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黒い髪はシルクのような質感で光沢があり艶やかでいつも薔薇の香りが漂っていた。
裏で薔薇姫ではなく荊棘姫と言われる所以の目つきは少しつり気味だが大きく瞳の色は鮮やかな薔薇色。白い肌は陶器のようにツルリとした肌荒れ等に無縁な美しさがある。鼻は小さく控えめでありながら形よく程よい高さがある。唇は17歳にしては色香の漂うワインレッド。迫力のある美しさに溜息が出る。
メイドであるリザは自分が仕えているローゼお嬢様の美しさに夢中であった。
沢山のメイドの中の一人である自分にある時声をかけられてから彼女はローゼの〝荊棘〟が嘘ではないかと思うようになった。
ある時、いつも通りに紅茶を注ぎ終えた途端手を掴まれたのだ。そして、こう言った。
「まぁ、手が荒れているわ。いつも頑張ってくれてありがとう。良い保湿クリームがあるから後で差し上げるわ。」
表情一つ崩したりはなかったが、リザにとっては大変な出来事であった。あの、〝荊棘〟と言われた令嬢に労ってもらえたのだから。
確かにささくれだった指先をしていたが、それに気づくとは思わなかった。少し恥ずかしくもあったが、何だか胸の辺りが暖かくなった気さえした。
実際に、口だけでは無くお茶の時間が終われば自室に呼ばれて保湿クリームを渡されたのだ。まさかの高級品。ローゼ様曰くまだ他にも持っているから気にしないで、とのこと。
それからリザはお嬢様を特別な目で見るようになった。両親に可愛い薔薇、と言われるのがわかった気がした。
荊棘なんかじゃなく、ただ表情が乏しいだけで美しく優しい薔薇なのだ。
「リザ、また欲しくなったら言ってね?」
最近覚えてもらえた自分の名前すらお嬢様の唇から出てくると何か特別になれたようにさえ思えた。
ツンとした冷たさがあるように見えて優しいお嬢様、何気ない気まぐれだったとしてもリザにとっては優しい思い出。
大切に大切に宝物になった保湿クリームを使っていった。
その大切な薔薇のお嬢様が婚約破棄を願い出た。
屋敷中が驚いたが何やら旦那様と約束をしたらしい。婚約破棄をする代わりに隣国の方と婚約をすると。
お嬢様なりに貿易や領地のことを考えなさって決めた事のようだ。
そしてリザは隣国へ向かう時に一緒に仕える者として1番に立候補した。お嬢様もどこか表情を緩めてくれたような気がした。自惚れでなければ屋敷の中で1番に名前を覚えて頂いたはず。これは絶対に仕えなければ、とやる気に満ちていた。
「リザ、一緒に来てくれてありがとう。」
馬二頭が引く公爵家の家紋が掘られた馬車に乗って直ぐのこと。あまり広く無い馬車の中、小さく言われたお礼にまた胸が暖かくなった。
「恐縮でございます。」
言葉を発して良いと言われてないにも関わらず、つい口から出てしまった。
もしかすると叱られるかと思われたが逆ににこり、と微笑まれた。その衝撃といったら。
同じ女性でありながらかぁっと頬が熱くなってしまい少し俯いた。不敬にならないようで安心したところでとんだ爆弾がやってきた。まさか薔薇が微笑むなんて。
長旅、休憩を取りながら隣国に着いたのは丸一日かかった。
夜でありながら盛大に出迎えられ、ティアドロップ家は王族の客人として迎えられた。
隣国は獣族とヒト族が共存している貿易の盛んな国である。毎日飲んでいる紅茶も実はこの隣国ハルアの国原産であった。領地的にも隣国とは良い関係を結ぶチャンス。
リザは心の中でローゼを僭越ながら激励していた。
「まぁ、素敵な薔薇。お心遣いありがとうございます。」
宮殿に着き、第一王子から贈られたものは薔薇の花束だ。ローゼが薔薇と讃えられる事を情報として既に持っているらしい。今回の婚約は国としても公爵家としても大変喜ばしい事、王子として何としても結びたい縁であった。
「薔薇の姫とお聞きしておりました。喜んで頂けると幸いです。長旅でお疲れでしょう。今夜はゆっくりとお休みください。」
とても紳士にエスコートされ、遅い夕食を振る舞ってもらいお風呂を借りた。
髪を洗うのが好きなリザは長旅で疲れていようが喜んでローゼの浴を手伝った。
「リザも疲れているのにごめんね。ありがとう。」
艶やかな髪に薔薇のシャンプー後オイルをつけ櫛で優しく流す。何度か繰り返し今度は体を洗う。大切な御身を傷つけないよう柔らかなタオルで泡立てて優しく優しく体に滑らしていく。
「ローゼ様が心地良く眠れますよう願っております。」
発言を許されていたリザは額の汗を拭いながらローゼの背中に泡を滑らせた。
「いつもありがとう。」
その言葉、表情は見えなかったがきっと優しく微笑んでくださっているはず、とリザは浴の仕上げに入った。
優しくお湯を流していく。薔薇の香りが風呂場に漂う。
王子の計らいで湯船には薔薇の花弁が浮かべられていた。
「ねぇ、リザは第一王子様をどう思う?」
思ってもいない質問がやってきた。リザは大きなバスタオルでローゼお嬢様の体を包みながら答えた。
「私が感じた空気では大変紳士な方で、美しい方だと思いました。人となりはやはり今すぐには分かりませんが、お嬢様を大切にしたいと、いう気持ちは感じられました。」
リザは優しくローゼお嬢様の体から水滴を拭っていき、最後の仕上げにボディーローションを体に塗っていった。自宅邸から持ってきたこのローションは薔薇から抽出された美容液である。全身に塗られるそれはリザの手まで薔薇の香りを漂わせた。
「そう。…私、本当は婚約がしたいとは思っていないの。婚約破棄の為の約束だったからハルア国まで来てしまったけれど、これから不安ですわ…。」
ローゼはリザを信頼して不安を溢した。
シルクの寝着に袖を通すのを手伝ってもらいながら長いまつ毛を下げて瞳は少し揺れていた。
そんなローゼにリザは寄り添う事しか出来ず自分ができる事なら何でもしてやりたいと思っていた。
明日にはきっと、王子との会談、その他ハルアの公爵家との会談があるだろう。短い滞在の予定であるが婚約者を決めなければいけない何もわからず、不安が募るのもよくわかる。
リザは緊張を解すマッサージまですることにした。
ローゼお嬢様の髪の毛一本から足の爪先まで薔薇の香りが漂いリザは今日も仕事をやり終えた、と1人満足していた。
「きっと、良いご縁がありますでしょう。」
デコルテから肩にかけて優しくリンパを流すマッサージをした。すると、珍しくローゼお嬢様は眠りに落ちていった。
体の細いローゼをお姫様抱っこで寝室まで運ぶリザ。
起こさないよう細心の注意をしながらふかふかなベッドへ寝かせた。
「どうか、良い夢を見てくださいませ。」