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4話

 午前7時40分。

 学校は8時から始まるというのに、まだ私は通学路でヒロインを待っていた。もう登校時間はギリギリだろう。入学式からこんな遅刻ギリギリなんて、常に完璧な悪役令嬢である私からすると考えれない。私はこう見えても無遅刻無欠席の真面目ちゃん悪役令嬢だ。親にも時間には厳しくしつけられている。あれ? 悪役令嬢ってなんだっけ?


 午前7時45分。

 ヒロインはまだ来ない。いくら何でも遅すぎる。だが私はこの展開を知っていたので平静を保てる。嘘です、全然平静じゃないです。朝5時から待ってたし、時間が経つにつれどんどんドキドキしています。鎮まれ! 私の心臓!!


 午前7時49分。

 ……ふぅ。何故ここまでヒロインが来るのが遅いのかというと、この世界がゲーム準拠のストーリーであることを仮定するならば、きっとヒロインは今頃絶賛迷子中だからである。今頃青い顔をして走り回っている頃だろう。だが、迷子になっている場所が特定出来なかったので私は手助けできない。私が確定で分かるのはこの桜並木のスチルの場所だけだ。ごめんね香音ちゃん、頑張ってここまで来て!


 午前7時50分。

 入学式まであと10分前になってしまった。もう走ってもギリギリじゃないか? 私は急に不安になり始める。もしかして、場所が間違ってたとか? それとも既に香音ちゃんはここをスルーして学校に行ったんじゃないか? そもそも本当に香音ちゃんと会えるのか?


 ここまで待ち続けてきた私にも、とうとう様々な不安が胸中にうずまいて吐き気がしてきた。だがバチンと頬を叩いて気を取り直す。


 もう入学式なんて遅れてもいい。私はあの乙女ゲーム【桜色ラプソディ】の悪役令嬢、朱鷺宮銀華(ときのみやぎんか)に生まれ変わってから、ずっとずっと彼女に会えることを切望していたじゃないか。これは決して望んだ結果じゃないけれど、普通ならありえない『乙女ゲーの悪役令嬢に生まれ変わる』という奇跡は既に起こっている。だから奇跡は何度だって起こせる。それで私はこの美しい桜並木の下で彼女に会える奇跡に全てを賭けている。無遅刻無欠席? そんなもの、これからの彼女の出会いと比べればどれほどの価値がある?


 そして7時51分……

 あっ……足音が聞こえる。タッタッタッとブロック床を叩く軽い靴音。まだ遠くかすかだが、その足音を聞いた瞬間に私の心臓は沸き立った。彼女だ。彼女に違いない。ついに来た。予想していたよりずっとギリギリだったが、まだ入学式には走れば間に合う時間。ついに彼女が来たのだ!


 高鳴りすぎる胸を抑えながら、私は高速で頭を巡らせる。これから乙女ゲーの最初のイベントが始まる。乙女ゲーのヒロイン、桜香音ちゃんとメイン攻略対象の私の婚約者の男との出会いだ。それはこの校門まで続く美しい桜並木で発生する。香音ちゃんと私の婚約者は出会い頭にぶつかり、倒れそうになった香音ちゃんを私の婚約者が咄嗟に支える場面だ。舞い散る桜吹雪が美しいスチルだったが、そこに映っている私の婚約者の姿を思い出すと、魚の苦玉を噛み潰したようなどろりとした気持ちになってしまう。出会いイベントを知っている私は、当然あんなことは絶対にやらせない。


 私がするべき最初のミッション、それは『香音ちゃんと婚約者の男を出会わせないこと』だ。そこからあの男と香音ちゃんの関係が始まってしまうので、必ず阻止せねばならない。

そして、それについては私は完璧なる対策を積んでいる。それは婚約者とぶつかる場所の特定だ。スチルと現地の状況から判断するに、この真っ直ぐで見通しのいい桜並木の中ではおそらくぶつからない。だが、この先に一ヶ所だけ木々に隠れて見通しの悪い横路があるのだ。そこが運命のぶつかる場所……つまりディープなインパクトの起こるディスティニーポジションだ。

 なら私はそのディープインパクト(ものすごい衝突のこと)を防ぐ為にどうすればいいか? それは簡単だ。私の方がヒロインと先に会ってしまえばいい。だから私は午前5時から待ち伏せして、桜並木の桜の樹の陰に隠れているのだ。ちなみに待ってる間10人くらいに声かけられたけど、愛想笑いで返しておいた。変に思われたかもしれないけど、運命を覆す為には致し方ない。何しろ私の人生がこの出会いにかかってるのだ。私が彼女に先に声をかければ、彼女にとっては初めて出会った学園の生徒であり、他の攻略対象よりずっと先んじることが出来るはずだ。


 足音がどんどん近づいてくる。私は超高速で思案してた頭を覚ます為にもう一度バチンと両頬を叩いて気合いを入れる!

 よし、声をかけるぞ!声をかける!私が彼女に!香音ちゃんに!

 私が声をかける場所は乙女ゲームであの男と香音ちゃんがぶつかる場所より100mほど手前の場所だ。私の方が絶対速く出会える! もしこの作戦が駄目だったらもはやチートを疑うわ! 攻略情報を把握してる私が言うのもなんだけど!


 桜の樹の陰から意を決して一歩踏み出して出る。そして私は初めて彼女を……桜香音の姿を見た。その瞬間、全ての思考が吹っ飛んだ。


 彼女は決して美人ではない。この朱鷺宮銀華の生まれながらにして恵まれた超絶な美少女っぷりに比べれば、彼女など地味に見えるくらいだ。だがあの庇護欲を掻き立てるこの感覚は何だ!?

 髪型は前髪ぱっつんの大人しいめのボブカットで切り揃えられている。くりくりとしたアーモンドのような瞳は桜の花弁が散ってるような虹彩を放ち、目尻は気弱そうに若干垂れている。走ってきた故か、紅く染まるほっぺたはモチモチしてそう。鼻は小さく、唇もリスのように小さい。残念ながらその体型は出るとこ出ている抜群のプロポーションを誇る朱鷺宮銀華と比べると出るところが全く無くてあまりに平坦で凡庸。若干背が小さく、胸は若干膨らみが分かる程度にしかない。そして最大の特徴である淡い桜色の髪色……はかろうじて乙女ゲームのヒロインである造形を満たしてるところだろうか。ハッキリ言って容姿の美しさに関しては、ありとあらゆる面で朱鷺宮銀華の方が優れていると誰もが言うだろう。

 だが! どちらが可愛いか? と問われると間違いなく桜香音ちゃんに軍配が上がる!! そこに容姿の優劣など関係ない。例えて言うなら高嶺の花の美しさより、路傍にひっそりと咲く健気な花……そんな感じの可愛さだ。高校一年生にして完成された朱鷺宮銀華の美しさより、未成熟でこれからを感じさせてくれる桜香音が魅力的に感じる諸君も多いことだろう!


 そんな可愛い彼女が、画面越しではなく現実世界に降臨している。いや、ここは乙女ゲー世界であって本来の現実ではないのか? いやそんなことはどうでもいい!


 始業式に間に合うように走っている香音ちゃん。その走りはお世辞にも速いとはいえず、ぽてぽてと走ってはぁはぁと一生懸命に息継ぎをしている。か、かわいい! 実物はこんなに可愛いものなのか!

 い、いや、悶絶している場合ではない! 向こうはまだ私に気付いていない。はやく話しかけなければ!


 私は止まっていた足を動かし、彼女の元へと歩き出す。さぁ、話しかけるのだ。今だ。今のタイミングだ!

 彼女がこちらに10m近くに迫った瞬間、急に頭が真っ白になった。あ、あれ? 私、最初にどう声をかければいいんだっけ? そう、確か昨日のうちに台詞案をいくつか考えてたような……こ、攻略本! 攻略本を読まなければ! 確か私の婚約者が彼女をきゅんとさせたキザったらしい台詞があったはずだ! ああでも、もう時間がない! ええいままよ! もうただ挨拶するだけでいい! 印象さえ残せれば!!! そして私は突撃した。


「そ、そこのあなた! ちょっと……あえっ!?」


 ガッ! 彼女がもう目の前にいるというのに、その瞬間私は足をつまづいてしまう! ここが平地なのにも関わらずだ! 一体どれだけ動揺していたの私!? とっさのことでバランスを保つことが出来ず、傾いていく私の体。そして数メートルに迫った香音ちゃんの進路を阻むようにたおれこんでいく。スローモーションの視界。そして香音ちゃんは遅いといえど走っている。車は急には止まれないように、ヒロインも急には止まれない。そもそも走っている人に横から急に話しかけてきて、どうするつもりだったんだろう私……目の前が真っ白になっていく……ああ、失敗したぁ……


「ぷえ!?」

「きゃうっ!?」


 転ぶ私と止まれないヒロインはどん!とぶつかってしまう。ちなみに「ぷえ!?」などと無様で変な声をあげてしまったのは私の方だ。ヒロインは突然出た声ですら可愛いのに。私は慣性には逆らえずそのまま前のめりに倒れこみ、思わず目を瞑った。

 ああ、このまま地面にキスか……と思った瞬間、予想外に柔らかい感触が私の顔に当たっていた。いや、むしろそこまで柔らかくない? なんかいい感じの匂いと感触が、私と地面の接触を防いでいた。


「あいたたた……だ、大丈夫、ですか?」


 !!??!??!?!?

 めっちゃ超至近距離から何か可愛い声聞こえた!?


 彼女から声をかけられた瞬間、自分の今の状態を理解した。はぁはぁと彼女の息遣いがすぐそばから聞こえる。私がしがみついてる場所は、彼女の呼吸とともに上下している。そして顔に感じるいい感じのクッションみたいな感触と確かな熱……


 把握した。現状を説明すると、これ私が頭から突っ込んだ結果、走ってる彼女にぶつかってそのまま倒れちゃったんだわ。つまり、私の顔が埋まってるのは……ハッと気付いた私は地面に手をついて勢いよく顔をあげる。目を開けて暗闇が晴れると、目の前30㎝以内にあるのは彼女の…彼女の胸です。

 先ほどまでつつましくも控えめで柔らかな感触で私の顔を包んでいたのは、ヒロインの胸でした。胸、つまりいわゆるおっぱい。推定Aカップの彼女のそれほど大きくないおっぱい。まさにラッキースケベの主人公のごとく、彼女の清楚で可憐なおっぱいに先ほどまで顔をうずめていた私。とっさに思い出す、さっきまでの心地よい柔らかな彼女の感触。こんなことが、こんなことがあってよいのだろうか? いやない! ダメだ! 頭が混乱しているわ!


「だっ、大丈夫ですか!? どこか打ちましたか!? たいへん、鼻から血が出てます!!」

「ふぇ……血? はなから、血?」


 え、まじで? おほほほ、このわたくしが、絶世の美少女である悪役令嬢朱鷺宮銀華の鼻から、血? 女の子にぶつかったくらいで? もしかして興奮して出た? え、そんなことありえる? ラッキースケベの漫画じゃあるまいし?

 そんなことを思いながら服の袖でそっと顔をぬぐうと、袖にべっとりと血がついてきた。


 出とるやんけ、鼻血。

 状況を処理できなくなった私の脳はフリーズし、そのまま意識を失うことを選んだ。

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