百合戦争〜アサとヨルは魔女王になるために王太子殿下を堕としたい〜
強くて可愛い女の子たちの百合が書きたかったんです、本当です、イチャラブ百合の予定だったんです。
「おい、百合だ!百合が咲いたぞ!」
「何本だ!?」
「二本だ!今年の候補者は……二人だ!」
普段は静かな王城の一画で、興奮した声がいくつも上がる。
百合の開花は、王国に新しい時代がやってくる、その印なのだから。
***
魔女王が治めるこの国には、魔女王の代替わりの時期になると王城に百合が咲く。
咲いた百合の数だけ、その時代には女王候補者が存在すると言われ、百合の花が咲くと国の隅から隅まで調査がはいるのだ。
百合は強い魔力に反応するので、正しき候補者が百合に触れれば、花弁はその者の持つ魔力に応じて色を変える。
それが魔女王たる素質の持ち主の証だ。
今代は、二本の百合が咲き、二人の乙女が選ばれた。
金髪に金眼で、白に近い金に光り輝く百合を抱く少女の魔女名はアサ。
黒髪黒目で、あらゆる色を吸収したような黒に艶めく百合を抱く少女の魔女名はヨル。
百合の開花から遅れること数年。
公表された美しい候補者二人に、国民は熱狂した。
そして、対となるふたりの魔女名に、国民たちは「夜はいずれ朝となるから勝つのはアサだ」「いや、朝は夜に飲み込まれるのだなら、勝つのはヨルだ」などと好き勝手囃し立てる。魔女王を決めるこの戦いは百合戦争と呼ばれ、国民の娯楽なのだ。
彼女達に魔女王から贈られた百合のブローチは、それぞれの魔力の色をしており、二人の瞳と同じ色である。
二人のものを模したブローチが、翌日にはあちらこちらの店先に並び、少女たちはこぞって己の推し候補者のブローチを買いに走ったのだった。
さて。
いつの時代も候補者達は、周りが思っているよりも仲が良いことが多い。
なにせ自分に匹敵する力を持つのは、候補者仲間しかいないのだから。
気を遣わずに遊べる相手というだけで、子供には嬉しくて楽しいものなのだ。
そんなわけで、今代の候補者、アサとヨルも仲の良い二人だった。
二人とも、それはそれは強い魔力を持っていた。普通の女の子が急に彼らと同等の魔力を与えられたら、制御不能になって狂死するだろう。しかし二人は生まれた時からその状態なので慣れていたし、周りの人を殺傷しないように十分制御できていた。魔力の大きさだけでなく、その制御力と精神力こそが魔女王候補者の素質の証拠とも言えた。
初めて二人が出会ったのは、国立の魔法学院の入学式だ。
成績順で整列する生徒たちの一番前に横並びに立った二人は、同成績の首席入学者だっだ。
「あら、もしかして、あなたがヨルさん?」
「あら、もしかして、アナタがアサさん?」
お互い名前しか知らなかった自分のライバルを、二人はまじまじと見つめた。チラリと胸元に視線をやれば、相手も察して服の内側につけた百合のブローチをそっと見せてくれる。
二人は顔を見合わせると「ふふふ」と笑った。
「ヨルで良いわ。アナタの百合はまるで光っているみたいにとても綺麗な色ね、アサさん」
「私もアサで良いわ。ヨルの百合もとっても幻想的でかっこいいわ、素敵よ」
生まれて初めて出会った同格の相手に二人は少しだけ昂揚した気分で微笑んだ。アサが求めた握手に、ヨルも快く手を握り返し口元をさらに綻ばせる。
「アナタと競うのが、とても楽しみだわ、アサ」
「私もよ。これまでは家庭教師相手でも我慢しなきゃいけなかったから、ワクワクしているの」
瞳をきらりと輝かせるアサに、ヨルはきょとんと目を瞬かせてから吹き出した。
「あら、意外と好戦的なのね?」
「あら、魔女王候補者だもの」
「それもそうね」
「そうよ」
楽しい初対面を経て、翌日からは二人はウキウキワクワクの初めてのお友達になった。
毎月の実力考査試験でも、二人はいつも首席争いをしていた。科目によって順位は入れ替わったが、だいたいいつも、瞬発力とパワーで勝負してくるアサよりも、緻密で繊細な制御が得意なヨルの方が少しだけ上だ。
「やっぱりヨルはすごいわね」
ヨルが水魔法で作り上げた氷の人魚像を羨ましそうに見たあとで、アサは自分の作品を見下ろした。
「私はこの短時間じゃあ、イルカひとつで限界。人魚に熱帯魚に波に岩?試験時間内にどれだけ作ったのよ!」
呆れたように言うアサに、ヨルはコロコロと笑いながら言う。
「水魔法は得意なの。アナタのイルカちゃん、可愛いから良いじゃない。水飛沫もリアルで素敵よ」
アサに向かってにっこり笑うと、周囲を見渡してヨルは肩をすくめてみせた。
「それに、どうせ私達が首席と次席よ。だってみんな、まだ水を氷に出来るかどうかだもの」
「そりゃそうでしょう。今回の試験内容は、水から氷を作ること、なのだもの」
アサは呆れたように言った。
「私たちと比べちゃダメよ」
「ふふ、それもそうね」
一方で、魔力をぶつけ合う対戦型勝負になると、ヨルはアサに押し負けることが多かった。もちろん、ヨルが卑怯な魔法を惜しみなく注ぎ込んで、引き分けに持ち込むことも多かったが。
「あーもー!焼け死ぬかと思ったわよ!影に手足を掴ませるなんて、本当に卑劣でゾクゾクするわね!?」
ヨルの策略に嵌り、アサは殺傷能力高めの魔法の炎で囲まれながら、影魔法により手足を拘束されたのだ。身動きを封じられたために、ろくな魔法が使えずうっかり死にかけたアサは、死に物狂いで脱出すると、髪の毛をチリチリにしながら興奮状態でただの土魔法を破裂させた。
「わっ、ちょ、地面ごと吹き飛ばすのは反則でしょ!?アナタ、力の加減ってものを分からないの!?」
見渡す限りの地面から土が弾け飛ぶ中で、ヨルが自分の周りに風魔法で必死に壁を作る。眉間を貫く勢いで飛んでくる石礫をなんとか吹き飛ばしていると、アサが笑いながら両手を上げた。
「加減してるわよ!?校舎を吹き飛ばしちゃったら、賠償額が大変だもの!建物が壊れない程度にやってるわよ!」
「それ、先生たちが必死の結界張ってるの分かって、わりと無茶してるってことでしょ!?」
前回の実技試験で校舎を半壊させてしまい、実家から大目玉を食らったアサが満面の笑みで宣言する。しかし、現在二人がいるのは校庭の端どころか校舎の裏の森にある闘技場だ。そこを二人だけの試験会場と指定されて、校舎含む周囲には全教官が全力で魔法結界を張り、生徒たちが災害時対応で避難しているのが現状である。この状況下で校舎を吹き飛ばすとしたら、それはもう伝説の竜と同レベルの災害生物だ。
「アナタ、相変わらず頭がおかしくて大好きだわっ!」
「殺す気で向かってきてくれるあなたが、私も大好きよっ!」
ヨルとアサは大笑いしながら、全力で魔法を弾けさせる。対戦型実技試験が二人は一番盛り上がった。ちなみにこの二人の場合、試験としては勝者が首席だ。だから大抵はアサが勝つ。
「やめなさい!!このままだと敷地が沈むから!!私の負けよ!!!」
「あははっ、常識を忘れられないヨルが大好きよ!」
冷静に賠償金額を計算してしまい、前回教室を半壊させた時に負わされた借金の恐ろしさを忘れられないヨルが、つい負けを認めてしまうので。
二人が入学してから、教師たちの緊張は大層なものだった。二人から他の生徒や動植物、建物などを守るために魔力消費も激しく、何人かは疲弊し憔悴して辞めていった。
「また先生が辞めてしまったわね」
「薬草学の?あら、堪え性がないのねぇ」
「アナタが先生の大事な薬草園に飛び火させて、派手に燃やし尽くしてしまったからじゃないの?」
「あら、あなたが薬草学の調剤実習で、先生の一生の夢だったはずの新薬を、一気に三つも作ってしまったからじゃないの?」
「ふふふ、いやだわぁ、そんなはずないじゃない。きっとご家庭のご都合よ」
「そうよそうよ、栄えある魔法学院の教官が、そんなことくらいでポッキリ折れてしまうわけないもの」
「そうよね、小枝じゃあるまいし」
うふふおほほと笑い合う、二人は尊大極まりないが、別に驕り高ぶっているわけではない。これはお互いの間でだけ交わされる、ちょっとしたブラックジョークだ。
それに二人は教官の指示の範囲内で、彼女達なりにただ普通に学園生活を精一杯に楽しみ、力一杯に過ごしているだけだ。
その余波があまりに激烈すぎて、まともな教官ほど力尽きてしまうのだが。
だがしかし、それも仕方のないことだ。
魔女王候補者が入学してきた代の風物詩である。
周囲の学生たちも、正式な告示はされていなかったものの、二人が別格であることは理解していたし、きっと今代の魔女王候補者はこの二人なのだろうなと察していた。
憧れと恐怖と好意と畏れがないまぜになった目で、その他大勢の生徒たちは二人に熱い眼差しを送った。
「ヨルさん、魔法薬学の試験の答えで分からないところがあるのだけれど、教えて下さいますか?」
ある月の試験が終わり、答案用紙の返却後。
緊張した顔つきの少女が少し思い詰めた顔でヨルの元にやってきた。
「あら、構いませんことよ。……あぁ、ここで計算を間違ってらっしゃるわ。これが正しければ、少し遠回りだけれど答えに辿り着くはずよ」
先ほど少女が、採点が納得いかないと教官に食ってかかっていたのを目撃していたヨルは、きちんと真剣に少女の相手をした。ヨルにとって、気骨ある女の子は大変好ましい存在なのだ。
「あ、本当!やっとスッキリしましたわ!先生には最初から最後まで違うと言われてしまったのだけれど、どうしても納得出来なくて」
表情を輝かせて感謝の意を述べる少女に、ヨルはにこやかに答えた。
「模範解答のやり方とは違うけれど、これでも答えはでるはずよ。部分点くらいは貰えても良いと思うのだけれど。あなたの解法は発想の勝利だと思うわよ?」
「ふふっ、ありがとうございます!先生に部分点もらえるより、ヨルさんにそう言って頂ける方が何倍も嬉しいわ!」
薬草学の世界で最も権威ある賞を最近三つか四つほど受賞して、現在学院の中でもっとも薬草学に精通していると言われるヨルに褒められて、少女は大層嬉しそうだった。
「勇気を出して話しかけてよかった。心から感謝いたしますわ!」
「ふふ、喜んで頂けてなによりよ」
ヨルは冷静沈着で物静かでクールな優等生タイプで、頼られることも多いが、基本的には周りからは少し遠巻きにされることが多い。
しかし基本的に馴れ合いを嫌うヨルにとっては、その方が都合が良いのであまり気にしてはいなかった。
反対に、明るいアサの天真爛漫とも言える気質は親しみを感じさせ、みんなに愛された。
「アサさん!ねぇ、お昼ごはんをご一緒しましょう?」
「あら、私もご一緒したいわ!」
昼休みになると、アサの周りにはわっと人が集まる。
ぱっと見で近づきやすいのはアサだったので、アサの周りには純粋な憧れだったり、取り入りたいという邪な考えだったりを持つ者達が絶えず溢れていた。
アサは誰に対してもにこやかに、朗らかに、そして楽しげに対応していたので、みんながアサを好きになったし、アサに好かれていると信じていた。
しかし。
「あらアサ、周りを囲んでいた子達はどうしたの?」
「さぁ?わからないわ。気づいたら居なくなってたの」
次は教室移動のはずなのに、いつまでも周りを囲む小雀達とお喋りしているアサを置いて、ヨルはさっさと廊下を歩いていた。しかし、予兆もなく不意に隣に現れたアサに驚くこともなく、片眉をあげるだけだ。
「アナタがコッチに飛んできたのでしょう?急に魔力磁場が狂って、周りの子供達が吐いたりしていないといいのだけれど」
「さぁ、分からないけれど、きっと大丈夫じゃないかしら?吐いてる子は保健室に行くでしょうし、掃除は先生が洗浄魔法を使えるし」
「そういうことじゃないんだけれど、まぁいいわ。……私とアナタには関係ないものね」
「そうよ。私とあなたには関係ないわ」
しかし残念なことに、アサの興味を引くのはヨルだけで、ヨルの興味を引くのもアサだけだった。
だから残念ながら、もしくは当然ながら、アサとヨルにはなかなか友人が出来なかった。
お互いという親友がいたので、あまり気にしてはいなかったけれど。
そして冷たく見えるヨルも、明るく見えるアサも、本当は似たもの同士だ。
二人の本質は、とてもよく似ている。
アサも明るく振る舞っているだけで暗く冷たいところはあるし、ヨルも底抜けに明るく楽天的なところがある。
二人は生まれも育ちも違ったが、闇を抱えるアサと光を抱えるヨルは、なにやらひどく気が合った。
アサはパワー系の自分より、なんでも器用にこなし、なんでも少しだけ得意なヨルを妬み、うらんでもいる。
ヨルはもちろん、それも知っている。
アサは知られていると知っている。
それも含めて二人は仲が良い。
醜いところも悍ましいところも全部知られていると知っていても、分かってもらえるのも相手しかいないとも分かっているので。
さて。
学院に入学して二年目の終わり。
アサとヨルにお誘いがあった。
凡庸で無能な王太子の婚約者としてのお誘いだ。
つまりは、この魔女の国の女王候補への正式決定通知である。
「あら、とうとう」
「あら、やっと」
残念そうな顔のヨルと、楽しげに目を輝かせるアサは、ひらひらと紙の羽を羽ばたかせる魔法の鳥を見上げた。鳥自体が魔法紙でできていて、そこに魔女王からの正式なお知らせ文が書いてある。可愛らしいがちゃんとした公式文書だ。
「もうアナタと楽しく愉快に過ごすだけの日々は終わってしまうのね。少し残念よ」
「あら、これからも楽しく愉快に戦えば良いじゃない。とても楽しみよ」
ギラギラと燃える目で見つめられ、ヨルは「それもそうね」と吐き出した。
「私は手加減しないわよ。死ぬ気でかかってきてね?アサ」
「もちろんよ。まぁ死なないけど、常に殺す気でかかってくるヨルが私は大好きよ」
「死を恐れないアナタが私も大好きよ」
ふふふと笑いながら、二人はそれぞれ目の前に浮かぶ紙の鳥を握り潰す。白と黒の二人の魔力に焼かれた紙はハラハラと崩れ落ち、輝く粉となって消えた。
魔女王からの呼び出しに出向いた先で正式に意を問われた二人さもちろん頷き、翌月には国民の前で、二人並んで挨拶をした。
「「私たちは己の全魔力を賭けて、どのような恐ろしい魔法も躊躇うことなく使い、どのような悍ましい魔法も恥じることなく用いて、魔女王の座を争い合うことを誓います」」
晴れやかな宣誓の言葉とともに、なんでもありの魔女王決定戦の開幕である。
「もうすぐ王太子殿下がご入学されるぞ」
「殿下はどちらを選ばれるのかしら」
「それはやはり、全ての面で秀でているヨルさんでしょう?」
「そうそう、ヨルさんは次々と新薬を発明しているし、呪術の講義でも失われた古代の復活魔法を解明したんだぞ?」
「ヨルさんは稀代の天才だ、魔女王に相応しい」
「でも攻撃と破壊に優れているのはアサさんよ!国の防衛を考えたら、アサさんの方が上だわ」
「社交的で交渉上手なアサさんなら、外交手腕もありそうだし、ヨルさんみたいに喧嘩しなくても国を平和におさめてくれそうだわ」
「ヨルさんは教官の先生方とすら、うまくやれていないのだもの。他国との関係が悪化したら厄介極まりないわ」
侃侃諤諤、魔法学院の学生たちも王太子の入学を緊張と期待と恐怖の中で待ち望んでいた。
入学式の朝。
新入生代表として挨拶したのは、入学試験首席者ではなく、王太子だった。
凡庸で優しげな少年だが、嫌味なところはなく、素直そうだった。
大変扱いやすそうな年頃の男の子を、三歳上のアサとヨルの二人がどう扱うのか、学院中が固唾を飲んで見守った。
「殿下、私はヨルと申します。よろしくお願いいたしますわ」
「私はアサと申しますわ。王子様も、学院生活を存分に楽しみましょうね?」
「ありがとう。先輩としていろいろ教えて欲しい」
優しく挨拶した二人に、王太子はニコニコと嬉しそうに言った。
「僕は魔法学院に入学するのもギリギリだったから、君たちには迷惑かけるかもしれないけど、よろしく頼む」
わずかに恥じらいに頬を赤らめながらも、王太子は特に恥じることなく二人に頼んだ。
この国では、王太子が無能であることは、むしろ喜ばしいことなので、王太子は自分が出来ないことをあまり気にしていないのだ。
「もちろんですわ、可愛い王子様」
「精一杯お世話させて頂きますよ」
目を細めてコロコロ笑うアサと、くすくす微笑みながら頷くヨル。
二人の美少女に、王太子は照れて高揚しながらも「よろしく頼む」ともう一度頷いた。
二人のお役目は、十四才で魔法学院に入学して来た王太子が授業についていくための家庭教師兼ご学友だ。ついでに、事故など起こらないようにお目付け役と警備も兼ねている。いろいろ兼任だ。
そして、未来の魔女王として相応しいのはどちらか見極めるのは、なんと王太子の仕事であった。
ぶっちゃけ王太子は、こんな大それたお役目には力不足の凡夫であった。
しかし魔女王は「どっちも甲乙つけ難くて選べんないし、まぁどっちでも良いよ」と思ってるので、息子の気の合う方で良いと言う判断である。
どちらも魔女王への適正は王城の百合が保証している。だから、息子の伴侶でもある魔女王には、息子が幸せになれる方を選べば良いと思っているのだ。母の愛である。
さて。
代々似たような方針で魔女王が決められるのだが、この国に魔女王の子は基本的に一人、男児のみである。
王国最強の魔女が全力の加護を子にかけるので、一人でも大丈夫なのだ。
そして魔女王は、トラブルの元なので女児を産まない。
妊娠する前から体を整え、男児を産むように魔法で調整するのだ。
万が一女児が産まれると、魔法で調整できなかったということなので、魔女王の資格は剥奪される。
だから常に魔女王の子は男子しかおらず、王太子しかいない。
しかもたいていは、凡庸な王太子だ。
いつの時代でも、その時代にもっとも優秀なものを魔女王候補に選ぶので、下手に優秀な王太子がいると女王の治世に邪魔なのだ。
歴代の魔女王は、凡庸な王太子を作り上げるのにも割と苦労してきた。
制御しやすい愚か者を作成する手段として歴代の魔女王は我が子をスポイルしてきた。つまり溺愛して小さな恋人、もしくは歳の離れた愛人のように扱うのである。
魔女王本人も息子も幸せなので、誰も損をしない『ダメな息子の育て方』である。
そんな訳でたいていは、自己肯定感馬鹿高な凡人王太子が出来上がる。
どうしてもどうやってもスポイルされなかったマトモな男は、それはそれでマトモで有能な男として、女王の伴侶を務める。
今代の王太子はきちんと甘やかされてダメになった僕ちゃんだった。
アサとヨルは三歳下の僕ちゃん王太子に家庭教師として指導しつつ、学院でも先輩として教え導いた。
さて、そんなこんなで王太子、お年頃なので「オトナなお姉様ぽいヨルの方がすきだなぁ、夜のことも手取り足取り教えてくれそうだしなぁ」などと、ヨルが聞いたらおそらく朝まで笑い続けそうな珍発想に至った。
でもこれにはヨルも責任がある。
というか、ヨルが悪い。
暇さえあれば王太子に流し目を送ってウインクしていたし、頻繁に偶然を装って手を触れたり、机の下で爪先で触れたり、衝撃から守るフリをして一瞬胸を押し当てたりしていたのだから。
あらゆる免疫のない純粋培養箱庭育ちの十四歳の男の子が、綺麗な十七歳のお姉さんに堕ちるのは一瞬であった。その年頃の男の子が、下半身に訴えかける誘惑に勝てるはずがないのだ。
王太子はヨルの手練手管に陥落した。
「こら、ダメでしょう?」
などと、たまに上から目線で嗜められるのも堪らなかった。王太子は、基本嗜虐嗜好の気がある愚か者である。
「ごめんなさい、ヨル」
これまで謝罪などしたことのない王太子は、叱られて謝るという行為にちょっとした興奮を覚えていた。叱りつけるヨルの目はとろりと熱くて、その目に見られるだけでドキドキしてしまうのだ。叱られた後に
「良い子」
なんて褒められてしまうともうダメだ。
自分を対等な友人のように扱うアサがお子様に見えてしまって、今は友達以上の関係になることは考えられなかった。本来はアサの方が適切な大人の対応をしているのだが、
なんやかんやで常に優秀と言われるのはヨルの方だし、ヨルを奥さんにした方が羨ましがられる気がする……なんて浅いことを考えていたりもした。
「ねぇヨル、学年度末にある感謝祭の舞踏会、僕のパートナーとして一緒に踊ってくれるかい?」
「まぁ、よろこんで!」
舞踏会で踊るのは、家族でなければ恋人同士と決まっている。ヨルは満面の笑みで頷いた。
「これで勝ったも同然ね」
と内心で呟きながら。
「学年末の舞踏会で王太子のパートナーはヨルに決まったらしい!」
「そりゃほとんど決定じゃないか!?」
「いやまだ分からんぞ!王太子の成人までまだ時間はある」
この国では女は十八、男は十六で学院を卒業し、成人となる。
魔力の強い女の方が、成人して未成年に課されていた様々な制限が解除された時に起こる事故の被害が大きいため、より慎重を期されるためだ。
「アサとヨルのお二人は、もう十八で成人か」
「未成年制限を解除されたお二人の魔法はえげつないだろうなぁ」
「楽しみだなぁ」
国民たちは、王都のあちらこちらで好き勝手噂しているのであった。
そんな訳で、ヨルが暫定婚約者の座を手に入れた。
まだ正式決定ではないとはいえ、アサは切歯扼腕して悔しがった。美しい顔立ちも見えなくなるほどの憤怒である。
「ヨル、ヨル!さすがに卑怯よ!あなた、あんな子供相手に色仕掛けしたでしょう!?」
「アサ、アサ、何を言っているの?」
キョトンとした顔を作って、ヨルはふふっと笑った。
「アナタとの勝負の時に手を選んでなんていられないわ。なんでもありよ」
ウフフといやらしく笑った後で、ヨルは堪りかねたようにオホホホホと高笑いする。
「お綺麗なアサ。光り輝くアサ。そんなものだけじゃ、ヨルには勝てないわよ」
「……ヨル」
馬鹿にしたような笑い声を残して去っていくヨルを、アサは月のない夜のように真っ黒な目で見つめた。
「ねぇ王子様、お隣よろしくて?」
野外授業でヨルとアサは別班のリーダーとして行動している。今日は王太子はアサの班員だ。昼食時、他の班員から距離を取られて一人モサモサと食べている王太子に、アサは声をかけた。
「もちろんだよ、アサ」
にこにこと返答するのは、考えが浅くて可愛い十四歳だ。事実上「選ばなかった」方の女から誘われても、何も考えずに嬉しそうに頷く。男の子は、綺麗なお姉さんはみんな好きなのだ。
「では遠慮なく」
「えっ」
すとん、と腰を下ろしたのは本当に真隣。ぺったりとくっつくほどに近い距離だ。
「ア、アサ?」
ドキドキとときめいているらしい王太子に、アサはニコリと微笑みかけ、手を握った。
「ねぇ王子様、ヨルとばかりではなく、私とも距離を縮めて相互理解を深めましょ?…お嫌?」
これまでこのような直接的アプローチに出たことがないアサの行動に王太子の顔は真っ赤だ。嫌なわけはない、と首を振るだけで精一杯。
「あぁ、よかった!」
嬉しそうに言って腕に抱きつくアサ。胸もしっかり腕に押し付けている。見た目よりわりとボリューミーな膨らみが王太子の腕で潰され、王太子は我が腕をガン見していた。
「うわーやってるー」
「ヨルさんに負けそうだからって、手段選ばなすぎでは」
「アサさん、そういう手に出るんだ……」
周りが失望と軽蔑まじりきひそひそ囁く声など、勝負がかかっているので手が選んでいられないアサの耳には馬耳東風だ。ちなみに王太子はおっぱいのインパクトが強すぎて何も聞こえていない。
「ヨルさんは流し目とか、さりげないタッチとかしてたけどね」
「いやあれはヨルさんの色気があったから成立するんだろ」
「まぁ、アサさんじゃね、色気って感じじゃないし」
「明るく物理的に距離縮めるのはキャラクター的には正解では」
など冷静で辛口な女子の批評も聞こえぬふりだ。
わざとらしく偶然を装って王太子の体に手や足で触れていたヨルのアプローチを真似ても、本当に偶然だと思われるだけだと判断したアサは、ぐいぐい迫ることに決めたのだ。
正々堂々戦っていては、ヨルには勝てないので。
しかし、一度決まった舞踏会のパートナー、すなわり仮婚約を覆すのは、なかなか難しい。
王太子も気が早かったと後悔した。
アサに好かれていると早合点した王太子は、真に愛する相手を選び、将来は愛し愛された結婚をしたいと夢見ている。王太子は愚かだったので、自分がアサに愛されていると思っていた。
なんなら、ヨルを愛人にしてアサを妻にするのが理想だなとか、クズいことも考えている。根がアホなのだ。魔女王の伴侶としてのみ存在が許される彼に、そんな真似が許されるわけもないのに。
さて、そんなある日。
野外で行う、初めての大規模な水魔法の授業があった。
「あぁ、今日はヨル担当でお願い」
「ええ、任せて」
「へ?」
アサが担当の日だったので、いつものボディタッチを楽しみに王太子はウキウキしていたので、アサとヨルの会話を聞いてキョトンと首を傾げた。なぜかアサがあっさりと身を引いて、当然のような顔でヨルが本日の補助担当になったので王太子は驚いたのだ。アサはなるべく王太子のそばから離れたがらないのに、どうしたのだろうと顔を見れば、アサの顔色は酷く悪い。
「アサ?どうした?」
心配になり声をかければ、アサは「平気です、ただ私は水が苦手なので」と苦しげに笑った。
簡潔に述べるだけで押し黙ったアサに王太子が深く問おうか悩んでいると、横にいたヨルはあっさりと補足した。
「アサは過去に溺れたことがあるの。だから、自分で大きな水魔法を使うと当時のことを思い出して気絶してしまうのよ。強大な水魔法は、自分が巨大な水流の中にいるような感覚を伴うから。……ということで、今日の授業は私としましょう?殿下」
「あ、ああっ、よろしく頼むよ」
「パートナーとして、しっかりお教えしますわ」
「っ、よろしく、たのむ」
妖艶に手を差し出すヨルに、頬を赤らめてしどろもどろに答える王太子。二人を歯軋りせんばかりに睨みつけながらも、アサはため息とともに「ええ、お願いしますわ」と口にだした。とても嫌だったが。
「はぁ、水魔法だけは、どうにもならないわ……」
憂鬱そうに、アサにとっては簡単な水魔法で噴水や逆流滝を作り出しながら、アサはため息をついた。
「魔女王として、使えない魔法があるのは許されないのに……」
水魔法も決死の覚悟なら、アサだってきっと、ヨルに負けず劣らず使えるだろう。けれど、ヨルは精度を、アサは規模の大きさを得意とするので、どの魔法も派手なのだ。だから水魔法も精度を上げるより、きっとド派手な大迫力になる。それが、アサにはきつい。まぁ、でも、ひとつくらい。苦手なものがあっても、まぁ。
ザバッ バシャーンッ
大量の水が地面に叩きつけられる音がして振り返れば、巨大な噴水が出来上がっていた。
……わぁ!
……おぉっ!
……すごい!
周りの学生達の歓声とともに、ヨルのよく響くアルトの声がアサの耳に届いた。
「まぁ、すごい!殿下には水魔法の才がありますわ!もっともっと特訓すれば、殿下も私やアサと同じくらいの水魔法を使えるようになりましてよ!」
「本当かい!?嬉しいな、初めて見つかった才能だ!」
はしゃいだ王太子の声が聞こえてきて、ギリ、とアサは奥歯を噛み締めた。
残念なことに王太子には水魔法の才能があったらしい。
やっと見つかった親和性の高い魔法に、王太子はどんどんのめり込んでいった。
「ヨル!昼休みも魔法の練習に付き合ってくれないか?」
「もちろんですわ、ふふっ。殿下ももうすぐ水の大魔法使いと呼ばれるようになりますわね?」
「えへへ、そうかなぁ?」
お世辞を言うヨルに満更でもなさそうな王太子がウキウキと足取りも軽く教室を出て行く。
「こんな楽しいのは初めてだよ。ありがとうヨル、君のおかげだ」
紅潮した顔で笑う王太子と、艶麗で柔らかい笑みを浮かべたヨルが連れだって教習場に向かって行くのを、アサは唇を噛み締めて見送るしかない。
王太子は、ヨルとますます距離を縮めていった。
日に日に距離が縮まり、頬も触れんばかりで語り合う様子も見掛けることが多かった。
二人が腕を組んで街歩きをしていたとか、二人が口付けを交わしているところを見たという噂も広がっていた。
アサは髪を掻きむしりながら、それを見守り、噂を聞いているしかなかった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
爪を噛みながら必死に考える。
あの愚かな王太子を堕とすにはどうすれば良い。
あの脳みそに花が咲いている馬鹿なコドモを手に入れるには、どうすれば。
「どうしたら、ヨルに勝てるの?」
けれど思いつかない。
ヨルに優っているところなど、アサには思いつかないのだ。
そして思いあまり、ある夜、アサは。
「……信じられない。とってもすばらしかった!!」
「ようございましたわ」
王太子に、夜這いをかけた。
なんでもありの女王争奪戦である。
殺し合う代もあるくらいだ。
体で落とすのも反則というわけではない。
もちろん、そんな魔女王の素質と関係のないところでの汚い手は、一般的に忌み嫌われる。
なんなら魔法での殺し合いの方が美徳とされている。
けれど、でもまぁ、汚い手を使えるのも為政者の証と言えばそれはその通りなのだ。だから、アサに恥じるところはない。
どんな手を使っても、勝てばよいのだから。
しかし、ヨルは充分に卑怯で狡猾だった。
全力の隠形魔法を使い、密かに王太子の部屋に忍んで行ったはずなのに、翌朝には噂が出回っていた。つまりヨルの仕業だ。アサの本気を看破できるのは、この学院でヨルだけなのだから。
「見て、アサよ」
「よくもまぁ、そんな卑怯な手を使って、普通の顔していられるわね」
「魔力でも魔法でもヨルさんに敵わないと認めたんだろう」
「魔女の力ではなく、女のチカラを使うなんて、勝ったところで卑しい勝利だな」
「アサが王位を継いでも尊敬できる気がしないね」
「でもまぁ、目的のためには手段を選ばないのは、為政者にとって必要なことかもよぉ?」
「どんな手を使っても、この国を守ってくれそう」
「ほかの国の王様を寝取ってか?」
「あはははははっ」
揶揄と軽蔑と呆れと憎悪。
害意溢れる周囲の空気に、これまで滅多に人から悪意を向けられたことのないアサは、かなり参ってしまった。
卑怯な手段に出た女として蔑まれ、行き場をなくしたアサは、心配してやってきた王太子に、よよと泣きながら縋った。
「もうだめですわ。私には未来がございません」
かよわく儚い風情で泣き濡れるアサは、普段と違ってひどく弱々しい。その姿に、幼稚ながらも一人の男として、王太子は奮起した。
これはなんとかするしかない。
おれが!この俺が!
と。
しかし、頭もそんなに良くない王太子は、しばらく悩んだ後で結果アサに相談した。
「君はどうしたい?」
「……ヨルと代わりとうございます」
一瞬の沈黙の後、アサははっきりとそう告げた。
それは婚約者として、という意味ではない。
なにもかもを、ヨルと代わりたいという意味だ。
「私とヨルの体を入れ替えましょう。こんな噂の染みついた体では、魔女王になるのに差し障りがありますもの」
「なっ!?」
驚愕のあまり、言葉を失って瞠目する王太子に、アサは切々と訴えた。
「禁書庫で入れ替わりの術を見つけたのです。このカラダを捨てて、ヨルと入れ替わりとうございますの。それには……殿下の魔法のお力が必要ですわ。私だけでは無理ですの」
アサの言葉の衝撃に固まっている王太子は凡庸だが、なんだかんだ言って魔女王の息子だ。実は魔力だけは十二分にある。
「ねぇ、私の王子様、あなたの魔力を貸してくだされば、術自体はきっと完遂できるでしょう。……いいえ。私ならば、絶対にできますわ」
「そんな……禁忌と呼ばれは術ではないのか……?」
「危険ではありますが、私には必要な魔法なのです。ねぇ、私を愛して下さっているのならば、どうか頷いてくださいまし、私の王子様」
「だが、それは、その……失敗したら、どうなるのだ?」
「入れ替わりが出来ないだけですわ。なんということもございません」
いくつかの危険性に口をつぐみ、アサはなんでもないことのように微笑んだ。
「ならば……やろう。その禁術を」
「あぁ、ありがとうございますっ、愛しておりますわ!私の愛しの君っ!」
大袈裟に喜び愛を歌い上げながら、アサは自分よりは背の高い、しかしほっそりとした王太子の体に抱きついた。柔らかな二つの双丘を王太子の胸板に押し付けながら、口元には薄暗い笑みを掃く。
この勝負は、これで終わりだ、と。
王太子の無駄に有り余る魔力を拝借して、アサは禁呪と呼ばれる魔法に手を出すことに決めたのだ。
禁忌とされるに相応しい、使用者と非使用者、二人の魂を害する可能性のある、大変危険な術だ。失敗すれば魂に傷がつき、二度と転生出来なくなる可能性もある。どこまでも非人道的で非倫理的な術だ。
もし失敗すれば、目が覚めたヨルに、確実に糾弾されるだろう。
そうなれば、確実に魔女王候補からは外される。
勝っても負けても。
この勝負は、これで終わりだ。
そして、数日後。
ひとけのない裏庭で、アサは覚悟を決めた。
「っぁ」
……バタン
ひとりで歩いていたヨルが、小さな困惑の声を発して、唐突に昏倒した。
「やった、やったぞ!」
大喜びの王太子が小道へと躍り出る。
「成功だ、アサ!」
「ええ、さすがですわ、わたしの王子様」
ヨルを昏倒させた魔法は、魔力を練りコントロールしたのはアサだが、出所は王太子だ。おかげで魔力消費を抑えられたので、アサは王太子に、ありがとうと心から告げた。
「さて、それでは入れ替わりの呪を唱えます。お静かになさってね」
アサは目を閉じて、複雑極まる呪文を唱える。
長い詠唱が続き、そして。
「ーーーぅ」
呪の完成とともに、アサも地面へバタンと倒れた。
術に干渉するといけないからと、黙って離れて見ているように言われていた王太子は、ドクドクと速い鼓動を刻む心臓を押さえながら、必死に息を殺して、ただ見ていた。
永遠にも感じる時間の後で、ゆっくりとヨルが起き上がった。
「わたしのおうじさま?首尾はいかが?」
にっこりと明るい笑みを浮かべるのはヨルだが、その表情はアサのものだ。
「アサ!いや、ヨル、大成功だよ!」
「ふふっ、よかった!」
寝転んだままのアサの体を二人で見下ろし、ヨルは王太子ににっこりと問いかける。
「さぁ王子様、あそこに池があります。どうします?」
「どうとは?突き落とすのだろう?」
幼い子に謎かけをするような口調のヨルに、入れ替わると口調まで似るのだなぁと感心しながら、なぜそんな当たり前のことを尋ねるのだろうと王太子は首を傾げた。
「アサは水が苦手だから、その体に染みついた記憶がある限り水は苦手で、パニックになるだろうと。事故にみせかけるのでは?」
「ええ、それもよろしゅうございますが……王子様、『私』の体に未練はございませんこと?」
「え?」
思いがけない問いかけに、王太子は言葉の意味を理解できず、返事が遅れた。それを見ながら、ヨルがさも楽しそうに、甘い声で告げる。
「中身だけ『殺して』、外側は手に入れることも可能ですわよ?」
「なんだと!?」
あまりに衝撃的な囁きに、王太子は目を輝かせ、唾を飛ばしながらヨルの両腕を掴んだ。
「強い恐怖で魂を滅し、代わりに無機物かなにかの魂を入れます。そうすれば、体に宿った記憶が魂を形成し、人格を宿す」
「つまりアサが二人できるってことか!」
「そうですわ」
まるで御伽話のようなありえない禁術でも、今目の前で魂の入れ替わりという離れ業を目にした直後だ。王太子はなんだって可能な気がしてしまった。
「さぁ、いかがなさいます?」
「やる!やるぞ!」
にっこりと悪魔のような誘いをしてくるアサに、王太子は興奮して頷いた。
「さて、それでは。…おうじさま、こちらにたくさんの水がございます。操作できますかしら?」
「おお、もちろんだ。どうすればよい?」
「ひとは溺れる時、肺に水が入り苦しむのです。ですから…肺に水を移して差し上げて下さる?『私』が溺れた時のように、体に強い恐怖を与えて下さいませ」
「ははっ、恐ろしい女だな!自分が死にかけた時の手段で自分を殺せとは」
そう言いながらも、繊細な操作を要求される魔法を自分に頼ってきたことに自尊心をくすぐられ、王太子は二つ返事で了承した。
ヨルに手を添えられて、いつものように水魔法を出す。繊細に繊細に。次第に、目の前で意識のないはずのアサが、もがきはじめる。
「う、ぐぅ、ぅあ、ごほっ、ぐぅう」
「……ア、」
「集中して」
自分の手で、人を死に追いやるだけの魔法を行使しているのだという恐怖に、王太子の魔力がぶれる。しかし、ヨルに手を添えられて、王太子はハッと振り返った。
「大丈夫、私はここにおりますわ」
「……アサ」
優しい瞳で宥めるように囁く恋人の姿に気を引き締め直し、王太子は二人の幸せな未来のために、頑張った。
「ぅ……ぁ……ぐ」
体は土の上で濡れていないのに、ピクピクと痙攣する体はまるで溺れて窒息しているかのようだ。
ほんの数十秒ほどだったはずだ。
けれど、愛した人の体が死の恐怖に歪み助けを求め暴れるのを見るのは、王太子にとって永遠にも近く感じられた。
ぱたん
空に向かって伸ばされた手が、誰にも取られることなく地面に落ちる。
「やめて」
王太子に魔法の中止を指示して、静かにアサの体へ近寄ったヨルは倒れた体に息があることを確認して、額に手を翳した。
「魂は無事にこの体から落ちました。代わりの魂を入れますわね」
そう囁くと適当な石をアサの体の上でギュッと握りつぶし、粉々に砕く。
石の粉はアサの体をゆるゆると取り囲み、そして一度だけキラリと光ってから吸着した。
「……できましたわ」
そう言って立ち上がるとヨルは。
「ふふ、ふふふふふ、あはははははははっ!愚かなアサ!こんな、自分で自分を殺すような真似をして!私が昏倒した瞬間に、さっさと首を落とせば良かったのに!アナタって本当に詰めが甘いのね!」
「え?アサ?」
狂ったかのような高笑いをして、心底可笑しそうに涙まで流しているヨルに、王太子は双眼に恐怖を浮かべながら後退った。
「お前は、誰だ?」
短いながらも核心をつく問いかけに、ヨルはにっこりと笑って首を傾げた。
「あら殿下、私はヨルですわ。見ての通り、ヨルの体をしたヨル。入れ替わりは失敗していたのですよ」
「なんだと!?じゃ、じゃあ、アサは!?」
「アサの魂と体に根付いた水への恐怖で、もうあの子の心はここにはありませんわ」
「そんな……」
絶望に顔色を失った王太子ががくりと地面に膝をつくのと同時に、むくり、とアサの体が起き上がる。
「あぁ、アサ。気分はどう?」
「ええ、最高よ。私が二人なんて、愉快すぎるじゃないの」
「どういうことだ?」
意味のわからない現状に、完全な恐慌状態に陥っている王太子に、ヨルが笑いかける。そして、残酷な説明をした。
「アサの魂を殺し、私の魂を千切って魔力で練り上げた魂のようなモノ、要は私の魂の分身をアサの体に植え付けたのです。つまり……」
にやり、と悍ましい笑みを浮かべて、ヨルはハッキリと告げた。
「私が、アサの体を私が乗っ取ったのよ」
残酷な真実を。
「そんな!アサ……アサァ……ッ!」
「おほほほほほ、愚かしいこと!これは勝負よ?死ぬ気で勝負しているのに、負けたからと言って、何を嘆くことがあるのかしら?」
目を見開き、紙のような白い顔で慟哭する王太子の前で、ヨルは高笑いした。
「ふふっ、これでアサとヨル、どちらが勝っても私が勝者だわ!」
号泣しながら地面で打ちひしがれる王太子を、ヨルは冷酷な目で見下ろした。もはや勝利を得て、王太子の機嫌を取る必要など感じないのだ。どこまでも温度のない冷え切った目は、光の差さない夜の暗闇そのもののようだ。
「さて。ねぇ王子様、あなたはどちらのカラダと結婚したい?」
「そんな……何も考えられないよ……」
混乱と恐怖と悲嘆にまみれて、王太子は涙でドロドロの顔をしている。情けないその姿をなんの興味もなさそうに一瞥して、「ふっ、無様な」とヨルは短く嘲笑した。
「まぁアナタの意見は不要なのだけれどね。……アナタ、結婚するのはアサの体にしておきなさい。残念だけれど、アナタと私は姉弟ですもの。子を作るには差し障りがあるわ」
「は?」
ポンポンと出てくる情報の強烈さに、王太子は何も理解ができない。衝撃が強すぎたのか涙も止まって、王太子はまじまじとヨルの顔を見た。
「存在しない魔女王の娘、それが私よ。今代の王は産み分けの呪を失敗したのよ。だから、私を殺すように命じた。けれど産婆が憐れんで孤児院に預けたの。そして生き延びたのが私。わかった?」
簡潔明瞭な説明の後で、これは復讐なのよ、と甘やかに囁くヨルに、王太子は恐怖の目を向ける。
「さぁ、アナタの愛する『アサ』と、真実の愛を貫きなさいな?愚かな我が弟ちゃん。……これは、復讐の亡霊たるお姉ちゃんからの命令よ?」
「……は、い…………わ、かりま、した…………」
ガタガタと震えながらなんとか頷けば、ヨルはいつものように唇に笑みを掃いて頷く。
「うん、良い子ね」
笑っているはずなのに真っ暗な瞳はどこまでも深く暗い闇そのもので、感情など浮かんではいない。
何故これまで気づかなかったのだろう、この瞳の冷たさと残酷さに。
後悔したところで、何の意味もない。
「さぁ、行きましょう?」
「私たちの栄光の玉座へ」
差し伸べられる二つの手に、王太子は真っ白で震える手を重ねる。
玉座への通行証としてしか価値のない自分は遠からず処分されるだろうと確信しながら。
存在しないはずの魔女王の娘は、絶対的強者であり、そして、まさに恐怖そのものだった。
アサとヨルの百合戦争は、番狂せが目立ち、事実が羅列されているのみの歴史書を読むだけでも大変愉快である。歴代でも国民に好まれる戦争譚の一つで、劇や物語の題材として多く用いられている。
当時も多くの国民が、推しに掛けた賭け金を思って、大いに泣いて笑ったことだろう。
ずっと優勢を保ち、ほとんどヨルに決まったかと思われた勝負だったのだ。
しかし、最後の最後でアサが魔法勝負を申し込み、ヨルはその申し出を受けた。
全力を賭けた決死の対決の末、苦手とされていた水魔法を克服したアサが伝説級の大魔法を使って城一つ吹き飛ばしながらヨルを完全に制圧したのだ。
国で最も有能な魔法使いと、この国で最強のはずの魔女王がおわす、王城を。
「こんな魔力、見たことがない。……どうか、僕と結婚して下さい」
恐怖ゆえか、感極まったのか、泣きながら求婚した王太子に、アサは晴れ渡る笑顔で答えた。
「ええ、もちろん」
と。
アサが逆転して女王の座を勝ち得た後、アサとヨルは女王戦時代の不仲などなかったかのように、極めて仲良く暮らした。
ヨルは宰相となり、女王となったアサの一番そばに仕えた。
アサにとってヨルは、有能極まる懐刀であり、忌憚なき意見をくれるよき相談相手であり、そして半身のようであったと伝えられる。
そして王太子は強すぎる魔力に当てられたのか、常に何かに怯えていたと歴史書には記載されている。
アサが男児を産んだ頃に発狂したため、その後は先代女王とともに離宮で暮らしたとされる。
「ねぇアサ、気分はどう?」
アサが鏡に向かって問いかけると、鏡の中のアサの顔が歪む。
『いつも通り、最悪よ。あなたなんか、さっさと首を落としてしまえばよかった』
「そうよ、そうすれば良いのに。アナタが親友の命を自分で奪いたくないとか甘えたことを考えてるから」
『アンタみたいな性悪に体を乗っ取られるのよね』
親友という言葉は否定せず、鏡の中のアサは疲れた顔でため息を吐く。
『なんで自分の顔を見ながら会話しなきゃならないのかしら』
「あら、私からしたら、アナタの顔を見ながらだし、悪くはないのだけれど」
『私は私の顔しか見えないわ』
「それもそうね」
ほほほ、と楽しげに笑いながら、アサはパチンと指を鳴らして、魂を映しだす魔法を停止する。
「じゃあ、心の中で会話するに留めましょうか」
『……はぁ、本当ならマイペースなひと』
また一つ、脳内に呆れたため息が落とされる。でもアサは楽しげに笑ったままだ。
アサの魂は、実は消滅していない。
ヨルは王太子の手前そう言っただけで、強い恐怖に萎縮して飛び出しかけた魂を、ヨルはぐるぐる巻きに魔力の鎖をかけて押さえ込んだ。
そして、自分の気で練り上げ、魂を半分に分けて作り上げた分身の魂をアサの体に植え込み、己の魂でもって必死にもがくアサの魂を抑え込んだのだ。
一卵性の双子は、もともと一つの魂を分け合って生きているという。三つ子も四つ子もまたしかり。
つまり、一つの体に必要な魂の絶対量は決まってはいないのだ。
そういうわけで、ヨルの魔力と王太子の魔力を捻り合わせた力技の荒技であったが、一つの体に二つの魂は見事封じ込まれた。
そしてついでに、歴代最高の魔力を持つ体が生まれたのだ。
「ねぇ、明日は北の王国のドラゴンを倒しに行こうかと思うんだけれど、どう思う?」
『やめて。これ以上後世に私の悪名を残さないで』
「いやねぇ、残るのは名声だけよ」
『絶対違う』
うんざりしたアサの声が脳内に響くが、ヨルは本気でそう思ってるので気にならない。
今、アサの魂はヨルによって押さえつけられており、ヨルが許した時にしか外には顔を出せない。
入れ替わりの呪を失敗した時に、ヨルからかけられた禁呪のせいだ。
アサはまだ、これがどんな呪なのかわからない。
アサは、見事にヨルに負けたのだ。
「あ」
パチン、と指を弾く音がして、アサは体の自由を取り戻した。それと同時に。
「あら、アサになってるの?」
パタン、と女王の私室に入ってきた本体のヨルに、アサは笑いかける。
生殺与奪はヨルに魂ごと握られているが、ヨルの許す時は許す範囲での自由が得られた。
「ええ……ねぇ、なんで私を殺さなかったの?」
私は殺そうとしたのに、とアサが軽やかに囁ければ、ヨルもあっけらかんと答えた。
「あら、だってもったいないじゃない」
「え?」
意外な答えに戸惑うアサへ、ヨルはニコリと満面の笑みを浮かべる。そしてぎゅっと力強くアサを抱きしめた。
「せっかく私のことをわかってくれる最高の『親友』がいるのに、失うなんてもったいないわ!……ねぇアサ、アナタは私のモノでしょう?」
「あ……」
一瞬で首から下の自由を奪われて、今度は意識だけ『アサ』のまま、アサは呆れたと笑った。
「……ほんとうに、ヨルは怖いひと」
自由の効かない体を楽しげにもてあそばれながら、アサは細く息を吐く。
「普通にあいしてるって言ってくれればよかったのに」
「あら、愛なんて知らないわ。私はアナタが欲しいだけよ」
幼な子が拗ねるような、もしくは恋人を詰るような響きの甘い呟きに、ヨルはキョトンとした顔で首を傾げた。
「全部アナタのものにしてあげたかったし、アナタを全部私のものにしたかったの」
無邪気に笑うのは、アサに名誉も権力も、あらゆる属性の魔法をつかいこなす力も、それによって得られる歴代最強の魔女王の名声も、全てを与えてくれた女だ。
そして、その『全てを手にしたアサ』の全てを支配する女。
「あなたの愛って本当にこわい」
「そんなことないでしょう?」
「あら、すごく怖いわよ……まぁ、前から分かっていたけれど」
諦めたように目を伏せるアサに、ヨルは心底嬉しげに笑った。
「ふふっ、分かってくれる人がいてとっても嬉しいわ。アナタが生まれて初めてよ」
満たされた顔で笑うヨルに、アサは複雑な気持ちで口を開く。
「あなたの恐ろしさは、別に生まれ育ちによるものじゃないと思うわよ。あなたは裕福で幸せな家庭に育ってもそんな性格だったと思うわ」
「アナタの優しさは、天性のものに加えてきっと幸せな環境のおかげでしょうね。ご両親に感謝しなきゃあね」
軽口を交わし合いながら、アサは目を閉じて、ヨルの魂に見せられた過去を思い返す。
ヨルは生まれてすぐに捨てられた。
魔力が強すぎて、産まれた時に母親を殺してしまったのだという。
母殺しの子と父親に忌み嫌われ、孤児院に捨てられたのだ。
そう、聞かされていた。
その魔力の高さゆえか、生まれた時から記憶があるヨルにとって、それは愉快な作り話以外の何物でもなかったが。
捨てられた先の孤児院でも、あまりに強い魔力と賢すぎる知能ゆえに、ヨルは浮いていた。
ヨルはとても幸せとは言えない、なんなら不幸の典型とも言える子供時代を過ごしたのだ。
しかし、皮肉にも、孤児院を慰問に訪れた魔女王に優れた才能見出され、ヨルは魔法学院に特待生として入学した。
それ以来『不世出の天才』と呼ばれ、名声をほしいままにしてきた女だ。
対してアサは、国でも一二を争う名家に生まれた。
愛情深い両親、祖父母、歳の離れた兄と姉に囲まれのびのびと、存分に愛を受けて育った。
他人への興味は生まれつき薄かったが、愛嬌があり、常に朗らかに過ごすアサを愛さないものは少なかった。
そして優れた才能を認められてからは、裕福な資産にものをいわせた選りすぐりの英才教育受け、鳴物入りで魔法学院に入学した女だ。
ヨルに比べれば、「幸せでした」で終わる話で、語るほどの過去はないと言えるだろう。
二人は、生まれも育ちも正反対に違う。
しかし、魔法学院で互いの理解者たり得たのはお互いだけで、互いの興味をひいたのもお互いだけだった。
愛も執着も憎悪も憧れも、あらゆる感情は互いへしか向かない。
アサにとってのヨルも、ヨルにとってのアサも、そんな特異で特殊で、特別な相手だ。
そんな唯一の相手に向かって、ヨルは心底嬉しそうに笑う。
「私の、私だけのアサ。闇夜に包まれ私にとって、アナタは唯一の光よ。一生大事にしてあげるわね」
「……はぁ、恐ろしいこと。でもいいわ。
私はアナタに負けたのだもの。仕方ないわ」
「ふふ、そうよ、私はアナタに勝って、アナタは私に負けたの。だから、勝者に従ってね」
喜びに声を弾ませながら、ヨルはアサの柔らかい唇に口付ける。
アサの唇はいつも、裕福な家で育った彼女が唇の保湿に好む蜂蜜の味がする。
ペロリと舐めて味わい、微笑んだ。
あぁ、甘い。
幸せの味がする。
そう独りごちて、幸福感に包まれながら、ヨルはふんわりと目を細める。
ひどく甘い味のそれは、ヨルが求め続け、長い夜を彷徨った果てにやっと見つけた、朝の光の味なのだ。