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偶然知り合って、偶然好き合って、偶然付き合って、そして運命を感じた

作者: 墨江夢

 クソッ。思った以上に、仕事が長引いてしまった。

 予想以上の残業に、内心文句を吐き捨てる。


 深夜12時。食品メーカー勤務の俺・久道兼人(くどうかねと)は、終電に乗るべく夜道を小走りしていた。


 残業続きの毎日の中、見たいドラマがあったので今日くらい早く帰ろうと息巻いていたのに……定時直前で上司に仕事を押し付けられ、気付けば深夜になってしまっている。トホホ。


 気付けば日にちが変わっていて。もうドラマが観たかったとかそんな不満は口にしないから、せめて家に帰らせてくれ。


 駅に着くと、既に終電は止まっていた。

 あの電車を逃すわけにはいかない。俺はスピードアップをする。

 減速せずに改札を抜けようとしたのだが……改札のバーによって、行手を遮られてしまった。


 ……そういえば、昨日で定期券が切れていたんだっけ? そして残高も0円に等しい。

 俺は急いでチャージを済ませて、再度改札を通る。しかしホームに到着する頃には、既に終電は去ってしまっていた。

 

「……ハァ。しくじった」


 定期が切れることは、一週間以上前からわかっていた。残高がないことも把握していた。

 だけど「また今度で良いだろう」と後回しにしていた結果、今日のような悲劇が起こってしまったのだ。

 次からは後回しにしないようにしよう。俺は自身に誓う。


「さて、これからどうするかな。ホテルに泊まるか、それとも……」


 朝までカラオケや居酒屋で時間を潰すのも悪くない。こうなりゃもう、やけ酒だ。

 俺がそんな風に考えていると、近くから「嘘っ!」という女性の声が聞こえた。


「終電、もう行っちゃったの!? これじゃあ帰れないじゃん!」


 どうやらこの女性も、俺同様終電を逃してしまったクチらしい。

 スーツを着ているし、彼女も残業で遅くなったのだろうか?


 そんなことを考えながら女性を見ていると、ふと彼女と目が合う。

 

「もしかして、家に帰れなくなった系ですか?」

「もしかしなくても、家に帰れなくなった系です」


 それから俺と彼女は、軽い自己紹介と雑談に花を咲かせた。

 彼女は古沢美紅(ふるさわみく)という名前で、大手スーパーマーケットの本社に勤務しているらしい。


 今夜は観たいドラマがあったので早く帰ろうとしたのだが、定時直前で上司に仕事を押し付けられ、気付けばこの時間になっていたそうだ。……どこかで聞いたことのある事情だな。


「帰り支度を始めている部下に、「会議資料、作ってくれる?」って言いますか、普通!? しかも会議は明日とか、いや、もっと早く言えよって感じですよね!? しかも自分は9時くらいに退社するし!」

「それはウチに負けず劣らずのクソ上司だな。……こっちは定時になろうとしたところで、「この案件、頼めるかな? ちょっと今日は外せない用事があって」って言われて押し付けられたんだぞ? しかもその外せない用事って、なんだかわかるか? 愛人との密会だよ」


 誰もいないのを良いことに、俺と古沢さんは上司への不平不満を口にする。

 皮肉なことに、時間はたっぷりある。


「あー、もう! 口にし始めたら、愚痴が止まりませんね!」

「そうだな! もういっそ、とことん吐き出しちまおうか!」

「ですね! ……駅のホームで悪口大会もなんですし、良かったら、飲みに行きますか? 私、美味しいお店知ってるんですよ」

「それは良いな! そうしよう!」


 それから俺たちは居酒屋に入って、上司や会社や社会に対する愚痴を肴に酒を飲んだ。

 普段あまり悪口を言わない方なんだけど、今日はアルコールが入っていたからだろうか? それとも、彼女にシンパシーを感じてしまったから?

 

 古沢さんとの酒の席は想像以上に盛り上がり、真っ暗だった外はいつの間にか白んできた。


「今日はありがとうございました。それで、その……嫌じゃなかったら、連絡先を教えてくれませんか? また一緒にお酒を飲みたいなぁ、なんて」


 女性に連絡先を聞かれるなんて、初めての経験だな。返事は勿論OKだ。


「それじゃあ、また。今度は愚痴じゃなくて、互いの趣味とか語り合おうか」

「ですね。楽しみにしています」


 こんな素敵な出会いがあるのなら、たまには残業も悪くないのかもしれない。


 こうして俺と彼女は、偶然知り合った。





 古沢さんと出会ってから、一週間が経過した。

 この一週間、定時で退社出来た日は一度たりともない。悲しいことに、連日残業だ。


 以前は残業に対して抵抗があったけど、今はその考え方も少し変わっている。

 古沢さんと会えるなら、残業になったって構わない。そう思っているんだけど……あれ以来、彼女とは会えていない。


 連絡先を交換したけれど、未だメッセージは送っておらず。ヘタレな俺は、拒否されたらどうしようという不安が先行してしまうのだ。

 安定の待ちスタイル。そのせいで何度も失恋しているというのに、本当、学習能力がない。


 この日はクソ上司と一緒に、取引先の社員と会うことになっていた。

 今日会うこの会社って……確か古沢さんの勤めているところだったよな。本社から人が来ると言っていたし、もしかしたらという淡い期待を抱く。


 だけど本社に一体何人の社員が勤務していると思っているんだ? まさか、古沢さんが来るなんてことはないだろう。

 そう思っていたんだけど……


『……あっ』


 俺と古沢さんは、予期せぬ形で再会することになった。


「久道さん、先日はどうも」

「こちらこそ」


 会釈を交わす俺たちを見て、クソ上司が尋ねてくる。


「ん? もしかして、二人は知り合いなのか?」

「それは、えーと……」


 お互い残業のせいで終電を逃したので、近くの居酒屋でアンタらの愚痴をこぼしまくった仲です。なんて、当然言えるわけもなく。


 さて、なんて誤魔化そうか。俺が回答を言い淀んでいると、


「ちょっと、プライベートで交流がありまして」


 苦笑を浮かべながら、古沢さんがはぐらかす。


 全てを語ったわけではないが、嘘は言っていない。その上で、この「それ以上の追及は勘弁して下さい」という表情。実に上手い誤魔化し方だった。


「成る程〜。プライベートな交流ね〜」


 この野郎、絶対に勘違いしているな。

「残業で遅くなった日に、二人でホテルでも行ったの?」とか言い出すようなら、セクハラで人事部に密告してやる。


 いくらクソ上司とて、最低限の常識はある。この場で下衆な話をすることはなかった。


 仕事の話がつつがなく終わると、時刻は12時を少し過ぎたあたりだった。

 丁度お昼の時間だし、折角だから古沢さんをランチに誘うとしようかな?


「古沢さん」


 俺は古沢さんが上司と別れた隙を狙って、彼女に話しかけた。


「良かったら、お昼一緒にどうかな? ご馳走するよ」


 すると彼女は待ってましたと言わんばかりに、パーッと顔を明るくした。


「私、オムライスが食べたいです」

「古沢さんは、オムライスが好きなのか?」


 俺の心のメモ帳に、しっかり記しておいた。


「卵料理全般が好物です。……まぁ好きなのは、オムライスだけじゃありませんけど」


 俺をジーッと見ながら、古沢さんは言う。

 ここで「ケチャップも好きなの?」とトンチンカンなことを言う程、鈍感じゃない。

 だけど今までモテた試しのない俺だ。信じられないという気持ちもあった。

 

 俺は古沢さんに、少なからず好感を抱いている。

 もしかして、古沢さんも俺のことを――


 こうして俺と彼女は、偶然好き合った。





 恋愛と営業は似ている。

 如何に自分の良いところをアピールして、相手に選んで貰うのか? そこが一番難しいところで。


 会社で再会した日以来、俺は何度か古沢さんを食事に誘っていた。

 俺の方には多分に下心があったから、デート呼んで差し支えないかもしれない。


 古沢さんとの逢瀬を重ねて、二つわかったことがある。

 一つ目は、俺がやはり俺は彼女が好きだということ。彼女と話していると楽しいし、一緒にいると落ち着く。これは間違いなく、「好き」ということなのだろう。


 二つ目は、あくまで多分なのだけど、古沢さんも俺が好きだということ。頻りに「私、彼氏いないんですよねー」だったり「あーあ。彼氏、欲しいなぁ」みたいなアピールをしているので、恐らく俺を「好き」ということなのだろう。


 古沢さんと好き合っているのならば、次はどうするべきか? 無論付き合うべきだし、俺も彼女もそれを望んでいる。

 初の恋人が古沢さんなんて、誇らしいことこの上ない。でも――


「告白、したことないんだよなぁ」


 恋愛は何度も経験したけど、ヘタレな俺はいつも告白出来ずに失恋している。

 告白の仕方がわからないのもあるけれど、それ以上に告白する勇気が俺にはなかった。


 ……だけど、今回ばかりは逃げていられない。

 誰にも取られたくないと思うくらい、俺は彼女にベタ惚れしてしまっている。


「古沢さん……」


 キモいとわかっていながらも古沢さんのプロフィール画像を眺め続ける。すると、あることに気が付いた。


「……って、古沢さんの誕生日、今日じゃん!」


 今までそういう会話になったことがなかったから知らなかった。だけど好きな女性の誕生日を祝わないなんて、知らなかったで許されることじゃない。


 時計を見ると、時刻は11時を回ってしまっている。

 深夜だというのを重々承知しながらも、俺は古沢さんに電話をかけた。


『もしもし、久道さん?』

「あぁ。夜分に悪いな」

『それは構いませんけど……どうかしましたか?』

「一言だけ、伝えておきたくて。……誕生日おめでとう」

『――!』


 電話の向こうで、彼女が息を呑んだのがわかった。


『私の誕生日、知っていてくれたんですか?』

「自白すると、さっき気付いたところなんだわ。だから伝えるのが遅くなってしまった」

『構いませんよ。……久道さんにお祝いされるなら、何時だって嬉しいです』


 今この瞬間テレビ電話に切り替えたら、古沢さんの顔は赤くになっているだろうか?

 因みに俺は、耳まで真っ赤になっている。


 気恥ずかしくなった俺は、話題を逸らす。


「誕生日は、誰かに祝って貰ったのか? 家族とか、友達とか」

『残念ながら、一人で過ごしました。悲しい悲しい独り身です』

「そうか。……じゃあ来年は、二人でお祝いしないか?」


 気付くと俺は、そんなセリフを口にしていた。

 もしかして……俺今、告白同然の発言をした?


『えーと、それってどういう……?』


 古沢さんがセリフの真意を求めてくる。……ここまで来て逃げるのは、男として情けないよな。

 俺は腹を括った。


「だから、その……好きです。俺と付き合って下さい」


 人生初の告白は、なんとも格好のつかないものになってしまった。

 しかし残念なことに、この失敗を次に活かすことは出来ない。なぜなら――


『……はい。よろしくお願いします』


 ――俺は古沢さんを、絶対に手放すつもりがないのだから。


 こうして俺と彼女は、偶然付き合った。





 古沢さんと付き合って、一年が経過した。

 この一年で、わかったことがある。古沢さんは、やっぱり最高の女性だということだ。


 何回デートを重ねても、ドキドキが収まることはない。それでいて、一緒にいて落ち着く。

 俺には古沢さんしかいないと、その度に再確認した。


 交際半年を過ぎると互いの家にお泊まりに行ったりして半同棲生活を楽しみ、一年を経過したこのタイミングでいっそ同棲でも始めようかと話していた今日この頃。

 俺の人生と俺たちの交際における転換期が訪れた。


「……異動ですか?」


 クソ上司から告げられた突然の辞令に、俺は思わず聞き返す。


「そうだ。この度東北に支社が新設されることは、お前も知っているだろう? そのメンバーに、お前も選ばれた」

「……マジですか」

「正確には選ばれたと言うか、俺が推薦したんだけどな。大いに感謝してくれて構わないぞ」


 いや、感謝なんてしねーよ。だって異動したくないもん。


「異動したくない」と駄々をこねても、命令ならば従う他ない。嫌なら会社を辞めろという話だ。


 一年前の俺ならば、「クソ上司と離れられる! ヤッホーい!」と歓喜していただろう。だけど、今は違う。

 離れたくない人が、ずっとそばにいたい人がいる。


 同棲をしようと思っていた矢先に、この仕打ちだ。恋愛の神様は、俺に恨みでもあるのかね?


 憂鬱な気持ちのまま帰宅すると、既に玄関の鍵は開いていた。

 我が家の合鍵を持っている人間なんて、一人しかいない。古沢さんだ。


「……ただいま」

「おかえりなさい。……あれ? 元気がないように見えますけど、何かあったんですか?」

「実はな……」


 俺は異動の件を、包み隠さず古沢さんに話す。

 話を聞き終えた古沢さんは、「そうなんですか」と呟いた。


「俺はお前と離れたくない。だけど会社の意向に逆らうことも出来なくて。……って、悪いな。こんな愚痴聞かされても、困るだけだよな」

「そんなことありませんよ。報連相が大切なのは、恋人間でも同じことです。相談してくれて、ありがとうございます。……しかし、東北に転勤ですか。そうですねぇ……」


 しばらく考え込んでいた古沢さんだったが、やがて「よし!」と大きく頷く。


「私も一緒に東北に行くことにします」

「……え?」


 予想外の古沢さんの発言に、俺は耳を疑った。

 今彼女は……一緒に東北に行くと言ったか?


「事後報告をしますね。実は私も、「東北の支社に行かないか?」と提案されていたんです。だけど久道さんと離れ離れになりたくなかったから、お断りしちゃいました」


「てへっ」と、古沢さんは舌を出す。めっちゃ可愛い。


「だけど久道さんも東北に行くのなら、話は別です。私も異動を受けようと思います」


 つまりは、だ。

 偶然同棲をしようと考えていたタイミングで、偶然俺も古沢さんも東北に転勤になろうとしていたのか。

 そして偶然二人とも、「一緒にいたい」という理由で転勤を断りたかった。


 ……そんなの、もう偶然じゃ片付かない。最早運命だ。


 運命を味方につけた男は強い。もう何も怖いものなんてないんだから。


「それじゃあ古沢さん、俺と一緒に東北に来てくれるか?」

「勿論です!」

「あと、結婚してくれるか?」

「勿……って、はい?」


 突然のプロポーズに、古沢さんは驚く。

 ……勢いで求婚したんだから、そこは反射的に「勿論」って言ってくれよ。聞き返されると恥ずかしいじゃないか。


 俺は鞄の中をあさる。

 婚約指輪なら、同棲を考え始めた時から用意していた。


 指輪を見せながら、俺は古沢さんに改めて告げる。


「古沢美紅さん。俺と結婚して下さい」


 古沢さんは婚約指輪を手に取ると、二度と手放さないと言わんばかりに大事に抱え込んだ。


「はい。よろしくお願いします」


 偶然知り合って、偶然好き合って、偶然付き合った俺たちは――こうして必然的に、夫婦になったのだった。

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