「猿共に倒されるような生物が、魔法使いに勝てる訳ないでしょお~?」「…。」
前々からずっと引っ張っていた『魔物』の正体が気になる皆さん、お待ちかねの魔物回です。
筋肉が理論をぶっ壊す様を見たい人は、次回までお待ち下さい…。
この日、二人は北の森にいた。
針葉樹が鬱蒼と生い茂り、地面には北方諸国の雪雲が降らせた雪が薄らと残っている。
鳥が鳴く声が遠くから響く中、どこか青みがかった土を踏みしめて二人は森の奥へと足を運んで行く。
鳴き声と風が葉を揺らす音、地面を踏みしめる音以外聞こえない空間。
そこに突然、二人以外の物音…土を蹴る音が響く。
「おっ、獲物はっけ~ん。」
それを見た、二人の男の内の片割れ―――モタルという男が音の方向に杖を向ける。
「『魔法の矢』。」
モタルがそうボソリと呟くと、針のような杖の先から青白い光が発射される。その光は真っ直ぐ進むと、草むらを破壊しながら二人の視界から消えていく。
そしてそのすぐ後、遠くから獣の呻く声が響き渡る。
モタルは薄茶色の毛皮で出来た防寒具を揺らすと、木々の合間を縫って音の方向に行く。
「チッ、子狐かよ下らねえ。」
暫くした後、吐き捨てるような声と共に姿を現わすモタルの手の中には腹部から血を流した子狐。右手で狐の両足をひっつかんでいるので、血が滴って狐の顔を赤く染めている。
「フレイよお、コイツどうする?このままでも嵩張るよな。」
「あ~、そこら辺に捨てちゃって良いんじゃないすか?そんなゴミ、触媒にしても食料にしても碌な金にならないでしょ。」
怠そうなモタルの問いかけに、フレイと呼ばれた男が頭を掻きながら応える。
フレイはがっちりとした体つきであるモタルに比べて細身で、同様に薄茶色の防寒具に身を包んで杖を持っている。
「だよな。おら、返してやるぜ!ハハハハハハハ!」
モタルは狐の足を持ったまま、振りかぶって歩いてきた方へ向けて思い切ってぶん投げる。勢いを付けられた狐の死体は、周囲に血を撒き散らしながら木々の奥へ飛んでいき、ドサリという音と共に落下した。
思いのほか飛んでいった事に気を良くしたのか、手を叩いて馬鹿笑いするモタル。つられてフレイもクスリと笑みを浮かべる。
笑いに笑って気を良くしたのか、割と人の出入りがあるため土が剥き出しになった森の道で二人は談笑を始める。
「いやあ、密猟ってのはいつやっても楽しい仕事だぜオイ。獲物を仕留めりゃそのまま手元に金が入るしよお~。」
「北の森は俺らみたいなの以外誰も入らないから、獲物もそれなりにいますしね。」
魔法使いの国マギウスでは、『生物の死体』はそれなりに需要がある。魔術の触媒としても良し、そのまま食料としても良し、皮を剥いでも良し、魔道具の素材にしても良し。正に捨てるところのない万能素材であった。天然物なら価値もひとしおである。
しかし、北の森は出入りが禁じられていた。通称『禁域の森』とされるこの森は、マギウスと北方諸国にまたがる巨大な原生林である。
一応国境線はあるが、それでも万が一という事もある。まかり間違って北方諸国側に足を踏み入れてしまえば命の保証は無いのだから。
だが一般人が入らないとなれば、この原生林特有の生物の入手難易度は上がる。
となれば、彼等密猟者の出番という訳だ。
「金になる、動物をいたぶってストレス発散になる、魔法の試し打ちが出来る…。」
道を歩きながら指折り数えて密猟の利点を挙げていくモタル。
3つ4つ挙げた所で思いつかなくなったのか声が小さくなるモタルに、立ち止まってフレイは言う。
「一つ忘れてますよ。」
「おお?何かあったか?」
するとフレイは杖を斜め後ろの方に向けて、高速で飛ぶ魔法の矢を放つ。
瞬きしている間に地面を駆ける青い閃光は、草を灼きながら一目散に目的地へ。
そして数舜の後響き渡る人間の断末魔。
「人も殺せる。」
「おおっと、ソイツを忘れてたぜ。」
彼等は断末魔の聞こえて来た方向に行くと、しゃがんで倒れ伏した男の身体を漁る。防寒具をまさぐり、靴を脱がせ、念入りに身体を調べていく。
しかし何の成果も無いと分かると、二人は舌打ちして立ち上がる。
「しけてんなあ。財布や希少素材の一つや二つ持ってろってんだ。」
「使えないッスねコイツ。俺に魔力使わせといて、ざけてんじゃねえぞオラ!」
心臓を貫かれた死体の腹を蹴飛ばし、鬱憤を晴らすフレイ。最初は軽く蹴るくらいだったものが、次第に力が込められていく。最終的には身体が浮くほど蹴り続け、大木に衝突させた所でようやく静止する。
綺麗に心臓が穿たれていた死体は泥で塗れ、蹴られた所から静かに血が流れ出す。綺麗だった死体は体中の関節が折れ曲がり、動物に襲われたかのような様相を呈している。
「ハア…ハア…、ックゥ~~~!何度やっても楽しいッスわ。このイノチをやり取りする感じ?」
「ギャハハハハ、違いねえ!」
木に寄りかかった遺骸の前で嗤う彼等の周囲には、何とも言えぬ熱気が漂っている。原始的な欲求を満たした彼等の身体は火照り、されど未だ足りぬと心臓が血を巡らせているのだ。
熱気のまま次の獲物を仕留めに行こうと思った所で、フレイがモタルに話しかける。
「おっとモタルさん、修復魔法お願いしますわ。自分でやっといて何だが、このままだと獣に喰われちまう。」
「利益は折半な。稼ぎだけならこの獲物だけで十分なんだが…まあ帰らねえだろ。俺はまだゴミ一匹だ。」
修復魔法を掛けると、見た目だけは綺麗な死体に戻る。完全に消し飛んだ心臓付近だけは戻らなかったが、それ以外の骨折や出血は元の状態である。
新鮮な人間の死体は、彼等にとって一番の上物だ。『表』の魔法使いにとって喉から手が出る程欲しい魔法素材。人殺しが基本的に許されていない彼等にとって、身元不明の犯罪者の死体は垂涎のお宝である。
狩りの手法としては、人間の死体を餌にして更に人間を釣るといったものもあるが、人が少ない今日はその手段を取らないらしい。
彼等は獣が寄りつかぬよう魔法を掛けると、更に森の奥地へ向かう。
「…。」
数分程歩いた後、二人はその場に立ち止まる。
「なんかよお、視線を感じねえか~?。」
モタルが周囲を見渡しながらそう口にする。
長年の密猟で鍛えた勘故に、先程から彼は一挙手一投足が何かに見られていると感じていた。
「つっても、ここら辺はもう草むらが無いっすし、いるとしたら―――――」
雪が深くなった森は、既に背の高い針葉樹のみが密集している状況。先程まで二人がいた、よりマギウス側の森の植物相からは大きく変化している。
つまり地面に隠れるところは無く、周囲を見渡しても視界に入らないとなれば…。
「…!モタルさん、左後ろの木。中腹にいます。」
視界に入った動物を刺激せぬよう、小声でモタルに話しかけるフレイ。
二人は前方を向いたまま素知らぬふりをして情報を共有していく。
「おいおい、木の上っつうことはただの獣じゃねえのか?」
「いや、それが…。」
―――――瞬間、ひたりと気配の主が足を動かして木の上に移動する。
「なんだアイツは…?」
位置が変わったことで、横眼で伺っていたモタルにもその容姿がはっきりと見えるようになる。どうせ小物と、期待をせぬままそちらを見たモタルは奇怪な生物を目にした。
茶色い木の皮にひっつくソレの体長は尾まで含めて30㎝程。全身のシルエットはトカゲ、或いはウーパールーパーと似通っている。
ただ絶対的に違うのは、全身が深淵を思わせる黒に染まっているという事。体色が黒っぽいとかそういう次元ではなく、全身が闇に包まれているような印象を植え付ける。
表皮は鱗では無く、柔肌の闇。ネガフィルムに映ったかの様にその輪郭はボヤけている。
そして頭頂部の側面で小さく、そして白く光っているのは目だろうか。瞳孔は無く、ただただ白く光るのみの目。
―――――明らかに生物ではない。
その生物の不気味な存在感は、前で立ち止まる二人にそう思わせていた。
「…聞いたことがあるぜ。『北』には魔物が出て、国外に出さねえように猿共が足掻いてるってよお。」
猟師をやっていた時代にも、密猟をしていた時代も相手にしたことがない存在。
それも非生物。
どんな能力を持ち、どんな知能を持っているかすら未知数。
無論、素手でヤツと相対するなど問題外。もしも山歩きの途中で出遭ったならば一目散に逃げ出すだろう。
しかし今、手には魔法の杖がある。文明の利器がある。
野生には及びも付かぬような現象を引き起こす叡智の結晶がある。
『己が負けるはずがない』という自信がある。
気づけばモタルの貌には、狩猟者の笑みが浮かんでいた。
「狩るぞ。」
そしてそれは、隣のフレイも一緒だった。
「『魔法の矢』!」
フレイはモタルの声を聞くや否や、殺気を感じさせぬよう脱力し、瞬時に振り向き魔法の矢を放つ。
音を置き去りにする程のスピードで迫るその矢は、しかし目標を捉えず木を貫くだけで終わった。着弾寸前に魔物が地面に飛び降りたのだ。
「魔物が今まで市場に出た回数は0…。生け捕りにすりゃあ俺達億万長者じゃないッスか。モタルさんが止めろって言っても、俺は続けるつもりでしたよ。」
「馬鹿野郎、俺がうまい話を逃すわけねえだろ。」
二人は話しながら魔物が飛び降りた地点へ向かう。
逃げたのならば雪に足跡が残るはず。それを追っていけば自ずと獲物に辿り着く。雪山での狩りにおいて、常道過ぎる発想だ。
しかし、その期待は裏切られることとなる。
足跡が無い。飛び降りた筈の地点にも、逃げ去った筈の周囲の地面にも痕跡が一切無い。
まるで魔物という存在をこの世界が抹消したかのように、消息を辿るための手がかりが一切消えてていた。
その不可思議な現象を見て尚、二人は湧き上がる興奮を覚える。
こんな現象を引き起こせる存在―――研究対象としては適当すぎる。売りに出せば、一体どれほどの値が付くのか。
「手分けして探すぞ。お前は来た方面、俺は向こうだ。」
「了解。発見したら『念話』で知らせますわ。」
深くなった雪に足跡をつけながら周囲を探索していく二人。
禁域の森に入り慣れている二人をして、痕跡を全く残さない魔物の追跡は至難を極めるものであった。
ある程度の時間を浪費しながらも魔物は見つからず、気付けば互いの距離は相応に離れていた。
遠くで鳥が鳴いている。
針葉樹の尖った葉がざわざわと揺れている。
来た方面を戻ってきたフレイは、環境音を聞きながらふと立ち止まった。
「…。」
下を向けば、雪で覆われた地面に木々が影を落としている。白に薄い黒が加わってグレーにも見えるそこに、気づけば目線は向いていた。
そして―――フレイが立ち止まった刹那、黒が濃くなる。
「quaaa!」
魔物は樹上に潜んでいた。木々の枝に身を置き、獲物が誘い込まれるのを待ちわびていたのだ。
何十メートルの高さから飛び降りながら、空中で身体を変化させる。かわいらしかった右手に何物をも引き裂く鋭利な爪を生やし、最速で降下していく。
数秒の後には、爪が獲物の首をかっ切る―――その筈であった。
「やると思った。」
しかし男は着地点から身体を反らすと、木でできた杖を上に向けたまま呪文を唱える。
「『魔法の矢』。」
魔物は奇襲が悟られていた事を知って空中で身体を捻るも、腹の部分を矢が貫く。
そしてどてっ腹に風穴を空けられた魔物は、衝撃の反動で大きく吹き飛ばされ、きりもみ回転しながら木々の奥に消えていく。
フレイはため息をつくと、杖を頭に向け、念話をつなぎながら魔物に近寄る。
(モタルさん、こっちにいました。)
(クソッタレ、今日はついてねえぜ。すぐ向かう。)
「―――さて、拘束するとしますか。」
フレイは右手に持った杖を左手にペンペンと叩き付けながら、魔物が吹っ飛んだ方へ歩を進める。
あれだけ威勢良く撃ち抜かれたのだ、死にはしないまでも行動不能くらいにはなっているだろう、と考えていると…。
「マジッスか、しぶといなあ~。」
落下点には魔物の影は見えず、魔物はまたも姿を消していた。
しかし、先程までは無いものが一つ。
「…へえ~。魔物の血って黒いんだ。」
フレイの目線の先には、雪の上に続く黒い染み。
着地点では大きく撒き散らされ、そこから身体を引きずるように黒い線が続いている。
魔物の居所をありありと教えるソレは、さながら魔物を死に誘う道。
「~♪」
捕食者は、上機嫌に口笛を吹きながら黒い道を辿っていく。
鬱蒼とした木々を抜け、少し開けた場所には―――
「おっいたいた。」
木の下でヒューヒューと身体を上下させる生きた闇がいた。
周囲の雪がドス黒く染まる程の出血、身体の消耗具合から瀕死なことは一目瞭然。
フレイは魔物の目の前で立ち止まると、肩を竦めて語り出す。
「猿共に倒されるような生物が、魔法使いに勝てる訳ないでしょお~?どんなに工夫したって、所詮は獣の浅知恵。人間様には勝てないんだよ。」
「…。」
フレイの声を聞いているかいないのか、蜥蜴形の闇は腹から黒々とした血液を流し続ける。
そんな魔物を見て、優越感に浸りつつフレイは言葉を続ける。
「木から飛び降りた時だって、影が映り込んでるのが見え見え。獣にしては頭を使ったけど、100点満点中10点って所かな?」
「ま、安心すると良い。ここで君は死なず、次目覚めた時にはオークション会場だ。」
針の様な杖を魔物に向け、意識を奪う魔法を唱えようとするフレイ。
(あー楽し。雑魚をいたぶって億万長者とか、本当に良い仕事だなあ。)
「『沈黙のまほ』―――は?」
―――瞬間、魔物の闇が剥がれ落ちる。
身体に纏っていた闇が流れるように溶けて周囲の雪に飛び散る。
そして闇の下から出てきたのは―――
「狐の、死体…?」
腹部から赤い血を流した子狐。
そして腹には、攻撃によって空けられた穴が二カ所。
長年の密猟生活での経験が、この子狐は死んでから数時間経っている死体だと知らせる。
―――じゃあ、何でコイツは今まで動いていたんだ?
―――あの血は何で黒かったんだ?
―――いつから魔物と入れ替わっていたんだ?
―――そう言えば、モタルさんが『ゴミ』を投げ飛ばした方向は、確かこちらの方だったな。
無数の思考に絡め取られたフレイは、今度こそ『影』を見逃した。
「あが…!?」
今度こそ、魔物はフレイの首をかっ切った。
傀儡を横たえさせた木の上から飛び降り、予定通りに獲物を殺した。
あの黒い道で誘われたのは魔物の死では無い。
こちらが誘ったのは獲物の油断と死だ。
プシャアアアと生温かく赤い液体が背後から降り注ぐ。
地面に落ちたその液体は雪をじわりと溶かし、赤く赤く染めていく。
「qaaaa…。」
魔物が目の前に落ちたフレイの頭部に近付くと、愛らしいウーパールーパーの様な見た目を変貌させる。
顔面が縦に裂け、中から覗くはおぞましい闇。
赤い肉があるのは生物と同じだが、無数のギザギザした歯が縦に裂けた口を埋め尽くしている。
とは言え、30センチほどの生物の口だ。人間の頭部を噛めるほどの大きさではない。
しかしそこは魔物。
頭部だけが巨大化すると、そのまま頭部を口内に丸呑みし噛みつぶす。
メシャリメシャリと魔物が頭部を咀嚼する音が周囲に響き渡る。
十数秒もしないうちに頭部を咀嚼し終えると、縦に裂けた顔を戻し、肉と脳ミソをゴクリと呑み込んでケプリとゲップをする魔物。
今度はメインディッシュ―――と魔物はフレイの肉体に近付き、大口を開けて捕食を始める。
そしてソレを遠くの木陰から眺めている男が一人。
(…おいおい、あの魔物、賢いってレベルじゃねえぞ…。)
50メートルほど離れた位置にある木に背中を押し当て、顔だけを木から出して様子を伺うモタル。
極寒の地であるというのに顔には冷や汗が流れ、脇や背中は汗でビッショリだ。
モタルは一旦視線を放し、防寒具の袖で額を拭う。
(さて、密猟で一番大事なことは、『ヤバそうだったらすぐ逃げる』なんだが…。)
再度木から半身を出し、咀嚼音が響く方向へ目をやる。
―――そして、モタルは目に飛び込んで来た光景に絶句する。
「―――!」
今正に、魔物はフレイの右腕を噛み千切って咀嚼し終えた所。
闇で輪郭はぼやけているが喉の動きは辛うじて分かる。
呑み込んで魔物が喉を鳴らすと―――蜥蜴の様な身体から、人間の右腕が生える。
右足を食べれば右足が、左手を食べれば左手が。
ウーパールーパーの体躯がドンドンと人間に近付いて行く。
元々の体躯は小さいが、このままいけば身長1メートルの子供程度にはなる。
闇に包まれ、輪郭がぼやけ、黒き深淵の中で目だけが白く光る、両腕両足を備えた生物―――
―――そこまで考えた所で、モタルは『逃走』を選択した。
「…。」
流石と言うべきは、彼の悍ましい光景を見て冷静さを失わなかった事だろう。
あの人のなり損ないに見つからぬよう、気配を消して静かに移動する。
仇討ち?そんなもの最初から考えていない。
死んだら死んだで終わり。そも、向こうがどう思っていたか知らないが、同業者相手にそこまでの信頼を置いていない。
(獣を喰えば獣になり、人を喰えば人になる。クソが、クソッタレ!)
200メートルほど距離を取ったところで道を走り出すモタル。存外冷えているその頭の中は、罵倒で埋め尽くされていた。
今まで見たこともない性質。
喰ったモノの利点を取り込み、己の長所に変える能力。
超速で進化するその能力は、万人に畏れを抱かせるものであり―――
(―――死体だけでも手に入りゃあ、大もうけだってのによお!)
―――魔法使いに取ってはやはり極上の研究対象。
彼の魔物が異質であればあるだけ、化物であればあるだけ加速度的に価値は増していく。
所詮北の地で押しとどめられるだけの存在…マギウスの人々はそう思って眼中にすら入れていない。
だってそうだろう?
猿と見下す者達が、ここ数百年、或いはもっと以前から一匹残らず狩り尽くしていた存在だ。
魔法に頼らず、その身を鍛えるという非効率極まりない方法で。
カス、ゴミ、クズ…そんな猿に鎮圧される生命体風情、熊や虎などの哺乳類未満に決まっている!
人間が素手で勝てるレベルの生物などたかが知れているのだから。
全力で逃走を行う中、モタルは頭の中で必死に演算する。
(どうにか、どうにかヤツを殺せねえか…!殺して『裏』の連中に差し出せば、億や兆は下らねえんだぞ!)
それは、明らかに欲をかいた思考。
『命があるだけ儲けもの』という概念なんぞ、とうの昔にこの男の頭から消えている。
いや、正確には先程まであったが、冷静さを取り戻して消えたと言うべきだろう。
その懸命な思考を消したのは、ただ一点の事実。
(北の猿共が殺してるってのによお~俺達人間様が出来ねえってのはあり得ねえンだよ。)
ギリリと歯を食いしばって森を駆け抜けていくモタル。
どんな手を使っているのか知らないが、北の連中は魔法を使わずあの手の生命体を殺し尽くしている。
何か、何か突破口がある筈だとモタルは考える。
―――そして、モタルは気づけば『あの場所』に戻って来ていた。
視線の先に横たわるモノを見つけて、モタルはニヤリと嗤う。
(アイツ、フレイを喰って人間になったんだよなあ。じゃあよお、お望み通り人間の狩り方で狩ってやるぜ。)
◇
魔物は、腹が減っていた。
極寒の地に降り立ち、運良く力ある魔物の影に隠れていた魔物だったが、その魔物が倒されてしまった。
それも単体の人間に、だ。
手には大剣とナイフを一つずつ持った、ただの人間にだ。
これは魔物にとって大きな誤算であった。
而して『このままでは死ぬ』と本能で察知した魔物は、大きな魔物が斃される寸前に打って出た。
短い鉄の塊が寄生主の目玉に刺さり、体勢を崩した所。
対面する人間が、右手を振りかぶって大きな鉄塊を寄生主に当てた所だ。
魔物の身体から瞬時に飛び出し、相手の腸を食い千切る。
今まで全く存在を悟らせていなかった甲斐あって、完全な不意を突くことに成功した。
宿主が死ぬと同時に、人間も血と臓物を撒き散らした。
雪が紅く染まって地面には腸が散乱する。
後はこの人間を捕食するだけ。宿主は死んだが全く問題無い。
魔物は、本能からそう打算していた。
―――しかし、それが誤算だった。
腸を撒き散らした人間が、絶命を迎えなかったのだ。それどころか、体勢を立て直して短い鉄を宿主の死体から抜くと、それを左手から投擲してくる始末。
腹から血と内臓がこぼれ落ちている。今ので更に出血と損傷は激しくなった。
完全に理解を逸したその行為は、当然魔物に防げるはずが無かった。
身体をその鉄が貫き、遠くへ跳ね飛ばされる。
傷口は闇で瞬時に塞いだが、じくじくとした痛みが全身へ伝播していく。
明らかな致命傷だった。
魔物は生まれて始めて勝負の土俵に上がり、そして死ぬ寸前の人間に敗北したのだ。
そして、人間は未だに死ぬ気配が無い。
近付けば大きな鉄を振りかぶり、今度こそ自分は殺されてしまうだろう。
本能でそう察知した魔物は一目散に逃亡した。
奇襲をしておいて逃走など、理性ある者であれば最も避けたくなる行為だ。
しかし本能に支配された魔物はその選択を戸惑わない。
―――腹が減った。何かを『捕食』しなければ、この傷から己は死ぬ。
鈍っていく身体を押して魔物は走る。
―――そして、森に到達した。
まず、狐を食べた。何者かの為に餌を獲っている最中だった様だが、そんなもの知った事では無い。
そして、うん。今食べてるものが次の獲物だ。己を殺しかけた人間とは些か違うが、とてもうまい味がする。
加えて、何故か頭が冴えてきた気さえする。先程から述懐出来るようになったのも、今この人間の頭を食してからだ。
この前足、後ろ足の形状は便利なので真似することにする。
サイズは変わらないが、二本足で立って歩けるというのは便利で仕方が無い。
あの忌々しい人間の様に、右の前足で長い鉄を、左の前足で短い鉄を持って『狩り』も出来る。
「く…あ…。」
魔物は、ふと自分の『声』が出ている事に気づく。
「あ、あああ。」
先程食した人間の胴体も真似てみたが、そう言えば何やら変な言葉を発していた様な気がした。
少し練習してみるとしよう。一番印象に残った言葉で、練習してみよう。
「コ、ロス…。コロ、ス。コロス。」
己の本能に根ざした概念。
それを自分から口に出すことの、なんと素晴らしいことか!
『声を出す』という概念を学んだ魔物は、気づけばその行為の虜になっていた。
「コロス、コロス、コロス、コロス、コロス!クキキャハハハハハハハハ!」
狂気を孕む甲高い嗤い声が寒空に響き渡る。
魔物とは、人間を殺して食べるように本能にインプットされた生命体である。本来の食物連鎖によれば魔物が『上』で、人間が『下』だ。
初戦の敗北で根深い屈辱感を味わったが、1度打倒してしまえばこんなもの。
魔物は、自分の中に強い自負心が生まれきた事を自覚する。
丁度先程食べた人間が口にした様に、魔物が上で人間が下。獲物が狩猟者に勝てるはずもない。
―――それは、端的に言えば『慢心』であった。
本能で動いていた頃には無かった他者を見下す心。
生存のみを目的としていた頃とは違う、獲物を狩って優越感を得る心。
一際承認欲求が高い人間を捕食したからか、それとも人になった事で根底の劣悪さが露呈したのか。
どちらにせよ、魔物の心は強い慢心で支配されていた。
「…餌ダ。」
一頻り嗤い終わった魔物は、鋭敏な鼻に漂ってくる香しい死臭を察知する。
この匂いは大好物のごちそうだ。
一瞬でそう判断した魔物は、即座に二本足で走り出す。
魔物の圧倒的膂力による身軽な身のこなしにより、数百メートル離れているはずのその場所に10秒もせずに到着する。
目に入るのは木に横たえられた綺麗な死体。左胸に孔が空いているが、先程食した人間がやったのだろうか。
「…。」
一目散に走っていた筈の魔物は、開けた場所に入る前にふと立ち止まる。
これは罠だ。
なぜ死体がこんな場所に放置されている?
なぜ死体が急に察知できるようになった?
本能に支配されていた頃の自分であれば、間違いなく警戒して立ち寄らないだろう。
―――だが、今の自分は知能がある。人間を殺して喰った自負心がある。
―――たかが人間の罠が、己を殺せる筈がない。
それは知能を手に入れたが故の弊害であった。
本能にインプットされた狡猾さを、生存のみに割いていたからこの魔物は生き残れたのだ。
他の魔物よりも弱い力を知恵で乗り切ってきたのだ。
奇しくもそれは、人間が発展する理由と重なる部分がある。
しかし人間は何千年何万年とかけて進化し、今日の知性を手に入れた。
一朝一夕で知能を手に入れた魔物が、ソレに酔いしれるのもある意味では必然であった。
―――どんな罠があるか知らないが、所詮は人間の罠。正面から打ち砕いてやろう。
そして思考は、先程己が仕留めた『獲物』のモノと似通っていく。
慢心に支配され、開けた場所に足を踏み入れる。
―――それが、この魔物の最大のミスだった。
逆に言えば、モタルを含めたマギウスの魔法使い全員にとって、これが魔物を仕留めるための最大限のチャンスだった。
この機を逃せば魔物から慢心は消える。そうなれば生存に向けて全力で知恵を割くようになり、遠からぬうちにマギウスは魔物に支配されるだろう。
幸か不幸かモタルは魔物を仕留める最後のチャンスを手にし―――そして慢心した魔物は、見事に人間に敗北した。
「グカッ!?」
『領域』に踏み込んだ魔物が始めに感じたのは、チリッという小さな音と共に現れる火花。
鉄で鉄を打ったときに出るような、小さな小さな火花である。
それのみでは殺傷力も何も存在しない、ただの些細な火。
―――しかし、魔物がそれを認識した瞬間『火』は『炎』となる。
数ミリ程の大きさしか無かったはずの火が巨大化し足下に纏わり付く。
自然界には決して存在しないその現象に、魔物は思わず面食らって瞬きをする。
一瞬の暗闇の後に、目を開けて足下を見る。
その一瞬で、身体の半分まで火がせり上がってきていた。
僅か1秒にも満たぬ刹那、魔物の全身が業火に支配される。
「xxxxxx!」
―――人間にとって幸運なことに、『魔物』という種族が共通に持つ弱点は『火』であった。
闇より出ずる魔物は光に抵抗を持たず、闇に包まれた柔肌はとりわけ炎に弱い。
モタルは、『闇に通じるモノには光が効くだろう』という安直な考え方で炎魔法を使用したが、それは図らずも最善の一手となる。
声にならぬ叫び声を挙げ、全身を雪に打ち付けて鎮火しようと試みる魔物。しかし焼け石に水で、魔法によって生じた業火がそんなもので消える筈もない。
(―――ハハッ!あの野郎、無様に罠に引っかかりやがった!所詮はその程度ってことよお!)
炎の罠を仕掛け終えたモタルは、40メートルほど離れた先の木陰からその様子を伺っていた。
目論見が成功した今、顔には笑みが浮かんでいる。
火達磨になってのたうちまわる魔物を眺めるモタル。
ビタンビタンと身体を打ち付けるその様は、正に無様と言って差し支え無い。
魔物にとって意識の外であったのは、魔法使いが自然の外の事象すら操りうると言う事実。
魔物の持つ『普通の人間』像は始めに戦った白髪紅目の人間で形成されたが、彼は一切魔法など使っていなかった。
些か人外の気はあるが、未だ自然の摂理に従っていたのだ。
しかし魔法使いは違う。
魔力を用いて、自然の有り様を歪めるのが魔法。
手に入れたばかりの知性に酔いしれ、そんなものの使い手をただの人間と侮った事が、魔物の敗因であった。
恐らく、モタル一人だけでは魔物に勝てはしなかっただろう。
幸運にもモタルがフレイの死を目撃し、魔物の脅威の一端を認識出来た。
幸運にも魔物が進化の途上で慢心した。
幸運にも魔物を誘う餌を事前に用意できた。
数多の幸運が積み重なり、北方の英雄さえも予期せぬ結果―――『魔物の打倒』という結果を魔法使いは手にしたのだ。
「…止まったか。」
魔物は数十分にもわたる悪あがきの末、火に包まれたまま雪上に倒れ伏す。
位置としては、最後に遺体を捕食しようとしたのか、遺体のすぐ手前である。
業火が魔物の全身を包み込み、あれだけ不気味だった闇の存在はもう感じられない。
そのままモタルは十数秒魔物を観察する。
しかしその間にも、倒れた魔物はピクリとも動かない。
「…死んだな。」
それを以てモタルは魔物の死を断定し、ほっと胸を撫で下ろす。
後は死体に『修復』の魔法をかけて山を下りるだけ。
柄にも無く熱くなったモタルは汗を拭い、身を隠していた木から姿を現わす。
―――その刹那、モタルの胸を『魔法の矢』が貫いた。
「…あ?」
左胸を撃ち抜かれたモタルが最期に見たのは、遺体の杖を手に持ってこちらに向ける魔物。
それが表すことを認識できず即死したモタルは、ある意味幸福だったのかもしれない。
彼等が誇る『人類史の成果』―――『魔法』を、魔物が進化の果てに獲得したという悪夢的な現実を。
雪上にドサリと倒れ込み、モタルの周囲が円形に赤く染まっていく。
その顔には愉悦の笑みが浮かんでおり、自らが死んだことすら認識出来ていないようであった。
そして同時に、火が消えた魔物も杖を雪上にポトリと落とす。
最期の一手、術者のあぶり出しのための死んだフリ。フレイが魔物の脅威を認識しモタルが慎重になったせいで、それが致命傷となった。
魔物は杖の上に身体を倒れさせると、一番手近にあった死体の右腕を食べようとする。
しかし弱点たる炎に灼かれた身体は言うことを聞かず、捕食する体力すら魔物には残されていなかった。
魔物は己の死を悟る。
奇襲で腹をかっさばいたにも関わらず、死すら厭わず動き続ける人間に敗北した。
自然すら支配下においた、狡猾な人間に敗北した。
地上に湧きだし、生を受けてから魔物は敗北し続けた。
ただの一度も勝利は無く、リベンジでもある今回も、辛酸を嘗めることとなった。
魔物は白く、そして鈍く光る瞳を閉じようとしたところで、自分の中にある思いに気づく。
それは知性を獲得したが故の思いであるが、気づいた時にはもう遅い。
『次』があれば、絶対に己は最強に至る。
負けることの無い生を謳歌する。
無念と後悔に包まれたまま、魔物はその生を終える―――かに思われた。
しかし、魔物が意識を手放す寸前のこと。
―――魔物は、誰かの声を聞いた気がした。
◇
「―――よもや魔法に至るとは。その進化速度、或いは才能…面白い。」
一部始終を見届けた魔法使いは嗤う。
自らの手に舞い降りてきた幸運に。
自らの知的好奇心を満たすであろう存在に。
「『大回復』。」
目の前に横たわる瀕死の魔物に向けて杖を振る。
すると黒い闇の下に魔方陣が出現し、その身体を修復していく。
そして黒いマントを羽織った男は地面に膝を突くと、魔物の身体を脇に抱えて向き直る。
ずっと上空から伺っていた人形の『目』に映るのは、紅毛を肩まで伸ばし、黒の修道服まがいを纏った男。
彼は空を見上げると、右手の人差し指を空を回遊する鳥形の人形に向ける。
「―――この『運命』は私が手に入れた。そういう訳だ、人形使い。邪魔をするなよ。」
男はその言葉と共に右手から紅い光線を発射し、見事に上空を飛ぶ人形を撃ち落とす。
彼の名はアルハザード=ブラックモア。マギウスの初代魔王の実の息子にして最強の弟子。オーガストを凌ぐとも言われる大魔法使い。
―――そして、ラピスラズリの育ての親。
斯くして、魔物の運命は改変された。
ここで数多の偶然―――世界の強制力に負けて死ぬはずだった魔物は、生を繋ぐことに成功した。
主人公補正を得た魔物ちゃん。果たしてこの物語の主人公は、英雄と魔物のどちらなのでしょうか。
次回から平常運転(筋肉)に戻ります、多分…。
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