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ハルア国第一王子は初めて自分の身に起こる渇望に驚いていた。
「なんて事だ…理性が乱される…。」
隣国から婚約者を決めるためにやってきたローゼ嬢を一目見た時から動悸が止まらなくなった。
それは〝番〟を見つけた獣族の反応に酷似していた。
長く付き従ってきた執事のラスランにはおめでとうございます。と大変喜ばれたが、婚約はまだ決定していない。気が早い話だ。
自身の変化は、己が白銀龍の獣族である所以か。
〝番〟など、生きてきて出会えることが稀であり、奇跡的な出会いである。
もしも、本当にローゼ嬢と婚約が出来たらこの上ない幸せであるだろうと思いを馳せた。
「ラスラン、俺はどうにかなってしまいそうだ。」
執務室、部屋には二人だけ。弱音も二人だけの時には吐いても問題ないとしている。
スッと背筋を伸ばし執事の鏡たる姿勢を崩さずラスランは答える前にローゼ・ティアドロップの情報がまとめられている書類を机の上に置いた。
「アルフィス様、先ずは情報です。ローゼ嬢から選ばれるための戦略を練りましょう。」
王子は書類を手に取り中身によく目を通した。
中には領民の為に税収をなるべる抑えていることや元婚約者とのことまで。〝荊棘〟と揶揄されているがただの妬みだとか、使用人をとても大切にしていることや今回の来訪に同行しているメイドのリザとは特に親しくしていることも書かれている。
「よく調べ上げたな。」
その一言にラスランはこくり、と頷くだけであった。
だが、大切なのは実際に会い自分を気に入ってもらえることが先決。兎に角選ばれる事を願いアピールするしかない。
ローゼ嬢を生涯大切にすると、婚約前に伝えたっていい。なりふり構っていられないのだから。
アルフィスはグッと拳を作ると自分の中で誓うのだった。
「御滞在中、何不自由無く過ごして頂こう。」
豪華な昼食を終えて、アルフィスとローゼは薔薇の咲き乱れるガーデンを二人で歩きガゼボでお茶を飲むことにした。
「素敵なガーデンですわ。連れてきてくださりありがとうございます。」
ローゼには薔薇がよく映えた。黒髪と薔薇色の瞳のコントラストがそう魅了させるのか、ただ会話するだけでアルフィスはくらくらと目眩に似た感覚を覚える。
薔薇の香りだけじゃなく、彼女自身から香る何かがアルフィスを誘惑して堪らない。
「き、気に入って頂けたようで良かったです。」
彼女の前ではいつもの完璧な振る舞いが出来ないことに気づく。自分は初恋を拗らせた少年のようだと内心自嘲する。
エスコートのための手を取り椅子を引いてローゼを座らせるのも今のアルフィスでは至難の業。
「ありがとうございます。私が飲んでいる紅茶もハルア国からのものでして、いつも美味しく頂いておりますわ。ハルア国は貿易が盛んでとても豊かだとお聞きしております。これからも隣国としてよろしくお願い致しますわ。」
椅子に座り、小さく可憐な手で紅茶を飲みながらローゼはまるで外交のための来訪のような口振で無表情で言った。それに少し驚いたが調べ上げた彼女の情報から考えるとこういった発言もするだろうと納得する。
「えぇ、こちらこそこれからもよろしくお願いします。ですが、今日は外交というより婚約の件で話し合いたいと思っております。どうか、他の公爵家の者と会う前に、是非私をお選びになっては頂けないかと。」
単刀直入。
自分の体温が上がっていくのがわかった。
驚いた表情を浮かべるローゼに心躍るが紳士を貫き通すため緩みそうな顔を心の中で叱責する。
「そうですわね…、はい、よろしくお願い致します。」
無表情で了承を呆気なくされる。
しばらく二人の間で静寂が訪れるが先に動いたのはアルフィスであった。
「あ、あぁ、あの、大変喜ばしいのですが本当に宜しいのですか?」
吃りながらアルフィスは歓喜を隠さず聞いた。
「…はい。獣族の方は〝裏切り〟をしないとお聞きしております。私にとって、勿体無い縁談です。こちらこそ大変喜ばしいこと。どうぞよろしくお願い致しますわ。」
長いまつ毛で縁取られた薔薇色の瞳がアルフィスを射抜く。淡々と述べられる事は確かに隣国とはいえ王族との婚姻は公爵家としても破格な縁。もっと苦労があるかと意気込んでいたアルフィスはどこかホッとして胸を撫で下ろした。
「当然です。ハルア国第一王子アルフィスの名の下、決して裏切らないと誓います。私にとって〝番〟であるローゼ嬢を生涯愛し幸せにします。」
幸せにする。絶対に。
アルフィスは彼女に降りかかる災難や困難に打ち勝つ自信があった。〝番〟である彼女を妻にできる幸せに舞い上がり胸が高鳴った。