「君を抱くことはできない」と私は言った~血塗られた初夜~
この作品には、暴力的な描写が含まれています
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「あなたを抱くことはできない」
ファルカは、鏡に映った自分を前に、口に出してそう言ってみた。
どう考えても、嫁いできたばかりの女性に言う台詞としては最低だ。
だが、望みを抱かせる方がよっぽど残酷なこともわかっている。
金色の髪に碧い目──整った容姿と王族としての地位が災いして、これまでに幾度も、思いを寄せられては面倒な思いをしてきた。曖昧な態度を取るのは悪手だ。
「弄ぶような真似をして、申し訳ない……」
実質を伴わない、空虚な謝罪だ。
本当に申し訳ないと思っているのなら、こんな婚姻を申し込んだりはしなかった。
一国の王として、全ては国のために、自らを犠牲にすることはやむをえない。
そこへ、無関係な他国の王女を巻き込んでしまった。
いっそ暴君として振る舞い、時期がきたら謝罪して、相応の賠償をしようか。
「ファルカ様」
部屋を出ると、待ち構えていたらしい宰相の配下の男が、そっと会釈した。
「ヴァルク殿下が、辺境から姿を消しました。早馬なら二日も経てば、王都に到着するのではないかと思われます」
「王宮の守りを固めておいてくれ」
この時ファルカは、今すぐにという明確な指示を出さなかった。
指示を受けて去って行った男も、二日後までにという受け取り方をしただろう。
「意外に行動が早いな……」
歩き出しながら、ファルカは自身の軍服を点検した。
いつ襲撃があっても良いように、剣、短剣も所持している。
およそ初夜を迎えるとは思えない格好で、ファルカは寝室へと向かった。
権力と金にしか興味の無い我が弟ヴァルクにだけは、王位を譲ってはいけない。
このシルヴェストリア王国を守れ──そう遺言して父王が逝ったのは半年前だ。
弱冠十八歳で後を継いだファルカが、異国の姫を娶ることにしたのは、叔父を牽制するためだ。ファルカには二人の弟がいたが、まだ幼い。
報告では、叔父は支持者を集めつつあった。
成人の証しとして、婚姻はどうしても必要だった。
(叔父上は、私の若さを危惧する貴族たちと共に、私と弟たちを皆殺しにしてでも、王位を狙うだろう)
過去にクーデターを起こした叔父は、有り得ないことに辺境の地でまだ生きている。
(おばあ様が、叔父上を庇ったからな……)
亡き父王は、母である太后の懇願を断り切れなかった。
(私は、父上のように甘くはないぞ)
王宮の奥へと足を運びながら、ファルカは、整った顔に酷薄な笑みを浮かべる。
その柔らかい金髪を輝かせるのは、長い廊下に並ぶ燭台の光だ。
まだ先のつもりだったが、向こうが行動を起こすのならば、好都合だと言ってもいい。
決意さえ固めれば、実行するのはさして難しいことではない。国王としての実権は今ファルカの手にあり、これまでもたびたび、水面下の不穏な動きを封じ込めてきた。貴族たちも、叔父側についた者たちが不幸な事故に遭いがちなことは、気づいているはずだ。
ファルカの秘密を嗅ぎ回る者たちも、ことごとく葬られた。
(気の毒なのは、輿入れした姫だな)
ファルカの碧い目に、憂鬱な色が浮かぶ。
ノクティス帝国は、戦と和平を交互に繰り返してきた小国だ。
現王には王子が五人、王女が四人いた。その中でも長女アレクサンドラ姫は、人嫌いで男嫌い、誰にも素顔を見せず、深窓の姫として有名だった。
アレクサンドラ姫に婚姻を申し込んだのは、その“男嫌い”の噂が、政略結婚として好都合だと思えたからだ。
子だくさんな帝国は、返事を寄こす代わりに、年老いた侍女を一人付けただけの彼女を送り込んできた。それだけでもこの変わり者の姫が、母国で冷遇されてきたことがわかる。
喪が明けない時期の婚礼だからと、かなり質素な式を執り行った。そのことに文句をいうこともなく、ファルカの横に立って誓いの言葉に頷いたアレクサンドラ姫は、まるで人形のように己を見せず、身を竦め、口を固く閉じていた。その所作には柔らかさはなく、軍人のように直立不動だ。
人嫌いというから、必要最小限の参加者に留めたが、ファルカの母や幼い弟たち、式を執り行う聖職者にさえ怯えているのかもしれない。
ベールで隠され、俯いた顔は、ちらっと下半分だけ見た限りでは、真っ白い肌で、非常に整っていた。
手も足も首筋も、がっちりと覆うタイプの花嫁衣装を着ている。
かかとの高い靴を履いているせいか、決して小柄とは言えないファルカよりも上背があった。
誓いの口づけは、そっとその真似をするに留めた。彼女の口元が、安堵に緩むのをファルカは見た。
(おそらくは美人だろうに。私などに初婚を奪われて……)
ファルカは心を痛めた。
こちらの都合で、彼女の人生を不幸なものにしてしまう。だから、できるだけ誠実でいようとファルカは思った。
侍女たちによる身の回りの世話を全て断ったというから、姫の人嫌いは筋金入りのようだ。
元々ファルカは、初夜を決行するつもりなどなかった。
重く頑丈な扉を開けると、これから夫婦として過ごす予定の広い寝室は、ベッドサイドに置かれた燭台の柔らかい灯りに満たされていた。
アレクサンドラ姫が、俯いて、ベッドの端に腰掛けている。
初めて素顔を見たが、思った通りの美人で……美人という言葉では足りないほどの、超美形だ。
括られて、長く後ろに垂らされた銀の髪が、燭台の灯りを反射している。
ただ、ほんの少し違和感があった。
薄いナイトドレスを着た彼女は、想像していたよりも、身体の線に丸みがない。全身を隠すような花嫁衣装だったのは、おそらくそれが理由だったのだろう。
「すまない。遅くなった」
そう言うと、アレクサンドラ姫は首を小さく横に振って、緑色の瞳をこちらに向けた。そこにあるのは、悲しみと、恐れだ。
ファルカは彼女の横に腰掛けた。
姫は、再び俯く。
この麗人を、抱けるものなら抱きたい。
だが。
「私は、君を抱くことはできない」
苦々しい声で、ファルカは告げた。
「本当に、申し訳ない。この結婚は、政敵を抑えるための偽装なんだ。国内の情勢が落ち着けば、君の好きなタイミングで離婚してもいいし、充分な償いをする。だからどうか、しばらくの間だけでも、私の妻としてここにいてほしい」
ファルカを見返すその瞳に、驚きはあれど、非難の色はなかった。
「ああ」
と、姫は言った。
「良かった。実は私も。あなたに抱かれることができないのです」
それが、彼女の声を聞いた最初だ。
透明だが、とても低い声。
ファルカは目を見開いて、アレクサンドラ姫を見た。
それは誤魔化しようもない、男性の声だった。
言葉を失ったまま、ファルカは彼女を見つめた。
よく見れば、婚礼の時に隠されていた喉元は明らかに男性のもので、手も、骨張っている。薄いナイトドレスに透けてみえる体格も。全てが、ファルカより少し大きい。
「ずっと、女性としての役割を果たせないことについて、陛下にどう謝ろうかと思っていました。打ち明けるタイミングもなく、……今日まで流されるままに、ここに来てしまって」
「え。ちょっと待って」
思わずファルカは、王としての口調を忘れ、甲高い声で言った。
「男なのに、なんでそんなに綺麗なんだ?」
違う、訊くべきことはそこではないのに。何を口走っているのか。
「僕の母は下位貴族の娘で、容姿が良いことから、好色で知られる帝国の王に無理矢理召し上げられました。僕は母に似たのです」
男は悲しげに微笑んだ。
「当時、生まれた王子が次々に命を落としていました。後ろ盾のない僕も、そのままでは生まれてすぐに、兄たちに殺されたでしょう。だから母は、僕を女と偽って育てました」
「なるほど……それは、気の毒に」
そう相づちを打つのが、精一杯だった。
「では、人嫌いで男嫌い、というのは」
「秘密を守るため、できるだけ人と会わないで過ごすための嘘です」
その言葉通り、人なつこい笑みを浮かべてファルカを見る男の様子は、とても人嫌いには見えなかった。
「それも、そろそろ限界でした。母も病で亡くなり、僕としては、この結婚は国から逃れるための手段の一つだったのです」
「そ、そうなのか。……お役に立てて、何よりだ」
ファルカは、麗人の笑みを見て、赤面する。相手が男だとわかった途端に、なんだかとても胸が躍る感覚がして、困る。
「そんな重大な秘密を打ち明けてくれて、感謝する。この国では、私の妻として、好きなだけ滞在してくれていい。政敵さえ潰せば、我がシルヴェストリア王国は非常に居心地の良い国になるはずだ」
遠くから、人の叫び声が聞こえた。
悲鳴のようだ。
二人は、顔を見合わせる。
「これほどに早いなんて、敵を見くびっていたな」
ファルカは渋い顔をした。まさか婚礼の夜に仕掛けてくるとは。
「すまない。叔父のクーデターのようだ」
剣戟の音と、複数の足音が聞こえる。
「剣を貸していただけますか?」
男が、ナイトドレスを脱ぎながら言った。
充分に鍛錬されたとわかる男らしい裸体が、その下から現れる。
思わず見とれてしまった自分に戸惑って、ファルカは視線を落とす。
「あ、……ああ」
自分の腰に下げていた長剣を渡しながら、ファルカは尋ねた。
「君のことをなんと呼べばいい?」
「アレク、と」
不敵に笑う男は、もはや女には見えない。
外から、剣を打ち合う音が近づいてくる。
「陛下は、隠れていてください。……すみません、服も貸してもらえますか?」
アレクの言葉に、ファルカは迷った。確かに裸では、乱戦状態の中で敵味方の区別ができない。
断末魔だと思われる叫び声が聞こえた。
それなのに、外の騒ぎが収まる様子がないのはおそらく、反乱軍が押しているからだ。
ファルカは軍服を脱いで、アレクに渡した。
下着姿になったファルカを見て、今度はアレクが目を瞠った。
両腕を組んで丸みを帯びた身体の線を隠しながら、ファルカは言う。
「叔父に王位を渡さないためには、私は男でないといけなかったんだ。叔父は諸侯の後押しを受けて、私たちを皆殺しにしただろう……。このことは、内緒にしてもらいたい」
「なるほど……抱くことはできない、というのは、そういう意味でもありましたか!」
アレクは勢いの良い口調で言った。
「僕たちは、良い夫婦になれそうですね!」
ファルカは身体の線が出ないように、ゆったりめの服を着ていたため、アレクには丁度良い大きさだった。手早く軍服を身に着けたアレクが姿勢良く剣を構えた姿には、もう女性っぽさは全く無い。そこには、美丈夫な一人の軍人がいた。
「引き籠もっている間、自分を鍛える時間は、充分過ぎるほどありました……とにかく、生き延びたかったので」
ファルカの不思議そうな視線を受けて、アレクは言った。
ノックの音すらなく、固く閉じられていたはずの扉が破られた。
火薬の匂いが、風に乗って室内に流れ込む。
ファルカは反射的にベッドの裏へ身を沈めた。
部屋になだれ込んできた反逆者たちの間を、アレクの姿が素早く縫う。
首筋に一太刀浴びた男たちが、唖然とした顔のまま倒れていく。
アレクの動きは、実戦経験が豊富なことを窺わせた。
おそらく、本国でも何度か命を狙われたことがあるのだろう。
ようやくアレクを敵だと認識した男たちの一人が、刃を振りかざした。
素早く避けざまに、アレクが剣を薙ぐ。
残った男たちの剣が、アレクに向かって突き出された。
アレクの動きは、彼らよりも速かった。
片方の男に突っ込む。
一撃で沈めた剣が、振り返りざま、もう一人の男を襲う。
ファルカは隠れ場所から飛び出ると、短剣でトドメを刺していった。
「やあ。ヘーゲル。お前が手引きしたのか? 残念だ」
「ソリーニもか。可愛い娘のために思いとどまる道はなかったのか」
「ヨコテ。叔父上の動きは把握しているから、すぐにそっちへ送ってやるよ。せいぜい文句を言い給え」
一人ずつ声をかけて、ファルカは別れを惜しむ。
五人の襲撃者のうちの二人は首を切られて、即死していた。
血で濡れた床の上で、なるべく汚れていない服を選んで剥ぎ取ると、ファルカは身支度を調える。
ついでに、アレクに合いそうな靴も見つけておいた。
倒れた反逆者たちの間を見て回ったアレクは、全員の死を確認して剣を下ろした。
靴を履きながら、彼は問う。
「さて。次は叔父上ですか」
「ああ」
ファルカは溜め息を吐く。
「万全の体勢を敷いていたつもりだったのに、予想外に早くて隙を突かれた。君を危険な目に遭わせてしまって、すまない」
おそらく、叔父が姿を消したのは、報告された時期よりも早かったのだろう。
「今、僕はとても幸せです」
アレクはシーツで剣を拭って、鞘に収めると、にっこりと笑った。
「陛下のような美しい女性のお役に立つことで、自分が男だという自信を初めて持てました」
「ファルカでいい」
少し赤くなりながら、ファルカは言った。
じっと見返してくる男の視線に、耐えられない気分になってくる。
「一応、夫婦だからな」
「ファルカ様」
アレクは、嬉しそうに笑った。
「外を確認してくる」
ファルカは、照れた顔を背けるようにして、壊れた扉から外に出る。
「ご一緒します、ファルカ様。……夫婦ですからね!」
そう言って、アレクがあとに続いた。
急襲に混乱し、一時劣勢となった王国軍は、ファルカの合流と同時に巻き返して、反乱軍を鎮圧した。
捕らえられたファルカの叔父は即日処刑となり、祖母は高い塔の上に封じられ、この反乱劇は半日程度で幕を閉じた。
後に、婚礼の夜に起こったこの反乱は『血塗られた初夜』と呼ばれるようになる。
ファルカとアレクの関係は、不穏な始まりとは裏腹に末永く続いた。やがて、アレクの生国ノクティス帝国を併合したシルヴェストリア王国は、より一層栄えて、黄金の時代を迎えることになるのだった。
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