7話 side桜香音
「はー、なんか初日から疲れたぁ~……」
私は狭いお風呂の中で大きくため息を吐いた。今日は天聖院学園の入学式だった。入学式の後にクラス分けをして午前10時に終わるだけのスケジュールだったが、初日から濃密すぎる出会いの連続でめっきり疲れてしまい、家に帰ったあと制服のままぐったりして寝てしまった。それから起きた後も新しい教科書や年間行事予定のプリントなどにしつこく目を通し、それだけで1日が終わってしまった。
「どうしてこうなったんだろう……?」
途方にくれたように私はぽつりと呟く。
私の名前は桜香音。母子家庭で他の家と比べて貧しい暮らしはしていたけど、現状に特に不満はなく毎日を過ごしていた普通の女の子だったはずでした。それが今では日本有数の超お金持ち学校、政財界の令息令嬢たちが通うあの天聖院学園に通うことになるなんて。ちょっと前の私なら「そんなこと絶対ありえない」って思っていたはずだったよね。
「でも、それがありえるかも……なんだよね……」
何故そうなったのか分からない。だが、運命が変わったという決定的な瞬間は突然訪れてしまったのだ。私はそのときを思い出していた。そう、あれは学園に来る3か月ほど前のことだった……
私はあのとき小さな老婆に出会った。その老婆はあやしげな古臭い黒いローブを着ていていかにも占い師といった風体だった。見た目が怪しいので最初は話しかけるつもりはなかったけど、大きくて重そうなトランクを引きながら、横断橋の階段の手前で立ち往生していたので見るに見かねて話しかけて、そのトランクを一緒に運んだ。意外と見た目より軽かったそのトランクを運び終えた後、彼女にこう言われたのだ。
『ありがとう、親切なお嬢さん! お礼にあなたの未来を占ってあげましょう!』
そこから聞こえたのは老婆とは思えない高いソプラノの声だった。そう、顔がよく見えずに勝手に老婆だと思っていたけど、ローブからのぞく顔をよく見ると小学生くらいの少女に見えた。
『水晶よ~目の前の幸薄そうな少女の未来を占いたまえ~』
その怪しげな黒いローブの少女は、どこからか占いに使うような綺麗な丸い水晶を取り出して、間延びした声でそう言った。うん、最初老婆だと勘違いしていた自分の見る目がなかったみたい。今ではその気の抜けた声を聞くと完全にただのコスプレ少女としか思えなかった。
『むむむ、出ました! あなたの運命が!』
水晶を大仰にかかげて、コスプレ少女は言った。
『これからあなたは色んなことがあって、金持ちのイケメンとかに囲まれて逆ハーレムのモテ期が訪れるでしょう! というわけでサラバです!!!』
占い師のコスプレ少女は、それだけ言うと脱兎のごとく駆け出していった。ぽかーんとして見送るしかなかった私は、最初は幼いコスプレ少女の遊びに巻き込まれたのかと思っていたけど……そこから偶然の連続で何故か第一志望であった公立高校ではなく、日本有数のお金持ち学校に通うことになってしまった。
「どう考えてもあれが始まりだよね……」
今考えても本当に意味が分からないけど、あのときから普通だった私の人生が変わってしまったのだ。
コスプレ占い少女に会った翌日、高校受験に行く途中で心臓を抑えて苦しんでいた老紳士に偶然にも出くわしてしまった。私は受験に間に合わないと知りながらも、「もしかしたら死んじゃうかも」と思って老紳士のところに駆けつけ、声をかけたり周囲の人に助けをもとめて右往左往していたら、案の定受験に間に合わなくなり受けられなくなってしまった。
結局老紳士は無事だったのは良かったけど、その後その老紳士があの有名で誰もが憧れる名門私立、天聖院学園の学園長と判明したときはびっくりしたなぁ。老紳士は私が助けてくれたことに感謝と、受験を受けられなかったことに謝罪して、お詫びとして授業料タダで我が学園に通わないか?と提案してきた。たしかに貧乏な家庭の私にはすごく助かる話だったけど、いきなりすぎてついていけない。あの学園長である老紳士は「命の恩人へのお礼だ」とか言っていたけど、私はただ声をかけて周りに助けを呼ぶことしか出来なかったし、後で天聖院学園のすごく高い学費を調べて声を失うほど驚いた。明らかにお金持ちが通う名門私立で、一般庶民の私なんかが通うのは恐れ多いことだったけど、かといって他に行く当てもなくてこのままでは中学浪人になってしまうし、悩んだ末に私は老紳士の申し出を受けて学園に通うことになった。
こんなことがあっていいのだろうか? まるで架空の物語のようにありえないことが起こり続けている。だから今、あの怪しい占い師のコスプレをした少女の言ったことを思い出してしまったのだ。あの子は結局何者だったんだろう……?
そして今日の入学式の日。
万が一でも遅刻しないように朝6時から家を出たのに、何故か迷子になってしまった。地図も持ったし前日に道を確認していたにも関わらず、いつの間にか進路を逆走していたのだ。なんとか元の道に戻るも、もう時間ギリギリで間に合いそうになかったので、走るの苦手だけど頑張って走っていた。入学初日から遅刻しそうなんて最悪だったけど、そこで彼女に出会った。
朝日に輝く美しい銀髪と吸い込まれそうな真紅の瞳。
「あの人、すごく綺麗だったな……」
私が彼女のことを思い出すと、自然とそんな言葉が出た。お風呂で膝をかき抱いて、あの女の子と会った事を思い出す。走っている最中に突然横から来て、何か私に話しかけようとしていたけど唐突につまづいた彼女。私は走ってる最中でビックリしたけど、もし避けたら彼女がそのまま頭からこけてしまいそうだと思ったので、進路を遮る彼女を避けたら駄目だと思ってまっすぐ突っ込んでしまった。
事故だ。あれは事故だったのだ。
彼女が私の胸の上に倒れ込む形となり、私はその下敷きになった。私の顔に彼女の髪の毛がふわっとかかり、彼女の匂いが鼻腔の中にあふれた。彼女の髪の毛は上質なシルクのような心地よい感触で、よく分からないけどとてもいい匂いがしたのを覚えている。今まであった中で一番美しいであろうその少女と、出会った瞬間にぶつかって、お互いの体温も息遣いも感じるほどに密着してしまった。私が下敷きになったときに背中を打ってしまったが、その痛みすら感じないほどどきどきしてそれどころじゃなかった。
「……って何でこんなこと思い出してるの私!?」
ぱんぱんと自分の頬を叩き、私は正気を取り戻す。お風呂はあぶない。服を脱いだことによる解放感と疲れを癒すリラックス効果で、いままで意識してなかったことすら丸裸にしてしまうみたい。私は自分の思考が危険な方向に行こうとするのを理性で踏みとどまった。
問題はその後だ。銀髪の美しい少女は倒れたときに鼻を打ったのか、鼻血を出してそのまま気絶してしまったので本当に困った。彼女は同じ制服を着ていたので天聖院学園の学生だということは分かったが、非力な私では彼女を運ぶことは出来ない。通学路だったけど、あいにく時間がもうギリギリだったのか周りに人が全く見当たらなかった。
私が途方に暮れたまま彼女を抱きかかえていると、そこにたまたま天聖院学園の制服を着た男子学生が通りかかった。私が大声を出して助けを求めると、彼は気付いたのかこちらに来て私に声をかけた。
『どうかしたのか?』
凛々しい顔の人だった。背は高く、引き締まった体。漆黒の黒髪。切れ長の意志の強そうな瞳。同じ高校生だというのに、どこか次元の違う存在だと感じ取れた。一言でいうならば、それは圧倒的なカリスマ性だろうか。もう体から一般人とは格の違うオーラがビンビンに出ていた。
『真新しい制服だな……新入生か? 入学式はもう始まるぞ』
『あっ、あの、ちょっと手を貸してほしくて……この人、天聖院の生徒だと思うんですけど、気絶しちゃってて』
『……見慣れた銀髪がいるな。この馬鹿……今度は何をしたんだ?』
幸いなことに、どうやらこのカリスマ系男子は銀髪の少女のことを知っているようでした。やっぱりこのくらいの美しい少女だもん。学園でもかなりの有名人なんだろうね……あれ? さっきこの子のこと『この馬鹿』とか言ってなかった? 聞き間違いだよね? こんなに綺麗な女の子なのに
『……ま、今からだとどちらにしろ入学式に間に合わないか。その馬鹿を貸せ。保健室まで運んでやる』
『あ、はい』
やっぱり馬鹿って言った!? そして私が抱きかかえていた銀髪の少女を渡すと、彼は少女をぐっと足ごと抱えてお姫様だっこする形になった。うわ、力強い。というか初めて見た! お姫様だっこ!
私は意識を失っている銀髪の少女を見ず知らずの男子に託したことがちょっと心配になって、つい彼に尋ねてみた。
『あの、この女の子とは知り合いなんですか?』
『……あんまり言いたくないが……一応婚約者だ』
『えええええ!? 婚約者!?』
婚約者ってあの婚約者!? 私はびっくりしたけど、よくよく見ると美男美女ですごくお似合いだなぁと思った。やっぱりお金持ちの学校の常識って、私みたいな一般人の世界とは全然違うんだなぁ……
『だから、まぁ、なんだ。あんまり心配するな。俺がこいつに対して何かするつもりは全くない。こうなった以上は一応ちゃんと送り届けてやる。一応な』
『あっ、はい。ありがとうございます! 本当に助かりました!!』
『俺に礼を言うべきなのはお前ではなくこいつなんだがな……まぁ、言葉だけは受け取っておく』
そう言って彼はまるで軽いものでも持つようにお姫様だっこをしたまますたすたと歩きだした。私はそれを慌てて追いかける。
『……どうしてついてくる? もうすぐ入学式が始まるぞ。行かなくていいのか?』
『いえ、押し付けてしまったのは私ですし、最後まで見届けます!』
『いや、だからこの馬鹿が勝手に気絶してるのが悪いんであって、お前には全く責任はないんだが……』
『だって、心配じゃないですか』
『損な性格のやつだな……お前、名前は?』
『桜 香音です』
『俺は高等部1年の御剣 刀真だ』
『えええええ!? 同学年だったんですか!? 大人びてるから先輩かと思いました!』
『ん? 同学年? お前は中等部1年では無いのか新入生』
『私は高校1年生です!』
相手がカリスマありすぎて大人びすぎてるせいで先輩だと勝手に思い込んでいた私も私だけど、だからといって私が中学生に間違えられるのも失礼だなと思いました。
……そこまで思い出してはぁとまた疲れた溜め息をつく私。朝から出会いの連続だった。初日であんなすごそうな人に会うなんて……
『これからあなたは色んなことがあって、金持ちのイケメンとかに囲まれて逆ハーレムのモテ期が訪れるでしょう!!!』
私は占い師のコスプレをした少女の言葉を思い出していた。金持ちのイケメンに囲まれて逆ハーレム? あいにく凡庸で不器用でスタイルも平坦な私は今までの人生で一度もモテたことはないし、男性経験はゼロに等しかった。だから信じてなかったんだけど……あの御剣さんって人、間違いなく金持ちのイケメンってやつだよね? なんかオーラ違ったもん。一般人の私があんなのにモテるなんて、ほんと嘘でしょ……嘘だよね? でもなんかすごく既視感というか、少女漫画とかフィクションだとこの後良い感じになったりしたりしなかったり……いやいやそんなことはないよね!
あぁ、それにしても……
「あの子、名前も聞いてなかったな……」
銀髪と真紅の瞳をした美しい少女。私と出会った初めての天聖院学園の学生。入学早々、銀髪の美少女が突然ぶつかってきて気絶するなんて、第一村人発見がいきなりインパクトありすぎた。保健室に預けてきたけど、あの後大丈夫だったのかなぁ?
「同じ学園にいるんだし、また会えるかな……」
私は何故か助けてくれた御剣さんのことじゃなくて、あの銀髪の少女のことが気になって仕方がなかった。なんで私はこんなに心がざわついているんだろう? この言いようのない感覚の正体はなんなんだろう? 私はなんとなく落ち着かなくて、お風呂の中に顔を沈めてぶくぶくと泡を立てた。




