第63話 聖女は光舞う晩に
ボートを波打ち際まで引き寄せたところで、リュウ様はわたくしに乗船を促してきました。
「乗りな、聖女さん」
お言葉に甘えて、わたくしは先に乗ってしまいます。
リュウ様はボートの後ろに回り込み、海へ向かって力強く押しました。
こういう力仕事はわたくしの得意分野なのですが、今回はお任せした方が良さそうな気がしたのです。
充分に勢いがつき、船体が波に浮かび始めます。
そこでリュウ様は、軽やかにボートへ飛び乗りました。
「リュウ様、スボンの裾と靴が濡れて……」
わたくしが言いかけた瞬間、リュウ様の足元からジュッという音が聞こえました。
続いて立ち上る湯気。
「何か言ったか? 聖女さん?」
リュウ様は犬歯を剥き出しにして、ニヤリと笑みを浮かべてきます。
わずか数秒で、ズボンと靴は完全に乾いてしまいました。
ほんとにもう――
この方は、なんでもできる魔道士なのですね。
レンタルしたボートは狭く、リュウ様との距離が近い。
リュウ様はなぜか魔法を使わず、オールを使って船を進めます。
船体を構成する木材と、リュウ様の筋肉が軋む音。
ああ――
なんだかまた、ドキドキしてきましたわ。
「『なんで、水の魔法を使って船を進めないのか?』って顔だな」
疑問を見透かされて、わたくしはコクコクと頷きます。
「魔力の流れを、掻き乱したくねえんだよ。ただでさえ昨晩、俺達が大暴れしたからな。『スターダストフライヤー』の発生に、影響が出るかもしれねえ」
「星海祭」のフィナーレを飾るイベント、「スターダストフライヤー」。
それは海底から浮かび上がってくる、蛍のような淡く小さい発光体。
海に溶け込んだ魔力が海流に乗り、このアヴィーナ島周辺海底に沈殿。
その魔力と、この近海で死んだ生き物の魂が結びつくのです。
「スターダストフライヤー」は、海に溶けた魔力と海洋生物の魂が結びついて生まれる微精霊なのですわ。
それが年にいちど、なぜか決まった日に夜空へと舞い上がっていくのです。
今日が、その日。
幻想の光に、海と夜空が満たされる晩。
「そういえば、リュウ様……。精霊とは、魔力と生き物の魂が結びついて生まれる存在なのですわよね?」
「そうだな。例外もあるっちゃあるが、大半はその原理で生まれてくる」
「ならばフクは、どうやって生まれたのでしょうか? やはりなんらかの魔力と、にゃんこの魂が結びついて?」
「う~ん、そうだな。魂は、猫の可能性が高いと思うぜ。魔力は……なんの魔力と結びついたんだろうな? アイツはスゲエ癒しの力を秘めているから、強力な回復術士の魔力と結びついたとか……」
う~ん、分かりません。
わたくしが気がついた時には、フクはもう寝間着に入り込んで寝ていましたもの。
あの場で生まれたとは、考えにくいですわ。
だってあの時長屋の部屋にいたのは、回復魔法の適性が全くないわたくしと、メイドのミランダだけ――
――ハッ!?
まさかミランダが、実は強力な回復魔法の使い手だったりとか?
いえいえ。
さすがにそれは、有り得ませんわ。
ミランダ・ドーズギールからは、いつもビックリするぐらい魔力を感じませんもの。
「聖女さんと2人きりで『スターダストフライヤー』鑑賞に行くことを、ミランダさんが了承してくれて助かったぜ。本当はチェスの勝負で勝って、その賞品として認めてもらう予定だったんだ」
そうだったのですわね。
あの時のチェス勝負は、「負けた方は、勝った方の言うことをなんでも聞く」という条件で行われていました。
条件をふっかけたのは、リュウ様の方でしたわね。
あまりにもミランダが強く、負けてしまいましたが。
最終的には2人っきりで来れたので、良しとしましょう。
わたくしとリュウ様を乗せたボートは、そこそこ沖の方まできて静止しました。
他のボートの群れからは、ちょっとだけ突出した感じです。
この位置なら、他者の耳を気にせずお話ができそうですわ。
すでに太陽は、水平線の彼方に沈んでおりました。
衝突防止で船首に灯していた魔法灯を、消してしまいます。
すると夜空の星が、輝きを増したように見えました。
今宵は新月。
星の光だけでなく、スターダストフライヤーの光もよく見えることでしょう。
「さて、聖女さん……。俺は聖女さんに、謝らなきゃいけねえことがある」
「謝らなければいけないこと……?」
ちょっと期待していたお話と違うので、思わずオウム返しになってしまいます。
リュウ様はいきなり額を船底にこすりつけ、謝罪をしてきました。
「すまねえ! 俺は聖女さんを、勝手に番にしちまった」
――なんだか少々、引っかかる物言いですわね。
「勝手に」ですって?
わたくしはあの時、行為の意味を知りませんでした。
しかしリュウ様の竜魔核とわたくしの魂を結びつける行為は、こちらからも進んで行ったことですわよ。
「もちろん、責任は取る。こういう場合竜人族の法律では、結婚するか多額の損害賠償を……」
「……リュウ様のバカ」
わたくしの聞きたかった言葉は、「責任を取って結婚する」や「損害賠償をする」ではありません。
ストレートに、「結婚しよう」、「このまま本当に、夫婦になろう」。
そのようなお話を、してくださるのではないかと――
ああ――
そういえばリュウ様には、意中の女性がいらっしゃるというお話でしたものね。
わたくしのような小娘と結婚するなど、大変不本意なことなのでしょう。
「聖女さん……」
リュウ様は相変わらず、船底に額をつけたままです。
「なんですの? それ? 責任を取る? 無理に結婚などして下さらなくても、結構ですわ! ……ああ。意中の女性が、他にいらっしゃるんでしたわね。損害賠償なんて求めませんから、勝手にその方と一緒になればいいのですわ!」
竜人族の番は、一生変わることはない。
しかし魂と竜魔核の結びつきはそのままにして、他の方と制度上の結婚をすることは可能でしょう。
お相手が同じ 竜人族なら、その方は一生竜化の力を制御できないので不便でしょうが。
「……他に、意中の女だと?」
平身低頭、ひたすら謝罪に徹していたリュウ様が、お顔を上げました。
金色の双眸には、ちょっと怒りが浮かんでいるようです。
あ――あら?
だって、リュウ様はあの時――
「オーディータ邸から翼竜飼育場へと向かう竜車の中で、『気になる相手がいる』と……」
リュウ様の中で、何かがプツンと切れるのをわたくしは感じました。
「ほぉ~? 聖女さんは無垢で好意に鈍感だとは思っていたが、ここまでとはな……」
リュウ様は、わたくしにズイッと顔を寄せました。
――近い! 近いですわよ!
「『気になる相手』っつったら、聖女さんのことに決まってんだろ?」
――は?
今、なんと?
わたくしの願望が暴走し、幻聴が聞こえてしまったのでしょうか?
「成人したばかりの女の子を口説くなんざ、さすがに犯罪かと思って遠慮してたけどよ……。どうやら徹底的に、わからせてやる必要があるみてぇだな」
え? え? え?
わたくし、何をわからせられてしまうんですの?
「初めて出会った時からだ。朝もやの中、聖都東門の前で佇むあんたの姿から目が離せなかった。ミラディース教の聖女様じゃなくて、女神ミラディース自身が降臨したのかと思ったぜ」
そ――それは、わたくしの方も同じで――
リュウ様もだったなんて――
「回復魔法は苦手だって話をしていたがよ、すげえ修行を積んでいるのは分かったんだ。努力家な子だと思った。俺達への接し方から、思いやりのある優しい子だとも。俺は、ますます惹かれていった」
リュウ様はわたくしの手を取り、自分の両手で包み込んでしまいます。
ああ――
この方から、もう逃げられない。
「エルダードラゴンをフルボッコにしたのはよ、さすがにビックリしたぜ。おもしれえ女だと思った。この女しかいねえと思った。フリードタウンに攫って帰って、ソッコー口説く気だった。なのによ……」
そこで、深い溜息をつくリュウ様。
「同い年ぐらいだと思ってたのに、まだ未成年っていうじゃねえか。俺がどれだけショックだったのか分かるか? 運命の出会いだと思っていたのに、口説くことが許されねえ相手だったなんてよ」
えっと――
口説かれても、わたくしは別に構わなかったのですが――
ミラディア貴族は10代前半の頃から婚約者がいて、15で成人すると同時に結婚する令嬢も多いので。
20歳ぐらい歳の離れた殿方に嫁ぐという話も、ザラですし。
リュウ様とは10歳差ですから、そんなに離れているとは感じません。
「簡単には、諦めきれねえ。だから俺は、聖女さんが年齢を重ねるのを待つことにした。20歳ぐらいになりゃあ、誰も文句は言わねえと思ってな。だけど、気が気じゃなかった。その間に、誰か他の男にかっ攫われるんじゃねえかと思ってな」
うっ。
それに関してはわたくしが、
「女が何年も待っているなどと、思わないことです。モタモタしていると、他の男にかっ攫われますわよ?」
と、追いつめるような発言をした記憶が――
「だけど、もう待てねえ。聖女さん。俺はあんたのことを、出会った時からずっと愛している。だから俺と婚約……」
わたくしの喉が、ヒュッと鳴りました。
鼓動は速く、心臓は今にも爆発しそうです。
ああ――
身体強化魔法で、心肺能力を高めなくては――
いえいえ。
そういう問題ではありません。
「……を前提に、交際してくれ」
「……はえ?」
わたくしは思わず、間抜けな返事をしてしまいました。
「結婚してくれ」でも「婚約してくれ」でもなく、「婚約を前提に交際してくれ」ですって?
「あの……リュウ様? 普通の男女交際から始めるのですか? すでに、番にまでなっているのに? せめて、婚約でも……」
「いや、そのつもりだったんだがよ……。さっき、ミランダさんが言ってたじゃねえか。聖女さんはまだ、貴族令嬢なんだって。だから婚約とかは、ノートゥング家当主であるオフクロさんの了承を得ないとマズいんじゃねえか?」
あ――
それは、確かにそうです。
「えっと……それではわたくしは、リュウ様の……」
「恋人になって欲しいって、言ってるんだ」
恋人――?
恋人――
恋人!!
「その……嫌か?」
リュウ様から問いかけられて、わたくしは全力で首を左右に振りました。
「わたくしだって……わたくしだって、出会った瞬間からずっと……。好意に鈍感なのは、どっちなんですの?」
リュウ様は、全身を硬直させてしまいました。
そして口をハクハクと動かしたかと思ったら、わたくしを勢いよく抱きしめます。
わたくしは抱きしめられる感触に集中したくて、そっと両目を閉じました。
「マジかよ……。嬉しくって、頭が変になっちまいそうだ」
「わたくしも……。もう何も、考えられない」
抱きしめられ、密着していると強く実感します。
自分の魂と、リュウ様の竜魔核が結びついていることを。
わたくし、この方の番なのですわね。
ヴェリーナ・ノートゥングは、リュウ・ムラサメのもの――
そんなことを考えていたら、耳元に囁かれてしまいました。
「リュウ・ムラサメは、ヴェリーナ・ノートゥングのものだ」
ふふっ。
同じようなことを考えている。
わたくし達、似た者同士なのですわね。
「死が2人を分かつとも……だ。……たとえこの肉が朽ち果てようとも、骨が風化して空に消えようとも、鱗の最後の1枚が土に還ろうとも、魂はあんたを愛し続ける」
「嬉しい……。でも簡単に、『死』などという言葉を使わないで下さい。わたくしはあなたの温もりを、ずっと側で感じていたい」
「ああ、そうだな。悪かった。ずっと側にいるからな」
その時わたくしは、何か微細な魔力を感知しました。
目を開けるとそこには、海面から夜空へと舞い上がってゆく小さな光。
「スターダストフライヤー」ですわ。
「まあ、綺麗……」
「まだまだ来るぜ」
リュウ様に言われて海中を覗き込むと、暗い海底には無数の輝きが見えます。
まるで海の中にも、星空があるかのよう。
やがて海中の星々は大きさを増し、海面を越えて本物の星空に向かって飛び立ちます。
わたくし達のボートは、他の方々のボート集団から少し距離を置いた地点に浮かんでいます。
それでもどよめきが、ここまで聞こえてきました。
「他の連中の驚き方から見るに、今年の『スターダストフライヤー』は例年にない量みてえだな。昨晩俺達が戦闘して魔力を撒き散らしたのが、いい方向に働いたみてえだ」
「スターダストフライヤー」ひとつひとつは、淡く、儚い印象を抱かせる発光体。
ですがこうも数が多いと、力強さを感じて圧倒されます。
リュウ様は戦闘の魔力が増加につながったと考えていらっしゃるようですが、わたくしそれだけだとは思えません。
「スターダストフライヤー」は、アヴィーナ島近海で死んだ生き物の魂と魔力が結びついて生まれる存在。
きっと強大な力を持ったシュラ様の魂が、たくさんの光に姿を変えているのですわ。
心の底から愛し合える存在を見つけられないまま、逝ってしまったシュラ様。
愛する番と寄り添い合いながら、愛の形を次の世代へとつなぐことができなかったオーディータ夫妻。
彼らには、申し訳ない気もするのですが――
見守っていて下さい。
わたくし達は、あなた方の分も幸せになってみせます。
きっとそれが、生きている者の使命だと思うから。
わたくしとリュウ様は寄り添い合ったまま、ずっと光の乱舞を見続けました。
日付が変わり、スターダストフライヤー最後のひと粒が夜空に消えて見えなくなるまで。
この日――
わたくしとリュウ様は、恋人同士になりました。




