第二夜
こんな夢を見た。
朱く焼けた夕日が西へと沈んでいく。それを横目に見ながら短い脚を懸命に動かして、自分は家路をたどっている。重たい緋のランドセルが背中でぱたぱたと音を立てながら揺れていた。楽しいことなんて一つもなくて、ランドセルよりもずっと重たい心を捨ててしまいたいとさえ思っていた。
家路はまっすぐの一本道で、後ろをちらりと振り返れば遠くに小さく学校が、顔を上げれば家の奥に、通っていた学習塾が見えた。家、学校、塾。それから夕日。それ以外この世には存在しないみたいに、他はぼやけて粘土か何かで作られたようだった。だから顔なんて上げるだけ無駄で、自分はずっとうつむいて足とアスファルトだけじっと見つめていた。さほど長くもない家路はすぐに果て、愛情いっぱいが待つ灯に吸い込まれた。
中で待っていたのは女性だった。見覚えのある顔の女性だが名前は出したくない。心底嬉しそうな笑みで、どろどろと甘ったるく自分を褒める言葉を口にする。それから、ふと気づいたように何かを取り出す。
「寒いでしょう」
上質な素材でできた、つくりの良いおしゃれなマフラーを首にかけてくれる。そして絞める。自分は声を出せない。金縛りのように体が動かなくなる。筋線維すべてを糸で操られるように体がこわばる。
「がんばってね」
ランドセルを下ろして、重さは大して変わらないリュックサックを背負う。靴を脱ぐこともなく回れ右してまた家を出た。
場面変わって、不吉に赤黒い血のような雲が垂れ込める空。自分は研究所のような(と思っただけで、見た目は普通の家と変わりない)建物を後にした。中に灯はもはや無く、暗くひえたフローリングの奥から覗くものに蓋をするように勢いよく扉を閉めた。目の前には曲がってはいるけどたった一本だけの道。その奥には学校があって、見たわけではないが後ろのほうには相変わらず塾が呪われた城のようにそびえているのだろうと考えた。ローファーのつま先をとんとんと打って、自分は歩き出した。
また時間がたって、今度は塾から家への道のりのようだった。さっき習った(と、いう設定。実際にはもっともっと前に習っていたはず)ベガとアルタイルとデネブがきらめく空に蛍光色のネオンサインやド派手な原色の看板が人工的な光を跳ね返していた。町は急激に、町と言える形を得始めていた。道がある。街灯があって、店があって、人がいて、自分はどこまででも行ける。好きなところへ行ける。自分はそれがうれしくて、家と真逆の方向へ、そこに何かがあると知って軽快に走っていく。もうアスファルトの模様を暗記するまで見つめなくていい。眼球をカラフルな色たちに染めてもいいのだ。口が緩んで声が漏れだす。流行りの歌を歌いながら自分は走って行った。
息を切らして走った先にはグラウンドがあった。大砲のように大きな、力そのものであるような投光器が照らす、先ほどまでとは打って変わって静まり返った無人の広場。生真面目にならされたあとのある地面に立って、自分は「ここだ」という確信を持っていた。投光器の奥の、外からここを遮る結界のような林が黒くざわめく。さらに奥で60m以上のビルが航空障害灯を点滅させて、燃えるような地平線を作り出していた。
来る。唐突にその予感がして空を見上げる。羽ばたく音(大きく羽ばたいているはずなのに風は全く感じなかった)、巨大な質量が動く感覚。投げられる光の中に真っ赤な龍が現れた。ぬらぬらとうろこを光らせてやけにリアルにそいつは降り立つ。自分は喜びとともに駆け寄った。龍は恭しく首を垂れて翼を伏せ、それを見た自分は背中に乗ってどこかもっと遠いところ(何だった?たしかごくてんとかなんとか言っていた)へ行こうと思った。重たい心もリュックも捨てて、すっかり軽くなった体を跳ねさせ、竜の背中に飛び乗る。皮膚の直下がきしりと痛んで、直後、脱皮みたいに皮膚がするりと抜け落ちた。落ちた皮膚の下から、龍と同じような鎧じみた真っ赤なうろこに覆われていく。はっはっは!これで永遠に自由だ。(と、言っていた気がする)
「あなた、どこに行くの!」
忌々しい声。自分は顔をしかめて視線を落とす。もう自身も人間ではないようなそんな見た目をしている彼女がいた。彼女は一心不乱に、溶けて歪んだ口で自分の抜け殻に話しかけていた。可笑しいや。そいつはもう自分じゃないのに。急に目の前の彼女(と、呼んでいいのかさえわからない風貌になっていたが)が滑稽で哀れに見えて、自分は龍の背から滑り降りる。
「もう終わりにしよっか」
そうだ最初からこうすればよかったんだ。下らない。下らなすぎて笑えてくるや。自分は足元の彼女の顔(らしきところ。顔周りのパーツが集まっているからそう呼んだが決して顔ではない)を両手で包み込む。そして握りつぶす。たくさんの怨みと、興奮と、捨てきれない愛おしさをこめて何度も踏みつける。
「ぎゃっ」
情けない悲鳴を上げて彼女はぐずぐずに溶けていった。はっはっは!はっはっは!
自分はいつのまにかあの家の前に戻ってきていた。思い描いていた未来の影と彼女の香が残るそこに、自分と彼女ふたりの死体を置いて、自分は旅立つ。龍の背に乗って、ルビーのように紅く染まり始めた朝焼けの空に飛んでいく。はっはっは!はっはっは!
それにしても馬鹿みたいに赤い夢だった。