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泣き桜

作者: 関内 文香

 ここから歩いて十分ほどのところを一級河川・築馬(つくま)川が流れている。その堤防上は数キロメートルにわたる桜並木で、有名な観光スボットになっている。


 皆がそちらに行ってしまうせいか、住宅地のはずれのこの公園に一本だけある大きな枝垂桜の古木に花見に来るものは誰もいない。


 もう夕方。


 あたしはひとりでこの古木の下のベンチに座り、上方を見る。枝垂桜の花たちと視線が合う。


 ある小説家が「桜は陰気な花で嫌い」と、どこかに書いていたのを思い出す。桜の花をあたしは嫌いではないけれど、下を向いて咲く姿はたしかに陰気だと思う。


 上を向いて、咲く花と向かい合い、枝垂桜を相手にこの一年を振り返る。


 せっかく頑張って全国大会に団体出場を決めたのに、はしゃぎすぎた先輩たちに胴上げで落とされて、怪我であたしだけメンバーから外されることになったこと。


 大事(おおごと)にならないようにあたしは我慢して黙っていたのに、どこからか聞きつけてきた保護者会の会長が顧問相手に生徒指導室で大騒ぎして、部全体が一年間の対外試合自粛処分になってしまったこと。


 みんなが全国大会にいけなくなったのは、はしゃいで胴上げした先輩たちではなくて、なぜだか被害者のあたしひとりだけが悪いことにされてしまったこと。


 居心地が悪くて、部活も辞めることにしたこと。


 枝垂桜は相槌も打たずに黙って聞いていてくれる。愚痴をこぼしていると、だんだん、あたしの悩みなんかちっぽけで大したことがないように思えてくる。


 話し終わって前を向いたら、眼に溜まっていた涙がふたすじ、頬をつたって流れ落ちた。ふわりと風が吹いてきて舞い落ちてきた桜の花びらが、涙のあとに貼り付いた。


 この木は泣き桜と呼ばれてる、って何年か前に姉が教えてくれた。舞い落ちてきた花びらは、わたしに合わせてもらい泣きしてくれた泣き桜の涙のようにも思えた。



 §  §  § 



 数年ぶりに桜の季節に休みが取れたので地元に帰ってきた。両親とも妹とも、メッセージのやり取りは毎日とは言わないまでもそれなりにしているけど、やはり顔を合わせるのとは全然違う。


 夕食前の散歩に公園まで行こう、と妹を誘おうとしたが、夕食の準備を手伝うからお姉ちゃんひとりで行ってきて、と断られた。


 ひとりで泣き桜のベンチに座る。泣き桜の花を仰ぎ見ていると、この数年、自分にあったさまざまな変化を思い出してしまう。


 地元を離れて都会に進学したこと。進学した先で出会った新しい友人たち。当時は都会で見るもの聞くもの触れるもの、全てが新しく感じられて、夏休みでもなかなか地元に帰ろうという気にならなかった。


 人並みの恋をして。人並みに失恋して。


 人見知りの上がり症を克服できずに、苦戦した就職活動。就職してみても、なかなか思ったようにいかない社会人生活。


 泣き桜は相槌も打たずに黙って聞いてくれる。愚痴をこぼしていると、だんだんと自分の悩みなんて小さなことに思えてくる。


 話し終えて前を向いたら、ふわりと風が吹いてきて、舞い落ちてきた桜の花びらが頬に貼り付いた。そこではじめて、自分は話しながら涙を流していたんだな、と気付く。


 久しぶりに会う妹だから、帰省している間はなるべく長い時間一緒にいてやりたかったのだけれど、きっと自分がここで泣き桜に打ち明け話をして泣くことを妹は知っていて、気を使ってひとりにしてくれたのだろう。


 きっとあの子はあの子で、泣き桜に打ち明け話をするような年ごろになったのだろうな。どうせ妹とは帰ってから夕飯のときにも話が出来る。



 §  §  § 



 この公園に植えられてからもう何年も経った。


 ベンチが5つ、まるく、というか、五角形に間隔を開けてわたしの周囲を囲むように設置されている。


 毎年、わたしが咲く季節になると、夕方にやってきてその前の一年間にあったことを語ってくれる女の子がいる。初めて来たときにはまだ幼かったその子は、わたしのことを姉から教わったと話してくれた。


 誰が言い始めたのか、土地の人は皆、わたしのことを泣き桜と呼んでいるそうだ。


 ベンチに座ってさまざまに心の内を打ち明けてくれるのはその女の子の他にもたくさん居た。老若男女と言いたいところだが、思春期までの女の子が多かった。忙しくなって自分を振り返るどころではなくなるとか、大人になるとそれぞれの事情があるのだろう。


 わたしはただ黙って相槌も打たずに彼らの打ち明け話を聞くだけだ。一通り話し終えるとみな、涙を零し、そのあとスッキリした顔で去っていく。


 公園の周囲の街灯を映すわたしの花あかりで、足元を幽かに照らされながら、彼らは帰ってゆく。


 次に来てくれるのはいつになるのか。そのときまで彼らの安寧をずっと見守ることこそできなくとも、今宵の帰路くらいは見守ってやろう。わたしはここでずっと待っている。




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