〜 アドルフ 〜
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私の婚約者が、私たちのアシェルが、私の夜着を着ていた。強烈な恥ずかしさに襲われて目元を覆ってしまったし、その後も首から下は見ないようにしていた。あの時の衝撃が忘れられるはずもなく、ソファで横になり寝たふりを始めてからじっくりと回想していた。ウィルに煽られたあの時の、私の妄想が半分くらい現実となり目の前に存在していた。圧倒的破壊力。私にはまだ実物は早かった。
私の方が身体が大きくてよかった。ボタンを閉めているのに自然と無防備になる首元。手の甲まで覆う袖口。ぶかぶかのズボン。緩く纏められた長い髪。あんな布切れしか身に付けていないのは防衛戦略的にいかがなものだろうか。すごく心配でどきどきが止まらない。早急に防御力の高い夜着を誂えさせなければ。
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王族に生まれてよかった。そう思ったのは何歳の頃だったろうか。好きな物も好きと言えず、やりたいこともできず、自由が無く抑圧されているのによく耐え成すべきことを成していると大人の貴族たちから誉めそやされた。勝手に周りが勘違いを起こしているだけだったがそれはそれで都合がよかった。
皆んなには好きなものがあるらしい。自分は何が好きなのか、何が欲しいのか、何がしたいのか。それが全くわからなかった。それを否定される環境だったならば思い悩むこともあったのだろうが、気付かれることなく過ごせたのは有り難かった。
もし生まれたの今とは真逆の自由意思が尊重される世界であったならば、私は呼吸さえ上手くできなかったかもしれない。欲しいものがない私は選ぶことも、決めることもできず、どこへも行けず、何にもなれなかったのだろうと思う。それなのに感情だけは備わっているせいで孤独に苛まれるのだろう。
この考えが厨なる病の早すぎる訪れだったのだと自認させられたのは6歳の頃だった。私にも欲しいものが見つけられた。アシェルと話したい、仲良くなりたい、もっと一緒に過ごせる時間がほしい。それを言葉を変えて、優秀すぎる彼には国内最高の教師を与えるべき、ひいてはそれが国の為になると、父上と母上に嘆願し共に家庭教師を付けて貰えることになった。まさかその結果本当に国の最高戦力、最終兵器になるとは思っていなかった。
それまでほとんど機能していなかった感情がアシェルが絡むと発露することに気付いた。
読みたい本が読めて嬉しい。
このクッキーが美味しくて好き。
この色がきれい。
弟が可愛い。だいすき。
剣術の鍛錬も楽しい。
この魔法をより効率的に構築したい。
嬉しい。好き。きれい。楽しい。
アシェルが興味を持ち関心を寄せるものに私も自然と吸い寄せられてゆく。
剣術と魔法が上達したのは言うまでもなくアシェルの影響だ。
彼はいつも弱点や改善点を探しそれを補うものや改良案などを出してくる。早い段階で授業で得られる知識に限界を感じ、自ら難易度の高い魔法書を読み漁り研究していた。もちろん私もそれに付き合う。アシェルが求める結果を導き出すために情報を精査したり構築式を汎用性が高くなるように分解したり展開したり、頭脳にはなれそうになかったので手足となって尽力した。
勉強も鍛錬も楽しいねとただ共に過ごしていたはずなのに、アシェルが冷え冷えとした目をしている瞬間があると気付いた。態度の変化に私に何か至らない所があっただろうかと、すぐさまふたりきりになれる場所で話を切り出した。聞けば、10代らしき年上の令嬢や令息、貴族たちの目が無いところでは男女問わず下級使用人たちに声を掛けられたり、服を掴まれそうになったり、少し離れた所からじっと見られていたり、という不愉快な思いをさせられていたという。自分ひとりであしらう事ができるだけの胆力と貴族位があるがために誰にも相談していなかったと言う。使用人たちに関しては私の管理責任に当るためとても申し訳なく思った。それにしてもなぜ彼らはそのようなことをしたのだろうか。貴族ならまだ繋ぎが欲しいなど考える余地はあることはあるが。理解できず近衛騎士団長に訊ねると苦笑いを湛え教えてくれた。
「側近殿は見目が良いですからね、男女問わず人気なんですよ。貴族たちには彼と縁を結んで娘婿にと企んでる者は多いと思いますね。王宮内で彼を直接見掛けることができた機会を逃せずに迫ってしまったり…王宮出仕者には下級貴族も多いですからね、正攻法で彼を手に入れることが不可能ならば手籠にしてしまえ…って感じですかね。」
つまり彼を色欲の滲んだ眼差しで見つめていたということか。そんなことにも気付いていなかったとは情けないと、部下が迷惑を掛けて申し訳ないと自分を恥じた。
そして娘婿という単語に強い忌避感を持ったが理由はわからなかった。
彼に出逢った時、輝く銀髪から目が離せなかった。そして今ならわかる。アシェルの銀髪も翡翠の瞳も美しく綺麗だ。それをいつか伝えてみようか、そうしたら髪の毛を触らせて貰えるだろうか、と近頃よく思っていた。でもそれは彼は今日のように不快だと思うのかもしれない。それに髪の毛を触ってみたいだなんて手籠にしようとした不埒者たちと同じじゃないか。彼に伝える前に気付けてよかった。これからも見るだけに留めよう。己を諫める。また離宮内の使用人が彼を色欲の対象として見ないような年齢の者に限定してもらえるよう母上に掛け合ってみよう。私は大切な友人を、彼を守らなければと強く拳を握った。
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「今度公爵邸で勉強会をしませんか?気分転換になるかもしれませんし、私の可愛い弟も紹介したいですし。」
珍しくアシェルから提案があった。いつも暗黙の了解で王宮図書館か私の私室にいるので確かに気分転換にはなりそうだ。それに噂の弟君にも会ってみたい。今までにも数えるほどだが公爵邸を訪問したことはあったがその際にはいつも、まだ弟は殿下に挨拶できるだけのマナーを身に付けていませんからなどと笑っていた。ただ噂では同じ年頃の時のアシェルも斯くやと言わしめている優秀な男子だと聞いている。きっと可愛すぎる弟を隠しておきたかったのだろうと胸の中で微笑む。私はあまり自分の弟とは一緒に過ごさないので仲良し兄弟というものにも興味があった。
そして公爵邸に着くと勉強の前にガゼボで休憩を兼ねてお茶を、その席に弟も同席させていいですかと訊ねられもちろん快諾した。
先にふたりでガゼボで休んでいると小さな男の子が侍女と共に来た。アシェルとは血が繋がっていないはずなのに柔らかい雰囲気がとても良く似ていると思ったし、青紺の耳下までのふわりとした髪の毛も、同じ青紺の瞳の色も美しいと思った。アシェル以外には初めて覚える感情だったが、アシェルが好きなものなのだからそう思えて当然だった。
マナーはすでにしっかりと覚え馴染んでいるようで粗相する心配は全くなかった。ただ緊張しているのかあまり多くは話してくれなかった。それに然程長い時間をお茶に充てているつもりはなかったが、弟君は疲れてしまったようで先に部屋に戻られた。顔色が少し優れないようにも見えたが、無理をさせたのでなければいいのだがと念の為にアシェルに謝っておいた。そのあとは帰宅を侍従に促されるまで公爵邸の図書室で魔法の研究に勤しんだ。今度来る時には弟君の好きなものをお土産に持ってこよう。アシェルが大切にしているものは私の大切なものでもあるのだから。
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初めて出逢ったのはたぶんウィリアムが5歳か6歳の頃。緊張している姿が可愛らしかったのに。今たぶん私は怒られている。6歳年下の可愛い弟分に。
あれ以来一緒にお茶をしたり、勉強をしたり、剣の手合わせも、魔法での試合もした。軽口を叩き合う兄弟のように接してきた。事実本当の弟よりも過ごす機会は多く、気も合うようだ。特にアシェルが好きな点に於いて。
だからたぶん今私を叱ってくれているんだと思う。叱咤激励というやつ……なはず。
「じゃあ私が兄上と結婚しますね。兄上と同じベッドで眠る権利を誰かに譲るなんて私には耐えられませんから。お風呂上がりの艶やかな顔や匂い、寝起きの可愛らしくも婀娜っぽい姿、私以外がそれを見るのは我慢なりません。殿下はあの令嬢のどちらか若しくはどちらも娶られれば良い。兄上のことを考えていたら会いたくなりました。早く会いたいので私はこれで。」
ウィリアム先輩、待ってください。
一緒に寝たことあるんですか?お風呂上がりはまぁ見れるかもしれないですが、寝起きは……寝起きずるいです。私も見たいです。私も令嬢よりアシェルを娶りたいです。私も会いたくなりましたが今日は非番なので会えません。帰る家が一緒ってずるいです。
私が捲し立てられ当て擦られる言葉をゆっくりと映像化し脳内で質疑応答をしている間に、彼は帰ってしまった。
即座に前言を撤回するべきだった。ただ撤回してどうなるものか。今日の顔合わせをは3人続けて行われた。ウィリアムが最後だったわけだが、先に顔合わせをした令嬢たちの顔はもはや思い出せない。お風呂上がりのアシェル。ベッドの中にいる夜着のアシェル。寝起きのアシェル。もうそれしか考えられなかった。
一番大切にしている友人で、終生側近として仕えてもらうつもりだった。アシェルだけが私の感情の向かう先だった。これがいつから恋だったのかは明白。一目惚れだ。
アシェルを娶りたい。でもそれは彼らふたりを引き離すことにならないだろうか。アシェルは今でも弟が大好きだ。私と結婚してしまったら帰る家が別になってしまう。それ以前に婚約候補を選んだのは陛下だ。変更は難しい。今になってこの気持ちに気付いてしまってよかったのだろうか。なんでウィリアムは私に気付かせるようなことを言ったんだ。ウィリアムだってアシェルが大好きで自分で言ったように結婚したいほどだろうに。
私には考え及ばないことをウィリアムは考えているのかもしれない。問題の側面や切り口を変えてくれるのはいつも彼だから。
次の機会にはきちんと謝罪しよう。そして話を聞こう。それまで私にできることは、映像を提供してくれたウィリアムに感謝することだけだ。
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お読みくださりありがとうございます。




