第5話 聖女は暴力が嫌い
「いいか、聖女様……。ドラゴンに、背中を見せるなよ。真っ先に、殺られるぞ」
リュウ様が、緊迫した声で警告してきます。
他の冒険者の皆様も、一様に緊張した面持ちでした。
ジリジリと動きながらエルダードラゴンを取り囲み、攻撃のチャンスを伺っています。
一方のドラゴンは、余裕あり気な態度です。
囲まれているのに、全く動じておりません。
「今だ! 【フリーズバインド】!」
魔法名が告げられると共に、リュウ様の足元から氷のツタが伸びました。
氷のツタは高速で地面を這い進み、ドラゴンの足に絡みつきます。
凍結により大地に縫い付けられて、巨竜の動きが止まりました。
しかしそれは、本当に短い時間。
ドラゴンの怪力によって、氷のツタはあっさり砕かれてしまいます。
動きが止まった瞬間を狙って、他の冒険者3人が飛び掛かろうとしていました。
ですがリュウ様の魔法が砕かれる光景を見て、足が止まります。
その隙を、ドラゴンは見逃しませんでした。
鞭のようにしなる、尻尾が一閃。
3人の凄腕冒険者達は弾き飛ばされて、大地を十数mも滑っていきました。
「おい! おめーらしっかりしろ! 死ぬんじゃねーぞ!」
リュウ様が声を掛けると、3人とも弱々しく親指を立てたり、手を振ったりします。
良かった。
意識はあるようです。
ですが彼らの体勢は、地面に倒れ込んだまま。
ダメージが大きく、立ち上がれないのでしょう。
「リュウ様! 息吹が来ます!」
わたくしの警告を聞いて、リュウ様は防御結界の魔法を展開してくださいました。
光の盾が、わたくし達2人を覆います。
直後、炎の嵐が吹き荒れました。
周囲は一瞬にして、焼け野原です。
これが、ドラゴンの息吹――
わたくしはリュウ様の背後に庇われていたので、無傷。
しかし、リュウ様は――
「あちちちっ! 完全には、防ぎ切れなかったか……。ローブが燃えちまったぜ」
いかにも魔道士然とした、黒いローブを纏っていたリュウ様。
ですが今は、そのローブが焼け落ちてしまっています。
ローブの下から現れたのは、このミラディア神聖国ではあまり見られない独特な衣装です。
ダボっとしていますが、足首は絞られたデザインの白いズボン。
上半身は――まあ!
ほとんど裸ではありませんか!
金色の刺繍が施されたノースリーブの黒いベストを、羽織っているだけです。
その下からは無駄なく鍛えられた、芸術的な腹筋と胸筋がチラチラと――
いけません!
今は戦闘中ですのよ、わたくし!
静まれ、筋肉への想い!
それに――
「リュウ様! 火傷を……」
「このくらいなら俺の回復魔法でも、時間をかけりゃ治せる。なーに。赤竜種の火炎に比べたら、緑竜種の息吹なんざ子供の火遊びよ」
強がっておられますが、火傷はかなり痛そうです。
リュウ様の額には、脂汗が浮かんでいました。
ああ――
こんな時、わたくしにもお母様やソフィア様のような強い癒しの力があれば。
「聖女様。正直言って、このままじゃ勝てねえ。俺が合図したら、聖都の方角へ走って逃げろ」
「えっ? ですが背中を向けては、攻撃されると……」
「今から、俺のとっておきを使う。ドラゴン野郎には、聖女様を追いかける余裕なんざなくなるはずだ」
そう言ってリュウ様は、耳のカフスへと手を伸ばしました。
なんでしょう?
そのカフスには、強力な魔法でも込められているのでしょうか?
「だがよ……。この力を使っちまえば、俺は正気でいられなくなるかもしれねえ。聖女様のことが分からなくなって、殺しちまうかもしれねえ。だから逃げろ。俺に、聖女様を殺させねえでくれ」
「そんな……。お仲間の皆様は?」
「あいつらは冒険者。いざという時の覚悟は、できている。それに奴らは、俺のとっておきについては知っていてな。『どうしようもない状況になった時は、ためらわずに使え』って言われてるんだ」
わたくしとは、覚悟が違いました。
死と隣り合わせの世界で生きる冒険者は、そういうものなのですね。
覚悟を決めた上で、リスクを伴う手段も使う。
少しでも、生存の可能性があるならと。
リュウ様のとっておきとは、どのような力なのでしょうか?
興味はありますが、使わせたくないと思いました。
正気を失うかもしれないほどの力――
あのお優しいリュウ様が、わたくしを殺してしまうかもしれないなんて――
殺されたくないというより、リュウ様のそんなお姿を見たくありません。
「……聖女様?」
わたくしはリュウ様の横を通り抜け、ドラゴンの正面へと立ちました。
「なにやってるんだ!? 俺の後ろに……」
リュウ様の手が、わたくしの肩を掴みます。
ご自分の背後へと引き戻そうとしたようですが、わたくしの体は微動だにしません。
「リュウ様……。わたくし、暴力は嫌いですの」
女の子ですもの。
殴ったり蹴ったりが好きという方は、珍しいでしょう。
お母様は夜中に、お父様を鞭で叩く遊びをしていたようですが――
あれは、何か違う気がします。
お父様、悦んでたみたいですし。
「わたくしはお母様のように、誰かを癒せる力が欲しかった……。だから聖女となり、修行を積んできたのです」
先代聖女、アナスタシア・ノートゥング。
わたくしのお母様――
わたくしの憧れ――
騎士が戦場で失った手足を取り戻し、「また剣が握れる」と感謝の涙を流す。
病で寝たきりだった少女が、外を元気に走り回る。
そんな奇跡の回復魔法を、わたくしは小さい頃から何度も目にしてきました。
自分も、お母様みたいになりたいと思っていました。
「わたくし、お母様のようにはなれませんでした……」
どれだけ修行を積んでも――
魔法の知識を詰め込み、技術を磨いても、わたくしの回復魔法では傷を癒せない。
病は消せない。
「ずっと教会で言われ続けてきた通り、本当に無能な聖女……。ですがそんなわたくしにも、少しは取り柄がございます」
わたくしの父は、レオン・ノートゥング。
「金獅子」。
「青い目の戦鬼」。
「聖騎士の中の聖騎士」と呼ばれた英雄。
――そして【神剣リースディア】に選ばれし、先代剣聖でもあります。
『英雄なんて言うと、聞こえはいいがよ。所詮は暴力のスペシャリストなんだよ、剣聖ってやつは』
ある晩お父様はひどく酔っ払いながら、そう零しておられました。
当時わたくしはまだ幼く、お父様の言葉の意味が分かりませんでした。
悲しそうな表情の理由も――
人族同士の戦争で、数え切れぬほどの敵兵を斬ったこと。
その罪悪感がお父様を苦しめ、あのような発言をさせたのだと後になってから知りました。
「あまり、好きな取り柄ではありませんでした。ですからわたくしは、この取り柄をなるべく使わずに生きてきたのです」
しかし、それで良かったのでしょうか?
この力は、紛れもなくお父様から受け継いだもの。
それを使わないというのは、お父様の生き方を否定することに繋がらないでしょうか?
わたくしの憧れは、聖女だったお母様。
でも、剣聖であったお父様のことも愛していた。
尊敬していた。
ならばこの力を、誇りに思うべきではないのでしょうか?
感謝すべきではないでしょうか?
この力を使えば、リュウ様達を死なせずに済む。
「わたくしの取り柄は、身体強化。肉体のパワーとスピードを引き上げ、人を暴力の化身へと変える魔法。……こんな風に。【フィジカルブースト】」
わたくしはリュウ様の手を振りほどき、ドラゴンへと向かって加速します。
巨竜は上体を仰け反らせ、再び火炎のブレスを放とうとしていました。
距離は約50m。
わたくしはその距離を、0.5秒で駆け抜けました。
突然目の前に迫ったわたくしに、エルダードラゴンは一瞬戸惑います。
いけませんわね。
その一瞬が、命取りですのよ?
ドラゴンは上体を持ち上げていたため、腹は無防備です。
わたくしはそこに、右のボディブローを叩き込みました。
衝撃に、ドラゴンの腹部が大きく陥没します。
巨体が浮き上がりました。
反動で大地が揺れ、わたくしの足は少しめり込みます。
「グ……ア……ア……」
苦し気な巨竜の呻き。
吐き出そうとしていた火炎のブレスが、鼻から漏れていました。
次いで涎がボタボタと、顎から零れ落ちてきます。
――ちょっと臭いです。
「わたくし、暴力は嫌いですの。ですが……」
虫けらのようにわたくし達を見ていたエルダードラゴンの瞳が、恐怖に揺れていました。
自分が狩られる側になったことを、理解したようです。
「腕力には、自信がありましてよ?」




