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その三 わんこ、姫様を想う

 エヴェリーナ姫が魔物の元へ嫁いで、一ヶ月――。


 クロは、王都へ戻らず、今も湖畔の砦に残っていた。

 朝、兵士から、朝食の余り物をもらうと、クロは湖岸へ降りていった。

 そして、一日中、そこでうとうとしながら過ごした。

 夕暮れに、再び兵士から夕食の余り物をもらうと、いよいよクロの務めが始まる。


 * * * * *


 姫が嫁いだ日の夕刻、遙か彼方にある岩山の上方に小さな灯りが点った。


 ―― きっと姫は、あそこに閉じ込められているのだ。


 そう確信したクロは、その灯りに向かって一晩中吠え続けた。

 吠えるといっても、それは、人を驚かしたり脅かしたりするような、荒々しいものではなかった。

 まるで歌でも歌っているかのような、甘く優しい遠吠えだった。


 ―― 姫、俺はここにいる。必ず助けに行くから、待っていてくれ。


 それから、毎晩クロは吠え続けている。

 ときには、遠吠えに応えるように、灯りが小さく揺れることもあった。

 そんなとき、クロは、自分と姫の心がつながった気がして、よりいっそう気持ちを込めて吠え続けた。


 最初は、遠吠えを気にする兵士もいたが、やがて、その切ない響きは、兵士たちの心に染み、眠りへ誘うセレナーデとして聞かれるようになっていった。


 * * * * *


 一方、魔物のもとへ嫁いだエヴェリーナ姫は、奇妙な成り行きに戸惑いを覚えながら、魔物の城での日々を過ごしていた。


 あの日、姫を乗せた小舟は、岩山の下にある巨大な岩の扉の前へたどり着いた。

 扉が開くと、その先に伸びる洞窟へと小舟は進んでいった。

 洞窟の奥にある船着き場には、ネコに似た風貌の手下が数匹、侍女の格好をして待っていた。彼女たちに付き添われ、姫は魔物の城の中へと導かれていった。


 姫が最初に通されたのは、玉座の間と思しき荘厳な雰囲気の部屋であった。

 中央の椅子には、豪奢なマントをまとい、頭上に黒金の冠を戴いた魔物が座っていた。

 魔物は人の形をとってはいたが、ヒョウのような金色の目をしており、太く長い尾がマントの裾からのぞいていた。


「姫、今日からは、ここがそなたの住まいとなる。まもなく夜が明ける故、我らは眠りにつかねばならぬ。そなたには、城の最上階にある部屋を与えよう。今宵、我がおとなうまで、そこでゆっくり休むが良い」


 それだけ言うと、魔物は残忍な笑みを浮かべ、長い舌で自分の唇をなめた。

 姫は、あまりの恐ろしさでその場にくずおれそうになったが、魔物に弱みを見せまいと、優雅にカーテシーをしてみせた。

 魔物は満足そうな顔で玉座を降り、手下たちを引き連れて寝室へと去って行った。


 侍女たちは、姫を部屋まで案内すると、扉に鍵をかけ、そこに閉じ込めた。

 部屋には、細い鉄格子がはまった小さな窓があり、柔らかな夜明けの光が差し込んでいた。

 窓の下を見ると、雑木林や湖の穏やかな湖面が見えたが、そこまではかなりの距離があるようだった。

 ここが、容易には逃げ出せない場所であることが、姫にもはっきりとわかった。

 

 覚悟を決めて嫁いで来たのだが、実際の魔物は想像以上に不気味で恐ろしく、その妻となって一生ここで暮らすのは耐え難いことと思われた。

 しかし、おそらく王国では、姫が自ら望んでここへ嫁いだということになっており、助けなどはとても期待できなかった。

 いろいろと思い悩んでいるうちに、長旅の疲れもあって、姫はいつの間にか寝台に倒れ込み眠ってしまった。


 目覚めると、部屋全体が薄暗くなっており、姫は日没が近づいていることに気づいた。

 小さな書き物机に置かれた燭台には、不思議なオレンジ色の灯りが点っていた。

 まもなく、魔物が起き出し、この部屋を訪ねてくることだろう。


 魔物の妻になるという自分の運命は、もう覆すことはできないのだ。

 絶望しながらも、誰かに自分がここに閉じ込められていることを知らせたくて、姫は燭台を持って窓辺に立った。


 やがて、部屋の扉が力強くノックされ、ガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえてきた。

 とうとう魔物が、姫のもとへやってきたのだ。

 わずかに扉が開き、魔物の大きな影が部屋の壁に映し出された。

 そのとき、不思議なことが起こった。


 歌うような、甘く囁くような犬の遠吠えが、窓から聞こえてきたのだ。

 と同時に、壁に映った魔物の影が、もだえ苦しむ姿に変わった。


「なんと、恐ろしい声! 誰だ?! 誰が吠えているのだ?! とても耐えられん!」


 慌ただしく扉が閉められ、鍵をかけ直す音と魔物のうめき声が聞こえてきた。

 必死で息を整えながら、苦しげに魔物がつぶやいた。


「こ、このような声が聞こえる部屋に、我は入ることはできぬ。姫よ、窓をふさぎ、この吠え声を止めてはくれまいか?」

「残念ながら、ここには窓をふさぐような板や道具はございません」


 姫が聞き耳を立てていると、いらだつ魔物の叱責の声や手下の悲鳴が聞こえてきた。しばらくすると、足音は遠ざかり扉の向こうは静かになった。


 ―― あれは、クロの声……。クロ、おまえは、わたしを追いかけて砦まで来てくれたのね。そして、わたしを励ますために声を届けてくれたのね。ありがとう、クロ。


 姫は、涙をぬぐいながら寝台に腰を下ろした。

 そして、クロの遠吠えに守られながら、魔物の城での初めての夜を心穏やかに過ごしたのだった。

 

 その後も、毎夜クロの遠吠えが、魔物を姫の部屋から遠ざけた。

 怒った魔物は、なんとか姫を部屋の外に出そうと、水や食事を部屋に届けることをやめた。いずれ飢えと渇きに耐えられなくなった姫が、部屋から出たがると考えたからだ。

 姫は、このまま飢え死にしてもかまわないと思ったが、朝になると白い小鳥がどこからか飛んできて、姫に食べ物や水の入った筒を届けてくれるようになった。


 * * * * *


 そうして、姫が魔物のもとに嫁いでから、百日が過ぎた――。


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