その四 わんこ、姫様を救う
完結します。よろしくお願いいたします。
その朝、クロは一晩中吠え続けたのどを潤そうと、砦の井戸へやってきた。
木桶から、兵士が汲んでおいてくれた水を飲んでいると、いつかの白犬が現れた。
クロは、水を飲むのをやめ、低くうなりながら白犬をにらんだ。
―― たいしたものだなあ! ここまでやるとは、俺にも想像できなかったよ。
白犬は、親しげにクロに近づいてくると、心底感心したような口調で言った。
クロは、気乗りがしなかったが、白犬の相手をすることにした。
―― あんたの物言いは気にくわないが、姫が嫁いだことを知らせてくれたことは感謝している。ところで、今日はいったい何のようだ?
―― いや、犬っころのおまえが、姫様を思う気持ちに心を打たれてな。少しばかり力を貸してやりに来た。
―― あんただって、俺と同じ犬だろう? 何ができるというのだ?
白犬は、にやりと笑うと、その場でくるくると三回回った。
そして、最後にぴょんと跳び上がったが、地面に降り立ったときそこにいたのは、白犬ではなく白い衣を着た老人だった。
「黒犬よ、よく百日も姫を守り続けたな。しかし、おまえの体力もそろそろ限界だろう? わしが、おまえに、姫を助け出す機会と道具を与えてやる」
白犬が変身した軽薄そうな老人に、胡散臭げに目をやりながらクロは言った。
―― 湖には、魔物が操る水妖が住みついていて、泳いだり船を使ったりして魔物の城へ行くことはできないんだ。いったいどうやって湖を渡るのだ。俺には鳥のような翼はないぞ!
「わしが、冷たい風を湖に呼び、湖面を凍らせてやる。おまえは、その上を滑っていくのだ。湖面が凍ってしまえば、水妖たちも邪魔することはできぬ」
―― 氷の上を滑る? 足の裏が痛いほど冷えて、とても魔物の城までは行き着けないと思うが……。
「これを使うのじゃ」
老人は、底に木で作った刃を縛り付けた、不思議な形の靴をどこからか取り出した。
「これは、スケート靴といってな、氷の上を滑るための靴なのだ」
―― 俺は犬だから、靴など履いたことはない。それに、そんなへんてこな靴で、うまく滑れるとは思えん。
「大丈夫だ。おまえの前世は人間だから。前世ではこの靴をはいて、回転したり、飛び跳ねたり、地を走る以上の速さで氷上を巧みに動いていたぞ。犬に生まれ変わったとはいえ、きっと上手くできるはずだ」
クロは、この調子の良い老人を、まだ完全には信じきれずにいた。
しかし、姫を救い出したいという思いは強く、老人の申し出に従ってみることにした。
―― わかった。あんたが言うように、その靴を履いて姫を助けに行こう!
クロが力強く答えると、突然冷たい風が吹き寄せてきた。
あまりの寒さに、砦の外に立っていた兵士たちが、慌てて中へ飛び込んだ。
クロは、急いで湖岸へ降りていった。
目の前で、湖面が凍り始めた。
いつの間にか後ろ足に、小さなスケート靴が履かされていた。
おそるおそる凍った湖面に足を下ろせば、ふらつくこともなく意外にしっかりと二本足で立つことができた。クロは、なんだか楽しい気分になっていた。
クロは、魔物の城をにらみつけると、力強く湖面を蹴って進み始めた。
* * * * *
岩山の扉が目の前に迫ってきたとき、クロの肩に一羽の白い鳥が舞い降りた。
鳥は、耳慣れたあの白犬の声で、クロに囁いた。
「魔物の本性は、年古りたネコ族の獣だ。長生きをした獣は、いつの間にか魔性を身につけ、人に悪さを働くようになる。しかし、ネコはネコだ。犬であるおまえにかなうわけがない!」
クロは、扉の前に立つと、太く荒々しい声で、ひと声吠えた。
岩の扉がビリビリと音を立てて震え、ゆっくりと左右に開いた。
洞窟の中の湖面も凍っており、クロは、奥に向かって全力で滑り続けた。
船着き場に上がると、クロの足からスケート靴が消えた。
白い鳥が、クロに魔物の寝室の場所を教えた。
クロは、足音を忍ばせながら、ゆっくりと城の中を進んでいった。
魔物の寝室は、城の中央部にあった。
巨大な寝台には、一頭の大きなユキヒョウが寝そべっていた。
しかし、部屋の中に漂うにおいは、明らかにネコのもので、クロは、この恐ろしいユキヒョウも魔物の仮の姿であると見抜いた。
クロは、ユキヒョウの耳元に近づくと、そのふわふわとした丸い耳に、鼻先を近づけて、ひときわ大きな吠えた。
―― ウオォォォォォォォーンッ!
吠え声を聞いたユキヒョウの体は、ブルブルと震えながら見る間に縮んでいった。
やがて、それはやせ細った小さな老ヤマネコへと姿を変えた。
白い鳥が、嬉しそうに叫んだ。
「やったぞ! さあ、寝台の横に置いてある黒金の冠をかぶるのだ!」
クロは、寝台の横のテーブルを前足で揺らして冠を床に落とすと、鼻面で冠を押し上げて自分の頭に載せた。
冠から銀色の光があふれ、クロの体にまとわりついた。
クロの体は、いつのまにか黒い衣服をまとった人の姿になっていた。
クロは、老ヤマネコの体を横抱きにすると、階段を駆け上がり、姫が閉じ込められている小部屋へ向かった。
扉の横のフックにかけられた鍵で扉を開けると、クロは小部屋の中へ飛び込んだ。
「姫! エヴェリーナ姫! 助けに参りました!」
黒髪をなびかせ、青い瞳の若者が部屋に飛び込んでくるのを見て、寝台に座っていた姫は、目を丸くした。
しかし、たちまちその瞳に涙が溢れ、姫は両腕を広げて若者に抱きついた。
「クロ! クロなのね!」
若者の首には、姫が授けた銀色のメダルがきらきらと輝いていた。
姫の薄桃色の頬を嬉しそうにひとなめすると、若者は小窓に近づき、力を込めて二本の鉄格子を外した。
そして、横抱きにしてきた老ヤマネコを、湖にせり出した雑木林に向かって、ぽいっと投げ捨ててしまった。
魔物の術から解放された手下の猫たちは、自由に城を駆け回っていた。湖の水妖たちも、もとの魚に戻ることができた。二人は、白い鳥とともに城の船で砦に戻った。
* * * * *
その後、己の不徳にようやく気づいた国王は、王国の北の果てにある粗末な離宮に王妃とフレドリカ姫を連れて引きこもった。
後日、三人に付き従った若い兵士と姫は結婚し、四人で慎ましく穏やかに暮らしたという。
一方、王城へ戻ったエヴェリーナ姫は、家臣たちに請われ、女王となった。
王配に選ばれたのは、黒髪で青い瞳の従順な若者であった。
彼は、魔物の城に捕らわれていたどこかの国の王子だそうで、二人は城で出会い、愛し合うようになったという。
若者は、当初、人前では、つねに黒金の冠をかぶっていた。
しかし、婚礼の日、白い鳥が飛んできて、彼の頭上を三回回った後、冠をくわえて天高く飛び去ってしまった。白い鳥は、二人に何か祝いの魔法を授けたようだった。
* おしまい *
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なんとか、10000字以内で終わりました。
あ! 山師のご一行様は、……ご想像通りです。
元魔物は、記憶を失い雑木林でのんびり暮らしている……と思います。