8話
私はあの言わずと知れた朱鷺宮財閥総帥の娘、朱鷺宮 銀華である。朱鷺宮財閥は日本有数の大財閥で、政財界にも多く顔が利いて、とにかくすごい財閥なのである。日本有数の金持ち学校である天聖院学園においてもその名は強烈であり、多くの学生は朱鷺宮銀華を恐れ、平伏している。そう、私は悪役令嬢。生まれながらに完璧な美貌を持ちながら才能にあふれ、天に二物も三物もあたえられた憎らしいほど完璧な悪役令嬢、朱鷺宮銀華である。
……のはずなんだけど。
何故か私は高等部に進級する際、エリートのAクラスじゃなくドベのDクラスに進級してしまいました。ゲームの朱鷺宮銀華はAクラスだったのに。あるぇー? なんでぇ?
家に帰ってそのことをお母様に報告しに行ったら、怒られると思ったら怒られなかった。なんかむしろお母様の方から学園長に言いに行ったんだって。『娘が特進クラスであるAクラスの授業についていけるとは思えない。このまま身の丈に合わないAクラスを続けさせるより、せっかくの機会だしDクラスからやり直させるべきだ』って。確かにAクラスの授業は皆が理解しているという前提で進むからついていけてなかったのは事実。うむむ、ぐうの音も出ないですお母様。
そんなことより私が気絶して入学式すっぽかしたことや、朝から桜並木で何時間も待機するという謎の行動についてしっぽり怒られた。あんまり変なことばかりするなって。うぅ、でも必要なことだったの。だってあの乙女ゲームのヒロイン、桜 香音ちゃんと会えるんだよ? あら、そういえばわたくしったらすぐに気絶してしまって全然香音ちゃんと話せてませんわ、おほほほほ
ってスタートから失敗だらけやないかーい!(ばしーん
はぁ、こんなんで上手くいくのかな私の学園生活……
いや、考えを変えよう。Dクラスってことは香音ちゃんと同じクラスってことじゃないか! やった、薔薇色学園生活だひゃっほい! とりあえず彼女と仲良くなって、あとは他の攻略対象の男どもを寄せ付けないように駆除……じゃなかった守護ればいいのですわね。それにお父様も『人間、学力が全てじゃないよ。例えDクラスでも、自分のやるべきことを見つけられる方がずっと大切だ。お父さんはお前にそれを見つけてほしいと思っているんだ』って遠い目をして言ってた。お父様もお母様もなんか言うことがすごい。上に立つ者として毎回心に響く名ゼリフを言うんだよね。なんかやる気出てきた。うん、何も悪いことない。完璧だ! Dクラスでも完璧な悪役令嬢がんばるぞー! おー!
というわけで1年D組の教室の前までやってきた私。昨日は入学式もクラス分けも出れなかったし、今までずっとAクラスだったのでDクラスがどんな雰囲気なのかよく分からない。ええい、出たとこ勝負よ! わたくしは朱鷺宮銀華ですわよ!
意を決してガラッとドアを開けた。
「失礼いたしますわ」
私が堂々と教室に入場すると一瞬教室が鎮まりかえり、その後徐々にクラスメイトがざわめきだした。
「え、誰?」
「昨日は見なかったよね? クラスメイト?」
「すごい美人だなぁ……あんな綺麗な銀髪みたことない」
「でもちょっと美人すぎてわたし話しかけられないかも」
こちらが高校から入学した外部生の反応。言わば私のことを全く知らない初見の初々しい反応である。突然現れた謎の美少女の存在にびっくりしていることだろう。なんか褒められてる気がする。えへん。
「お、おい……あれ朱鷺宮銀華だぜ……? なんでDクラスにいるんだ?」
「ばか、昨日のクラス分けで銀華様の名前があっただろうが。あと名前を呼ぶときは様をつけろ」
「何かの間違いかと思ってた……本当にDクラスになっていたのか」
「昨日なんか桜並木の陰に隠れてたの見なかった?」
「見た見た。謎だった。7時前には既にいたよ」
こちらは内部進学組の皆さんの台詞。今までクラスが違って関わりのなかった生徒まで私のことを当然のように知っている。流石は朱鷺宮財閥の令嬢、朱鷺宮銀華だ。私が勉強苦手だから成績こそアレだったけど今世でもその家柄と美少女っぷりで全校生徒に存在感をたっぷり残している。たぶん。
ざっと見たところ、教室の中は外部生の方が若干多いように感じる。C、Dクラスは外部生が最初に割り当てられることが多いクラスであり、最初からA、Bクラスの外部生は相当優秀な人なのであんまりいない。なお、学業成績は内部生より、偏差値を上げる為に厳しい試験を受けた高校からの外部生の方が優秀であることが多いが、スポーツ枠で入学した奨学生とかもいてその人たちは偏差値低いので大体Dクラスである。
まぁそんな感じで、AクラスからDクラスに降格になった私はもっと馬鹿にされるかと思っていたけど、意外なことにそこまで反応が悪くない気がする。よく考えたらここにいる人らもみんな同じDクラスであって、人を馬鹿に出来る立場じゃなかったわ。同じ学校にいながら、私と関わりあいが薄かったのもかえって良かったのかもしれない。そう考えると、むしろAクラスの方で私が馬鹿にされてるのでは?と思う。Aクラス代表格である婚約者のあの男がこちらを馬鹿にしているような顔が脳裏に浮かんだ。ぐぬぬ、むかつく。
そんな感じで知らない顔が多い中、一人だけよく見知ったおかっぱの小学生みたいな少女を見つけた。
「憂!」
「おや、銀華さん。おはようございます」
いつもと同じで気安い感じの態度が返ってくる。彼女は阿生 憂。私のたぶん唯一かもしれない友人だ。学年ランキング11位の優秀な成績上位者であるにも関わらず、前回の学年ランキングで最下位になるという暴挙を果たしてDクラス落ちした変人である。そんな彼女が今読んでる本は『図解でわかるメイドの全て』。相変わらずジャンルがよく分からない。
「どうやら知り合いは貴方だけみたいね」
「そりゃAクラスの生徒がいきなりDになるとか普通はありえないですからね。普通は落ちるにしてももう少し段階を踏みます」
ここに2人いるんですが。そのありえない生徒が。そう、私とお前だよ!
「まぁともかく、見知った顔がいて安心したわ。1年間よろしくお願いしますわね」
「はい、こちらもよろしくお願いします」
そんな感じで親交を深めあっていると、教室の扉がガラッと開いて息を切らした少女が入ってきた。
「はぁ……はぁ……間に合った……」
入ってきたその少女を見て、私は息を呑んだ。やや地味ながらも可憐な花のように愛らしく、着なれてない制服が初々しい彼女のことを当然私は知っている。前世では何度も彼女の顔を飽きることなくずっと見ていた。彼女の名は桜 香音。乙女ゲーム【桜色ラプソディ】のヒロインだ。あぁ、こうして実物に会ってみると、やっぱりすごく可愛い……
おそらくまた迷子になっていたのだろう。彼女には迷子癖があり、それがフラグになって発生するイベントも多い。むぅ……もしかして迷子になっている間に他の攻略対象の男と親しくなっていないだろうか。たしか4~5月に発生するイベントに【微笑みのプリンス】があったはず。プリンスと呼ばれる攻略対象の一人との出会いイベントだ。家柄が良く王子様みたいな甘いフェイスのイケメンなので、学園内でもかなりの有名人でファンクラブまである。むむむ、プリンスといえど私の香音ちゃんに手を出すことは許さんぞ。
香音ちゃんは教室をキョロキョロ見渡すと、やがて私を見つけて驚いたように口を開いた。
「えっ!? 昨日の……えっと……わわわっ」
香音ちゃんは慌てたように腕をぶんぶんさせる。はうう、かわいい。でもずっと彼女を見てたから目があっちゃった! 見つめあうことで突然心拍数の上がる私の心臓。鎮まれ! 私と彼女はまだ会って2回目! しかも1回目はろくに会話もせずに私が気絶して終わってしまった。だからまだ他人にも等しいのだ。私が最初から彼女に対して激重な感情を持っていると悟られたら、ドン引きされるかもしれない!
私が固まっていると、彼女は心配そうな顔でそろりそろりとこちらに向かってきた。きたきたきたきた! 今度こそ対応を誤るな私!! 私はシャキンと背筋を伸ばし、凛とした態度にみえるように迎え撃つ。ごほんと咳払いし、彼女を見つめて言った。
「あら、貴方は昨日の……」
令嬢のような言葉遣いは母にしっかりと躾けられているので、少し意識すれば自然と出る。そんな感じで彼女に対して素知らぬ顔で言う私。いや、本当は前世から貴方のことは知っていますけどね! 現時点じゃお互いの名前すら知らないってことになっているのだから我慢我慢。
「あの、昨日はあの後大丈夫でしたか!?」
「ええ、おかげさまで……あなたがわたくしを助けてくださったと聞いているわ。ありがとう」
「いえ、私じゃなくて御剣さんって人が助けてくれたんです」
くっ、あの男の名前が香音ちゃんから出るとは! そういえば元々桜並木の出会いイベは元々あの男とのイベントだった。恐らく私と香音ちゃんがぶつかった現場の近くにあの男もいたのだろう。あいつに借りを作ってしまうとは、不覚であったわ。そして香音ちゃんが『御剣』の名前を出した瞬間に、それを聞いていたのか教室中がにわかにざわめいた。
「御剣ってあの御剣様……?」
「【皇帝】って呼ばれてるあの……」
「たしか銀華様の婚約者でもあるという……」
「ということはあの子、入学初日から銀華様と御剣様の両方と話したの!?」
内部生がざわつき、あまり事情を知らない外部生もそれに興味津々な様子だ。ざわつくのも無理もない。あの男は恐らく学園内では私を差し置いて一番の超有名人なのだ。
香音ちゃんが昨日出会った男の名は、『御剣 刀真』。御剣財閥の御曹司であり、その圧倒的なカリスマ性から【皇帝】の異名を持つ男。そして忌々しいことにこの朱鷺宮銀華の婚約者でもある。ちなみに私はあの男が嫌い。香音ちゃんのことが大好きな私にとって最大の敵でもあるし、それ抜きにしても俺様キャラなのでホント偉そうだしむかつく。まぁ元々男にときめいたこともないので、イケメンとかに憧れる女子のキモチとか私持ってないし。
そんなざわめく教室の様子を知ってか知らずか、香音ちゃんはほっと息を吐いた。
「ほっ……何事もなさそうでよかったです……」
あああああ! 良い子! 香音ちゃんホントに良い子!! まだ他人も同然の私のことをこんなにも心配してくれてる!! 実物の香音ちゃんが本当に良い子で私は嬉しい!!!
私は内心の歓喜を抑えながら、努めて平静を装いつつ落ち着いて話す。
「と、ところで……恩人である貴方の名前を聞きたいのだけれど」
「そ、そういえばお互い名乗ってなかったですね……私の名前は桜 香音と言います。よ、よろしくおねがいしましゅっ」
あ、なんか噛んだ。ドジっててかわいい。そしてそれを恥ずかしがってるのか顔が若干赤くなってる。かわいいの権化かな?
「わたくしは朱鷺宮 銀華ですわ 。よろしくお願いしますわね、桜 香音さん」
「あ、はい」
私はそう言ってスカートを軽くつまみ、カーテシーと呼ばれる華麗なる挨拶をした。そう、完璧なる令嬢としての態度を示したのだ。すると彼女はびっくりして固まってしまった。しまった、相手一般人だからもうちょっと崩した挨拶の方がよかったか!? 香音ちゃんに更なる緊張を与えてしまったかもしれない。そして続く言葉が見当たらない。私はもっと仲良くなりたいんだけど、どう言ったらいいんだろう。
少しの間沈黙して見つめ合ってると、隣にいる憂が助け船を出してきた。
「まぁまぁ、お互いに挨拶はこれくらいにして。もうすぐホームルームも始まりますし、みんなに注目されてますからね?」
「あ、えっ? ご、ごめんなさい! ではまた!」
そう言って慌てて離れる香音ちゃん。憂の言うとおり、教室中の生徒がこちらの様子をちらちらと伺っていた。ああ、一生懸命になってるときは周りが見えなくなるところもゲームと一緒だなぁ。かわいい……ていうか『ではまた!』って言ったよね!? また話せるの? 嬉しい!
そんな彼女の背中に憂が声をかける。
「学園生活、楽しんでくださいね。桜香音さん」
「あ、はい。頑張ります!」
あれ? なんか憂がわざわざ他人に声かけるの珍しいな。興味のないことにはとことん興味がないはずなのに。私は憂にこそっと耳打ちする。
「……いつの間にあの子と知り合ったんですの? 憂」
「普通に昨日のクラス替えの自己紹介で知っただけですよ」
そしらぬ顔で言う憂。ぬぬぬ、なんかこの態度怪しいな。普段は人間になんて興味持たないのに……はっ! もしかして憂も香音ちゃんの魅力にメロメロなのかしら!? ありうる! 相手は乙女ゲーの主人公!! 男女問わず惹き付ける謎の人たらし能力を持っててもおかしくない!!
「ん? 何ですか銀華さん。そんな目で私を睨みつけて」
「べ、別になんでもないですわ!」
例え友人といえど、香音ちゃんは渡しませんわよ憂!!!




