【5】リリカのなりたかったもの
「―――嫌よ!」
叫び声が上がった方を振り返れば、仲の良い子爵令嬢三人組の赤髪が増援の騎士を追い返そうとしていた。剣を振るい、攻撃魔法を放って魔獣を牽制する彼女の足元には、彼女の友人二人の遺体があった。魔獣がその遺骸を喰らおうとするのを必死になって退けながら、彼女は叫んだ。
「二人も回収して頂戴!」
それはできないと、彼女の肩を騎士が掴む。
―――命の選別が始まったのだ。
***
何が起きたのかはすぐに分かった。
学生達が乗って来た馬車は、魔獣湧出地の発生時に大半が大破している。残った馬車では生き残った学生を安全圏まで運ぶのにも足りない状況なのだ。まして既に息絶えた者達の遺体を回収する余裕など、どこにもない。
刻一刻と魔獣湧出地から新たな白狼が発生する戦場で、生存者の保護が優先されるのは当然のことだった。
だが、そうなれば彼らの蘇生は絶望的となる。
≪聖魔法≫による蘇生には時間的制約と素材的制約がある。時間的制約は平均24時間。これは神官の聖魔力等級と術式行使の腕により前後する。
そして素材的制約とは、ぶっちゃけて言えば、どれだけ死体が残っているか、だ。確か、帯同神官の叔父は、確実な蘇生がしたいならば8割は欲しいと言っていた。それができないなら、後は神官の腕次第だと。
これから生き残りだけが撤退したとして、24時間以内にこの遺体が累々と転がる魔獣との生存競争区画に、素材的要件の過不足を克服できるだけの高位神官を連れて来られるだろうか。
―――答えは、否、だ。
指先を握り込む。さっきまでが嘘のように、ちゃんと感覚がある。足ももう震えていない。それでも背中を丸めそうになるリリカの胸の奥で、身の丈ほどの大剣を背負った幼子が彼女に笑いかけた。
ミルクティー色の髪を組紐で括った幼女が、俯いたリリカの顔を深紅色の瞳で覗き込む。5歳の魔獣討伐訓練を受けるまでの『わたし』が。
――『わたし』はどうして剣を握ったの?
傷つけたくなかったからだよ。
――『わたし』はどうして≪聖魔法≫が使いたかったの?
喪いたくなかったからだよ。
――『私』は、違うの?
……違う。
――本当に?
……だって、無理だって。やめろって言われた。
両親と叔父達の声が脳裏に蘇る。黒く焼け焦げた大地、悍ましい焼死体の匂い、弾け飛んだ肉塊の生暖かさ、父親の悲鳴、母親の嘆き。5歳の時の記憶が生々しく蘇る。
――だから諦めるの?
小さな子供が指さす先で、噎び泣く子爵令嬢が男性騎士に引きずられていく。彼女が腕を伸ばす先では、大地に横たわった二人の令嬢に喰らいつこうと魔獣が大きく咢を開いていた。
喰われれば、欠損部位が増える。そうなれば蘇生限界時間を待たずに、素材的要件に不足が生じる。つまり……彼女達は、もう、戻ってこない。
――本当に、いいの? 守られるだけで。
「……いやだ」
小さな声が零れ落ちた。
―――指先が熱を持つ。
二人の内の片方、うつ伏せになっている藍色の髪の子爵令嬢は、平民のリリカに貴族子女の暗黙の作法を教えてくれた人だ。一緒の連続講義を受講する時にそっと隣に座り、合間の休憩時間に雑談としてさりげなく教えてくれた作法の数々は、リリカが貴族ばかりの学園で困らないようにという気遣いだったのを知っている。
「……守られるだけで、誰も守れないままは」
握り込んだ指先をゆるりと開く。
―――熱が火花を散らすのが分かった。
藍色の髪の令嬢を庇うように倒れ伏している鉄色の髪の令嬢は、ディスカッション系の講義でよく一緒のグループになった人だ。平民とグループを組むのを嫌がる貴族がいる中で「ディスカッションは互いの意見が違うほどに面白いのよ。リリカさんの平民ならではの視点が私は好きなの。この議題、貴女ならばどのように考えるか教えて頂戴」とリリカの手を引いて、彼女のグループに入れていくれた。
「絶対に、嫌だ!」
―――本当は友達になってと言いたかった二人に向かい、手を伸ばす。
そうして広げた掌から放つのは雷撃の矢だ。精度に自信はない。だから、数を打つ。
光の速度で地を這う一撃必殺の雷撃を放っていく。
一本。もう一本。更に一本。……瞬きの間に10本。5歳まで家の中庭で散々ぱら練習した技だ。久々だが、調子が良い。数を更に増やす。次の瞬きの間に20本を打ち出した。
金色に光る雷撃魔法の矢が、令嬢達を襲おうとしていた白狼の全身を串刺しにする。魔獣が絶命の咆吼を上げて大地にドウッと倒れるのに、赤髪の令嬢がポカンと口を開けて固まった。彼女を連れて行こうとしていた騎士も、思わずという風に動きを止めている。
「……半分逸れた、か」
リリカは眉間に皺を寄せた。放った雷撃魔法の半数が外れた。元から精密攻撃は不得意だが、5歳以来使っていなかったため、完全に勘が鈍っている。
「リリカさん、攻撃魔法使えたんですか」
ユリウス君は尋ねながらも周囲の魔獣を牽制する攻撃魔法の手を緩めない。さすがは武闘派貴族だ。戦闘慣れした様子に感心しながら頷く。
「使えるよ」
(そうだ。それでも攻撃魔法が使えないわけじゃ無い)
リリカは考える。リリカには攻撃魔法の才能がない。≪聖魔法≫の才能も。でも、使えない訳じゃないのだ。
今、リリカにあるのは何だ。じっと己の手をみる。今、雷撃をもって魔獣を打倒した、そこらの貴族よりも厳しい戦闘訓練を、才無しの烙印を押される5歳まで積んだ手を。
リリカは思う。……私の手札には攻撃魔法も≪聖魔法≫もあるじゃないか。周囲の大人によって、使うリスクに見合うリターンが無いと判断されただけだ。余りにも被害が甚大すぎると。
―――ならば、手はあるはずだ。
脳内に手札を広げ、高速で思考を走らせる。どうすれば、あの二人の死体を、この戦場に散らばる学園生徒達の遺骸を回収できるか。推定の死者数と生存者数、現存兵力、増援の可能性、全ての情報カードが並列思考で演算されて頭の中に散りばめられ、整然と並べ直され、最適解を導き出していく。
(更なる増援要請は可能だ。リリカがここにいる。それゆえに。であれば、今なすべき事は何か。……魔獣湧出地が邪魔だ。アレが有る限り、白狼をどれだけ倒してもキリがない。だからこそ騎士達は生存者を強制的に戦地から離脱させようとしている)
開いた掌を強く握りしめた。今のリリカには、5歳のリリカは持たなかった知識と経験、そして頼りになる後輩がいる。
野ネズミは顔を上げ、剣と魔法でもって魔獣の群れを屠り続けている高位貴族の少年を見つめた。うっかり紛れ込んだ学園で出会った、高貴なる家猫くんを。
「……ユリウス君。魔獣湧出地を吹き飛ばせる火炎魔導陣が使えるようになったって、この前言ってたよね」
リリカは魔獣との戦闘経験が5歳のときの一回しかない。高出力魔導陣による魔獣湧出地の滅却には訓練と経験が必要になる。だからリリカにはできない。だが、この目の前の後輩ならばできるはずだ。
「できますけど……行使するにも湧出地から距離がありすぎます。魔獣を倒しながら射程距離内に近づくには戦力が足りません。先輩、気持ちは分かりますが、避難しましょう」
そう言ってリリカを説得しようとするユリウスに、彼女は晴れやかに笑って見せた。
5歳の頃、自分はなんだってできると信じていた時のように。
「―――邪魔な白狼がいなければいいんだね」
ならば、リリカにもできることがある。
「ちょっと広域型魔導陣を編むから、魔獣に邪魔されないようにフォローお願い」
そのまま両手を上空に翳し、全身全霊で魔力を放出する。父さんみたいな攻撃魔法はできないけれど、リリカの魔力量は彼に近いと言われている。
「……先輩?」
上空に広げた魔力を意図した図案に細く編み込んでいく。額を汗が流れていくのが分かった。繊細な魔力操作は苦手だ。破綻している場所もありそうだが、せいぜい精度に影響が出る程度。発動自体に問題がなければいい。威力は下げたから『ハズレ』を喰らったとしても死にはしない……はず。
「……あの、リリカさん。僕の実家の戦線でも滅多にないクラスの上位魔導陣を作ってません? それ、発動して大丈夫なやつですか。というか、どうして魔力がもつんですか。平民の魔力量で編めるはずのない規模なんですが……」
魔導陣を構築中で動けないリリカの周囲に寄って来た白狼を切り捨てながら、ユリウスが話しかけてきた。悪いが今、説明している余裕はない。この魔導陣を最後に行使したのは5歳の時なのだ。記憶を必死に辿って、遥か昔に伯父のオイゲンが彼女のために創ってくれた魔導陣を完成させる。
―――『僕の姪っ子に喧嘩売った奴は全員消し炭にな~れ☆魔導陣だよ! 気に喰わない魔獣でも人間でも、敵だと思った相手に喰らわせてやったらいいからね!』
記憶の中で爽やかに笑う伯父が父にぶん殴られる光景までまざまざと蘇って来た。確かに消し炭になった。5歳の時、初めての魔獣支配圏での戦闘訓練で行使した陣は、対象を完全なる黒焦げにした。問題は、その『対象』だ。
リリカは繊細な魔力操作が苦手だ。その大雑把な魔導陣行使の結果、同行した叔父たちを……半数、焼死体にしてしまった。祈祷魔導による蘇生が得意な母がいなければ大惨事になるところだった。
―――今度は、上手くやる。
完成した陣に、ありったけの雷の魔力を注ぎ込む。今なお魔獣との戦闘を続ける生徒と騎士達の頭上全てを覆う巨大な攻撃型魔導陣が戦場の上空を黄金色に輝かせた。
あともう少しで魔力が注ぎ終わるところで、耳元の通信具を起動させる。
(思い出せ。全ての人間を自然と従わせる声音を。私はそれを7歳の時から聞いていた)
碧眼を輝かせる貴婦人が、思い出の向こう側からこちらに微笑みかける。支配者の在り様をリリカに教えてくれた先生が。シャウムブルク学園入学試験の面接前、緊張で笑顔が強張りそうなリリカに、彼女は何度も言ってくれた。
―――『大丈夫よ。リリカちゃんなら、きっと上手にできるわ』
―――『はい、リオンさん』
小さく息を吐き、大きく吸い直す。胸一杯になった空気を一気に吐き出すように、リリカは通信を開始した。深紅色の宝玉でできた通信具が、戦闘域にいる者全員に野ネズミの咆吼を届ける。
「防御陣を頭上に張れ! あと10秒で上空の魔導陣を行使する! 精度不備あり。前回は味方の半数に着弾。死にたくないやつは避けるか防御しろ!!」
「先輩、ちょっとそれ死人がでるやつじゃ……うわぁぁぁぁぁああ!」
リリカの警告が終わると同時に雷鳴が戦場に響き渡る。天空の雷が戦場に生きる魔力を帯びた物体へと容赦なく振り注いだ。
「ま、間に合った」
ユリウスがとっさに張った防御陣の下で、リリカは彼に抱き込まれていた。
「リリカさん。せめて自分には当らない設定にした方が……」
「できるなら最初からやってる。……助かった。ありがとう」
間に合ってよかったと溜息を付くユリウスに簡単な礼を言い、リリカはグルリと首を回して戦場を見渡した。敵味方の損害を確認するためだ。
(防御陣の概念がない魔獣には貫通したな。よしよし、立ってる白狼はいない。人間側は……10名ちょっと当たったか。……生きてはいるな)
防御陣が間に合わなかった、或いは避けられなかった被害者たちは、それでも呻くだけで焼死体になっていない。痺れるだけですんでよかったとリリカは胸を撫でおろした。あのくらいならば≪聖魔法≫も必要ない。時間経過で動けるようになるはずだ。
(雷撃で神経が痺れて動けないだけなのは魔獣も一緒。だから、回復する前にトドメを刺す必要がある。次の魔法は精度ミスが有されない。……補助手段が必要だ)
背後を振返って、まだグチグチこぼしているユリウスを上目遣いに見上げる。
「ユリウス君、お願いがあるんだけど」
「え、珍しいですね。先輩が頼み事なんて」
目を瞬かせる彼に、ニッコリ笑ってその手にある彼の所有物を指差した。
「剣、貸して」
不思議そうに渡されたソレを受け取ると、リリカはユリウスから一歩離れて、戦闘や爆風でボサボサになった髪を束ねる組紐をスルリと外した。腰まで伸びる髪の根元を片手で掴んで、そのままユリウスの長剣でバッサリと切り落とす。
「な、何してるんですかっ。あ、まって、せんぱ……」
ついでに刀身で親指を切れば、絶句したユリウスの周囲で火炎魔法が暴発し、少し離れたところで転がって痙攣していた魔獣を貫いた。驚かせてしまったらしい。
***
5歳の時、自身の攻撃魔導陣で叔父達を焼き殺したリリカはパニックになった。混乱状態の彼女は、まだ息のあった叔父ルーベンを治そうと、人に向けたことのなかった≪聖魔法≫を小さな掌から放った。
―――結果、一切の≪聖魔法≫の使用を母から禁じられた。
「先輩、それ、何してるんですか」
「剣の魔導陣を書き換えて増幅補助装置にしてる。対象範囲にいる登録魔力紋と近似する魔力保有物体に魔法行使するための」
剣身に刻まれた魔導陣を刻み直す時間は流石になかった。仕方がないので親指を切って、魔力の塊である血液で上書きする。短時間しか使えない応急処置だ。
その上で剣の持ち手部分に髪を巻き付けていく。魔力の供給源にするためだ。先程の広域魔導陣にかなり魔力をもっていかれた。回復薬が手元にないため、これで不足分を補う。
「長髪が絡みついた血だらけの剣とか『呪いの剣』ですね……」
いつでも魔法を発動できるようにして周囲を警戒しているユリウスが、自身の剣が魔改造されていく様子を的確に評した。
効果を考えれば紛れもなく『呪いの剣』だよとは教えずに、リリカは3分ほどで完成した魔導剣を一番近くにいた魔獣に躊躇いなく突き刺した。
「『魔力紋サンプル収集』。同時に『発動魔法のサンプル収集』。喰らえ……これが私の≪聖魔法≫だ!」
剣が穿たれた位置から≪聖魔法≫の光が魔獣の全身を包込む。それだけならば通常の≪聖魔法≫行使の光景と同じだ。
「リリカさん! 魔獣を癒してどうす……え?」
ユリウス君の慌てた声が、途中から困惑に変わる。
魔獣の傷口が異常に盛り上がったのだ。次いで魔獣の体表に不自然な凹凸が発生し、穴という穴から血が吹き出して、魔獣本体が―――爆散した。魔獣の体液と肉片を被り、全身を赤色で染めたリリカは表情一つ変えずに淡々と剣に命ずる。
「魔力紋及び行使魔法サンプル採集終了。定義完成。範囲……半径10kmが限界か。……よし、設定終了。規定範囲内で同調開始。≪聖魔法≫一斉発動開始!!」
剣の魔導陣が発動し、先程≪聖魔法≫の対象となった魔力紋に近い魔力を有する物体―――つまり死んだ白狼の同種である、半径10km圏内の全白狼へとリリカが行使した≪聖魔法≫が転送されていく。
雷撃による麻痺から回復しつつあり、ヨロヨロと起上がろうとしていた魔獣たち一頭一頭を≪聖魔法≫の神々しい光が包込み……一頭目と同じ末路を辿らせる。あちらこちらで爆散して肉塊と化す魔獣にユリウスが乾いた笑いを零す。
「僕の知ってる≪聖魔法≫じゃない……」
「うるさい。才能が無いのは知ってる」
唇をひん曲げたリリカは、5歳の時に≪聖魔法≫を初めて使った時のことを思い出していた。
治そうとした叔父のルーベンは聞いたこともない絶叫を上げ、リリカの目の前で爆散した。細切れになった叔父だったモノとその血に塗れたリリカに、父親が絹を裂くような悲鳴を上げたのを覚えている。
慌てて母親が祈祷魔導で蘇生した叔父が言うには『今まで死んだ中で一番やばかった。自分で首を切った方がマシなレベル』だそうだ。彼を蘇生するために周辺に飛散った肉片と血液を素材として集めるのに苦労した母親が、以後、リリカの≪聖魔法≫を禁止したのも無理からぬことであった。
「……よかった。誰も殺さなくて」
「先輩……まさか、剣の補助魔導陣がなかったら人間側もアレを喰らってたかもしれないんですか? ……あの、リリカ先輩。なんで目を逸らすんですか。ちょっと」
***
「先輩、色々と聞きたいんですけど。あの見たことない型の広域型攻撃魔導陣とか、さっきの妙に手慣れた刻印魔導陣の改造作業とか―――」
「……ほら、邪魔な魔獣が消えたよ。後は、そっちの仕事だ。ノイス君」
突き刺した剣を魔獣だった物体から引き抜きながら、リリカはわざと家名でユリウスを呼ぶ。水魔法で血による加工を洗い流し、柄に巻いた髪だったものの残滓を払いのけて、元の持ち主に返した。民草を魔獣から守る、『帝国の盾』たる高位貴族の少年に。
「……あとで話があります。首洗って待っててくださいね、リリカさん」
騎獣に飛び乗り、魔獣湧出地へと駆けていく彼を見送り、リリカはやれやれと耳元の通信具へと指を伸ばした。最後の一仕事だ。起動と当時に、周辺にいる登録者の位置情報を呼び出す。……やっぱりだ。
周囲に人がいないことを確認し、読唇術対策のためにさりげなく手で口元を隠して、あと少しでこちらに着く距離にいる傭兵の叔父に通信を繋ぐ。過保護な彼らのことだから、誰か一人はいると思っていたのだ。
「お迎え、後どのくらいかかるの? ルーベン叔父さん」
「あともうちょっとだよ、小花ちゃん。……さっきの光はもしかしてお前さんじゃないだろうな。正直に言えよ。……何人殺した?」
頬を膨らませ、リリカは叔父に文句を言った。
「殺してないよ……でも、動けなくなった人はいるから、死体と合わせて回収してくれると嬉しい」
「そうか。―――聞いたな、ゲイル兄さん、ルドルフ兄さん。証拠隠滅と口封じは必要ない」
途中から同時接続した父親と伯父になんだか物騒なことを言うルーベンにリリカは顔を引き攣らせた。
「私の友達になる予定の人もいるの。絶対に変なことしないで!」
途端、通信具の向こうが騒がしくなる。同時接続人数は、いつの間にか10名を越していた。どうやら親族達は野ネズミが貴族の学園で上手くやっているか随分と気にしていたようだ。
飛竜便屋を営む父親ゲイルは嬉しそうだった。
「お友達!? そっか、お友達か! 大事にするんだよ、リリカ! 近場にいる飛竜便屋に救助要請を掛けたから遺体と負傷者の運搬は任せなさい」
資産運用会社を経営する伯父ルドルフが喜んでいた。
「そうですか。友とはよきものですよ、リリカ。きっと君の人生を豊かにしてくれる。……伯父さんの顧客貴族が持つ私設騎士団が近くの戦場にちょうどいまして、シャウムブルク学園の生徒に恩を売る機会だと言ってそちらの援護に向かわせました」
戦線帯同神官の叔父テオフェルに祝われた。
「そいつはいいな! ダチが多いと人生楽しいぜ! リリカ! 近場の帯同神官部隊に話を通してある。連れて行きさえしたら、すぐに蘇生と治療をしてくれるそうだ」
口々に話す彼らの声を、爆音が掻き消す。ユリウスが魔獣湧出地を攻撃魔導陣で吹き飛ばしたのだ。大きなキノコ雲が空へと昇っていく。こちらに駆け戻ってくる騎獣に乗った彼に、手を振った。
「もう大丈夫だよ!」
遠くの空から黒い点が徐々に近づいていた。父が救助を要請した飛竜便屋の人達だ。土煙を上げて近づいてくる叔父の傭兵団も見える距離にいる。別の方角から騎士団らしき集団がこちらに来るのも見えた。
これだけの人数がいれば負傷者と遺骸の輸送は問題なくできるだろう。生存者の避難も。リリカはほっとしながら騎獣から降りるユリウスに駆け寄った。何か言おうとする彼の手を取り、花が綻ぶようにリリカは笑った。
「―――ありがとう、ユリウス君!」
リリカは、戦闘魔法が下手だから飛竜便屋にはなれない。
リリカは、≪聖魔法≫が下手だから神官にもなれない。
でも、いいのだ。
「―――本当にありがとう」
リリカにもできることはある。リリカはリリカのやり方で、守りたい人たちを守っていけば良いのだ。
***
笑って礼を言った彼女はその後、全力で後輩を避け続けた。もともと学年が違い、取っている講義も戦闘系貴族向けと文官向けと系統が違うものだ。上級役人試験を理由に図書館という共通の勉強場所で会うことがなくなれば、すれ違うことすらなかった。
唯一の誤算は後輩がリリカに向ける感情の深さと大きさを見誤っていたということ、その一点だけだった。だが、致命的な誤算だった。リリカは、またうっかりしていたのだ。




