「幾ら肉体を鍛えても、精神を鍛える事は出来ない!英雄だって動物同然だ!」「…。」
話を続ける為に序盤に会話があります。バトルだけ読みたいという方は中盤までお待ち下さい。
(事が想定外に荒立ってしまった…。全てが終わった後で、もう一度謝罪をしなければ…。)
魔王ダーレスとの闘いの後、英雄は罰が悪そうな様子で学院から出ようとしていた。英雄当人としてはここまで事を荒立てるつもりはなく、謝罪と許可を得る為の問答はスムーズにこなせる筈であった。
どうしてこうなったのだろうと首を傾げて見るも、当人に全く思い当たるフシはない。
…そう、これがこの英雄の弱点でもある。
―――言葉が、圧倒的に足りないのだ。というか絶望的なまでの口下手である。本人は必要な事を伝えているつもりが、余分だと判断する事項が若干的を外れているのだ。強すぎる故、他人の機微に少々疎いのが彼の弱点でもあった。
「…。」
案内された道をその通り辿って出口に向かっていた英雄は、後少しで学院の出口という所で足を止める。中央にある城の様な学舎を抜け、広大な庭を抜けた先の扉。正門の一歩前である。
英雄が足を止めた結果、周囲には敷地内の森で魔獣が戦く声と、上空の鳥が鳴く声のみが響く。
幾ばくかした後、その沈黙を破る様にしわがれた笑い声が響き渡る。
「カカカ…やはりお主には通じぬか。」
声と共に、ドロリと英雄の影から這い出してくる黒い液体。泥水の様にも見える其れは、次第に人間の形を取っていく。
皺が刻まれた頭部と四肢を形成し、頭には『いかにも魔法使い』な黒の三角帽子。液体は瞬く間に形を整え、最終的に白い髭を蓄えた黒ローブの老人を現出させる。
英雄はその衝撃的な光景に動揺一つ見せず、老人の方に向き直って言葉を紡ぐ。
「…生きておられたのですか、オーグ翁。」
「もちろん。たかが40年見なかった程度で、儂が死ぬはずないじゃろう。」
髭を触り、ホッホッホと笑う老人。見た目と素行は好々爺と言った所だが、英雄は彼の老人の正体を知っていた。
「『この国最高の魔法使い』とダーレス氏が仰っていたので、逝去なされたのかと…。」
「それは『表舞台で』の話じゃ。勝手に人を殺すでないわ。」
「申し訳ない。」
40年前、英雄は魔法国に訪れた事がある。今回の様な非常事態では無く、別件でこの国に足を踏み入れた。
今でこそ『地上最大の国家』と言われるマギウスは、その頃において国としては若輩で、領土もあまり広くはなかった。
若輩だったその国は、どうして今日の発展を手に入れる事が出来たのか。
他国の歴史学者達は、口を揃えてこう唱える。
『あの国には、『魔王』そのものがいた』と。
今英雄に相対している老人は、そのオーガスト・ブラックモア当人。…即ち、『初代魔王』であった。
そしてそんな化物を恐れず、真っ直ぐ見据えて会話をするのは北の英雄。余人が知れば戦いて平伏するだろう存在を前にして、いつも通りの鉄面皮である。
「我ら魔法使いの名誉の為に言っておくと―――『魔王』は表舞台最強の名前じゃ。だが、裏ともなれば話は別。『魔王』の名は転じて最弱となる。」
「…。」
「今までの歴史の中で不老不死に到達した連中は、表舞台から姿を消して研究に励んでおる。儂みたいな『魔王』引退者や、完全に俗世から隔離された奴とかの。」
「なるほど、『魔王』は裏への入口の様なものだと…。」
「そう思って貰って構わん。ダーレスには期待していたが、期待外れじゃったのお…。」
得心がいったかの様に頷く英雄。正直言って、40年前に訪れた頃より魔法使いの質が下がっていた様に感じられていたのだ。若干天然が入っている英雄は、『これも時代の流れか』と思って流していたが。
「…で、じゃ。完全に表から消えているとは言え、儂の権限でお主の行動を認めてやろう。まだそれくらいの伝手はある。」
「ありがとうございます。」
「…じゃが、一つ条件がある。」
ぺこりと頭を下げる英雄に対し、人差し指を突きつけるオーグ。そして言うには…。
「儂の弟子を同行させよ。」
その言葉を聞いた瞬間、英雄は一瞬動揺を見せる。鉄面皮を少し揺るがせ、驚きの色を顔に出したのだ。
「弟子を、お取りになられたのですか…。」
「そうとも。何か問題でも?」
「いや…。」
英雄が歯切れの悪そうに言葉を漏らす。その顔を見てオーガストは、ああと思い出した様に口を続ける。
「大丈夫大丈夫。今までの弟子は全員悪に落ちたが、今回は順調に育っておるよ。」
オーガスト・ブラックモア。永き生に渡って幾度も弟子を取るが、その全てが悪に落ちている。弟子達の全てが禁呪を使って人民を虐殺したり、世界征服を目指したり、得たいの知れぬ神を降臨させようとしたりと割と散々な結果に終わっているのだ。
『いい加減懲りろよ』と裏の知人は助言を行うも、人は過ちを繰り返すものである。初代魔王は今も弟子を育成中であった。
「もう良いぞ。出ておいで。」
パチンとオーガストが指を鳴らすと、虚空から人影が現れる。
「…。」
スタッと地面に降り立ったのは、未だ年端もいかぬ少女であった。空色の髪をショートにし、切れ長の目は氷のような印象を見る者に与える。
外見はオーグと同じようなとんがり帽子を被っているが、若干ローブのデザインが違い、青みがかった下地が見えている。
控えめに言っても可憐な美少女という感じだが、何故かジト目で英雄の方を睨み付けている。
少女に目を向けると、英雄は困ったようにオーグに言う。
「まだ子供ではないですか。魔物を追うに当たって、命の危機に晒されるかもしれません。どうかお考え直しを…。」
「いや、彼女は控え目に言って超天才じゃ。お主の邪魔はせんよ。」
「しかし…。」
「第一、お主土地勘がないじゃろ。道案内役とでも思ってくれて構わん。」
「…。」
未来ある子供を命の危機に晒すことに、多大な忌避感を覚える英雄。しかし土地を知っている者が味方に付いてくれるのは願ったり叶ったりなので、オーグにそこを突かれて押し黙る。
「じゃ、後は頼むぞ。ラピス、しっかりと学んでくるように。」
一方的に話を打ち切って再度影に溶けるオーグ。太陽の下に残されたのは、鉄面皮のまま固まる英雄とそれをジト目で眺める少女のみ。
どうしたものかと英雄が悩んでいると、少女が機嫌悪そうに口を開いた。
「私の名前はラピスラズリと言います。貴方のお目付役を任されました。」
「…私はアストロノート=シルバーストーンという。好きに呼んでくれて構わない。」
覚悟を決めたアストロは、少女の前に歩みを進める。鍛え上げられた肉体が少女の一歩前に立つと、アストロは右手を差し出す。
…が、しかし。
「魔法も使えぬ人と、よろしくする気はありません。とっとと諦めて帰って下さい。私が全て終わらせるので。」
「…。」
ツーンとした態度で握手を無視し、にべもない言葉を返すラピス。そして追加でもう一言。
「それともう一つ。
―――私は子供じゃありません。」
どうやら、先程の『まだ子供ではないですか』発言が彼女の癪に障ったらしい。彼女は子供扱いに敏感になる、多感なお年頃なのであった。
そして見た目通りの氷のような対応、慢心と傲慢の片鱗が見える彼女に対し、英雄は雲一つ無い空を見上げてこう思った。
(オーグ翁…魔法の教育以外にも、教えるべき事があるでしょうに…。)
◇
「師匠から行き先を預かっています。まずは『人形使い』を頼れと。ここから西に200km程の街にいるので、魔物の情報を集めつつそこへ行きます。」
「承知した。」
二人はマギウスの首都、マギアナ発の列車の中で目的を確認する。流れるマギアナの街並みは文明の発展を感じさせるものであり、平常の人間では不可能な程突き詰められた建築様式は街並みを芸術にまで昇華させていた。
そんな街並みを、魔法で動く列車―――魔列車は一息に駆け抜けていく。北方にはない存在なだけあって、アストロはその技術力に面食らっていた。
「―――これは、凄いな…。」
席に座り、窓の外を眺めて心底感心した様に呟くアストロ。そして本を読む目をアストロに向け、優越感の笑みを浮かべるラピス。
「どうです?これが魔法ですよ。人力では絶対に不可能な事を容易く成し遂げる、これこそ魔法の本懐です。」
「無駄な体力の消費を抑えられる、素晴らしい発明だ。路線の安全が確保されれば、是非とも我らの国に欲しいものだ。」
「…?いやいや、この魔列車の素晴らしいところは、魔法をあまり扱えぬ者でも早く目的地に着ける所で…聞いてます?」
「む…すまない。景色に見入っていた。」
ラピスが英雄の言説に異を唱えようとするも、ガラスから流れる発展した景色に見入っていたアストロは聞く耳持たず。
『まあ、魔法も使えぬ人間が列車より速いはず無い』と言うことは世界の常識なので、ラピスは呆れた顔をして追求を止める。
恐らく追求を続けていれば、『この速さだったら抜ける』と末恐ろしい言葉を引き出していただろうが。
そのまま英雄は窓の外を眺め続け、少女は自前の魔道書に目を落とす。個室で対面に座る彼等を見れば、髪の色こそ違うものの親子にすら見えるだろう。
ガタンゴトンと揺れる列車の中、しばし沈黙が二人の間を支配し―――街を抜け、周囲が荒野に切り替わった頃、突然、野太い声が個室の入り口から響き渡る。
「―――失礼。北方の英雄、アストロノート=シルバーストーンとお見受けする。」
入り口からヌッと現れたのは、2メートルを超した巨躯の男。アストロと同じ位の身長にして、更にアストロと等量に見える筋肉で身体を武装している。
無駄なく鍛え上げられた肉体は緑色の軍服をはち切れんばかりに押し上げ、手や強面の顔に刻まれる傷痕が歴戦の兵士を思わせる。
彼は入り口を頭を屈めてくぐると、アストロと対照的な青い瞳を怪訝そうに顰める。
「如何にも。私がアストロノートだが、貴殿は一体何者だろうか。」
「ふむ、私はレックレスという者だが―――覚えて貰わなくて結構。」
「?」
言葉の意味が分からず頭に疑問符を浮かべるアストロに対し、レックレスは口角を上げて次の言葉を紡いだ。
「―――お前は此処で死ぬんだからな。」
そして刹那の瞬間に身体を捻ると、そのまま尋常ならざる膂力でアストロの顔面に拳を叩き付ける。
「―――!」
アストロは瞬時に戦闘用に思考を切り替えると、不意討ちにも関わらずその拳に反応して防御を行う。肘を曲げて身体の上半身を覆うような構えを取ったアストロの腕に、レックレスが繰り出した拳が突き刺さる。
座った状態という不利な体勢で咄嗟に反応できたのは流石の一言。然れど完全に勢いを封じきれず、獣の如き膂力で押された体躯は列車の窓を突き破って投げ出される。
魔法で加速された列車は、時速百キロを優に超す。そんな場所から投げ出された人間は、普通地面に叩き付けられて圧死するが―――
「はっ!」
―――空中で体勢を整え、勢いを消しつつ両足から地面に着地する。消しきれなかった勢いは地面との摩擦で消費し、実質的なダメージをほぼ0に抑えきった。正に身体能力の暴力である。
だがアストロが地面に注力していた状態から顔を上げると、そこには拳を構えたレックレス。アストロが列車から落ちたのを確認し、自らも飛び降りて追撃に来たのだ。
「ぐっ…!」
しかしやられるばかりのアストロではない。右手で正拳突きを回し受けすると、そのまま腰を捻って左ストレートを相手のボディに叩き込む。
左とは言え十分に重いパンチを食らったレックレスは、衝撃で十メートルほど後ろに押し流される。
「レックレス殿、なぜ私の命を狙う。」
荒野の風が吹き荒び、赤茶けた砂嵐が舞い散る中で銀の英雄は軍服姿の男に問う。なぜ命を狙う必要があるのかと。
それに対してレックレスは、呆れた様に応える。
「決まっているだろう。お前が魔王を倒したからだ。」
言葉の意味が理解出来ずに怪訝な顔をするアストロを見て、レックレスは言葉を続ける。
「国家元首たる魔王が、辺境出身の一人間に倒された―――こんな事実が『表』に広まれば、我々魔法使いの面目は丸つぶれだ。学院内で口止めが入るだろうが、下手人はのうのうと国内を歩くときた。」
「無論口外はしない。全てが終わった後で、事情のすり合わせを行えば―――」
「そんな問題ではない!」
道中で襲って来た相手に紳士的に対応するアストロに対し、声を荒げて一喝するレックレス。額には青筋が浮かび、目には相手を射殺さんばかりの憎悪の光が宿っている。怒りによって収縮する筋肉からは、彼の怒りがありありと伝わってくる。
「経緯はどうあれ、お前はこの国の顔に泥を塗ったのだ。銀色の猿が国家の顔に喧嘩を売り、何の間違いか勝利を収めた―――これは、この国に生きる全魔法使いへの宣戦布告に他ならない。」
「…。」
絶句。流石の英雄も、コレには絶句である。己の何が悪かったのだろうと、ひたすら首を傾げるばかりである。
魔物の捜査を行うために許可を貰いに行き、話の流れで何故か勝負をすることになり、勝ったらそれが宣戦布告と見なされた。
どうしてこうなった。英雄の頭はそんな言葉でいっぱいである。ひとまず弁明を行おうと、英雄は心に決めた。
「いや、私としてはそんなつもりは毛頭無く…!」
「『筋力倍加』『速度付与』」
アストロは弁明を行おうとするも、既に語るべき事は無いとばかりに踏み込んで攻撃を仕掛けてくるレックレス。
正拳突き、回し蹴り、肘打ちと流れるような攻撃を繰り出すレックレスに対し、アストロは一見余裕を持ってそれらをいなす。しかし、脳内では慢心を一つもせず、レックレスとダーレスの技量差を冷静に分析している。
(思考と攻撃のズレがない。しかも体術も無駄がなく、魔法の使用に伴って威力もキレも増していく。)
明らかに一朝一夕では為し得ぬ、魔法と体術を両方究めるという偉業にオーグ翁の言っていた言葉を実感する。人間の生では不可能な事象を、不死の法によって克服したのが『裏』の住人であると。
その点で言えば、彼は正にそれを表していた。
ここまでの実力を見せられれば致し方あるまいと、アストロは攻撃をいなしがら考える。このまま攻防を続けていても意味は無い。この場は気絶させて時間を稼ごうと。
幸い、先程のダーレスとの手合わせで魔法使いの弱点は学んだ。真剣勝負という訳でもなし、ここは一手で決めさせて頂こう。
「『現狩り』」
「がっ…!」
攻撃の合間を縫って、左手で相手の顎を掠める。脳が揺さぶられたレックレスは魔法の加護を失い、ドサリと地面に倒れ伏せる。
余りにもあっけない幕切れだが、先を急ぐ身故仕方が無い。後で謝罪をしようと決意し、西に走って行こうと思った所で―――
「何処を見ている。」
「!」
―――後ろから現れたレックレスの拳を手で逸らす。全く意識の外からくる攻撃を、然れど英雄は辛うじて反射で対応した。
「この私が銀猿程度にやられる訳がないだろう。」
先程から更に魔法が付与され、威力の増した攻撃をいなしながら英雄は周囲を確認する。
(…気絶させた身体は残っている。分身か…?)
英雄の視線の先には、変わらず倒れ伏したレックレスの身体。実体を伴うそれは、しっかりと存在を主張していた。
「よそ見かね?」
視線を外したタイミングを相手が見逃す筈もなく、アストロの身体に全力を込めた一撃を叩き込もうとするも…。
「―――『現狩り』。」
「な…!?」
分かっていたかの様に反応して受け流し、驚きで身体が揺らいだ瞬間に顎を揺らす。大振りの攻撃を誘うためにわざと視線を外し、見事レックレスはそれに引っかかったという訳だ。
意識を刈り取られてドサリと倒れるレックレス。今度こそ―――とアストロが思った矢先。
「「私はやられんよ。」」
「―――ぐっ!」
自分の身体を踏みつけ、前方と後方から二人のレックレスが攻撃を仕掛けてくる。アストロは前方の攻撃を捌くも、後方の攻撃を諸に喰らってダメージを受ける。
「「―――さて、まだまだ行こうか。」」
二人で鏡合わせの様に喋るレックレスに対し、英雄は疑問を抱いたまま交戦することを余儀なくされる。
そして、そこから離れた場所でアストロを眺める二つの影があった。
「大分踊らされてますね。流石の幻術です。」
一つはとんがり帽子を被った少女…ラピスラズリ。氷の様にクールな表情を崩さず、無感情な目をアストロに向けている。
「これが僕の大魔法さ。五感全てを欺く最大幻術。彼は今、僕の創り出した偽りの相手と闘っているだろう。」
もう一つはひょろりとした男。ガリガリに痩せこけた彼は、にやにやと愉悦の笑みを浮かべつつアストロを観察する。
「君は助けに行かなくて良いのかい?」
「私は『見て学べ』と師匠に言われていますが、『助けろ』とは一言も言われてませんので。」
「そいつはありがたい。好きにあの猿を嬲り殺せる。」
誰もいない箇所を殴り続けるアストロを見て、嗤いを抑えきれぬレックレス。彼の一番の愉しみは、自分の幻術に踊らされる被害者を遠巻きに眺める事だった。
あるときは死んだ娘の幻術を父親に見せ、泣き叫ぶ父親を娘の幻術で殺す。
あるときは恐怖を煽る化物を視界に映させ、必死で抵抗する男の足掻きを無慈悲に押し潰す。
表舞台では咎められる事も、『裏』では気兼ねなく行うことが出来る。彼は水面下で活動できるこの国が大変気に入っていた。
「しかし、なぜ英雄さんはダメージを受けているんです?」
「僕ほどの幻術使いになると、脳が勝手に現実を補完するのさ。余りにも精巧に作られた痛みに対しては、人間の脳は現実としか認識出来ない…って、分かってて聞くのは良くないよ。」
「申し訳ありません、答え合わせをしたかったので。」
英雄の拳が空を切る度、周囲には破壊の嵐が巻き起こる。究められた身体能力から繰り出される拳は、突風を生じさせて荒野の砂を舞上げ続けている。
絶大な破壊力を備えるとは言え、当たらなければ意味がない訳だが。
そして抵抗を続けるアストロを見て、レックレスは指を指して大声で嗤う。
「ハハハハハハハ!滑稽滑稽!誰もいないところを殴り続けるとか、愚かすぎて涙が出てくるよ!」
対してラピスはいつも通りの無感情な目でアストロを観察する。
(まあ、こんなものでしょう。師匠の言いつけにしては、何の意味も無く終わる訓練でしたね…。)
二人とも完全に英雄の死を確信し、一人は滑稽な喜劇として、一人は結末の決まったつまらぬ見世物としてその光景を眺め続ける。
「いっくら肉体を鍛えても、精神を鍛える事は出来ない!幾ら時間をかけて武術を学ぼうとも、対象を認識出来名なければ意味がない!精神を防衛する手段が無い時点で、英雄も動物も一緒さ!ハハハハハハハ!」
自らの圧倒的な力に酔いしれ馬鹿笑いを上げるレックレス。貧弱な身体の己が、闘いしか脳に無いような傑物を手玉に取る。こんなに愉快な事があるものか!
そも、幻覚の中であの英雄に語った理由など嘘八百。もっともらしい理由を付けて襲ったが、真の目的はただの『狩り』だ。
精神に何の防備も持たぬ自称英雄を、一方的な能力で嬲り殺す経験がしたかった。
己の自尊心を満たすための糧にしたかった。
ただそれだけの理由で、レックレスという男はアストロノート=シルバーストーンを襲ったのだ。
その高い自尊心は、彼の用いる魔法に依る部分も大きい。『幻術』という魔法を究めた男は、或る意味では理想を究めた男であると言える。
理想を現実にほど近い段階で実現する―――そんな術を学ぶ内、レックレスは気づいてしまったのだ。
自分では現実を変えられない。
幻術という、あくまで仮初めの手段でしか目的を達成できない。
だからレックレスは人を殺す。正確に言えば『懸命に生きる人間』を許さない。己との差に無意識に苛立つからだ。現実から逃げ続ける自分が肯定された様な気分になるからだ。
しかも初代魔王が認めた獲物であるのが大きい。
つい先刻、初代魔王たるオーガスト・ブラックモアが『アストロノート=シルバーストーンが当代魔王を倒したので、儂は国内での行動を認める』との伝令を裏の魔法使いに届けた。
つまり、『この男は儂が認めた男だから』と暗に示したのだ。つい先刻アストロがやらかした事態が裏全体に即拡散し、しかも『初代魔王が認めた』という付加価値まで付けられた。
これはもう、殺すしかないだろう。
権威が認めた男を殺し、自尊心を満たしたいだけの魔法使い。
オーガスト・ブラックモアの鼻を明かすことを目的とする魔法使い。
『私が認められないのに、魔法を使えぬ猿が認められた』と嫉妬に燃える魔法使い。
という訳で、裏のほぼ全体の魔法使いがこの英雄の敵に回った。このレックレスは、その一番始めの刺客だ。
「さてさて…そろそろ止めとしようか。ククク…。」
鼻先に迫る達成感に嗤いをこぼしながら、レックレスは英雄に歩を進めていく。このまま幻覚に嬲らせていてもいいが、それでは一向に埒があかない。
というか、常人なら既に幻覚に殺されている。それなのに余裕を持って全ての幻覚を捌ききり、しかもまだまだ余力を残していそうな様子。
これは『レックレスが感じた事のある最大の強さしか再現できない』という弱点…というか幻覚の構造に由来する。致し方無いことで、流石に見たこともない外敵は再現することが出来ないのだ。
だが、それももう終わる。英雄が暴れている所に少々近づき、『致死の魔法』を放てば済むこと。今までこれを為さなかったのは、単純に『猿の足掻きを見たかった』からだ。
「―――神話に謳われし混沌の蛇よ。人を堕落せしめる這い寄る混沌よ。―――」
詠唱破棄もできるが、彼の英雄を踊らせているという現実に浸るため、足を近づけつつ完全詠唱を行うレックレス。
「…?」
だが、ある程度近付いた所でその足が止まる。違和感。背筋を撫でつける様な悪寒を感じ、足を止める。
(何だ…何がおかしい?今一瞬、途方も無い違和感を覚えた様な―――)
そして、気づく。
英雄の目がこちらを見ている。
幻覚に踊らされている筈の男が、一瞬だけレックレスの方に視線を送ったのだ。それが幾度か繰り返されている。
明らかに幻覚を見る目ではない。しっかりと視線を合わせた上で認識した。
(まさか、自力で幻術から抜け出しかけている…?)
夢からの覚醒を繰り返すかの様に、幻術からの攻撃を捌きつつ下手人の方を見る。その度にレックレスは幻術強度を増して対応するが、明らかに視線の頻度が増している。
(無意識に幻術と勘づいたと言うことか…。その精神力、銀猿にしては中々やるじゃないか。)
「だが、それもこれで終わりだ。『致死の呪も―――」
刹那、英雄の身体がレックレスの寸前に現れ…。
「げぼぉっ!?」
幻術用に力を増した攻撃をボディに叩き込む。幻覚に攻撃され続けた彼は、『最終的にボディに入れて気絶させた方が早い』と気づいてワンパンを実行していた。
―――力加減を間違えばボディを叩く所か貫いてしまうので、普段は使用しないが。幾度も『同じレベルの敵』を倒し続けて相応しい力量を見極めたのである。
しかし、レックレス本体は貧弱な身体。当然、幻覚用に力を込めた攻撃で叩けば
―――しっかりと、腕が腹を貫くという訳だ。
一瞬にして絶命したレックレスは、血を口から撒き散らして英雄の太い腕にかける。当然幻術に力を割く余裕も無く、英雄に掛けられていた幻術は解除される。
そして目覚めた英雄は、自らの腕が見知らぬ男を貫いていることに気づいて戦慄する。
いつの間にか人を殺していたなど、笑い話にもなりはしない。
というか魔物の捜査に来て現地民を殺すとか、普通に不祥事である。
英雄は顔を青ざめさせ、慌てて腕を引き抜く。血がドバーッと溢れ出るが、最早手遅れ感が否めない。
「も、申し訳ない…!ラピス嬢!近くにいれば、どうか力を貸して欲しい!」
冷や汗を掻きつつ、周囲を見渡してラピスを探すアストロ。何が何だか分からないが、このままではウルトラ不祥事待ったなし。人民を護るべき自分の力でその人民を手に掛けるなど、絶対にあってはならないことである。
このまま細身の彼が死んでしまえば、魔物を疾く仕留めた後に故郷に帰り、氷で覆われた山に籠もって延々と供養を行う所存である。後悔してもしきれない。
そんな風に狼狽するアストロに対し、遠くで見ていたラピスは『はあ』とため息をつき近くに転移する。
「ラピス嬢、この御仁に回復魔法を…!」
「英雄さん、落ち着いて下さい。治療の必要はありません。彼は裏の魔法使い、己の手法で『不死』に辿り着いています。」
「…え?」
血を噴き出す身体を抱えた英雄は、抱く身体に目を向ける。するとあら不思議、土手っ腹に開けた筈の穴が綺麗に塞がっている。
そしてカッと目を見開いたレックレスは、英雄の瞳を覗き込む。英雄の紅い瞳を、レックレスの青い瞳が覗き込んだ。
するとふわりと英雄が抱いていた身体が消え、十メートル離れた場所にレックレスが出現する。圧倒的優勢を一瞬で覆された彼の顔には、怒り心頭に発するといった感情が見て取れる。
「てめえ…何で俺の場所が分かった…?」
怒りのままに口調を荒げ、英雄に相対するレックレス。そして口にするのは当然の疑問。先程まで現と幻を行き来していた人間が、なぜ的確に居場所を探知できたのか。
それはラピスラズリも解せぬ問題であった。今まで分からぬ問題など無かった彼女が、始めて『起こった事象の理由が分からない』と頭を捻り続けていた。
―――そして英雄は、事も無げにこう口にする。
「殺気を感じたからだ。」
「!?」
ラピスラズリはその返答に瞠目する。
なるほど、第六感。
レックレス氏は裏でも有数の幻術の使い手、先程当人が仰ったように、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚…即ち五感を欺く大魔法を編み出している。脳が思わず『幻覚内の事象』を『現実』と認識する程の完璧な幻術。
まかり間違っても、今まで魔法に触れてこなかった人間が足掻ける幻術ではない。
だが本人の言葉通り、五感しか誤魔化せない。英雄が言うには『あるかないか眉唾物』な第六感…殺気を感じて術者の居場所を特定したと。
なるほど。五感を錯覚させられるなら、長年の戦闘経験で培った第六感を使えばいいと。確かに筋が通っている。通っていることにしよう。
そう思って天才少女は無理矢理自分を納得させる。長年死地に身を置いていれば、そういった感覚が身につくこともあるだろうと。
…だが、その理屈が受け入れられない者もいる。レックレスがそうだ。自分の生涯を捧げて鍛えてきた、アイデンティティとも言えるはずの『幻術』。それが『第六感』等という訳の分からぬ理論で打破されたのだ。
「そ、そんな事があり得るか!そんな事が…!」
血が沸騰するほどの怒りを覚えたレックレスは、歯を食いしばって英雄を睨む。そして人生を否定されたにも等しい彼は、意地になってでも幻術でアストロを凌駕しようと試みる。
「―――ならば、殺気を感じる余裕を無くしてやる!」
カッと目を見開いたレックレスは、先程瞳を覗き込んだ事で掛けた幻術を解放する。
「なに…!?」
レックレスが何かをしたかと思えば、アストロの耳には天地を割く轟音が鳴り響いてくる。天が崩落するのではないかという音が頭上から響き渡り、事実天が割れている。
ビキビキと天がひび割れた先には、真っ暗な亜空間―――『魔界』が出現し、そこから巨大な腕が這い出てくる。
白く、皺一つ無い―――例えるならば赤子のような手が亜空間からドロリと現れ、腕の至る所に無数の瞳が開眼する。
明らかに生物の枠組みを超えた存在。人間の更に上位、天を簡単に割る存在だ。
そして英雄はこの存在に心当たりがあった。大昔に北方の最北端、山脈の中に出現した最大最悪の魔物。依然単体で討伐に当たり、一週間ほど戦い続けた上でようやっと鎮圧した魔物である。
―――なぜ、この魔物がこんな場所に。
想定外の現実に襲われた彼は―――静かに右手を天に掲げた。
至近距離でそれを確認したラピスは、先程のアストロとの問答を思い起こす。
(えーっと、『私が右手を掲げたら、全力で回避と防御に専念して欲しい』でしたっけ。まあ魔法も使えぬ攻撃なんてたかが知れてますし―――)
「『断絶結界』」
そうラピスが唱えると、薄らとラピスの身体を青い膜が覆う。これは空間から自分を切り離し、あらゆる外傷から身を守る大魔法である。
アストロの攻撃力を過小評価し、全力とは程遠い力で自分を防護するラピス。
(全く、1度かかった技に再度かかるとは救えぬ愚かさですね…。どうせ勝てないんですから、早く終われば良いのに…。)
この魔法を、今度は『相手の記憶から外敵を再現する魔法』と看破した上で、英雄の愚かさにラピスはため息をついた。
一応の防御を張ったラピスは、無感情な瞳をアストロに向ける。
最強の魔法使いことオーガスト・ブラックモアが『超天才』と称するだけあって、彼女に取って庫の世の全ては『予想通り』の一言で済ますことが出来るものだった。
一般人には不確定と思える事象だって、彼女に取っては隠れた法則性に気づいた上で確定させることができる。『予想外』がない人生に、いつしか彼女の感情は揺らぐのを止めていた。
全てが想定内が故の、『凪』。無感情に事象を観測し、法則を予測し、予想通りの結果を干渉するという人生は今後も続いていくだろうと、ラピスラズリは齢16にして達観していた。
―――だが。
(―――マズい!)
「『断絶結界・七重』!」
英雄が掲げた右手を下ろし、腰を捻って攻撃寸前に至った所で―――彼女は今行える全力の防御を繰り出していた。
ぞわりと身体に走る殺気、怖気、死の気配…若年にして不死の法に至った彼女が、余裕と慢心を投げ捨てて全力で防御を選択した。
そして怒りに心身を支配されたレックレスは、その前兆に気づかない。『殺す』という一念に支配された彼は、最後のセーフティを見逃してしまった。
そして英雄は溜めを行うと―――全方位に、破壊を撒き散らした。
地面がベコンと陥没するほど重心を落とし、この国に来てから制限していた実力を解放する。本来の実力の5割ほどを解放し、身体が分身して見えるほどの迅さで正拳突きを繰り出していく。
正面背面左右上部…英雄は周囲を無差別に殴りつけ、正に乱打といった様子だ。
その圧倒的な筋力で繰り出された拳は空気を押し、破壊の嵐を形成。英雄から半径数百メートルまでの空間の全てが、拳から生じた衝撃波により塵に帰って行く。
地面から突き出した岩場は砂と化し、頭上を飛んでいた鷹は血飛沫と変じ、元から舞い上がっていた砂は更に細かい粒子となる。
当然それをまともに喰らったレックレスは―――身体が蒸発した。
反応すら出来ず、ただただ赤い煙となって霧散した。
その破壊の嵐は十数秒程続き、周囲の全てが塵になった所で、ようやっとその嵐が止んだ。
ピタリと動きを止めた英雄は、悪夢が消え去った空を見て一息付く。『無事に退散させられた様で良かった』と。犠牲者が出ずにすんで良かった。この魔物は無数に分裂し周囲から襲ってくる。全力の乱打で退散できて良かったと。
幸い、細身の彼は不死らしい。ならば遠慮は要らずこの技を使えると、普段は使わないようにしていた技を使用した。
「…ふう。」
十数秒の打撃に対し、汗一つかかなかった英雄は息を抜いて戦闘を終了する。蓋を開けてみれば、絶望的な幻覚は―――更に絶望的な現実でひっくり返されたという訳だ。
その事実を認識したとき、レックレスは復活を停止した。向こう100年はこのまま霧となって漂っていようと、そう決意した。
時が来れば、現実に立ち向かう覚悟を固めなければならないなと思いながら、レックレスは荒野の風となって流れていった。
そして同様の事実を認識したラピスラズリは、その悪夢的な現実を認識し―――口元に、笑みを浮かべていた。
◇
レックレスの襲撃を撃退した二人は、最寄りの街に向かった。そして駅から再度列車に乗り、現在は個室で向かい合っている状態である。
やはり窓に張り付いて、静かにテンションが上がっている英雄はふと思った。
「そう言えば、レックレス氏はどこにいったのだろうか。戦闘の途中で姿を消してしまったが…。」
英雄からしてみれば、『分裂の魔法』で懸かってきた魔法使いを相手していたら、いつの間にか細身の御仁が敵にすり替わっていたという現状。
どうやらこの英雄は、最後まで『幻術にかかっていた』という事が分からなかったらしい。現実と見紛うばかりの幻術を物理でいなしきった彼は、この期に及んで愚直に幻術を信じていた。
そんな英雄を見て、ラピスラズリは本を読む目を逸らさずに応えた。
「…彼は、風になりましたよ…。」
「?」
読了ありがとうございました。スカッとしたら評価もよろしくお願いします。ひとまず不定期で続けていこうと思いますので、のんびりお待ち下さい。