第一話 火床(ひどこ)の村の鉄坊
戦国の世。尾張の山裾に、一つの村があった。
昼も夜も「カン、カン」と鉄槌の音が響き、火床の炎が空を赤く染める。
夜になると、火花は星と混じり合い、村人たちはそれを「鍛冶の神の灯」と呼んだ。
「今日も鉄の神様はご機嫌だな」
「いや、あれはただの火花だろ」
そんなやり取りを、村人が当たり前のように交わす場所。
その村で育った十二歳の少年――鉄之助。
愛称は「鉄坊」。
その日も工房で、汗だくになりながらふいご(風を生み出す器具)を押していた。
「鉄之助! もっと風を送れ、火が鈍っとるぞ!」
「う、うん! でも熱いんだよ!」
雷鳴のように響く声の主は父・蔵六。
力強く槌を振り下ろすたび、火花がぱちぱちと鉄坊の顔に散り、思わず目を細める。
(うわぁぁ! 今日も目の前で火花パレード開催中! 父さん、なんで平気なんだよ!)
父の背中はとにかくデカい。
日に焼けた腕、汗に濡れた肌、浮かぶ筋――どれも鉄坊には眩しすぎる。
(俺だっていつか、父さんみたいに大きな音を響かせたい……! でも今は……ふいご押すだけで腕ぷるぷるだし!)
⸻
ようやく作業が終わり、工房に静けさが戻ると、鉄坊はへたり込んだ。
「はぁぁ……腕が死んだ……」
そのとき、声がかかる。
「鉄坊、よく頑張ったな」
にこやかに言うのは、真面目な長兄・庄三郎。
続いて、工房の片隅からにやにや顔で次兄・与一がやってきた。
「でもよ、鉄坊。顔が真っ黒だぞ! 狸かと思った!」
「なっ……狸じゃない!」
「いや、どう見ても狸。耳まで赤い狸!」
「与兄、しつこい!」
「ほら、怒った! やっぱり狸だ!」
「ぎゃああ!」
庄三郎まで苦笑して乗ってくる。
「狸は怒らんからな。……つまり鉄坊は狸以下だ」
「庄兄までぇぇ!?」
工房に笑い声が響き、鉄坊は悔しさ半分、でもなんだか嬉しかった。
(……俺も、この輪の中で笑ってたいんだ)
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その夜。
工房の火は落ち着き、じりじりと赤い炭が炉を照らしていた。
鉄坊は炉端に座り込み、火をじっと見つめていた。
背後から声が落ちる。
「鉄之助」
「……なに?」
「火を見ろ」
蔵六の指さす火床には、静かに燃える炭の赤。
昼のような激しさはない。けれど不思議と底知れぬ力が宿っている気がした。
「火は正直だ。強く吹けば勢いを増す。怠ればすぐに弱る。鉄も同じ。打った通りに応える。……鉄は嘘をつかん」
父の声は短い。けれど胸にずしんと来る。
(火は正直。鉄も正直……。俺は? 俺も正直に打てるのかな……)
つい口を尖らせる。
「でも父さん、俺に厳しいことばっかり言う」
「当たり前だ。甘い鉄では刃は立たん」
そう言い切ったあと――ほんの一瞬。
蔵六の目尻が柔らかく緩んだ。
(……気のせい? いや、絶対見間違えてない!)
鉄坊の胸は熱くなった。
「……いつか絶対、父さんに認められる刃を打ってやる!」
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その夜。布団に潜った鉄坊は目を閉じた。
(俺にしか打てない刃を……いつか必ず!)
そう思って拳を握りしめた瞬間――。
「……でも俺、狸って呼ばれたままで終わったら嫌だな……」
そんなオチをつぶやきながら、鉄坊は眠りに落ちた。