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30年超しで母娘の誤解が溶けた日の話ですばいっっっ!

作者: ソウ マチ

「こんなにブサイクな子は初めて見たばい!」


ワタシがこの世に生を受けて一発目に聞いた言葉です。フツー赤ちゃんが生まれたら「おめでとうございます!」じゃないの??


言いやがったのは私を取り上げた産婆のババァ、聞いていたのはワタシの母です。生まれたてのワタシはおぼえていないのですけれど、母がワタシに何度も話して聞かせたのでまるで自分が聞いていたかのように記憶がすり替わっています。母も母です。その情報、私に伝える必要ある? 黙ってたらイイんじゃないの?


そして残念なことに、ワタシはブサイクなまま大きくなりました。兄は女の子と間違われるほど可愛らしかったので、母としては非常に不本意な娘だったようです。女の子が生まれたら可愛いお洋服を着せてお人形さんみたいに着飾って……そう思って楽しみにしていたようですけれどリボンもレースも見事に似合わない! 大きくなれば似合うようになるかと期待していたようですけれど、ことごとく期待を裏切る結果となりました。日に焼けて真っ黒で、棒みたいにやせ細っていて、やたらと目つきの悪い少年になってしまいました。


そうなんです。常に男の子と間違われていたのです。女の子だというと相手が「えっ!?」と絶句してしまうほどたくましく育ってしまい、スカートをはいた男子に見える珍妙な子どもになってしまったのでした。

可愛い兄と比べられて「お兄ちゃんは可愛いのに、マチちゃんは……」何度もそう言われるうちに、見た目だけでなく心もブサイクになってしまいました。ワタシがメンドクサイ性格なのは、このヘンが起因していると思います。


見た目が残念で性格も可愛くない娘なのに、母はよく頑張ったと思います。母なりの愛情を注いでくれて大事にしてくれました。余談ですが父はワタシを溺愛してくれました。見た目とか性格をすっ飛ばしてワタシを全身全霊で可愛がってくれた。でもワタシはメンドクサイ性格なので、そんな父を全力で避けていました。父、ごめん。


なんだかんだ言っても幸せな子ども時代だったと思います。でも……。ワタシは母に対する不信感を小さな頃からずっと抱えていました。そして母のことを「コイツは信用ならん」ずっとそう思っていました。


理由は私が幼かった頃に母から虐待された記憶です。おそらく2~3歳くらいの私を母が台所へ連れてゆきました。台所は危険という理由で出入りを禁じられていたので、どうして連れて行かれたかわからなかった。おぼえているのは目の前にモルタルでできた灰色の壁があったこと。母が小さな私を抱き上げると視線が高くなり、モルタルの壁はガスコンロを据える台の側面だったとわかった。


母は片手で私を抱いたまま、もう片方の手でガスコンロに火をつけました。青いガスの火が揺れています。

そして母は、嫌がる私の手を無理やり火に突っ込んだのです!! ありえない!!


普段は優しい母ですし、虐待されたのはこの時一度だけです。それでも私はずっとおぼえていた。だから母を信用できないまま大人になってしまった。


私が20代だった頃、母と私の争いは熾烈を極めました。母がやたらとダメ出しをして否定するのです。マチちゃんの考え方はおかしい、その服装は似合わない、その化粧はヘン……私のやる事すべてが気に入らないらしい。もちろん私は全力で反抗していましたから二人の関係は悪化の一途を辿っていました。けれども大人になるにつれて母が私を子どもではなく女として見ていることに気づいた。母娘ではなく女 対 女の戦いの構図がわかった時に、急にストンと力が抜けた。


育ててもらって言うのもアレですけれど、女としての価値が母に負けるとは思えなかった。母とちがってお勉強を頑張ってきたし、母が経験していないことも色々と知っている。知識や経験を深めるにつれて、美人だと言われる回数も増えてきました。私見ですけれど見た目の良い悪いって、知性に左右されると思いませんか? 知性があれば顔の造作が残念でもブスには見えない。自分に知性があると書いちゃってる時点でワタシの知性が残念なのが露呈しちゃっていますけれど、知性というのは客観的に自分を見ることができる力だと思います。


客観的に自分を見たときに、悪目立ちする要素を受け容れて目立たなくすることができれば、周囲は美人だと言ってくれる気がします。ワタシ、ほっといたら左右の眉毛がつながって一本になるくらい顔の毛が濃ゆいです。大きな声では言えませんけれどヒゲだってはえる。ww そういうのを丁寧に処理してツルツルの肌にして……。書いてて急に思い出した。絶対に美人って言われる方法!!


顔の作りとか服のセンスとかどうでもイイんです!! 最低限、清潔だったら問題ない!

背筋をピッとのばしてニコニコしてれば9割の方はキレイとかカワイイとか言ってくれます!! あとの1割は知らん! 9割の方がほめてくれたら大満足だ!!

いつでもニコニコしてたらイイんです! 真顔で綺麗と言われる人は本物の美人さんだけ! それを肝に銘じて常にニコニコしてたら自動的に可愛いとか綺麗って言ってもらえます! ぜひお試しください!

私が可愛いとか綺麗とか言われるのはニコニコ……正確にはヘラヘラしているからです!! 真顔の私はブスを通り越して、めっちゃタチ悪そうな顔をしています! 加害者顔です! それを知っているから常にヘラヘラしてる! だから私をブスだと言う人はいません! ぜひお試しください!!


そういうワケでヘラヘラしているうちに美人だと言われるようになった。母は女としての危機感を感じるようになり、少女から女になった娘の私を打ち負かしてやろうと全力で否定するようになった。この構図がわかった時に、私は母に優しくできるようになりました。嫉妬心を親心というオブラートでくるんだ苦言で私を攻撃する母に「それはお母さんの正解であって、私の正解じゃないの。たとえ母娘でもお母さんと私は別の人格なので、私のことは私が決めるわ。お母さんの意見を私に押し付けるのはやめてね」そう優しく10万回くらい言いました!! 長かった!! 気が遠くなるほど長い道のりでした! 10年以上かかったと思います!! 途中で何度もキレそうになった……じっさいに何度もキレたし……。それでもあきらめずにしつこく言い続けた結果、母娘ではあるけれど対等に物事を言い合える関係になりました! その頃から母がいろいろな相談を持ち掛けてくるようになった。私の知識や経験を認めてくれた証拠だと思います。


人として対等(そうは言っても育ててくれた母のほうが偉いんですけど)に付き合えるようになった時、私は意を決して母に質問しました。ここまで30年くらいかかったと思います。


ソウ:私が小さい頃、借家に住んでたやん?

母:うん。

ソウ:あそこの台所、ガスコンロを置いてた台はモルタルやったろ?

母:そうやったかね? おぼえちょらんね。

ソウ:灰色でね、ちょうど私の目の高さ。その上にガスコンロがあった。コンロと元栓をつなぐホースの色はオレンジ色やった。

母:言われてみればそうやった! よぅおぼえとるねぇ!!

ソウ:そのガスコンロにお母さんが私の手を突っ込んだ。私は火傷した。なんであんなことしたん?

母:そんなヒドイことするわけなかろうもん! なんば言いよっとね!?

ソウ:したよ。間違いない。

母:してないっちゃ! バカなこと言いなさんな!


たぶんそう言われるから、今まで聞く勇気が出なかったのです。でも私だって強くなった!


ソウ:絶対に間違ってない。お母さんは私を抱き上げて、嫌がる私の右手を無理やり火に突っ込んだ。私は火傷して泣いた。なんであんなことしたん? 理由を教えてほしい。


否定されてもブレない私に、母はたじろぎました。母はすっかり忘れていましたけれど、灰色のモルタル台、ガスコンロ、オレンジ色のガスホース……聞いているうちに昔の記憶が戻ってきたらしい。


母:そういえば、そんなこともあったかもしれんね……。

ソウ:あったかもじゃなくて、実際にあったの。どうしてあんなことをしたのか理由を教えて??

母:あれは…………、




ついに母の虐待理由が聞ける。私は固唾をのんで母の返答を待ちました。














母:あれは……、マチちゃんがガスコンロに触って火傷せんように、前もってガスの火が熱いっち教えようとしたんよ。火が熱いっち知っとったら、触ったりせんやろう? せやけん、手ば突っ込んだとよ。


虐待じゃなかったんだ! ……私が家庭児童相談室で働いた知識と経験から言わせてもらえば立派な虐待なのですけれど、母の認識ではしつけだったんだ! しつけと称してやってる事は虐待なのですけれど、それを言っても母は理解できないのであきらめます。母に謝ってほしいわけじゃなくて理由が知りたかったので、その辺はどうでもいいです。

そうか……。母なりに考えがあってしたことだったんだ……。なにかで逆上して咄嗟にやったのかと思ってたけど、そうじゃなかったんだ……。でも、これだけは言っておかないと…………。



















ソウ:知ってた。

母 :え?

ソウ:ガスコンロが危ないのも、火にさわると火傷するのも知ってた。だからガスコンロに手を突っ込まれそうになった時、私は一所懸命に抵抗した。だけどお母さんのほうが力が強いから無理やり突っ込まれた。

母 :そうなの?

ソウ:あんなことされなくても、ガスコンロは危ないって知ってたから触らなかった。お母さんのやったことは無駄だったの。私が火傷しただけで、イイコトなんて一つもなかった。

母 :そうなん??


30年も抱き続けた母への不信感は意外な結末で幕を閉じました。こんなことなら早く聞けばよかった。でも全力で否定されても聞く勇気を持つのに30年もかかってしまった。


この件は私の思い違いと判明しましたけれど、今でも断言できることが一つだけあります。


もしこの人が母親じゃなかったら、絶対に付き合ってない。もし同じクラスで隣の席だったとしても、絶対に友達になってない!! どうやっても性格が合わない!!


親子って、メンドクサイですよね。絶対にソリが合わなくても付き合っていかなきゃなんない……。他人様ならヘラヘラ笑って付き合いますけれど、母と話す時だけは笑顔が消えるんですよね……。

それでも生きてるうちに親孝行はしておかないと…………(ため息)。

ああ、メンドクサイ…………。

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