意味深い人生ってどんな?
日本語練習用で書いたエッセイです!:D
うちのハムスターはひまわりの種が大好物でいつも好きなスナックの匂いを感知するとウキウキと体を立て「おねがーい」のような可愛い素振りをして、仕方なくいじめたくなるんだよね。私は酷くないよ、これは単に仕方がないんだもの。ちっちっち。
まあでも、いじめすぎると可哀想だから10秒が罪悪感がリミットまで募る時間。しかし、からかいを止まらずひまわりの種で連れ回って続けたらどうなるか酷いながらふと思う。多分、「ぜったいくれないし意味ないからやめとくや!」かもしれない。ペットに嫌われるのはちょっと違和感があるけど確認するほど残酷じゃない。
最初は意味があると思ったから追いかけたのか?ハムスターは人みたいに「意味」の定義は違うと思うね。けど少し考えてみると一方の方面はあまり違わないんじゃないかな?人は何かを追いかけようとするには最初に意味があるかないか判断してから歩くか走り始める。もっと言えば、意味があると思うからこそ動ける。
うちのオレオ(ハムスターのこと)ひまわりの種か食べ物がない時は特に何もせずただ眠るかウィールに走るかのどっちか。そういう時期を想像してみるとアイツの寿命にはあまり意味はないと思いたくないが...そうかも。オレオは人みたいな思考回路はできないし尚更人みたいなことをするのも、オレオにとって生きる意味はあるのだろうか?
まあ、ハムスターと人は色々違うから比べ物になれない。でも考えさせられてしまう。意味のない人生は死ぬのも同然ではないかな?
私達がいる意義は一体何なのか?そう聞くと思い込みが暗くなって多分人生はやはり最初から意味なんてなく最後は死ぬしどうしてこの世においてあったのかわからない。今まで生きてきたのは無駄だったのか?と混同で溢れてそれを否定しようにもできないもの、それでもどうしても否定しなければならない直感。
ある視点で答えが見つかれない場合は、一方に振って反対の場合を考えればなにか手に入るかもしれない。意味のない人生から、意味深い人生ってどんな人生なのだろうか。
意味のない人生の視点は死んでもいいみたいな発想なんだけど意味ある人生ならその反対のはずだと思うと、死ぬわけにはいけないとするものがあるはずだ。どれだけ生きて苦しんでも何かが理由で死ねない。
生きる理由なら言い換えすると「野望」だろうね。
しかし野望が理由で意味深い人生なのだから野望は理由と同じ意味を持たないはずで、野望とは一体何?
お医者さんの仕事は痛い状況から痛くない状況に変える仕事で、その仕事をするために長年をかけて勉強や練習してきた。もはや人生の野望は病気を蹴って飛ばせることと思ってもいいのだろう。生きるだけでもう苦しんでいるのに、その苦しみを癒やすためにもっと自分を苦しめ、それを人生の意味にするすごーく尊敬深くありがたいものだ。
野望はAの悪いことをBの良いことに変えることと、人になんの困難でも「意味」で乗り越える力を与えす素晴らしいものだ。それにもまして、死ぬわけにはいけない理由、生きる理由になる。勇者にだってなれる。
私の生きる意味は言葉の力で人を正しい道に導くことだ。
んで読者さんたちは、世界の何を変えたいのですか?