1-52 王子様
僕が唯一信頼している家族を悪人と断じたのに、みんな一様に驚いた。けど、ひとつひとつ説明していけば、次第に納得した様子。
実のところ、僕だって認めたくない気持ちはある。だけど事実から目をそむけるわけにはいかない。
姉は敵だと。
「そっか。ティアがね……信じられないけど、でも考えとしてはありか……」
「じゃあ、あのおやしきに、ヒカリもいるの?」
「たぶんそう。行ってみる価値はある」
「そうですか。では行きますか。ヒカリさんを助けましょう」
「うん。行こう。ヒカリを取り戻しに」
そこに、一切の迷いはなかった。
――――
背中のナイフに敵は気づいていない。後ろ手に縛られていても、なんとか服の中に指先を入れてナイフを掴んだ。
まずはこの縄を切らないと。
「ねえヒカリ。わたしたちの仲を阻む物は、もう何もないわ。わたしはすぐに家の当主になって、莫大なお金を好きに使えるようになる。ヒカリにも、いっぱい贅沢させてあげる」
「だからあなたと仲良くしろって? 悪人のあなたと?」
「人を好きになるのは悪いこと? あなたに、いい生活をさせてあげるって言ってるのに、それは悪いことなの?」
「どう言い繕っても、あなたは悪人。好きになった人を醜い怪物に攫わせるのは悪いこと」
「スキュラは醜くなんてないわ!」
やっぱり。あのヘテロヴィトを馬鹿にされたら、フローティアは怒る。
「いいえ。何度でも言ってあげる。あなたが愛してるそれは、人間を食らうバケモノだって! わたしが倒さないといけない、怪物なの!」
「倒す? あなたの戦う力は消えたのに、まだアタシを倒す気?」
スキュラの嘲笑。
その通り。ヒカリには戦う力が無い。だとしても。
「だとしても、あなたには屈しない」
「勇ましいわね。でもどうするの? お友達が助けに来てくれるのを待つ? でも来るかしら。お友達はこの場所を知らないでしょうし……ギルだっけ? あなた、あの子を巻き添えにする攻撃をしたでしょう?」
「らしいわねー。それじゃあ、ギルもあなたに幻滅して助ける気さえ起こさないかもよ?」
「うあー! それは言わないで!」
出来れば触れて欲しくなかったこと。
いや違う。触れてほしくないと、向こうが思っていること。
突然大声をあげたヒカリに、フローティアたちもぎょっとした表情を見せた。
「わかってる! やらかしたってわたしも思ってる! ギルを攻撃しかけたり! そこの怪物を見て、殺そうとしか考えられなくて我を忘れたこととか! いくら親と弟の仇でも、さすがに怒りに身を任せるのは間違ってる!」
「か、仇……?」
スキュラにとっても知らない情報が出てきたのか、戸惑った表情を見せた。
そういえば向こうでもこっちでも、事情は話さずただ殺す勢いで襲いかかってばかりだった。
「あー。言ってなかったよね。ねえ怪物。わたしと初めて戦った前の日に、親子を襲ったでしょ? 父親と男の子。あのふたりを救えなかったのも、わたしの後悔」
フローティアもスキュラもクラウスも、ヒカリの話に注意を向けている。背中側でゴソゴソと縄を切っている手ではなく。
自分の背後にもミーレスはいるのだけど、狼の頭ではそれを怪しいことだと認識できないらしい。
「家族を殺したのがあんな醜い怪物だなんて。ふたりがかわいそう。見るからに趣味が悪い姿の。この前の馬の怪物の方が、まだきれいでマシだったかな」
本気でそんなことを思っているのではない。ただ、煽りたいだけ。
「応えよ。大地の呪縛よ」
「っ……」
案の定、フローティアは挑発に乗った。
彼の兄もギルに使っていた呪文を唱えると、ヒカリは自身の体が重くなったのを感じた。重力が強くなったように。
できるだけそれに逆らわず、膝をついて座った。
「いくらかわいいヒカリでも、その言い方は駄目。あの無礼な男とスキュラを比べないで」
コツコツと足音を響かせながら、フローティアはこっちに接近してくる。
顔には笑みが浮かんでいるけど、怒っているのは明らか。
いつかの失礼な冒険者と同じ。普段人に馬鹿にされない人間は、こういう時に流せない。
「あー? 怒っちゃった? そっか。これは失敗かなー。こんな状況で敵を怒らせちゃうなんて、まずいよね。これも後悔かな」
「わかってるじゃない。でも、もう遅いわ。悪い子にはお仕置きしなきゃ」
片手はヒカリの方へ向け続けながら、片手で別の魔法を使っているのだろう。パチパチと火花が散る様を見せながら、フローティアはこちらに歩み寄ってきた。
「うあー。怖い。じゃあ、もうひとつ後悔があるけどそれも聞いてもらっていい?」
そしてヒカリは、小さな声でなにか言った。こっちに近づいて来るフローティアにも聞こえないくらいの声で。
「なにかしら? 言い残したことがあるなら、聞いてあげる」
座り込んでいるヒカリに向かって、屈みながら耳を傾けた。
「あのね。ギルに、捕らわれのお姫様なんか興味ないって言っちゃったの。でも今、すごくドキドキしてる。ギルは、王子様はいつ来てくれるかなって。こういうの悪くないなって」
何を言っているのか、フローティアには理解出来なかっただろう。けど、そこに確実に隙が出来た。
抵抗する術を持っているはずがないと油断したのが、この女の落ち度。
手首を縛っていた縄は完全に切断できた。強まった重力に全力で逆らいながら、両手で短剣をフローティアの顔めがけて突き上げる。
肉を切り裂く感触。魔法による束縛のため、殺せるほど深い一撃にはならなかった。
けど与えた傷は大きい。左目のあたりを両手で抑えながら悲鳴をあげるフローティア。手の隙間からは血が流れている。
スキュラもクラウスもすぐに動き出したし、周りを取り囲む狼の群れが一斉にヒカリに飛びかかろうとして。
「ヒカリ!」
その時、扉が開いた。王子様の声と共に。




