前編
お久しぶりです、瑞條浩幹です。
久々の投稿ですがどうぞ楽しんでいってください。
なんて広いのだろうか、道を歩く人々がこれを見たらきっとそう呟いて眩暈する身体を壁に預けていることだろう。そんな広大な部屋に所狭しと並べられた本。種類別、名前順に綺麗に整頓されている大量の本棚の一角にうずくまっている女の子がいた。
彼女がいる所は他と違い、やけに暗い照明と本棚に一切貼られていないラベル。そして彼女が持っているものはおどろおどろしい表紙にやけに茶色く干からびた紙。所々に挟まれてペラペラになった虫があったならとんでもないが、流石にそれはないようだ。
全体を読んでいるのかと思えばそうではないらしく、とあるページを睨んではブツブツと呟いていた。時折顔を上げてはじぃっと扉のほうを見つめていた。
何回目か分からないその仕草をしていた時、外から聞こえてくるヒールの音が聞こえてきた。慌てて彼女は椅子代わりにしていた脚立によじ登り、本棚のぽっかりと空いているところに読んでいた本を戻した。
そして代わりに隣にある『闇魔法一覧~図式付き~』を取り出して急いで脚立から降りた。
適当なページを開きつつチラチラと扉の方を見ていたが、一向に開く気配がしない。それどころか段々とヒールの音は遠のいていく。やがて全く聞こえなかった所で、彼女は胸を撫でおろしてもう一度読み込もうと脚立に乗り、それを取り出して降りようとした時だった。
「何をしているのかしら、クロス?」
「ふぇい!?」
いきなり扉が開いたかと思ったら、彼女——クロスの母親、スカヴェーがにこやかな笑みを浮かべていた。クロスの首筋にはたらり、と冷や汗が流れている。
あまりにも唐突かつ予想外の事で暫く固まっていたクロスだが、やがて円を描くように降りて行った……バランスを崩した脚立と共に。
余裕のある動作でスカヴェーはクロスを受け止めると、脚立を足で押さえた。クロスが礼を言う暇も与えず優雅に彼女の左手に持っていた本を取り上げた。
「これで何回目かしら?私、同じことを何回も言うのは嫌いよ」
「ごめんなさい……」
床に下ろされたクロスは泣きそうな顔をして母に謝った。スカヴェーはというと、ぽん、とクロスの頭に手を置くと、元にあった場所に本を戻した。そして困ったような顔をして彼女の手を引いた。
「してしまったことを責めてもどうにもならないわ。そんなにあの魔法が知りたいのならもう少し年をとりなさいな」
そうしたら考えてあげなくもないわ、と慈悲深い母親は目尻を擦っている娘に微笑みかけた。
「ホンマ!?何歳なったらええん?」
「そうねぇ……最低でも十八歳ね」
実際は一年後に習得してしまうのだが、それはまた別のお話。
まだ予定終了時間の十分前だというのに、クロスはそわそわとしていた。隣に付いている家庭教師が困った顔をして集中するよう声をかけるも、この後に控えている楽しみを一切考えず勉学に勤しむなど不可能に近い。それでいて右手は羽ペンをひっきりなしに動かしている。女の子にしては雑な——そもそも女性は字が上手など誰が決めたことなのか分かりやしないが——字ではあるものの、読めないわけではない。彼女の字については昔雇われていた家庭教師のせいなのだが、ここでは触れないでおこう。
彼女が解いているのは、本来学校に入ってから習うであろう因数分解の範囲だった。楽しいから、とどんどん先取り学習をしていたらいつの間にかここまで来てしまっていたのだ。それもこうやって別の事を考えながら解けるというのだから、そろそろ次の分野に入るのだろう。そんなことをする暇があるのなら歴史に時間を割いたほうがいいと常日頃思っている教師を置いて、クロスはやけに長く感じる十分が過ぎ去るのを今か今かと待ちわびていた。
「今日の授業はこれで終わ——」
「よっしゃ行ってくる!」
いつの間に用意したのか肩にかける鞄をひったくるように取り、外で待機していた護衛の腕をとって駆け抜けていった。
残された教師は一つ大きなため息をついた後、彼女が落としていった紙を拾って暫く見ていた。
〇
綺麗に整備された道を歩くこと約五分。城にある広場についたクロスはそこに待っていた四人に向かって走っていった。
「ごめん遅れて!」
「別に大丈夫やで~」
「まだルーチェ来てないしな」
ウィンディとソラはそう言うとクロスに机に置いてあったトングと手袋を渡した。よく見れば他の皆も、クロス本人もいつもよりラフな恰好をしている。
「お待たせー!」
少ししたら、ルーチェも同じような格好で後ろに護衛をつけてこちらに駆け寄ってきた。
「楽しみやなぁ卵拾い!」
卵拾い。文字の通り、敷地内にある卵を全て集める遊びだ。いい歳して何を……と思うかもしれないが、四月一日なのだから仕方ない。それに、全て集めきることが出来れば城屈指の料理人が卵料理を振舞ってくれるというのだから、いつも自室で籠っている者もやる気満々なのだ。
王女と公爵令嬢の全員が揃って数分後、メイド服を着た女性が籠を持って出てきた。彼女はクロス達を見てにっこりと微笑んで口を開いた。
「それじゃあ皆様準備は出来ましたかー?そろそろ始めましょう、卵拾い!」
メイドの言葉に六人は腕を空に高く突き上げた。
制限時間は三十分、全員で候補として挙げられている箇所を探すよりは手分けしたほうがいいと、クロスは後ろから勝手についてきているソラと共に森の奥に設置されたポイントへと向かっていった。ソラのさらに後ろ、ここからは見えるか見えないかという距離を保って護衛も二人ついてきている。最も今回のエリアは城内ということもあって誰かに襲われるということはないだろうか、念のためだ。何かが起こった後では取り返しがつかない。
「ドゥンケルさん家の子、もう少し遅く歩けへん?ちょっと疲れた」
「そろそろ着くから我慢して頂戴」
彼女の言葉に、ソラはしゅんと項垂れる。そんな彼女にはお構いなく、クロスはずんずんと進んで行き……一つの大きな木の上で立ち止まった。
先端が見えない程の大きな樹木の上には、微かに鳥の巣が作られているのが見えた。
「ドゥンケルさん?」
「多分あれじゃないかな」
そういって指さすところを見れば、成程確かに黄色の卵がちらりと顔を覗かせていた。
確かに、ここは候補の一つでもあるが、あの高さにある巣、そしていつも食べている卵よりもずっと大きな形をしているあれは————
「いや、多分あれ……」
「取ってくる」
ソラの訂正も聞かずに、クロスは木に結界魔法を当てるとするすると登って行ってしまった。あっという間に鳥の巣の場所まで着くと、一際大きい卵をあろうことか……
「え、何で!?」
……ソラに向けて思い切り投げたのだ。慌てて転げ落ちつつも抱きとめる。改めて見てみると、やはりサンプル品よりは二倍ほど大きく、とてもじゃないが料理に使うものではないだろう。
「それだよね?」
クロスは未だ木の上におり、こちらに身体を乗り出してくる。ソラは無言で卵を眺めていたが、どこからともなく聞こえてきた鳥の鳴き声にこれの正体が分かったのか焦った表情でクロスに叫んだ。
「逃げろクロス!これは卵拾いのじゃなくて————」
この後の風景は、ソラにとってはとてもゆっくりとした、コマ送りの映像のように見えた。
集団で、卵を盗んだクロスを襲おうと飛び掛かっていく。彼女は突然の攻撃に驚いてバランスを崩し、そのまま落ちていく。背中から落ちていくクロスが何をしようと思ったのかは分からないが、両手を振り上げてソラにとっては見たこともない黒い魔法陣が二つ。
パニック状態になったクロスに放てた魔法は最近ずっと、母親の目を盗んで読んでいたあの魔法だけだった。
灰色の玉が一つ、一羽の鳥——見たところ鷲のようだ——の羽を掠めた。バランスを崩したその鷲は飛ぶ力を失って地面にポトリと。同時にクロスは慌てて駆けつけた護衛に担がれた。
「大丈夫ですかクロス嬢!」
「う、うん……」
彼に受け答えしつつも、目線は先程落ちていった鷲を探している。
上では、落ちた子供と攫われた卵の事で大騒ぎしている。未だ卵を抱えたままのソラは、わたわたとせわしなく顔を動かした後、下に落ちてきた一匹の親鳥にそっと卵を預けていた。
そしてそのままもう一度、今度はソラが木に登る。危ないと叫ぶもう一人の護衛に構わず、鳥の巣の奥に隠された先程よりも二周り小さい卵を掴んでぴょんと降りてきた。
「ドゥンケルさん、こっちだよ」
「うん……」
必死に探すも、影に隠れてしまったのかどこにも見つからない。いてもたってもいられなくなったクロスは、護衛の腕から降りて駆け出していった。
向こうで小さく自分を探す声が聞こえる。息を切らしながら、クロスは辺りを探した。急の事だったとはいえ、あの時クロスが放ったのは触れるものを飲み込む禁断の即死魔法——所謂禁断魔法と呼ばれる魔法だったのだ。見たところ成功していた訳では無さそうだが、遠目で子供の鷲の羽に当たったのが見えた。下手すれば死んでいるだろう。
元々親の職業柄死ぬという事には慣れていた。しかしだからといって罪無き生物が死ぬことに抵抗が無いわけではない。十分ほどだろうか、ようやく見つけたクロスは、あまりの悍ましさに身をすくませた。
周りには何もいない。血まみれで落ちていた彼にクロスは一目散に駆け寄った。乏しい経験で見るに、羽自体は一部抉れていただけ——それでも重傷に違いないが——だったが、頭から落ちてしまったのだろう、頭部からおびただしい血が溢れていた。
彼女にとって見たこともない光景は判断力を低下させるのに充分だった。
一人で駆け出してしまったから、周りに頼れそうな者は一人としていない。彼女自身、治癒魔法は専門外。魔力を当てて細胞を活性化させるという治療法は知っていたが、それがどれだけ危険なのかはよう分かっていた。
「どうしよう……」
良い案が思い浮かばず、遂にポロポロと涙を零し出した。水滴が彼に落ちる度ピクリと体を動かしている辺りまだ死んではいないのだろう。
自分が血まみれになることお構いなしに、クロスは、哀れな鷲の子供を抱いた。微かに感じる鼓動は遅くなっている。このままでは死も近いだろう。
「母さん……助けて……」
集合時間はとうに過ぎている。恐らくは皆自分を探していることだろう。これからどうするかぼんやりと考えていたクロスは、ふと自分に影が降りたことに気がついた。
恐る恐る振り返ると、そこには先程助けを求めた者がいた。
彼女は何も言わずにクロスの腕の中で息絶え絶えになっている鷲を抱える。魔法をドカンと打って回復……というわけではなく、手際よく包帯を巻いた後に注射を一本打つ。副作用が無いことを確認し、またクロスの腕の中に戻した。
「……へ?」
「応急処置はしたわ。あとは、貴女の魔力を当ててやりなさい」
そう言って、自分のすることはないと立ち上がる。
「で、でも、それって危険なんじゃ」
「だからこれよ」
スカヴェーは先程使った注射器具を見せた。
「さっきその子に打った薬はね、魔力の副反応を抑えるものなの。だから安心して頂戴」
母親の言葉にまだ不安は残りつつも、ゆっくりと少しずつ自分の魔力を当ててゆく。何かに魔力をこめる作業は得意なクロスなら大丈夫だろう、と頃合いを見計らってスカヴェーが声をかけた。
「もう大丈夫ね、とりあえず完治するまでは私が看病しておくから、貴女は早く戻りなさい」
きっと心配させてるわよ、と言い残し、彼女は森の奥へと消えていった。クロスはそこでようやく、自分の探す声が森の中をこだましていることに気がついた。
罪悪感にさいなまれたクロスにとっても、卵料理は最高の逸品。満足した胃袋を軽くさすりながら、彼女は帰路についた。
何となく裏口から回り込んでみる。誰にも見つからなければミッション達成だ、と意気込んで扉を開けると、そこにはまるで待っていたかのように先程の鷲が止まっていた。
次の投稿は1月22日予定です