1-11 黄金の馬
木々の間にうっすらとある獣道を、狼に警戒しながら歩く。
この道をブドガルも進んでいるだろうし、行方知れずになった冒険者も歩いたはず。この先に何か危険があるのは間違いなく、僕たちの実力でそれに遭遇するのは幸運なことではない。
所々に転がる狼の死骸を見ながら、どこで引くべきかを思案する。
深みに入り込んで命を落とすわけにもいかない。引き際を見極めるのも、冒険者にとって必要な技術。
既に、これまで入ったことがない領域まで踏み込んでいる。足元の獣道もどんどん細く薄くなっている。木々はさらに密度を増し、日の光が当たりにくくなってきた。
そろそろ潮時か。冒険者としての初依頼としては納得のいく物じゃないけれど。
帰り道に別の狼に遭遇することを期待しようか。
そう考えてルミナスに撤収を指示しようとした、その時。
悲鳴が聞こえた。男の声で、短く鋭いものだった。本気で生命の危機に瀕した時に出る叫び。
それを不意に耳にして、ぞくりと背筋が凍る感覚に襲われた。
「ギル、今の聞いた!?」
「うん。森の奥の方から。ブドガルたちかも」
「どうする? 行く?」
判断に迷う。
気になるのは確かだ。けれど悲鳴の主は間違いなくブドガルとそのパーティー。他に人が立ち入っているとは思えない。
そして、性格は悪くてもブドガルは経験のある冒険者だ。それが危機に陥る状況ならば、僕たちが行っても無意味のはず。
ここは逃げたほうが得策と考えたところ、何者かの足音が急速に近づいてくる音が聞こえた。
今から逃げても間に合わない。むしろ脅威に背を向けることになり危険。身構えて音がする森の奥を睨む。
悲鳴と足音はさらに近づき、薄暗い木々の間からついに姿を見せた。
ブドガルが何かから必死に逃げていた。その後ろに彼の取り巻き兼パーティーメンバーの若い男。さらにその後ろには、大柄な黄金の馬がいた。
美しかった。街で馬車を引いていたり、農作業で使役されたりする茶色い毛並みの馬とは一線を画する毛並み。
さらによく見る馬と比べてふた回りほど体格が良く、力強さを全身から溢れ出させている。
その馬は、人間の生首を咥えながら走っていた。
その首は、やはりブドガルの取り巻きのひとりだった者なのだろう。
ブドガルのパーティーは四人構成。逃げているのがふたりで、首だけになっているのがひとり。残るひとりはどこだろう。
考えてる暇はない。ブドガルの後ろを逃げる取り巻きが馬に追いつかれ、背中を蹴られた。ぼきりと嫌な音と共に、男は体を痙攣させながら倒れ込む。
その体を踏みしめながら、馬はさらにブドガルを追う。
「ひいぃ!」
わずかに振り返り情けない悲鳴をあげながら、ブドガルはなおも走る。そしてこちらに気づいた。彼はまっすぐに走ってきて。
「邪魔だ!」
吐き捨てるように言いながら、僕を突き飛ばす。そして振り返りもせず、獣道を街の方へと走っていった。
「せいぜい足止めぐらいの役には立てよ! 異常者!」
この馬が僕たちを襲い、殺している間に自分は逃げられる。そんなつもりらしい。
「ちょっと! なにするの!」
「待って! あの馬をなんとかする方が先」
「ああもう! あいつただじゃおかないから!」
悪態をつくルミナスは、それでも馬に注意を向け続ける。それから右手を広げて馬の顔に狙いをつけて。
「喰らえ!」
その言葉と共に、光でできた球体が馬の方へ飛んでいく。
矢のような速さで、まっすぐ馬の頭部へ。しかし命中する直前、馬はわずかに顔を逸してこれを回避。
「うあ。馬のくせに避けるなんて生意気なんだけど!」
理不尽に怒りながら、ルミナスは右手を構えたまま馬に向って走る。
僕も慌ててそれについていった。両者の距離が急速に縮まっていく。
「目を閉じて!」
ルミナスがそう叫ぶと当時に、手のひらにさっきとは比べ物にならないほどの大きな光球が作られる。
咄嗟に目を閉じて顔を伏せても知覚できる、強い光。
陽の光を直接見てはいけません。目が潰れますから。以前神父様に教わったことを、ふと思い出した。
そして馬は目を閉じられなかった。至近距離で強い光を直視した馬の悲鳴が聞こえた。
「もう開けていい! いくよ!」
ルミナスの言葉に従い剣を構える。
馬はといえば、口に咥えていた誰かの首を落としてしまった。それでもこちらへの殺意は消えず、変わらず突進をかけてきた。ルミナスは咄嗟に光の盾を作り出してこれを受け止める。
正面からぶつかった両者だけど、さすがに馬の方が一撃が重いようだった。ルミナスだって力はあるけれど、体重は軽く踏ん張りが効きづらい。
後ろ向きによろけるのと同時に盾が砕ける。その体を咄嗟に支えたから、転倒は免れた。
馬もまた、衝撃を堪えるように一瞬だけ動きが止まった。しかしすぐに追撃してくるのは確実。
「ギル! わたしの後ろに隠れてて!」
再び盾を作る。さっきよりも分厚く頑丈に。さらに下部から杭のように尖った棒が伸びていた。これを地面に振り降ろして構える。
再度の激突。今度は耐えた。地面に刺さった杭により、ルミナスの盾はびくともしない。もちろんルミナス自身も踏ん張っているから。
盾を挟んで睨み合いが続く。このままでは戦況は動かない。特にルミナスは、盾を支え続けるしかないから。
だから、僕がいく。
ルミナスの側面を通り抜け馬の横へと回り込む。その時馬は、押し合いにしびれを切らしたのか、前足を高く上げて蹴り、盾ごとルミナスを押し倒そうとしていた。
「足を狙って!」
「わかった!」
馬が前足を上げた瞬間に、片側の後ろ足の根本を切りつけた。肉を切る感触と共に、刃が馬の体へと潜り込む。
あまり深く切ってはいけない。剣が抜けなくなるから。事前に学んだ知識を念頭にいれたその一撃は、用心しすぎたがために浅かったようだ。
確かに馬の毛皮や肉は少し切り裂けた。血も流れた。けれど筋肉に覆われた大柄な馬にとっては、大したダメージを与えられたわけではなく。
「ぐっ!」
前足がルミナスの盾に振り落とされる。ルミナスはうめき声をあげながらも、これに耐えた。
そして僕が与えた傷が原因なのか、馬の体勢がわずかに崩れる。
その隙をルミナスは見逃さない。盾を捨てて、光で新しい武器を作る。細い剣で馬に肉薄して、正面から胴体を突く。僕もまた、剣で再び切りつけた。
一瞬だけ、馬は後ろ足で僕を蹴ろうと試みたようだ。けれどその前にルミナスの剣が刺さる。苦悶の鳴き声と共に馬の体がどさりと倒れた。
馬はなおも生きようともがく。足をばたつかせ、胴をのたうち回らせて。それに当たれば怪我をする危険があるから、すぐに後ろに退いた。
ルミナスは手のひらから光球を作り出し、光の矢にして馬の脳天に放つ。
直撃して、金色の美しい毛並みの馬は静かになった。
 




