものか……!)
鉄之助もまた、その姿を見て、胸が熱くなった。
拳を膝の上に握りしめ、歯を食いしばる。
「……父さん……」
信長は刀を収め、腰に佩いた。
その動作ひとつにも無駄はなく、ただ威厳が宿っていた。
「――蔵六の子。これからも励め」
そう言い残して背を向けた信長の声は、背筋を真っ直ぐにするほどの力を帯びていた。
鉄之助は、涙目のまま深く頭を下げた。
背後で光忠がふっと笑った。
(これで……坊主、お前は“凡作鍛冶”を抜けたぞ)
その夜。
村の片隅、椿が懐から包みを出した。
「さぁて……試し打ちで余った刀、売りに出しましょうか」
「へっへっへ、任せてくださいな!」
現れたのは、まだ無名の木下藤吉郎――のちの豊臣秀吉。
「これがまた“安いのに切れる”って評判になれば、銭が雪崩みてぇに入ってきますぜ!」
椿が妖艶に笑う。
「ふふ……儲けは半分こよ?」
「もちろんでさぁ! これで銭が転がり込む……藤吉郎の出世街道、始まりでさぁ!」
藤吉郎の目が、炉の炎のようにぎらりと輝いた。
その野心の火種が、やがて天下を揺るがす大焔になることを――まだ誰も知らなかった。




