7章
メニューを滞りなく終え⋯⋯って言うのかな?あれ⋯⋯
日が落ちかけた時刻、ダウンを終え日向妃菜と部室に戻ってきた。高橋心和は知らない。
当然ではあるが、グラウンドには誰もいなかった。
淡い期待ではあったが、短距離グループも練習を終えたのか、グラウンドに残った者はいなかった。
「私らも帰るか」
日向妃菜の問いかけに頷く。藤井部長の荷物も綺麗に無くなっている所から察するに、まだ会議室にいるのだろう。
藤井部長の帰りを待つ義理もないし、このまま帰るか。
「あれ?藤井部長鍵忘れてない?」
見ると、トラック競技やフィールド競技に使う用具を保管する用具入れの鍵やら、部室の鍵。さらには、自転車の鍵まで忘れている。そんなに慌てていたのか。
「届けに行くか」
日向妃菜の問いかけに頷く。正直、勝手にすれば――面倒くさ――まぁ、アレだ。私はバッグを担ぎ、駅へと足を進め――
「ほら、行くぞ」
日向妃菜が私の首根っこを掴む。だから、苦しいんだって⋯⋯
日向さんが届けにいけば良いじゃん。あと、苦し――
「藤井部長が困ってるかもしれないじゃん!ほっとける?」
私は良いから、日向さんだけ行って来てよ。あと、ホントに苦し――
「ほら、行くよ!」
あ、ヤバ⋯⋯マジで呼吸できな――
気がつくと、いつの間にか学校の廊下に立っていた。いや、立たされていた。⋯⋯この野郎に。
この学校の会議室は、今の学校では珍しく?玄関から入って右側の所にある。
担任の先生曰く、防犯のため――とか、言っていたような気がする。
会議室では男女の何か口論っぽい会話が繰り広げられていたが、中に入らないとはっきり聞こえない。
私の事はいざ知らず、聞き耳を立てていた日向妃菜にすごいムカついたので、チョップを入れる事にした。
「⋯⋯痛っ。⋯⋯なんだ、起きてたのか」
こいつ⋯⋯今度は腹パンしてやろうかな。
「あれ?どうしたの?」
会議室の扉がガラガラと開けられ、藤井部長が訝しげに私達を見ていた。
「鍵忘れてますよ」
「あぁ、ごめん。ありがと」
日向妃菜から鍵を受け取った藤井部長。
会議室を見ると、呼びに来ていた宮田先生とそれから、やけに筋肉質の男性が向き合って座っていた。
「藤井ー、どうしたー?」
「ごめん、なっちゃん先生」
私達の話し声が聞こえてきたのか、宮田先生が不思議そうにやって来た。
「おー、日向!それから若奈もー!どうしたよ?」
「忘れ物届けに来たんすよ」
「⋯⋯じゃ、俺は帰る」
いきなり男性が立ち上がった。⋯⋯あれ?この人、どこかで会ったような⋯⋯
「待てって晃ちゃん!話まだ途中だって!!」
宮田先生の引き留めにも応じず。
男性は会議室を出て、日向妃菜と私の前に立ちはだかった。
するとハッと息を呑む日向妃菜。なんだ、わけが分からない⋯⋯
数秒の沈黙が続いた後、日向妃菜が男性に声をかけた。
「あの!⋯⋯伊藤晃さん⋯⋯ですよね?」
「そうだが⋯⋯」
すると、日向妃菜が嬉しそうに声を弾ませる。
「やった!!私、伊藤さんの大ファンです!!」
伊藤晃――
陸上競技――さらに言えば、長距離に関わる選手なら知っている人が多いのではないか。
小学生から陸上競技の長距離を走り、大学時代には自身の出走論やトレーニング方法などを出筆。
大学卒業後、実業団に在籍し、長距離のみならず短距離やフィールド競技にも精通した、言うなればヤバい選手である。
私も中学時代、伊藤選手のランニングフォームを参考にさせてもらった事がある。
競技を引退し、自身の陸上競技人生に幕を下ろしたと聞いていたが⋯⋯そんな人が何でこの学校にいるのだろう?
「よろしければサイン下さい!!」
日向妃菜がペンとノートを伊藤さんに差し出す。
「⋯⋯そう言うの、今はやってないんで」
憮然と言い放つ伊藤さん。そっか、選手時代無愛想キャラで通っていたなこの人。
「じゃ、さよなら」
「まだって言ってんじゃんか!!」
なおも引き留めを試みる宮田先生。
「私からもお願いします!!」
宮田先生の横に並び、頭を下げる藤井部長。
「⋯⋯私たちも頭下げるべきなの?」
分からないからって、話をこっちに振るな日向さん⋯⋯
「何度も言ってるが、無理なものは無理だ」
伊藤さんはさらに続ける。
「第一、成績も優秀では無い選手にコーチを付けた所で結果は明白だ」
どうやら、伊藤さんにコーチの打診をしていたらしい。
「それは、これから練習を頑張って――」
「頑張って、いつ成績に結びつく?練習方法は?」
藤井部長の答えを軽くあしらう。少々言い過ぎだが、伊藤さんの言うことも一理あるのは確かだ。
「申し訳ないが、具体的な日程も方法も出せないようじゃ、コーチの話は受けられない」
さらに伊藤さんは続ける。
「中学時代の成績賞を見せてもらったが、あんなもの陸上競技をやっていないのと一緒だ」
吐き捨てるようにそう呟く。
間違いではない⋯⋯が、少々、いや大分言い過ぎでは無いだろうか。
長い沈黙のあと。
「なら――」
声を発する藤井部長。⋯⋯なんだ?頬を赤らめているぞこの人。
「やっぱり身体で満足させるしか――」
おいおい。
「ちげーよ」
「もしかして、ハーレムプレイですかっ!?」
さらに頬を赤らめる藤井部長。この人、頭ピンクなの?
一人暴走し、何かブツブツ呟く藤井部長。
「私と日向は⋯⋯いや、若奈はあんまり⋯⋯」
ねぇ、失礼な事考えてない?
「⋯⋯私は別に⋯⋯良いっすけど⋯⋯」
隣で顔を赤らめながら、意味の分からんことを言う日向妃菜。
「おい、お前ら!そう言う事は節度を持ってだな――」
真面目に受け取った宮田先生。なんだここ。馬鹿しかいないの?
「だから、違うって言ってんだろ」
静かに怒りを見せる伊藤さん。良かった。マトモな人いた⋯⋯
「なら、話は終わりだ。俺は帰る」
「⋯⋯逃げんのかよ。ヒョロガリ」
何か不穏な単語を呟く宮田先生。あれっ、大丈夫?
「⋯⋯あ?んだよこの野郎」
あっ、ダメみたい。
「もう一遍言ってやるよ。クソ雑魚ガリ」
「変わってんだろが⋯⋯クソガキおかん」
「あぁっ!?っざけんなこの野郎!!!」
伊藤さんのカウンター炸裂。これは痛い。
「ちょっ、止めてよ、みやちゃん!」
宮田先生が拳を振り上げると同時に藤井部長が止めに入る。
「お願い!伊藤さんを殴らないで!!」
あんたはどっちの味方よ?
「とにかく、コーチングをお願いしたけりゃ、それに似合った成績をあげてこい。話は以上だ」
「うるせー!ばーか!!」
宮田先生の罵倒も虚しく?伊藤さんは帰って行った。
「⋯⋯よし!そうと決まれば作戦会議だ!駅前のファミレス行くよ!」
藤井部長が提案する。先ほどの馬鹿みたいな表情の部長はもういない。
何かいい案でもあるんですか?
「⋯⋯どうやって伊藤さんを満足させられるか話し合おう!」
⋯⋯やっぱり馬鹿だった、この人。