第56話 聖女は「やめて! 私に乱暴する気でしょう?」などと言うタマではない
シュラ様の命令に従い、プラアーサ・クラーケンはわたくしへと襲い掛かってきました。
やはり海水浴場で戦った個体より、小型なぶん動きが俊敏。
かなり集中していないと、迫りくる触手をかわしきれない。
かといって、プラアーサ・クラーケンにばかり意識を向けるのは危険。
わたくしはチラリと、プラアーサ・クラーケンの後方を――シュラ・クサナギ様の様子を窺います。
彼は魔法で手の平に水球を作り出し、こちらに撃ち込むタイミングを見計らっている。
意識をシュラ様に向けた瞬間、プラアーサ・クラーケンの触手が頬を掠めました。
切れてはいないようですが、粘液が付着して気持ち悪いですわ。
「プラアーサ・クラーケン! ヴェリーナさんには、あまり怪我をさせないよう取り押さえるんだ!」
シュラ様がプラアーサ・クラーケンに、指示を飛ばします。
くっ!
怪我をさせずに抑え込もうとは、わたくし甘く見られていますわね。
その油断に、突破口を見出すしかありません。
前回プラアーサ・クラーケンを圧倒できたのは、なんといってもリュウ様の援護があったからこそ。
今回は、1人で――それもプラアーサ・クラーケンだけでなく、凄腕の魔道士を同時に相手取らなければなりません。
わたくしが集中力を高め、プラアーサ・クラーケンの触手連撃をかわしている最中のことでした。
ふと脳裏に、先ほどのシュラ様の言葉が浮かんできたのです。
(水棲系の魔獣を成体に急成長させたり、逆に幼体にまで戻したりできる代物さ。単純な命令なら、従わせることもできる)
「竜狂薬」を投与したプラアーサ・クラーケンについて、シュラ様は確かにそう語っていらっしゃいました。
「あまり怪我をさせぬよう取り押さえる」というのは、単純な命令に含まれるのでしょうか?
けっこう複雑で、難しい命令のような――
わたくしの思考を遮るように、足元からピチャンと水音が聞こえました。
水たまりを、踏んでしまった感触。
これは、まさか――
「まあそんな複雑で繊細な命令、実行させるのは無理だよね。……退け! プラアーサ・クラーケン!」
シュラ様の新たな命令で、魔獣が瞬時に飛び退きます。
同時にわたくしの足首は、何かに掴まれてしまいました。
視線を下に向けると、予想通り小さな水たまりがありました。
予想と違ったのは、そこから透明な手が生えていたことです。
水で作られた手が、わたくしの左足首をガッチリと握り締めています。
とっさにわたくしは右足を振りかぶり、水の手を蹴り飛ばそうとしました。
ところが軸足となっていた左足を引っ張られ、あっけなくバランスを崩してしまいます。
そのまま水たまりの上に、尻もちをついてしまいました。
後頭部を地面に打ち付けぬよう、両手で受け身を取ります。
しかし受け身を取ったわたくしの手を、さらに水たまりから生えてきた水の手が拘束しました。
「くっ! しまっ……」
判断ミスを、後悔している暇もありませんでした。
両手両足、腰、そして首。
わたくしは水たまりから伸びてきた無数の手に、拘束されてしまいました。
まんまと引っかかってしまいましたわ。
最初からシュラ様は、ご自分の魔法でわたくしを取り押さえるつもりだったのです。
プラアーサ・クラーケンをけしかけたのも、水球の魔法で援護射撃をしようとしていたのも目くらまし。
ひっそりと床を這わせていた水の魔法こそ、わたくしを拘束する本命だったのです。
「初めて埠頭で出会った日、ヴェリーナさんは僕が使った水魔法を感知できたかい?」
――そうでしたわね。
あの日シュラ様は、エルフ奴隷の少女を鞭打とうとした男を水の魔法で押し流したのでした。
意識を集中していなかったとはいえ、わたくしはそれを全く感知できなかった。
今だってプラアーサ・クラーケンや水球の魔法に気を取られていたとはいえ、やはり感知できなかった。
シュラ・クサナギという魔道士の魔力隠蔽技術を、甘く見ていたのですわ。
シュラ様の魔法による水の手は、いつの間にか枷へと形状を変えていました。
首まで拘束されているものの、窒息しないよう隙間は開けてくれているようです。
頭を少しだけ、横に動かすことができました。
見ればシュラ様が、こちらに向かってゆっくり歩み寄ってきます。
――やめて!
近づかないで!
「怯えているのかい? 怖がらないでっていうのは、無理だよね。大丈夫、すぐ終わらせるから。番になるのに、痛みとかは感じないそうだよ」
にこやかな笑顔で見下ろしてくるシュラ様に、鳥肌が立ちました。
――嫌!
絶対にこの人のものになんか、なりたくない!
恐怖感と屈辱感が、今にも爆発しそう。
泣き叫んで、リュウ様に助けを求めたい。
ですがその感情を、わたくしはぐっと飲み込んでしまいました。
そんな姿をシュラ様に見られるのは、屈辱の上塗り。
泣き叫んでなど、やるものですか。
わたくしは努めて冷たい視線と表情で、シュラ様を睨み上げました。
「怖いね。魔獣でも凍死させてしまいそうな、冷たい視線……。ゾクゾクするよ」
――シュラ様には少し、Mっ気があるのでしょうか?
やはり、わたくしとは合いません。
虐めてくれる殿方でないと。
「さて……。番になるという行為について、説明しよう。ヴェリーナさん達みたいな人族や、一般的な魔族の体内には、魂という目に見えない霊的重要器官が存在する」
シュラ様の話など、聞きたくはありません。
ですが魔法学や医学を学び、今も死者蘇生魔法の研究を続けているわたくしにとって、興味深い内容ではありました。
「僕達竜人族の場合は、魂の代わりに竜魔核という霊的器官があるんだ。普通の魂に、ドラゴンの力が混ざり込んでいるような器官だね」
竜魔核――ですか。
以前リュウ様が竜化して暴走した時も、体内に魂のような存在を感じることができました。
きっとあれが、竜魔核なのでしょう。
「番になる時は、この竜魔核同士を魔力で繋ぎ合わせるんだ。人族相手の場合は、竜魔核と魂でやる」
――ん?
なんだか、どこかで聞いたようなお話ではありませんこと?
聞いたというか、すでに致してしまったというか――
「あの……シュラ様? それってひょっとしたら、わたくしもう……」
「ごめんね、ヴェリーナさん。今さらもう、僕は止まれないよ」
興奮で頬をバラ色に染めながら、シュラ様は瞳を閉じます。
わたくしの話など、全く聞いては下さらないようです。
ああ――もう!
知りませんわよ?
シュラ様の竜魔核から、魔力の糸が伸びてきました。
糸はわたくしの魂を探し、空中を彷徨うのですが――
「あれ? おかしい? どこだ? 上手くいかない。ごめんね、ヴェリーナさん。こんなはずはない。こんなはずはないんだ」
段々と、シュラ様の顔に焦りが浮かんできました。
そんな様子を見ているうちに、わたくしの恐怖心や屈辱感は薄れていきます。
それどころか、ちょっぴりシュラ様が気の毒に思えてきました。
カーラ・オーディータ様が、仰っていましたものね。
「いちど番を定めたら、二度と変わることはない」
「たとえ、死が2人を分かつとも」
と――
「どういうことだ? ヴェリーナさんの魂から、魔力の糸が伸びていない? これじゃ、魂の位置が分からな……あった! これか! ……変だぞ? 人族の魂なのに、ドラゴンの力も感じる。これはまるで……」
シュラ様の瞳が、驚愕に見開かれます。
そうでしたのね。
あの時以来強くなった気がしていましたが、魂にドラゴンの力が流れ込んでいたからですのね。
「ヴェ……ヴェリーナさん! 君は、まさか……」
プルプルと震えながら、後退るシュラ様。
わたくしが、口を開こうとした時です。
海中が透けて見える、水晶の洞窟の天井。
その向こうに、赤い影が見えました。
影は瞬く間に大きくなり、ドラゴンだとはっきり分かるようになります。
洞窟天井の向こうは海中。
そんな海中を、翼をはためかせながら飛ぶように泳ぐ赤竜。
ああ――
今回は全力戦闘時より、小さめなサイズの竜化ですわね。
激しい破砕音と共に、水晶の天井が突き破られました。
大量の海水が流れ込もうとしましたが、一瞬で塞き止められます。
赤き巨竜は自分が洞窟内に突入した後、氷の魔法で穴を塞いでしまったのです。
「火の魔王竜……? ルビィ……様?」
呆然と見つめてくるシュラ様に対し、赤き巨竜は金色の瞳をギラリと向けます。
そして念話魔法で、否定の言葉を発しました。
『違ーよ。オフクロじゃなくて、悪かったな』




