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ニュースソースは明かせない

 美奈子が麻奈未を連れて行ったのは、路地裏にある蔦が絡まっている古めかしい喫茶店だった。カウンターとボックス席にちらほらと客がいる。皆年配の人だ。

「いらっしゃい」

 カウンターにいるマスターらしき白髪の老人が美奈子に声をかけた。顔見知りのようだと麻奈未は思った。

「奥の席、空いてる?」

 美奈子が尋ねた。するとマスターは微笑んで、

「あの席は美奈ちゃん専用だからね。空いてるよ」

「ありがとう」

 美奈子は麻奈未をチラッと来ると、店の奥へと歩を進め、周囲が壁で囲まれている孤立した席に着いた。

「ここなら大丈夫」

 美奈子がいきなりスマホを見せたので、麻奈未はきょとんとしたが、

「ここ、全然電波が入らないの。盗聴も密告もできないから」

 美奈子はニヤリとして麻奈未を見た。

「そういう事なの」

 麻奈未は苦笑いをして向かいの席に腰を下ろした。

「何かあったのね?」

 美奈子はスマホをハンドバッグにしまいながら言った。麻奈未は溜息混じりに、

「全部封じられたの。とんでもない圧力がかかったみたい」

 美奈子は目を見開いた。

「やるとは思っていたけど、そこまでやってきたの。すごいわね、黒幕さん」

 美奈子は肩をすくめた。そこへマスターが注文を取りに来た。

「私はブラック。麻奈未は?」

 美奈子が言った。麻奈未はマスターを見て、

「ストレートティーをください」

かしこまりました。美奈ちゃん。こちら、妹さん?」

 マスターは冗談とも本気ともわからない口調で訊いた。

「そうよ」

 美奈子は微笑んで言った。麻奈未は苦笑いをしただけで何も言わなかった。


(麻奈未さん、無事だよね)

 外に出た凛太郎はスマホを取り出して麻奈未にかけた。

「おかけになった電話番号は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」

 凛太郎はまた泣きそうになった。

(そんな、麻奈未さん、入院しているの?)

 誤解が凄まじい勢いで強くなっていく。

(いや、早合点してはいけない。もう少ししたら、もう一回かけてみよう)

 凛太郎は呼吸を整えて、舗道を大股で歩いた。

「あ!」

 凛太郎はスマホが鳴ったので、素早く通話を開始したが、

「凛、今どこ?」

 相手は綾子だった。

「何だ、母さんか。何?」

 凛太郎はあからさまにがっかりして言った。

「何だ、母さんか、ですって? 今すぐ無職になりたい訳?」

 一瞬にして綾子の声が地獄の底から湧き出てくるようなものになった。

「あ、いや、別に深い意味はないよ。さっき、麻奈未さんにかけたら、電波の届かない状態になっていたから……」

 凛太郎は舗道を外れて裏路地に入り、声を低くして言い訳した。

「まあ、いいけど。優菜さんには銀行に行ってもらったから、ちょっと戻ってきて」

 綾子が言った。凛太郎は、

「何かあったの?」

「ニュースでは、国税の職員てだけで、性別も年齢も言わなかったのよ。恐らく、査察部の人間なので、素性を明かせないんだと思う。あんたは麻奈未さんに連絡を取り続けて、無事を確認するのよ」

 綾子の声が威圧的に感じられた凛太郎は、

「わかったよ。してみる」

 通話を終えると、事務所へ向かった。


「心配しなくて大丈夫よ。明日の朝には、状況がひっくり返っていると思うから」

 美奈子はコーヒーを一口飲んでから言った。

「え? どういう事?」

 麻奈未は口に持っていきかけたカップをソーサーに戻して訊いた。

「天下無敵に見える黒幕さんにも、頭が上がらない人がいるって事」

 美奈子はまたコーヒーを一口飲んでから得意そうに麻奈未を見た。

「頭が上がらない人? 誰なの?」

 麻奈未は身を乗り出した。

「言えないわよ。それが私のニュースソースなんだから」

 美奈子は椅子の背もたれに寄りかかった。

「ニュースソースって、黒幕の正体を教えてくれた人の事?」

 麻奈未は更に美奈子に顔を近づけた。

「そうよ。その人は黒幕さんの失脚を画策している人だから、全面協力してくれると思うわ」

 美奈子は麻奈未の顔を押し戻した。麻奈未は椅子に座り直して、

「失脚を画策しているって事は、政敵?」

 美奈子はフッと笑って、

「まあ、そうとも言えるわね」

 麻奈未は腕組みをして考え込み、

「与党内の別の派閥の人?」

 顔を上げて美奈子を見た。美奈子は肩をすくめて、

「だから、教えられないわよ。私もジャーナリストの端くれだから、ニュースソースは明かせないわ」

 麻奈未は溜息を吐いて、

「わかったわ。もう詮索しない。それより、お父さんが心配していたわよ」

 美奈子は太蔵が話題になったので、

「え? 何何? 何を心配していたの?」

 興味津々の顔になった。麻奈未は半目になって、

「お母さんが危ない事をしているんじゃないかって。そのニュースソースの人、大丈夫なの? 最後にお母さんが陥れられるって可能性はないの?」

 美奈子は笑い出して、

「そんな可能性は一億分の一もないわよ。私を見くびらないでくれる?」

 麻奈未は大笑いをして涙まで浮かべている母を見て、

「見くびってはいないけど、心配しているのよ。それは聖生も同じだから」

 美奈子は娘の目が真剣なのを感じて、笑うのをやめ、

「わかったわ。せいぜい気をつけます」

 もう一口コーヒーを飲んだ。麻奈未はまた溜息を吐いてから紅茶を一口飲み、

「お願いよ、お母さん」

 途端に美奈子は席を立った。

「それじゃ、忙しいので、これで失礼するわね」

 ハンドバッグを右肩にかけると、さっさと歩き出し、

「マスター、ご馳走様」

 店を出て行ってしまった。

「あ!」

 麻奈未は伝票を見て声をあげた。いつの間にか、美奈子はケーキセットを頼んでおり、持ち帰ったのだ。

「毎度!」

 マスターはそれに気づいているのか、麻奈未を見てニヤッとした。

「とんだお姉さんですね」

 マスターが言ったので、

「姉ではなくて、母です!」

 麻奈未はムッとして言った。


「全然つながらないよ」

 また負の連鎖に陥りかけている凛太郎が、事務所に戻るなり言った。

「あんた達、本当に間が悪い同士なのね」

 綾子はパソコンから顔を上げた。

「何をしていたの?」

 凛太郎は鞄を自分の机の置くと綾子に近づいた。綾子はパソコンの画面を凛太郎に向けて、

「国税の職員のニュース、どこかに名前か性別が出ていないか調べたんだけど、何も出てこないの。見事な情報統制で、怖くなったわ」

「そうなんだ」

 凛太郎は画面を覗き込んで応じた。

「そこまで隠す事なのかしら? もしそうだったら、事件そのものを揉み消せばいいのに」

 綾子は椅子を回転させた。凛太郎は自分の席に戻りながら、

「そこまではできないでしょ、いくら何でも。何か事情があるんだよ」

「そうなのよ! だから知りたいの! だから、麻奈未さんと早く連絡をつけなさい!」

 綾子は回転を止めて立ち上がり、凛太郎を指差した。

「あ、うん」

 凛太郎はすぐにスマホを取り出して、麻奈未にかけた。しかし、今度はコールはするが、麻奈未が出ないという状態になった。

「今度は出てくれないよ。愛想を尽かされたのかな?」

 凛太郎が目を潤ませて綾子を見たので、

「何言ってるの! 麻奈未さんはいい人よ。そんな簡単にあんたを見限ったりしないから、安心しなさい」

 綾子はもらい泣きしそうになるのを堪えて叱咤した。

「そうだね。そうだよね」

 凛太郎は麻奈未が素敵な人なのは知っているので思い直し、

「じゃあ、もう一度……」

 かけ直そうとした時、

「只今戻りました」

 優菜がにこやかな顔でドアを開けた。

「あ、お帰りなさい、優菜さん」

 綾子が作り笑顔で応じた。凛太郎は慌ててスマホをスーツの内ポケットに入れると、

「お帰りなさい」

 優菜を見て微笑んだ。

(何か変だと思って急いで帰ってきたけど、やっぱり変)

 優菜はにこやかなままで高岡母子を見た。

(私に知られたくない事があるのは確かだわ。まなみさんというのは、もしかして凛太郎さんの別れた元カノ?)

 名探偵優菜の推理は鋭かった。

「先生、銀行の記帳をして来ました。ご確認ください」

 優菜は綾子に近づくと、通帳を三冊渡した。

「ありがとう、優菜さん」

 綾子は通帳を受け取ると、中身も確認せずに机の引き出しにしまった。

「インターネットバンキングを使えば、銀行へ出向かなくても、パソコンで完結できます。ご検討ください」

 優菜は銀行からもらって来たパンフレットを綾子に差し出した。

「ああ、そうね。確かにいちいち銀行へ行くのは非効率的ね。考えておくわ」

 綾子はパンフレットを受け取ると、同じ引き出しにしまった。

(高岡先生って、アナログ人間なのかしら?)

 さらっと失礼な事を考えてしまう優菜は、そういうところは父親の啓輔に似ているのかも知れない。

(優菜さんを凛から引き離すために銀行へ行ってもらった事を勘ぐられているのかしら? ネットバンキングはすでに導入済みだと知られないようにしないと)

 綾子はネットバンキングのIDとパスワードのメモをそっと机の上から剥がしてスーツのポケットに隠した。

「凛太郎さん、早かったですね」

 優菜は凛太郎の向かいの席に戻ると、微笑んで言った。

「あ、うん、そうですね、近かったですからね」

 凛太郎はあからさまに動揺して、自分の席に座った。

(バカ……)

 息子の情けなさに項垂れる綾子だった。

「う」

 綾子は自分のスマホがブルブルと震え出したのに気づいた。

(また?)

 相手は元の夫の木場隆之助である。

(またトイレに駆け込んだら、完全に下痢女にされてしまう)

 綾子はハンドバッグを持つと、

「ちょっと出て来ます」

 素早くフロアを出て行ってしまった。

「え?」

 凛太郎と優菜は綾子の速さに驚き、顔を見合わせた。


「何よ、間が悪いわね!」

 綾子は階段を駆け下りながら隆之助に怒鳴った。

「何だよ、今日は機嫌悪いな。取り込んでるのか?」

 隆之助の声が尋ねた。綾子はビルから舗道に出ると、

「優菜さんに凛太郎が疑惑を持たれているのよ。そんな時に貴方が電話してくるから、凛太郎と優菜さんを二人きりにしなくちゃじゃないの!」

 更に怒鳴った。

「意味がわからないよ。どうして俺から電話があると、君は凛太郎から離れようとするんだ?」

 隆之助は疑問をぶつけた。綾子は顔を赤らめて、

「貴方と電話で話しているのを凛に聞かれたくないの」

 声を低くした。

「何だ? 俺と話しているのを凛太郎に聞かれるのが恥ずかしいのか?」

 隆之助の声が問い詰めた。綾子はムッとして、

「恥ずかしいわよ! 不倫した元夫と話をしているのを息子に聞かれるのはね!」

 また声のトーンが大きくなった。周囲を歩いている人がびっくりして綾子を見た。

「おいおい、俺は不倫なんかしていないって何度も言ってるだろ?」 

 隆之助が反論した。

「だったら、どうして離婚に応じたの?」

 綾子は裏路地に入って訊いた。

「それは君が離婚を望んだからだよ。君の思うとおりにしてあげるのがいいと思ったからだ」

「え?」

 綾子は胸がキュンとなるのを感じた。しかし、

「嘘よ! 不倫相手と結婚するために応じたんでしょ!」

 心にもない事を言ってしまった。

「何言ってるんだよ。俺は再婚していないだろ。もしするとしたら……」

 隆之助は言いかけて口をつぐんだ。

「もしするとしたら何よ?」

 綾子が追求した。

「いや、今はその話はいい。例の国税局の職員の事件で思い出した事があったんだよ」

 綾子は隆之助が話をはぐらかしたと思ったが、

「思い出した事って何?」

 国税局の職員の事件にも興味があったので、先を促した。

「啓輔に面会に行った時、奴が言っていた事を思い出したんだよ。ブレインホークの脱税は、ある政治家への裏献金をするためのものだったらしいんだ」

「裏献金?」

 綾子は周囲に人がいない事を確認してから言った。

「ああ。だから、国税局に査察に入られても、絶対に大丈夫だと言われ、すぐにわかってしまうような手口で脱税をしたらしい。その政治家が全部揉み消してくれる事になっていたからな」

 綾子は啓輔が少しだけ哀れになった。

「だが、いざ査察に入られる事になった途端、携帯電話がつながらなくなり、完全に切り捨てられたと気づいた。その話を聞いて、しばらく前にも同じような目にあった税理士がいた事に思い当たったんだよ」

 隆之助の話に綾子はハッとした。

「三十年前にあったわね」

 隆之助は、

「そうだ。その時も背後に政治家がいるとマスコミが騒いだが、結局何もわからずに税理士と脱税した法人の代表取締役が逮捕起訴されて終わった」

「同じ政治家の仕業って事?」

 綾子は眉をひそめて尋ねた。

「それはわからない。その可能性があるという事だ」

 綾子は溜息を吐いた。

「三十年経っても、同じ事を繰り返しているの?」

「全くな。政治家が変わらないのは、有権者が変わらないからだよ。責任は我々にもある」

 隆之助の言葉に綾子は頷き、

「そうね」

「それから、大学の同期が東京国税局にいるので、例の事件の事を聞いてみたんだが、怪我をしたのは若い男性職員だという事はわかったが、それ以上は教えてくれなかったよ」

「男性なの?」

 綾子の声のトーンが上がった。

「ああ。それしかわからなかった。もう少し問い詰めてみるよ」

 隆之助の声が言うと、

「大収穫よ! 愛してるわ、隆之助! ありがとう!」

 ハイテンションになった綾子はそれだけ言うと通話を切ってしまった。

「あ……」

 そして、一言余計だったのに気づき、赤面した。

(何て事を言ってしまったの、私……)

 綾子はその場で項垂れた。


「凛太郎さん、まなみさんて誰ですか?」

 優菜は綾子が事務所を出て行ったのを確認するとすぐに凛太郎を見た。

「え? まなみさん?」

 凛太郎は惚けようとして首を傾げた。

「そうです。さっき、はっきりとまなみさんて言いましたよ」

 優菜は言い逃れはさせないと続けた。

「それはその、ええと……」

 凛太郎は何と言って誤魔化そうかと考えながら優菜を見た。

「もしかして、別れた彼女さんですか?」

 優菜が踏み込んできた。

「あ、ええと……」

 確かに麻奈未に別れを切り出されたが、本当に別れるつもりではないのは知っている。そうであれば、麻奈未との約束である「付き合っているのは秘密にする」はまだ有効のはずだと思った。

「凛太郎さん、答えてください」

 優菜は立ち上がって凛太郎に詰め寄ろうとした。

「ごめんなさい、空けてしまって」

 綾子が帰ってきたので、優菜は席に戻った。

(母さん、グッドタイミング!)

 凛太郎が親指を立ててこちらを見たので、

「は?」

 綾子はその行動にイラッとした。

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