第十一話 火床に揺らめく影
夜更け。工房には赤く残った炭火が、じりじりと音を立てていた。
戦場から戻って数日。疲れは体に残ったままなのに、鉄之助はどうしても眠れず、炉の前に座り込んでいた。
膝の上には、自ら打った小刀。
その隣には――父が生前、大事に飾っていた古刀が静かに横たわっている。
「……父さん……」
ふと視界が揺らぎ、涙がまた零れた。
嗚咽を飲み込み、ただ刃を見つめていると――。
炉の影に、ゆらりと揺れるものが浮かび上がった。
楕円体の光。
かすかに父の面影を感じる輪郭がありながら、同時に鉄砲の銃身を思わせる影が重なっている。
人とも、道具ともつかない――曖昧な形。
「もしかして……父さん?……幻覚でもなんでも……会えるなら、それでいい……」
鉄之助は震える声でそう呟き、涙を拭おうともしなかった。
影は、鉄砲を抱くように揺らめき、次に手を伸ばす仕草を見せる。
胸が締めつけられるような懐かしさに、鉄之助は小さく笑みを漏らした。
その時だった。
「……おい」
背後から低い声が響いた。
鉄之助はびくりと肩を跳ねさせ、慌てて振り返る。
そこには――正気のない黒装束の年配の男が宙に浮かんでいた。
「…………」
鉄之助は聞こえなかったふりをした。
「……おい」
再び呼びかけられる。けれども無視。
「おい! 聞こえてんだろ坊主!」
鉄之助は肩をびくつかせる。
「おいっ! おい! おいおいおいおい!!!」
畳みかけるような声。
そして最後に、雷鳴のような怒声が落ちた。
「――無視すんな! 呪い殺すぞ!」
「いやいやいや! それ使えない言葉だからぁぁ!!」
反射的に鉄之助が叫ぶ。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、ようやくツッコミが飛び出した。
「……やっと反応したな坊主」
現れたのは、煤けた工房の空気を押し分けるような気配。
その中から姿を見せたのは、一人の鍛冶師――否、怨霊。
鉄之助は生まれて初めてお化けに声をかけられて混乱した。
「父さんっぽい幻覚を見てたら、急に出てきて呪い殺すとか……マジで俺の精神、限界突破してるんだけど!?」
男はあごを撫で、にやりと笑った。
「わしの存在は幻覚じゃねぇぞ。名は光忠。日の本一とも言われる刀鍛冶衆、備前長船の始祖にして、史上最高の刀工の怨霊よぉ」
「ひ、日の本一!? いや、すごそうだけど自己紹介が胡散臭い!」
「胡散臭いじゃと!? 呪い殺すぞ!」
「また出たぁぁぁ!! そもそもなんで俺の前に……」
光忠の目は鋭く、同時に寂しげに細められた。
「わしは悔いを残した。己が認める主のために、至高の一振りを作れなんだ。それが心残りよ」
「認める主……」
鉄之助が呟いた瞬間、光忠は言葉を強めた。
「織田信長――あの若武者こそが、わしが求めていた主だ。強い祈りと想いが、古刀を通してわしを呼び起こした」
鉄之助の脳裏に、椿の舞がよみがえる。
炎のように、清流のように。あの祈りと光忠の言葉が重なり、胸を突いた。
がくがく震える鉄之助はまだ近くで浮かんでいる炉の影の楕円体に目がいった。
光忠がそれをちらりと見て、あっさり言い放つ。
「そこの薄いのは、お前の父の怨霊よ」
「……え?」
鉄之助は呆然と振り返った。
父 蔵六の影も「え?」という顔になった気がした。
「ちょ、ちょっと待って!? 父さん本人も今驚いてるよね!? まさかの当人初耳!? てか“怨霊”って雑に言わないで! せめてひよっこお化けって呼ぼう!?」
光忠は鼻で笑った。
「本人も気付かん死にたてホヤホヤ、まだ形もろくに固まらん、喋る事もできない“ひよっこ怨霊”じゃよ」
「ひよっこ呼ばわり! やっぱり俺のツッコミ正解だったの!? 父さんまでびっくりしてるし!」
楕円体の影は、ふらふらと揺れながら必死に手を伸ばすような仕草を見せた。
銃を抱くような動き。
「……えーっと、鉄砲を、もっと触りたかった……もしかしてそれが怨念?」
鉄之助が複雑なトーンでそう言うと、光忠は肩をすくめた。
「そういうこった。銃に未練を残した結果、ああして現世にくっついてるわけだ」
鉄之助は膝を突いて頭を抱えた。
「えっ、家族への未練じゃなくて、銃!?俺の涙の三話分、完全に前フリなのぉ!?…」
光忠がふと視線を古刀に落とした。
「それとな、その古刀……わしが鍛えた“隠れた名刀”よ。そして、お前はわしの子孫だ」
「……えっ?」
鉄之助は目を見開き、隣の刀を抱き上げる。
父の影も、同じように驚いた表情をしていた。
「父さんも知らなかったの!?」
楕円体がふらふらと上下に揺れ、まるで「そうだ」と頷いているように見える。
「なんでここで家系図爆弾ぉぉ!!」
鉄之助は、父と光忠――二つの怨霊に挟まれて、ただただ混乱していた。
涙もツッコミも追いつかない。
「……なんで俺の工房、いきなり“霊界サミット”開かれてんの……?」
膝を抱えて震える鉄之助の耳に、外から草履の音が近づいてきた。
障子ががらりと開く。
「――坊や」
月明かりを背に、椿が立っていた。
「つ、椿さん!? なんでここに!」
椿はすっと工房の中に入り、鋭い目で炉の影を見回した。
「……やっぱり。さっきから妙に濃い気配が漂ってたのよ」
「えっ!? 見えるの!?」
「見えはしない。でも“居る”のは分かる。ゾワッと来る、神事で出会う危ないやつの気配」
「そ、それ絶対この人(光忠)だぁぁ!!」
鉄之助が涙目で怨霊を指さす。
もちろん椿にはその声も姿も届いていない。
「何ぶつぶつ言ってんの? でも間違いない、ここ……坊やの工房、かなりヤバい霊スポット化してるわ」
「や、やめて! 俺の工房を心霊名所みたいに言わないで!」
椿は腕を組み、きっぱりと言い放った。
「決めたわ。 ここに家を建ててあげるわ」
「はぁぁ!? 何その流れ!?」
「霊が出るなら対処する巫女が常駐するしかないでしょ? つまり私のおうちがここに必要でしょ」
「うち勝手にセコム化すんなぁぁ!!」
炉の影で、光忠が「呆れた……」と肩をすくめ、父のひよっこ怨霊は「まあいいじゃない」みたいにふらふら揺れている。
「父さんまで肯定しないで!? 俺の平穏どこいった!?」
椿は悪びれもせず続ける。
「ただ問題が一つ。……お金がないのよ」
「ほら出た! やっぱり金の話ぃぃ!!」
「だから坊や。あんたに頑張って刀を打ってもらって、私の借金を返済するの。お礼に舞を踊ってあげるわ」
父のひよっこ怨霊は「舞が見れるのはいいな」とでも言いたげに上下に揺れ、光忠は古刀を抱えて「打て、坊主。打ちまくれ」と不気味に笑った。
「うわぁぁぁぁ!! うちの工房、霊と借金巫女とのカオスハウスになったぁぁ!!!」
――そう叫んだ直後。
光忠の声だけが、炉の奥で冷たく響いた。
「……坊主、一つだけ肝に銘じておけ」
その声音に、鉄之助の背筋がぞくりとした。
「わしら怨霊の“怨”は、ただの幽霊話では済まん。強すぎて、触れれば普通の人間は即死する。魂を焼かれ、心を砕かれ、命を失う……それが怨霊よ」
「っ……」
鉄之助は凍りついたように動けなくなる。
光忠は目を細め、続けた。
「お前は特別だ。血と火床に鍛えられた魂で、かろうじて耐えているにすぎん。」
「ひぃぃぃぃ!! ちょ、ちょっと待って!? 俺ギリギリ枠なの!? “かろうじて”とか、全然安心できないんだけど!? 胃がキリキリするわぁぁぁ!!」
光忠は鼻で笑った。
「だから黙ってろ。それでいい」
鉄之助は小刀をぎゅっと抱きしめ、涙目でうなずくしかなかった。
(秘密……絶対バレちゃいけないとか……精神に悪すぎる……!!)
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こうして、鉄之助の新しい日常は、シリアスとギャグがごちゃ混ぜのまま幕を開けるのだった。




