1-3 出会い
石と煉瓦で造られた建物が並ぶ町並みの、中心部近くにある市場で安いパンを買う。それを持って街外れの森へ向かった。その途中でも、道行く誰かが僕を話題にしているのが聞こえた。
――見ろよ。無能がいるぜ
――魔法使いの子供に生まれたのに、力がないなんてもったいないことを
――存在自体が無駄なのよ
――あんなのでも、金持ちの子供だから一生遊んで暮らせんだろ?
僕の家以外の魔法家の者。街で貧しい暮らしをしている者。噂話が好きで他人の醜聞を広めたくて仕方ない者。そんな奴らには、僕の存在は都合が良すぎた。
そんな嘲笑を聞こえないふりしながら、外敵を塞ぐための柵で囲まれた門から街を出て、すぐ近くに広がる森へ入る。
隣の領までまたがるほどの、とてつもなく広大な森林地帯の端。背の高い木々が鬱蒼と生い茂る中にできた小さな空き地。真昼でも薄暗いここなら、人は滅多に来ない。
僕を嗤う者もいない。
魔法が使えないなら別の方法で大成するしかない。
例えば剣の道を進むとか。人々を脅かす怪物を倒して守る、冒険者を目指すとか。
だから僕は努力している、毎日剣の鍛錬をしているし、書物で勉強もした。冒険者のこと、この国やここ以外の街のこと。倒すべき怪物のこと。その他、学べることはすべて学んだ。
いずれ街を出て旅をするつもりだ。僕に異常者なんて烙印を押す人間のいない街で、立派な冒険者になるために。
神父様もこの方針は応援してくれた。努力を怠らない者にこそ、祝福の天使は微笑みかけてくれるらしい。それは本当だと思いたい。
木のうろに隠している木剣を手に取る。屋敷に置くと家族に笑われるし取り上げられるかもしれないから、ここに置いていた。
魔法も使えない無能に剣の才があるはずがない。そんなことしても時間の無駄だ。父から言われた言葉を不意に思い出した。
そんなことはないと、弱気な心を奮い立たせるように剣を握り直す。そして振り向きざまに剣を振り下ろし。
そして見た。
女の子がひとり、倒れているのを。
首にかかる程度の、短めの黒髪が最初に見えた。最初は男の子に見えたけど、近づけば紺色のスカートを履いているのがわかった。スカートから伸びるきれいな足に少しだけどきりとする。
うつ伏せだから正確にはわからないけど、僕より少し年上かな。
さっきまでこの子はいなかった。どこから来たかはわからない。でも放ってはおけない。
「あ、あの。すいません。大丈夫でしょうか」
恐る恐る声をかける。返事がない。肩を揺さぶってみようかな。
「はうあっ!? 待ちなさい化け物! ぶっ殺してやる!」
「うわっ!」
指先で彼女の肩に触れた瞬間、物騒なことを叫びながら、その子は跳ねるように飛び起きた。驚いて尻もちをついた僕が見上げる中、その子はきょろきょろと周りを見回した。
それからこちらに気づいて視線を向けて。
「あ……れ……?」
そう言いながら首をかしげた。僕の顔がなにか気になるのかな。そのままこっちを凝視している。ややあって、ようやくその子は口を開いた。
「あの。つかぬことをお尋ねしますけど、あなたのお名前はなんでしょうか」
「え? ギルバートです。ギルバート・ラトビアス」
「そっか。そうだよね。うん。あ、わたしは七瀬光って言います。ヒカリって呼ばれるのが多いかな」
「ヒカリ……」
その子、ヒカリは僕の名前を聞いて、どこか気落ちしたような表情を見せた。その理由はよくわからない。考える間もなく、彼女はまた口を開いたから。
「えっと。つかぬことをお尋ねしますけど、ここは一体どこなのでしょうか?」
「どこって……ホーマラントの街の外れにある森です」
「ホーマラント? うーん……ちなみに、日本の東京っていう地名に心当たりは?」
ニホン? トウキョウ? 地名らしいけど聞いたことがない。首を横に振った僕を見て、ヒカリも悟ったらしい。
「そっか。東京がない世界なんだ。ううん。まだわからない。ここは外国なのかも。なぜか日本語が通じる外国。えっと。そもそもここは地球なのでしょうか」
「チキュウ?」
「あー。その反応。違うな。ここ地球じゃないのか。あは、あはははは……」
ヒカリはへなへなと地面に座り込んだ。それから頭を抱え込んだ。
「うあー! 馬鹿馬鹿! わたしの馬鹿! 焦ってたからってあんな穴に飛び込むなんて。ていうかどうしよ! これからどうしよう……」
「あ、あの。大丈夫ですか」
「ねえあなた!」
「うわっ!?」
見かねて声をかけると、ヒカリも同時に顔を上げて僕の両肩を掴んだ。
「つかぬことをお尋ねしますが!」
「さっきからつかぬこと多いですね!?」
「かもしれません! あの、ギルバート君のお知り合いに、この世界とは違う世界に連れて行ってくれる種類の人とかいませんか!?」
「いません! ていうか、なんですかそれは。違う世界って」
「いないかー。そっかー。そうだよね。ちなみに魔法少女とか、知り合いにいます?」
「魔法……」
魔法少女が何かは知らないけど、魔法使いみたいな物だろう。自分の体質と優秀な魔法使いである家族の態度を思い出して、暗い気持ちになる。
ヒカリはそんな僕を見て、申し訳なさそうな顔をして手を離してくれた。
「ごめんね。訳のわからないこと、急にいろいろ訊きすぎたよね。こういう時ってどうすればいいのかな。えっと、スマホで検索したら出てくるかな? もとの世界に帰る方法教えてって」
落ち着いている様に見せかけて、まだ混乱しているらしい。スマホとかケンサクとか、意味のわからない言葉を何度も口走っている。
それからスカートのポケットから黒い板状の何かを取り出した。一瞬だけその板を凝視して、またあははと笑った。
「そうだよね。とっくに切れてるよねー。何日も充電できなかったもん。ねえギルバート、知ってたらでいいんだけど、充電する方法が――」
「危ない!」
「ひゃあっ!?」
彼女が言い終わる前に、僕は抱きつくように彼女を押し倒した。どさりと音を立てながら、折り重なるように倒れる。ヒカリは驚いたのか、持っていた板を手放してしまった。
直後、彼女の背後から飛びかかってた狼が頭上を通過する。狼は黒い板に思いっきり噛みついて、ぱきりと音を立てた。
「ちょっ! あなた何して!? って、わたしのスマホ! あー!」
「落ち着いてください! 立って、逃げましょう! 奴ら人食い狼です!」
「人食い狼!?」
その言葉を聞いた途端、彼女の表情が真剣な物になった。纏う雰囲気が変わったというか。覆いかぶさっていた僕の体から抜け出て、素早く立ち上がる。